アキラ酔う
最近、独身男性の間で囁かれいる都市伝説があるのを貴方はご存知だろうか?
成功率九九.八%で女にモテるというのだ。
何処に在るとも分からない『わかば』という喫茶店を探し、アレを下さいと言う。
そして、アレに付いてくるハートマークの付いた紙に名前と電話番号を書いてテーブルの上に置いて帰るのだという。すると、後日、選ばれしモテない男だけに電話がかかってくる。
選ばれる為の基準は不明、選ばれる確率は低いが当たりならば、九九.八%の成功が待っている。
モテたい当日は美人女性と若い男が現れて、若い男の“まじない”を受ければモテること間違いなしなのだそうだ。
…………但し料金は一万五千円。
そこのモテない君、この都市伝説を信じますか?
夕飯の準備が終わり、アキラはグラビアアイドル雑誌を眺めていた。簡単にナベにしてしまったから時間を持て余していたのではなく見たいから見ていたのだ。
「ただいまアキラー、仕事、入ったわよ!」
慌てて、尻の下にアイドル誌を隠し「お帰りー」と言った。
合い鍵で帰ってきたのは、アキラと同棲中の奈美だった。そもそも、同棲と思っているのはアキラだけで、奈美はアキラの事を同居人と思っているようだ。
「えー、嫌だよ僕……もう男に抱きつくの辞めたいんだけどなぁ。どうせ抱きつくのなら奈美ちゃんがいいよ……」
言っても無駄だという事はアキラには分かっているが、毎回のように繰り返されるアキラの負けが前提の会話が二人の生活にとって大切なリズムなのだ。
奈美は、リビングにかけてあるハンガーに脱いだ事務服を引っかけながら言った。
「一回抱きつくだけでアキラは五千円貰えるんだから、割りがいいでしょう。それに、特異体質を使わなくっちゃ勿体ないでしょ」
「特異体質なんて使わなくってもいいよ、僕は奈美ちゃんとずっと一緒にいられればいいんだから……それに……奈美ちゃんの取り分は一万で……あっ……な、何でもないよ……」
シマッタと言う顔をして、アキラは黙ったが遅かった。守銭奴には金の事で口答えするのは命取りなのだ。
奈美は一瞬動きを止め振り向くと、キャミソールのまま足音を鳴らしズカズカと近づいてきた。
「誰の家に住んでるのかなぁ? 生活費もらってたかしら? 私と一緒にいたいなら、稼ごうねアキラちゃん」
顔を近づけ、睨みをきかして言った。
奈美の威圧感と、目の前の二つの膨らみと谷間に負けてアキラは、わかったよ、奈美ちゃん……とうな垂れた。
間髪を入れず、肩を落とすアキラの尻から素早くアイドル誌を抜き取りゴミ箱に入れた奈美は勝ち誇ったように笑った。
アイドルゆきちゃんとのデートは五分でゴミ箱の中に消えていった。
完全にアキラの敗北だった。
この日の会話が特別なのではなく、奈美が仕事を受けてアキラに報告すると
必ず似たような会話が繰り返されるのだ。
そして毎回アキラが負けて奈美に従うことになる。
出会いは、アキラが二十歳になりたての時だった。
アキラは仕事を辞め再就職も決まらず実家に戻る事になっていた。
この街での最後の夜に居酒屋でムシャクシャした気持ちを持ち込みながら一人で飲んでいた。
そして慣れない酒にかなり酔ったアキラが、やはり一人で飲んでいた奈美に絡んだのがきっかけだった。
僕はモテないが、他人をモテさせる事ができるとか、自分は特異体質なんだと椅子一つ空けて話しかけてくるアキラを、会社帰りで一人カウンターで飲んでいた奈美は適当に返事をして軽くあしらっていた。
だが、徐々に日頃の愚痴なども交じり始め、女々しく同じ会話を繰り返すアキラに腹が立ち始めた。
「仕事もうまくいかなかったしさ……やんなっちゃうよ……それに、どうして、僕はモテないんだろうねぇ、他人をモテさせる事は出来るのに……ねぇ、ねぇ、おねえさんは僕の特異体質をどう思う?」
せっかくの金曜日なのに週一回の会社帰りの楽しみである酒がこれ以上、不味くなるのを我慢ができなくなった奈美はキレた。
「グチグチと男らしくないなぁ! そんなんだから、モテないし、仕事だって上手くいくはずがないわ! 特異体質ですって? 笑っちゃう、じゃあ、その特異体質とやらを証明してみなさいよっ!」
