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「あたしは、埼坂君が、すきです」

 一音一音を慈しむように、彼女がそう言った。

 彼女の手が俺の顔に伸ばされる。

 何度も身体を重ねたことはあるくせに、おそるおそる何かを確かめるように、彼女の指が頬を撫でた。

 彼女の指は、イメージに反して、丸まっこい桜色の爪と言い、長くはない指と言い、子供のようだ。

 指はそっと頬から顔の輪郭をたどって顎へ移動し、手を顎に添えたまま、人差し指が俺の唇をなぞった。

 口を開けて、彼女の指を含む。彼女は逃げなかった。

 節を甘噛みする。熱い熱い俺の咥内で、彼女の指だけがひやりとしていた。一度口から解放し、ぞろりと指の側面を舐めあげ、指と指の間に舌をやって、上目づかいに彼女を見上げた。

 彼女の黒々とした瞳は、とろりと緩み、潤んでいた。

 そっと指から離れると、糸をひく。

 唇に口付けを落とすが、あっさりと離した。やや不満そうな表情をした彼女を正面から見ることなく、乱れた髪をそっと耳にかけると、

「……今日は聞かせろよ」

「…え?」

「声…」

囁いた。

 一瞬遅れて彼女の耳元が火照っていくのを見て俺は満足し、ようやく彼女の唇を深く貪った。



* * *



 カツカレーとお茶をのせたトレイを持っていつもの場所に腰を下ろすと、俺の向かいが埋まった。

「おい理香、誤解されるからやめろっていつも――…」

「どうも」

 向かいの席の奴が、にっと笑う。

 松本だった。

「俺、今日の昼メシはA定がいいんだけど」

 松本がにこにこ笑いながら話しかけてくる。

「……なら、自分で買って来い」

 松本が片頬を指さして見せた。代休明けの今日でもまだ腫れている。口元にはバンソウコウ。

「上手くいったの俺のおかげだろ?」

「……」

「まあ、今日は売店でパン買ったからいいけどさ」

 なら、言うなよ!っていうか俺のとこ来んな!

 脊髄反射で叫びそうになった言葉は、なんとか飲み込んだ。確かに松本の傷は俺のせいだし。

 俺は松本を無視して食事を始めた。

「だいたい、埼坂さ、小学生じゃないんだから今時好きな子いじめるなんてありえないよ」

 ぐっ、とカツが喉に詰まった。慌ててお茶で流し込む。

「……」

「富田さんがあんまかわいそうで、見かねてね」

「…明日」

「え、なに?」

「A定、明日でいいだろ……」

 その時の松本の笑みはやけに大人びて見えた。



* * *



「埼坂君ってなんか…」

「何?」

「スキンシップ過剰?あたし、男の子と付き合うのは初めてだからよく分からないけど」

「そう?」

 俺もちゃんと好きで付き合ったのは富田さんが初めてだからよく分からない。

 前の彼女にはそこまで執着もしなかったし。

 俺が彼女とセフレのような関係だった数ヶ月間、俺の家に来るのは週に1度だったが、今では3日と空けずに彼女はやって来る。まあ、俺が呼んでるからだけど。

 彼女は俺の脚の間で足を投げ出してぺたりと座っている。

 部屋に来て早々脱がした制服は、ハンガーに掛けてある。

 すでにシャワーを浴びて俺の服を着ている彼女の髪の毛はまだ湿っていて、スウェットの下だけ穿いた俺に大人しく拭かれていた。

「なに、嫌?」

 彼女の顔を後ろからのぞきこむ。

「ううん……」

 前はした後に一緒にお風呂入ったり、頭拭いてもらったりするようになるとは思いもしなかったから、嬉しい。


 彼女はさらりとそう言って、目を細めた。

 思わず手を止めてしまった俺に、彼女が振り向く。

「埼坂君?」

「いや、なんでもない……」

 部屋の空調は切られている。代わりについさっき俺が開けた窓から、夜風が入ってくる。

 出遅れた蝉の鳴き声と、それを上回るリンリンリンという鳴き声。

「鈴虫?」

「たぶんな」

 ひどく穏やかだった。

「秋になるね」

「……」

「来年は花火観に行こう、一緒に」

 来年。俺と彼女が卒業して、きっと別々の大学で、今まで会ったことないよう人々と出会って、それでも。

「ん…」

 俺は彼女の頭を拭いた手を止め、するりと彼女の腰に腕を回した。

 彼女の子供みたいな手のひらが、そっと俺の腕に添えられる。

 窓辺のカーテンが、静かに揺れた。




  THE END


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