12
「おはよう、富田さん」
「あ、松本君。おはよう。昨日はありがと」
「どういたしまして」
松本君がおどけたように笑う。あたしの隣に座っていたちなっちゃんが、ほう?とばかりに口元をにやけさせるが、何も言わない。どうやら状況を見守る気らしい。
「よかったよ、松本君の役」
「そう?まあ、あんだけ練習させられりゃあねえ…」
「お疲れ」
「どうも」
「おい、松本!」
突然、和やかな空気を切り裂くような声がした。音はそれほど大きくなかったけれど、その声はえらく硬い。
「なんだよ、埼坂」
「さっきから呼んでんだろ。集まれってさ」
埼坂邦宏はにこりともせずに、松本君と、そしてあたしを見やり、きびすを返して去っていった。
「なあーに、あれ。ピリピリしちゃって」
ちなっちゃんが眉根を寄せている。
「生理かってのよ、ねえ?」
「ちなっちゃん……」
ちなっちゃんのあんまりな言い様に、あたしも松本君も呆れたような顔をする。
「じゃ」
そう言って、松本君が埼坂邦宏たちのいる輪に戻っていくと、横でにやにやした笑みを顔中に貼り付けたちなっちゃんが、あたしを見つめていた。
「……なに?」
「『昨日はありがと』ってえ?私が帰った後にいったい何があったのかな?ん?」
「遅いからって家まで送ってくれただけだよ」
「ふぅ~ん。にしては、つい数日よりもずっと打ち解けた感じ?」
「……そんなことないと思うけど」
「そんなことある。あります。…あんた、」
そこで、ちなっちゃんは真犯人を明らかにする名探偵のような顔をして、
「告られたね?」
ここで顔色が変わったのは、完全にあたしの負けだった。
「もう!ちなっちゃん!!」
「あーはいはい、図星だからってそんなに騒がないの」
珍しく大声を上げるあたしを、クラスメイト達が不思議なものでも見るような眼差しで眺めていた。
* * *
二人で校舎中央の芝生に面したベンチで、買ったばかりのたこ焼きを食べていた。
一日目の公演は無事にすべて終わり、二日目の今日も問題なくこなしていっているらしい。
この様子ではあたし達が手伝うようなこともないだろう、とちなっちゃんとあたしは他のクラスの出し物をまわっているのだった。
「あー、うまい」
「ちなっちゃん…」
「昼からはどこ行く?」
「そうだねえ……」
ちなっちゃんの写真部もつい先ほど見てきたばかりだし、同級生が出ることになっているライブはまだまだ先だ。
「噂の8組行ってみる?」
「んー…」
ちなっちゃんの言う、『噂の』8組は、大正時代をモチーフにした喫茶店で、そのどこが『噂』なのかと言えば、接客をする生徒たちの衣装だった。
女子生徒たちが着物に袴、白いエプロン姿で接客することに、厳しいと有名な運営側がなぜ許可を出したのかという話題で、ここ数日は持ちきりだったらしい。
らしい、というのは、それまであたしが全く何も知らず、呆れた顔をしたちなっちゃんから教えてもらったからだけど。
「理香が丸めこんだらしいよ」
理香というのは、埼坂邦宏の彼女、国見さんのことだ。
「へえー…」
はきはきしてかわいい子だったもんなあ、と記憶の中の国見さんを引っ張り出した。
あたしの前ではにこりともしないが、きっと国見さんには埼坂邦宏もいつも他の子たちに見せるように笑って調子のいいことを言うんだろうな、と思った。
そう思うと、なんだかむなしかった。
「あんまり、行きたくないなあ…8組」
ぼそりと無意識にこぼれた呟きを、ちなっちゃんが聞きつけた。
「え、8組ヤなの?」
「え?あ、いや、その、人が多いかなって」
「ふーん、あー、まあそれはそうかもねー」
ぶらぶらと長い脚をばたつかせながら、ちなっちゃんがぱくりと口にたこ焼きを運ぶ。
「ところで、真帆は今日の後夜祭どうするの?松本と踊る?」
「何言ってるの、踊らないよ!」
慌てて言葉を返す。
『へーえ』と言うちなっちゃんは明らかに面白がっている。
後夜祭。ファイアーストームの周りを付き合っている人同士が踊るというのは、有名な話で、だから、この日に一緒に踊ろうと誘うのは、暗に付き合おうと言っているようなものなのだ。
現に、毎年文化祭の後に何組もカップルができる。
イベントに便乗してできたカップルが長続きするかどうかはさておき、いいきっかけにはなっているようだ。
「ベランダで見てるよ、去年みたいに。ちなっちゃんは誰かと踊るの?」
「ええ?私に今そんな相手がいると思う?」
「…そうだね。ちなっちゃん、この間別れたばっかりだもんね」
「そう。間の悪いことにね。どうせならもっと早く別れてさっさと新しい彼氏作るんだったな。そしたら文化祭に間に合ったのに」
「ちなっちゃん……」
後夜祭か…。
あたしは昨日の松本君を、続いて『じゃあ、お互い片思いってことで』を、思い出し、隣に座るちなっちゃんに気づかれないようにため息を押し殺した。
そう。
あたしは、片思いだ。