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 高校に入ってからの埼坂邦宏は、中学生の頃と全然違う。

 中学生の頃の埼坂邦宏は野球部員でずっと丸刈りにしていたのに、今ではやや茶色がかった短髪がワックスで無造作に立てられている。

 うちの学校は厳しくないので、これぐらいのことをやっている人はざらだし、そういうあたしだってパーマをかけているのだ。

 部活は野球でなくサッカー。

 球を打つより蹴る方に才能があったみたいで、そこそこ活躍はしているらしい、とはちなっちゃんの弁。

 でもあの頃と一番違うのは、埼坂邦宏が女の子と付き合うようになったことだ。

 慣れたような態度で、女の子に笑いかける。

 あの頃見せた赤い顔なんて想像もできない様子で。

 

 今の埼坂邦宏は、学年でもかわいいと評判の国見さんと付き合っている。



* * *



 高校生活最後の文化祭。

 新しいクラスになって間もない5月。

 いくら文理が分かれて一年が経ち、顔見知りが増えたとはいえ、話し合いの折々に感じられるぎくしゃくした違和感は、仕方のないものなのだろう。

 あたしは文系で埼坂邦宏は理系だから、同じクラスになることはないと、去年はほっとする反面どこかがっかりするような複雑な気持ちだったものだが、彼は新学期最初の自己紹介で明るく言った。


『文転してきたんで、全然知らない人だらけで緊張してます、実は。よかったら仲良くしてやってください』


 ああ。

 彼はうまくやるだろう。

 それがあたしには分かったし、きっと皆もそう感じていたと思う。


 

 もちろん、予想通り、彼はうまくやった。

 まだあれから1カ月も経っていないけれど、それはだれの目にも明らかだ。

 クラスの3分の1しかいない男子のほぼ全員と彼は仲良くなったらしかった。






 中学時代、彼の『俺が好きなのは富田さんだよ』を聞いてから、一度だけ、廊下でばったりとすれ違ったことがある。


 早朝のことだ。

 あたしがその時間に来るのはいつものことだった。

 朝、人があまりいない教室の、しんと透きとおった空気が好きだった。


 靴箱で靴を履き替えるのに、そっと片手を壁についた。

 古い鉄筋コンクリートの校舎の壁は、触るとひやりと冷たい。


 ややうつむき加減でクリーム色の廊下の床をじっと見ながら、歩を進めるごとにきゅ、きゅ、と少し湿った床と上履きのビニールの底がたてる音を聞いていた。

 ふ、と視線を上げるとすぐ向こうに埼坂邦宏が立っていた。

 彼はあたしが来るのを気づいていたのに違いない。


 あたしが顔を上げて、彼の顔をみとめた瞬間、彼はこちらにまでその音が聞こえそうなほど大きく、はっと息を呑んだ。

 今でこそクラスメイトにすれ違えば挨拶こそするが、あの頃のあたしは極端に卑屈だったし、そんなあたしにわざわざ挨拶するのは友人以外にいなかった。

 どうしようか悩んで、結局声もかけずに、そのまますれ違おうという時、あたしのすぐ横に彼が来た時、


「……おはよう」


 あたしは聞いた。

 彼のものとは思えないような小さな声だった。でも、確かにそれはいつも馬鹿騒ぎして、大声で笑っている彼の声以外に考えられない。


 あたしが小さく驚いている間に、お互いの体はそのまますれ違ってしまった。

 ずるい、と思う。

 あんなところまできて挨拶されるなんて思わないではないか?

 あたしは別に何かの意図があって挨拶を返さなかったわけではないのに、これじゃあなんだか彼を無視したかのようだ。


 別に彼のことを好きでも何でもないなら、どう思われても構わないはずなのに、この時のあたしは埼坂邦宏にこのままあたしを好きでいてほしい、と思っていた。

 だって初めてなのだ。

 いくら手を伸ばそうと決してあたしを向かい入れてくれなかった世界が、少しだけあたしを受け入れてくたように感じるのは。


 今考えればそれは大げさすぎるかもしれない。

 でも、当時のあたしにとってはそれぐらいの出来事だったのだ。




 その数日後、あたしは再び彼の話を聞いた。

 美術の時間のことだ。

 周りは喋りながらも作業を進めていて少しうるさかったし、誰かに注意を払っているような雰囲気でもなかった。

 彼のテーブルは私の班の隣で、私は一見作業に集中しているように見えたかもしれない。しかし、その実、背中をぴんと伸ばして背後で話す男子たちの気配を感じ取ろうと集中して、耳を澄ませていた。

 ここまでくると、彼が不用心なのか、あたしが地獄耳なのかもう分かりはしないが、とにかくあたしは聞いたのだ。


『お前、そんなに気になるなら話してみればいいだろ』

『挨拶ぐらいしてみろよ』

 面白がっているような口調で、口々に無責任なことを言う。

 そんな中、埼坂邦宏はぽつりと言った。


『でも俺、今度もシカトされたら、なんかもう立ち直れない気ぃする』


 周りの男子たちが、一瞬だけしんとした。



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