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休日の学校といっても、文化祭直前の学校はどこかせわしくて、普段と変わらないところはほとんどない。
ただ、職員室にいる教員が少ないことと、生徒の全員が登校しているわけではないことくらいなものだ。
文化祭まであと1週間を切っていた。
このままでは本番に間に合わない、と痺れを切らした文化祭のクラスの統括係の子が、メールで招集をかけたのだった。そのせいか、やはり教室にいる人数も平日とそう変わらない。
ただ、カッターシャツの袖をまくりあげたり、Tシャツとジャージに着替えていたりする子が多いのが気になるくらいだ。
あたしは中身がすかすかの鞄を自分の席の横にかけて、今日も日あたりがいいからとベランダで作業をしているちなっちゃんたちの元へ向かった。
あらかじめ学校に着く前にメールを送っておいたから、ちなっちゃんもそろそろあたしが来るころだと分かっていたらしく、あたしに向かって軽く手を挙げただけで、すぐ作業に戻ってしまう。
「おはよう、ちなっちゃん」
「おはよ。後で集合だってよ」
「なんで?」
「経過報告。あと買い出しするものとかいろいろまとめて出しといた方がいいだろうって。そろそろ舞台の造りも考えないといけないし」
「へえ…」
よく分からないけど、まあ困ったらちなっちゃんに聞けばいいか、と本人に知られたら怒られそうなことを考えた。
「じゃあ、真帆は下描きね。ファイルに美術部の森が描いてくれたスケッチがあるからそれをもとにして適当に描いといて」
「えー、無理だよ。あたし絵心ないし」
「嘘つけこのど阿呆。美術の実技、判定Aだったでしょ。見てたんだから」
「……」
美術の実技テストは1時間、自分の左手をデッサンをする。学期の間に2回行われる。
テストと言ってもそんな大層なものではなく、授業の終わりにデッサンを提出していくだけなのだが。
そんなものと舞台の背景じゃ全然要求される技術が違うんじゃないかと思うけど、そこは思うだけでやめておく。
ベランダから少し身を乗り出して、下を見下ろした。
校舎の真ん中に位置する芝生の広場では、係の生徒が慌ただしく走り回りながら、放送機材のテストをしていた。
* * *
実行委員の男女が、適当に寄せた机の島に向かって声を上げる。
「舞台に使う木材はもう運営に注文してある。2、3日で届くってさ」
「あと、大道具と小道具の進みがちょっと遅れてるみたいだから、役の人は手伝ってあげて。衣装は順調だよね?」
「で。買い出しどうすんの?」
生徒の一人が言った。
「大道具の買い出しが多いから、そこからがいいかな」
実行委員の女の子の発言に、ちなっちゃんがあたしの背中を小突いた。
慌てて抗議の意を含めて大道具の他の2人の女の子たちを見たけれど、『いってらっしゃーい』とばかりに、にこにこ笑みを浮かべている。
仕方がない。
「……あたし、買い出し行くよ」
片手を軽くあげた。
「じゃあ、俺一緒に行こうか」
と、相変わらず驚くほどちょうどいいタイミングで松本君が言いだした。
「松本。お前、運営から呼ばれてんだろ」
実行委員の男子の言葉に、「あ」と松本君が声を上げた。
どうやら完全に忘れ去っていたらしい。
「埼坂。お前、行って来いよ」
今、仕事ないだろ。
なんでもないように実行委員が言った。
言われた埼坂邦宏は軽く目を瞬いている。
「……別に、いいけど」
よっしゃ。じゃあ、ちゃっちゃとやろう。
そう誰かが言ったのが解散の合図になった。
そっと埼坂邦宏の顔をうかがうと、怒ったような疲れたような顔をして、あたしからさっと顔をそらした。
* * *
ジャージにTシャツ姿の埼坂邦宏の数歩後ろを、少し小走りになるくらいでついていく。
やはりコンパスの違いか、彼自体は悠々と歩いているようなのに、あたしときたらついていくだけで必死だ。
埼坂邦宏は気付いているのかいないのか、あたしからしたらずんずんとも言える速さで足を動かす。
店に着いた時にはもう、あたしの息は乱れてしまっていた。
「富田さん」
埼坂邦宏が突然足を止め、振り向いた。
パタッ、と慌ててあたしも止まる。
「俺はただの荷物持ちで何が要るか分かんないだからさ。早く見てきな」
彼は、冷ややかな調子で、にこりともせず言い放った。
さすがのあたしも一瞬、呆然とした。
「……富田さん?」
「…あ、いや。ごめん……すぐ行ってくるから」
埼坂邦宏の視線から逃れるように、あたしは踵を返した。
握りしめていたメモが、くしゃりと手の中で潰れた。
いくら早足で歩いても、未だにあたしの背中をじっと見つめている埼坂邦宏の視線。
その冷たい感触を、あたしは拭い去ることができなかった。