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ゆっくりと制服の裾がたくし上げられ、するりとその中へ埼坂邦宏の手が潜っていった。
はあ、と出来るだけ静かにゆっくりと漏らしたはずの吐息は、あっさり埼坂邦宏に聞きとがめられて、彼は喉の奥で小さく笑った。
当たり前のように重ねられた唇に、あたしも当たり前のように応えた。
埼坂邦宏が初めての相手なのだから技巧もへったくれもないものだけど。
熱い彼の舌があたしの口の中で蠢く。上顎をかするその動きに、どろりと身体の芯が溶けてしまいそうで、思わず彼の制服を掴んだ。
「…ん、っんン」
ぱちん、とあたしの背中の方で小さな音がした。
あたしの制服の下を潜っていた彼の手が、ひとひねりするようにブラのホックを外したのだと分かって、火がガソリンを舐めるような勢いで体中に羞恥が広がった。
それはあまりに彼が手慣れていたせいかもしれないし、ここへきてようやく自分が何をしようとしているか悟ったせいかもしれない。
カタン、と物音がした。
あたしと埼坂邦宏はぴたりと同時に動きを止めた。
誰か、来た。
教室に入ろうとしていたその誰かは、中途半端に開けた扉に手をかけたまま、大きく目を見開いていた。
目が合う。
(ま、松本君……!)
悲鳴を飲み込む必要はなかった。
埼坂邦宏は、乱暴にあたしの顎を取ると、あたしから出るすべての声を吸いつくすような勢いで激しく口付け出した。
いくら扉に背を向けているとはいえ、誰かが来たことぐらい埼坂邦宏だって分かっているだろうに。
さすがに抵抗したあたしが無理矢理唇を引き離した時には、既に松本君が去った後だった。
「移動する」
「エッ?…ええ?」
事態がつかめないまま声を上げるだけのあたしに対して、埼坂邦宏はとても冷静だった。
てきぱきとあたしの乱れた服を整え終えると、乱暴に手首をつかんで、そのまま歩きだした。
「…さ、埼坂君?」
「こっち」
「って、ちょっと…!」
幸い、皆の注意はグラウンドに向いていて、どこかへ引っ張られていくあたしと怖い顔をしたままずんずん歩いてく埼坂邦宏のことは、ほとんどの人が気にしていないみたいだった。
ただ、廊下ですれ違った数人だけは、先ゆく彼の形相にぎょっとして慌てて道をあけていたけれど。
「…人に見られるようなとこ、嫌だろ?」
「…ここだってそう変わらないような気がするけど」
「大違い」
「…そうかな」
連れ込まれたのは地学の準備室だった。
こうして部屋だけはあるものの、うちの高校の現在のカリキュラムでは地学を選択することができない。
あまりに少なすぎる生徒のために設置するには割が合わないということで、数年前からなくなった。だから、今、この部屋は実質物置のようなものだった。
こういう場所を見つけるのがうまいんだな、とどこかズレた点に感心していたら、不機嫌な顔をした埼坂邦宏から唇を軽く噛まれた。
あたしといる時の埼坂邦宏は、不機嫌になったり、怒ったり、そんなのばっかりだ。
目を合わせると、確かに情欲の混じった瞳でじっと見下ろされた。
その眼差しだけで、ただでさえぐしゃぐしゃになった頭がまた一層温度を上げるのを感じる。
国見さんはどうしたとか、今ここでこうしているのはいったいどういうつもりなんだとか、そんなことはもうどうでもよかった。
乱暴にされてもいい、とまで思った。
それで確かに埼坂邦宏とひとときだけでも繋がることができるなら。
身体だけでも。
最低で汚らしい考えだというくらい分かっている。
でも、だからそれがなんだっていうんだろう?
もうあたしの頭は働くことを放棄して、埼坂邦宏にしがみつくことだけで精いっぱいだった。
あたしと埼坂邦宏は、汗だくになりながら、埃っぽいその教室で交わった。
あたしたちの間にはそれきりろくな会話もなく、あるのはただお互いの乱れた吐息だけだった。
* * *
身体を重ねた後独特な空気の淀みと、こもった匂い。
埼坂邦宏の姿は、もうこの部屋にはなかった。
しかし、あたしは馬鹿みたいにここでしゃがみこんでいる。
壁に背中を預けて、体育座りを崩した格好で、ぼんやりとついさっきのことを思い返していた。
誰かが一緒にいたら、下着を見られる心配でもするのだろうが、幸いここにはあたし一人きりだった。
彼のものを受け入れた場所が、まだそこに在るみたいにジンジンする。
連鎖的にまだ在った時のことを、思い出す。
互いに制服は着たままだった。
上下する彼の胸の動きを、制服越しに感じた。
やがて埼坂邦宏は身を起こし、ずるりと彼が抜け出る感覚に、あたしは眉をしかめた。
彼がさっさとつけていたゴム製品を始末して、制服のズボンを上げたので、あたしものろのろと脱がされた下着を履いた。
くしゃくしゃになったスカートのプリーツが乱れている。
他の生徒が不審に思うくらい皺だらけになっているのは、もう間違いないだろう。
ため息をついて捲り上がったスカートを下ろそうとすると、埼坂邦宏がカリ、と内ももの付け根近くを引っ掻いた。
「あんた、こんなとこにほくろあるんだな。……エロい」
自分のその場所にほくろがあるのは知っていたけれど、まさかそんなことを言われるとは思ってなかった。
そう言えばへその斜め下にもほくろがあったけど、それを見てもそんなこと言われるんだろうか、と考えて、自分のあまりのお粗末さに呆れた。
それを見ても、だって?あたしはこれからも埼坂邦宏と、次があると?
馬鹿馬鹿しい。
ふと、うかがった埼坂邦宏の顔が、あまりにも無表情で驚いた。
聞いてみようと思っていたことがたくさんあるはずなのに、こうして埼坂邦宏を前にするとひとつも言葉にならない。
彼の前にいるのが気恥ずかしくて、とかそんなカワイイ理由じゃないことだけは確かだ。
ではなぜか、と聞かれたらどうにも答えようがないので困る。
なんとはなしに二人で黙っていた。
それは以前、二人で買い出しに行った時のような、いたたまれない沈黙とは違っていた。
そんな、壊れやすい何かを二人で静かに見つめているような時間は、あっけなく終わった。
埼坂邦宏は場違いに大きな音を鳴らす携帯を舌打ち交じりに確認し、数秒後には立ち上がった。
準備室を出ようとする彼の背中にあたしは慌てて投げかけた。
「埼坂君はどうしてあたしとシたの、今」
ひどく直接的な問いになってしまったが、その時はそれが精一杯だった。
「理香とじゃいきなりこんなとこでこういうふうにはいかないだろ」
振り向いた彼はあっさりとそう答えて、どこか仄暗い笑みを浮かべた。
埼坂邦宏は去っていった。
じゃあな、も、先に行く、も何もなかった。
ゴツン、と頭を壁に押し付けた。
埼坂邦宏は国見さんが大事で、あたしはその代わりだ。
汚れた下着が気持ち悪い。熱をもってジクジクした部分も。
つるりと頬を何かが一筋伝って、口元を濡らした。
ああ、涙ってしょっぱいんだなあ、本当に。と生まれて初めてひしひしと実感して、あたしは足を投げ出した。