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「まだ付き合ってもないっていったいどういうことなわけ?」

 カレーうどんをすすりながら、大盛り炒飯をトレーにのせた俺に、理香はそう言った。

「おい。お前、制服でそんなもん食うなよ。……ホント信じらんねえな」

「うるさい。あたしからすればねえ、いつまでももたもたしてる邦宏の方が信じらんないよ」

 ほんと、いったい何やってんの?と、大盛りにしたときだけ付けてくれるから揚げを理香の箸が、感心するほど華麗な素早さでかっさらっていった。

「……そんな風に言うなら、そういうのやめろよ」

「なんで?」

「……誤解されんだろ」

 それでなくても、周りの連中には未だ付き合ってると思われているのに、という言葉は飲み込んだ。

「はあ?!同じクラスになってから何カ月経ったと思ってんの?もう9月よ!邦宏がさっさと真帆ちゃんと付き合っちゃえばそんな誤解関係ないでしょ」

「ちょっ…、お前、箸振り回すなよ!!」

 あと、気安く『真帆ちゃん』とか呼ぶな!喋ったこともないくせに!

 ――とは、学食なのでさすがに言えない。


 別れた元カノ・国見理香はこうして、俺をことあるごとにせっついてくる。




 そもそも俺がこの高校に来たのは、富田さんを追いかけてのことだった。

 中学では中の上くらいの成績だった俺にしてみれば、学区で一番難しいこの高校に入れたら奇跡みたいなもんだった。

 親からも担任からも散々、反対されて、それでも猛勉強の末になんとか滑り込んだのだ。

 そんなだから、高校での成績は芳しくない。

 当然だ。無理して入ったのだから。

 それでも3年間は同じ場所に居られる。

 俺の学力が、彼女の目指す大学に到底及ばないことは分かっている。高校までなら何とかついていっても、大学までは無理だ。


 それなのに、俺が今までやってきたことと言えば、彼女を忘れられないまま、それでももうこんなのは嫌で、今度こそ思い切ろうと、告白された女子と付き合い、しかしその誰もから『私のこと好きじゃないでしょ?』といってフラれることぐらいだった。

 いくら同じ高校に入ったといっても、俺と彼女に接点など全くない。

 時折、学校のどこかで彼女を見かけるくらい。

 そんな相手を高校まで追っかけて来たくせに、俺は何にもできない。

 結局、俺は中学生のあの時から、たいして変わってはいないのだ。


 馬鹿みたいだ。

 この2年、俺は、彼女を諦めようとぐるぐるもがいて、でもそれを邪魔するかのようにふとした拍子に現れる彼女を一目見ると、それだけでどうにもならなくなる。


 ほんと、馬鹿みたいだった。


 2年から3年に上がるのを機に別れた理香とも、結局そういった経緯で終わったのだった。

 しかし、理香が他の女子と違ったのは、

「ねえ、邦宏。邦宏は他に好きな人がいるでしょう」

 という一言だった。

 それは疑問ではなく確認だった。

「前から思ってたんだよね」

「俺は別に浮気なんかしてなかったけど」

「それは知ってる」

 『好きだ』ってその人に簡単には言えないぐらい好きなんでしょ。


 理香はあっさりそう言い放って、俺は思わずくわえていたストローをぽとりと落とした。


 結局、理香には何もかも洗いざらい吐かされた。

 富田さんとは中学校が同じで、そのころから好きだったこと。

 高校も彼女を追いかけてここまで来たこと。

 でも、接点なんてなくて、俺はただ彼女を見ていただけだったということ。

 もういっそのこと他の子と付き合うことで諦められたら、と思い、しかしそのどれもがことごとく失敗していること。

 その他諸々。


 けれど、理香は高校に入ってからだれにも打ち明けずにいた自分の想いを吐露することのできる唯一の相手で、そして確かにそれは俺にとって救いだった。

 一度だけ、理香に聞いたことがある。

『なんでお前は、そんなに親身になってくれんの』

 付き合ってた男が他の女に片思いしてるって言うのに?


 片思いの相手のことを元カノに相談している自分が情けなくて、ふざけるように言ったら、理香は笑った。

『前から見てられないぐらいカッコ悪い顔する邦宏が放っておけないな、と思ってたから』


 理香はそういう女なのだ。

 しかし、この面倒見の良い理香にさえ言えないことが、今の俺にはあった。


 片思いの相手を抱いているが、しかし未だに付き合ってはいないこと。


 正直に話したら、あの華奢な手でパンチを入れられそうな気がする。

 それも問答無用に、グーで。



* * *



 僕は富田さんとほとんど話をしたことがない。

 中学生の頃の彼女は、人を寄せ付けない感じがあったから。特に俺たちみたいな騒がしいのは。

『馬鹿は相手にしませんって雰囲気だよな。感じ悪ぃ』

 …だろうな。


 でも。

 朝早い、まだ登校している生徒もまばらな教室で、彼女はそっと友人らしき女子に向けて笑いかける。

 俺はいつも机に突っ伏して、腕の隙間から覗き見るように眺めていた。

 彼女はいつも学校へ来るのが割と早い。

 俺は初めて彼女が微笑んでいるのを見た日から、朝練終わりにだべるのを早々に切り上げて学ラン片手に教室へ急ぐようになった。

 ひそやかで、それでいて、穏やかな、小さい笑み。

 たったそれだけの表情の変化なのに、水面にぽとりとインクを落としたように、劇的に彼女の印象を変えていく。

 登校してきた生徒が増えてきて教室がにぎやかになりだすと、彼女は友人との談笑を切り上げてさっさと自分の席に戻ってしまった。

 もっと見たかったのに。


 静かにひとりで文庫本を開く彼女の横顔の清冽さ。

 一度だけ、たった一度だけ見ることができた、鼻にくしゃりと皺を寄せて思いきり笑っているところ。

 ぱきりとアイロンのかかった夏服のえりで断ち切られたうなじの白。


 一旦嵌まってしまえば、もうあとはずぶずぶと沈み込んでいくだけだった。

 ろくに話をしたこともなく、こっそりと盗み見るようなことしかしてないくせに。

 ぽろぽろと俺の中にひとつずつ何かを落としていく彼女のことを、俺が、俺だけが気付いていた。

 彼女に片思いしていると気づかれて、クラスの連中には散々からかわれたが、それでも関係なかった。


 そう。俺だけ、だったはずなのに。


 高校に入ってからの彼女は、眼鏡を外し、そして何より彼女の心を鎧のように覆っていた歯列矯正器を外したことで、変わった。

 俺だけが知っていたはずのあれこれは、あっという間に皆のものになった。

 些細などうでもいいことだろうと、俺だけが見ていれればよかったのに。


 そこにはもう陰鬱で厭味な眼鏡の女はいなかった。

 もちろん、俺だけの『富田さん』も。

 もう、どこにも。



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