19
ぱたり、と動きを止め、じっと俺を見つめる彼女の唇がわずかに開いている。
「…何それ?」
「もううざったいからいちいち誤魔化さなくていいよ。松本ともやってんだろ、あんた」
「……」
この期に及んでしらばっくれようとする富田さんに苛立つ。
彼女はしばらく黙りこんでいた。
「分かった」
「…何が」
「いいよ。埼坂君がやりたいならやりたいだけ、好きにすればいい」
でも、もう二度と埼坂君の家には行かない。
学校でも二度と触らないで。
あたしのこと、見るのも話しかけるのも抱くのも、もう二度としないで。
初めて見た彼女の激しい眼差しに、俺は思わず息を呑んだ。
「あたしのこと、もう好きでも何でもないくせに……」
呻くように最後にそれだけ言うと、彼女は口をつぐんだ。
何か言おうにも何故だか一言も口に出せない。
それに、今彼女はなんて言った?
『もう』好きでもなんでもないくせに?
まるで、『昔は』好きだったと知っているような…。
「埼坂君?やらないの」
「…なんだよ、『もう』って……」
彼女の腕を掴んでいた両手で、俺は自分の頭をくしゃりと掻きまわし、顔を覆った。
それに二度と見るな、なんて、無理に決まってる。
もう何年間彼女を見続けてきただろう?その彼女の温度まで知ってしまった今、そんなことができるとは到底思えない。
しかし、散々彼女に手ひどく当たっておいて、今更、好きだなんて言えるとも思えない。
「あたしは…ぜんぶ埼坂君としかしたことないし、埼坂君が国見さんの代わりにあたしとしてくれるなら、なんでもいいって思ってた」
けど、もういやだ。
ぽつりとそう言った彼女はうつむき、暴れたせいで乱れた服を見下ろした。
「……なんでだよ」
「好きだからだよ!!」
叫んだ彼女を見たのが初めてなら、こんなに目を潤ませた彼女を見るのも初めてだった。
俺と視線がぶつかれば目を逸らす。
押し倒してもろくに抵抗しない。
抱いてる最中、ほとんど声も出さない。
俺には笑いもしなければ泣きもしない。
そんな、彼女が。
「嬉しかったのに!中学生の頃、あたしのことなんか絶対誰も好きになるわけない、って思ってて、自分が一番自分のこと大嫌いで、それなのに埼坂君が…、ッく、…好き、て…ってくれたの、…すごい、すごい…っく、嬉っ、し、かったのに」
途中からは嗚咽交じりだった。
もうそんなことしても無駄だろうに泣きたくないのか、唇を噛みしめ、手の甲で乱暴に涙をぬぐっていた。
「う、そだろ……」
信じられない。
彼女の頬は涙でぬれ、強くこすった目元は赤らんでいる。
きっと彼女のこんなぐしゃぐしゃな顔を見たのは俺だけだろう。
「で、も…埼坂く、同じクラス…っても、っく、あたしっ、こと、睨む、しっ…かのじょいるのに、ヘンなこと、…っるしっ、…もぅ、嫌われてるの、分かって、たけど…」
「……富田さん」
彼女の首に手をひっかけ、ぐい、と俺の肩に頭を押し当てた。
しばらく俺から離れようと、俺の胸に手を突っ張っていた彼女だったが、やがて諦めたように、そっと手を下ろした。
「俺は、ずっと、あんたのことが好きで、すっげえ好きで、馬鹿になってんだよ、もう」
「…………な、に?」
「だから、好きなんだよ。中学の頃からずっと、今も」
「うそ……」
今度は彼女が先ほどの俺と同じような台詞を漏らした。
「だっ、て、さきさかく…国見さ、が…」
「理香のこと話して傷ついてるあんたを見たかったから。そしたら、ちょっとは俺のこと、気にしてくれてるって分かるだろ。馬鹿みたいだけど」
俺のことなんて、あんたにとってはどうでもいいことなんだろう、って思ってた。
「だから、理香とは本当はもう付き合ってないんだよ」
驚くほど甘ったるい声が出た。
「それ、ほんと…?」
ようやく呼吸が落ち着いてきた彼女は、そっと俺の腕の中で顔を上げた。
「ほんと。……で、あんたは?」
「なにが?」
「松本とやったの?」
「してない!」
「じゃあ、なんであいつがあんたのほくろの位置まで知ってんの」
「ほくろの位置…?」
するりと彼女のスカートの中に手を滑らせる。
ぴくりと動いた彼女は、しかし、今度は抵抗せずに俺のTシャツをきゅっと握った。
さわり、と内腿を撫でて、付け根を引っ掻く。ちょうど、ほくろがあるところ。
「ここ」
「…ぁ」
彼女が小さく吐息を漏らした。
「だって、あたしが松本君に言ったから」
「……は?何を?」
「文化祭の日、埼坂君と何したか。ほくろエロいねって言われたこととか、松本君ぜんぶ知ってるから」
一瞬、耳を疑った。
「……はあ?!あんたいったい何をしゃべってんだよ?!」
「こ、こう…話の流れで、というか、なんというか」
「普通、そんな話の流れにはなんねえよ!」
沈黙。
彼女と会話しながらも、どこか現実感がない。
いま起こってることは本当か?本当に現実?
彼女は俺に『好き』って言った?俺に?
同じクラスになってからずっと、嫌がらせみたいなことばっかしてた、俺に?
「…信じ、らんね……」
顔を伏せる。見せたくない。絶対、今の俺は、ものすごくダサい顔してる。
「埼坂く…」
「……あんた、俺があんたのこと好きだって知ってたんだ…?」
「……」
「全部知ってて……」
何なんだ。
何なんだよ。
もう意味が分からない。彼女は俺のことが好きで、理香の代わりにされるのが嫌だった?
「馬っ鹿みてぇ…」
俺一人でぐるぐるぐるぐる。4月に富田さんと同じクラスになってからずっと。
彼女を傷つけて、俺はひとりで勝手にへこんで、空回り。ひたすら。
でも、今初めて分かったことが、ひとつだけ。
「富田さん……。もっかい、言って」
「…え?」
俺は顔を上げた。
「俺のこと好きって、もっかい言って?」