迫力のある低音ボイスで啖呵を切った。
アキラは一瞬たじろぎ動きが止まったが、気を取り直して立ち向かった。
「わ、わかったよっ! ま、待ってろよ!」
ヤケクソに言うと、おもむろにシャツを脱ぎ上半身裸になる。
そして、居酒屋の無精ひげを生やした熊のようにいかつい店員が、なんだコイツとアキラを横目で見ながら美奈にビールを置いて戻ろうと後ろを向いた瞬間だった。
アキラは素早くコアラのようにかじりつき裸の上半身を何度も店員にこすりつけた。
何が起きたか訳のわからない店員は、最初は棒立ちで呆気にとられていたが、アキラを睨むと太い腕で引きはがし、壁に突き飛ばした。
「何をするんだ!」
華奢なアキラは勢いよく吹っ飛び、壁にぶつかってズルリと床にへたり込んだ。
かなり痛かったのであろう腰を擦りながらゆっくりと立ち上がり、周囲の客達の失笑を浴びながら頭をかいた。
「お騒がせして、すいません、すいません……」
ペコリペコリとと四方に頭をさげ、奈美の座っているカウンターの隣りに逃げるように座わった。
カウンターの中のドリンク係をやっている店長らしき人物が強い口調で言った。
「お客さん、困りますよ。帰って頂きますよ!」
アキラは小さく肩を丸めた。
「ごめんなさい、もう絶対にしませんからすぐ帰りますから。もう少しだけ居させてください……ごめんなさい」
小学生のように謝るアキラに、店長らしき人はしょうがないなぁ、とため息を吐き「貴女の連れなの?」と奈美に向かって聞いた。
「ま、まさか! 赤の他人で全く知らないわ」
奈美は心外だという素振りで答えた。そんな事は意に介さないアキラは奈美の耳に顔を近付け、内緒話のようにヒソヒソ声で言った。
「おねーさん、十五分待ってねぇ」
何度もボタンをかけ直しながらフラフラとシャツを来た。
コイツ、危ないヤツだ。関わらない方がいいと奈美は判断し、「会計お願いします」とバッグに手をかけた。
「ま、ちょっと待ってよ、おねーさん。ゴー、ヨン、サン、ニ、イチ、ゼロ…………そろそろだよ、さっきの熊さんを見ててね」
奈美はバカバカしいと思いながらも、遠くで給仕をしている熊のようなむさ苦しい店員を見た。
店員が給仕しているのは、女子大生六人グループのテーブルのようだ。
熊のような店員が頭を掻きながら照れていのがわかる。
そして信じられない言葉が耳にはいってきた。
「かっこいいですね」
「名前教えてください」
「メアド交換してください」
「お仕事は何時に終わりますか? お茶でもどうですか?」
一人の女の子などは本気で誘っているのだ。
そう、どう見てもモテそうもない熊さんがモテているのである。
「ね、おねーさん、本当だったでしょ? 僕の特異体質、へへへー」
「……わかったわ……出ましょう!」
奈美はアキラの手を引いてレジで精算して店を出た。
アキラは何も落ちていない道路に躓きながら、グイグイと手を引かれて、引きずられるように歩いた。
奈美は、店の近くにある自分のアパートにアキラを連れ込んだのだった。
「変だなぁ、僕はモテないはずなのに、おねーさんにお持ち帰りされちゃったの? ヒックッ」と言いながら、アキラはソファーに倒れ込むように座った。
「君、面白いじゃない、退屈な毎日に飽きてたところなのよ、詳しく話してくれないかな?」
「僕ね、何かを分泌してるみたいなんだよね。でね、ヒックッ、その分泌物は誰かの身体に付くと化学変化をするみたいなんだ。
そして、そいつがモテちゃうんだよ」
呂律が回らないアキラは、ソファーからずり落ちそうになりながら言った。
奈美はお茶を入れながら聞いた。
「それで? 持続時間は?」
返事がないのでソファーを見るとアキラは気持ちよさそうに寝てしまっている。
詳しい事は明日聞けばいいし、明日は土曜日だからゆっくり聞けて丁度いいと奈美は思った。無防備に眠るアキラを見つめ「割と可愛い顔してるじゃないの」と呟いた。
寝室から毛布を持ってきた奈美はアキラの身体にそっと掛けてやると、先程淹れた温かいお茶を口に含み、考えを巡らすのだった。
「面白い事になりそうだわ……この子、使えるかもね……」
そう呟くとゆっくりとお茶を飲み続けるのだった。