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呆けたような顔をしているあたしに、松本君は目を瞬かせた。
「え、ウソ、マジで?もしかして富田さん、自分で気づいてなかった?」
「……何が?」
唾液が絡んで、上手く声が出なかった。
「富田さん、ずっと埼坂の方ばっか見てるよ。特にここ最近」
「うそ……」
あのキスがあってからというもの、意地でもあんな男のことなんか気にしてやるか、と思っていたのに。
むしろ、いつもよりずっと無関心でいた自信があったのに。
「あたしの態度、そんなにばればれ?みんなが気づくくらい埼坂君のこと見てる?」
「気づいたのは俺ぐらいだと思うよ。富田さん、あんまり人がいない時しかあいつのこと見てないし」
暗に、それだけあたしのことを松本君が見ていたのだと知らされて、あたしは困ったような赤らんだ顔を隠すことができなかったと思う。
その証拠に、あたしより一瞬遅れて、自分が言ったことの意味に気づいた松本君が、苦笑して「あー…、まあ、俺も富田さんのこと好きだし」とか、さらりと言い放った。
「あたし、埼坂君……?」
「……そうだと思ってたけど…悪い、なんか俺余計なこと言ったみたい」
「いや、いいんだけど、それは、いいんだけど」
「富田さん?」
「……なんか馬鹿みたい」
横で困っている松本君を放ったらかしにして、あたしは自分自身に呆れていた。
昔『好きだ』と言われたぐらいで、それも直接告白されたわけでなく盗み聞きしたぐらいで、埼坂邦宏のことを好きになるなんて、本当に馬鹿みたいだった。
しかも、彼があたしのことを好きだとか言っていたのは中学生のころだけで、高校に入ってからの彼にはちゃんと彼女がいたし、今だって国見さんという文句のつけようのない相手がいるのだ。
それに何より、今のあたしはずいぶんと彼に嫌われているようだし。
はあ、とひとつため息をこぼして、あたしは松本君に笑いかけた。
「じゃあ、あたし、片思いだ」
「あー、そっか、埼坂はカノジョいるもんなあ……」
「うん…」
松本君が笑う。あたしの肩を軽く叩いて、
「じゃあ、お互い片思いってことで」
「あー……」
そんな爽やかに言われたって、あたしはさっき松本君に告白されたばかりなのに、申し訳なくなる。
「松本君、明日からも今まで通りでいいの?」
「いいよ、なんで?」
「だって、あたし、松本君とは…」
付き合えない…。さすがにそれを面と向かって言葉にすることはできずに、口をつぐんだあたしに、松本君は再び言った。
「いいよ」
* * *
いつも通りの時間に登校してきたのだが、早めに集まって準備を進めているクラスも多く、あたしの横を衣装を着た生徒が何人かばたばたと駆けていった。
同じ学年の理系のクラスは、展示と喫茶が半々ぐらいの数だ。材料の入った段ボール箱が生徒の手で校舎に運ばれていく。
あたしたちは裏方の中でも、本番までの準備が中心のメンバーだから、今日する仕事はほとんどない。
手が空いていたら客の整理に回って欲しいと言われてはいるが、基本的には2日間の文化祭期間中は自由だ。
それと対照的に、大忙しなのが照明や舞台の裏方と演者の生徒たちで、昼を過ぎても食事はとれないと覚悟しなければならない。
そのせいか舞台裏につながるベランダに並べられた荷物の上にいくつものビニール袋が放り投げられている。
大方、学校近くのコンビニで買ったパンでも、空いた時間につまむつもりなのだろう。
先に登校して練習を始めている生徒たちの邪魔にならないようにそっと教室の戸を開けた。
中に明かりが差し込まないように、ちょうど身体が通る分だけ。
教室の窓はすべて暗幕で覆われ、舞台中央にだけ強い照明が当てられている。
既に観客席に座って劇を眺めていたちなっちゃんに、小声で「おはよう」と声をかけ、あたしも席に着く。
続いて、台本を持った文化祭委員の子が、「今、最終調整だから、何か気づいたことあったら教えてね」と耳打ちしてくる。
高校生活最後の文化祭が、こうして始まろうとしていた。