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 半ば後片付けが放り投げ出された教室を見回す。

 まあこんなことだろうな、とは思った。

 もう、あと数十分もすれば後夜祭が始まる頃だろうし、皆が皆参加するわけでなく、むしろ中心に集まる人々を遠くから眺めるようにして文化祭が終わるのだという余韻を味わっている生徒たちの方が多いのだ。


 あたしには幸か不幸か待たせる相手もいないし、後夜祭の内容も今までの内容と変わらないのだろうから、特に興味はなかった。

当日の二日間は大して仕事がなかったので手伝えなかったが、最後の片づけくらいはちゃんとしたい。

 あたしはほぼ無人になった教室の、暗幕を外すことから取りかかることにした。

 舞台裏に寄せられていた机をひとつ引きずり、入口近くの窓の下まで持っていく。

 ローファーを脱いで(うちの学校は校舎内も土足だ。そもそも靴箱というものがない)、ガムテープで窓枠に止められている暗幕の端を外そうと手を伸ばした。


 その瞬間、すぐ横でガタン、と物音がして、反射的に振り向いてしまった。

 狭い机の上ではバランスを取ることができずに、ぐらりと身体が傾く。

(あっ、やば……)

 危ない、と思った時には既に遅く、一際大きな音を立てて、あたしは足場を失い、すぐ訪れるはずの衝撃に身構えて身体を固くした。が、


「あれ……?」

「……『あれ?』じゃねえよ」


 深いため息とともにそう吐き捨てたのは、埼坂邦宏だった。




 彼は抱えていたあたしの腰を机に落とし(それはもう乱暴と言っていいくらいの扱いで)、突然怒鳴った。


「…ったく、あんたはこの間っから!いったいどんだけボケてんだよ?!」


 そう言われてしまえば返す言葉がない。

 埼坂邦宏の前で信号が赤になったのに気づかず車にひかれそうになったのは、記憶に新しい。


「あの…ごめん。ありがとう」


 机に座らせられているせいで、いつもならあたしと埼坂邦宏の間にあるはずの身長差がぐっと縮まっている。


「……」

「……」


 外はずいぶんと騒がしいはずなのに、壁一枚隔てた教室の中は静まり返っていた。


「…埼坂君、行かなくていいの」

「どこに」

「国見さん、待ってるんじゃない?」


 ぎっ、と埼坂邦宏の目つきが険しくなった。

 薄暗い教室の中でもはっきりと分かるその変化に、あたしは内心、戸惑った。


「……俺がいたら、何か困ることでもあんの」

 あるわけない。

 そんなものありはしないが、何故だかそれを口に出して言うのは躊躇われた。

 埼坂邦宏には国見さんという彼女がちゃんといて、それなのにあたしが彼へ思いを告げるのは迷惑以外の何物でもない気がした。

 ただでさえ、あまりよく思われていないようなのに、今以上に嫌われるのは耐えられない。

 黙り込んだあたしに、埼坂邦宏が小さく舌打ちした。


「……どうせ、松本とでも待ち合わせしてるんだろ」


 彼の意外な台詞に、あたしは思わず顔を上げた。


「図星?」

「違うけど……」


 どうして埼坂邦宏がそんなことを言うんだろう?

 もしかして、あたしと松本君が付き合っているとでも思っているんだろうか。

 埼坂邦宏は、苛々した顔で窓の外を見ている。ファイアーストームで照らされたグラウンド。

 そんなに気になるなら早く行って、国見さんと踊ってきてあげたらいいのに。

 こんなところで、あたしに構ってないで。


「松本があんたのこと探してた」

「……そうなんだ。知らなかった」

 でも、今更、松本君のところへ行こうとは思わない。

「……あんたは――」

「何?」

「……」


 中身のない会話のやり取りがじれったい。

 そろり、とあたしの腰に埼坂邦宏の掌が当てられた。

 以前の彼が強引に口づけてきたときのことを思い出し、しかし、あたしは抵抗しなかった。

 反応をうかがっていたのか、あたしが黙ってじっとしているのを確認した彼の手は、大胆にもするりと太腿へ下りていった。

 机に腰掛けているせいで、スカートは捲れていた。

 薄い肌越しに彼の体温がじわりと伝わってくる。

 何度か埼坂邦宏の掌は撫でるように動き、空いていた片手がすっとあたしの背の形をなぞった。

 彼が何を考えているのか。何を想っているのか。

 そんなことは相変わらず一切分からないままだった。

 けれども、今こうしてあたしに触れる彼の熱だけは確かなものだ。

 彼が他の人と付き合っていようが、あたしのことを嫌っていようが、今、埼坂邦宏の掌は、この熱は、あたしの――あたしだけのものだ。


「……。暴れないんだ?この間みたいに」

 埼坂邦宏は先日あたしにしたことを忘れていたわけではなかったらしい。

 まあ、それはそうだろう。無理矢理あんなキスしといて、さっさと忘れられちゃあかなわない。

「……あたしが暴れても埼坂君相手じゃ意味ないし」

 ――それに何より、今こうしてるのが埼坂邦宏だから。


 喉まで出かかった言葉は飲み込んだ。


「へえ…無駄なことはしないって?ずいぶん利口なんだな」

「……」


 半分あたしの上に乗ったような体勢で、埼坂邦宏が嘲笑った。



 埼坂邦宏がどういうつもりなのかは知らないが、こんなバカみたいで、空しいだけのこと、今すぐにやめるべきだって、分かってる。それこそぶん殴ってでも。


 分かってるのに。




 あたしのことを嫌っているらしき埼坂邦宏の無骨な手は、その表情と台詞に反して今日はずいぶんと穏やかで、あたしはなんだか泣きたくなった。




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