ドレスと青年
「けど。まさかクーちゃんがお友だちをつれてここに来るなんてね」
そう言ったのは少しキツい眼をした赤茶けた髪の女性、アリカさん。そして筋肉質のいかにも裏方という出で立ちのヴァルゴさんと主役の片割れ、女魔法使いをやっていたフェリーシアさんが楽しげに笑う。
「そうだなぁ。そこの小憎たらしい小動物だけだったもんな。前は」
「それがまぁ、こんなかわいらしいお嬢さんやらお坊ちゃんつれて……」
「一番驚いたのはあのごついのから、こんなかわいい坊ちゃんができたってことだが」
どうやらヴァルゴさんは、僕ら親子のことがツボにはまってしまったらしい。
「あ、いや、別にけなしてるわけじゃねえんだぞ」
半眼になった僕に対してあわてて取り繕っても、いろいろと隠せてない。
「いいですよ。別に。母親似だっていうのは自覚してますから」
転生した、って気付いてからあんまり気にしないようにしてたのに、ヴィリア様からたたき込まれたしね。
不本意ながら、例のアレで。
――みょみょっ。小憎たらしいとはなんだみょっ!?
小動物……リチルがいきり立つ声も聞こえてくるが、そんな声も軽くスルーできるくらい遠い目をしてしまう。
王女様も鬱陶しく目を細めただけでリチルのことは黙殺。
流石に慣れている。
「ダット。そう拗ねずとも、君は父君の色を色濃く受け継いでいる。その漆黒の髪も、青い瞳も血を継いだ証拠なのだから。そういう君もまた、わたしは愛おしいと思うのだが」
さらっとこう言うところも、慣れている。
整った顔立ちに微笑みを乗せてこちらを見つめてくる瞳が本気で言っていることを物語っているから、たちが悪い。
「っ……!」
相手がこういう性格だとわかっているにもかかわらず、ぼっ、と顔が沸騰しそうなほどに熱くなる。
「おい。今の聞いたか」
「うん。聞いた」
「なるほど、今度のお気に入りはこの子ね」
劇団員の三人が小声で話しているが、そこ、聞こえてるからね!
ていうか、お気に入りって……何。
「おい、クー。ちょっとは手加減してやれよー。そいつ、免疫なさそうだからな」
「そうよ。あたしたちだって、賛辞はよく受けてても、最初にクーちゃんに言われたときはそりゃもう照れてどうしようかと思ったんだから」
「そうそう。あんまりいじめると、嫌われるわよぉ」
「失礼だな。わたしはいじめているつもりは全くない」
「あら、あなたはそのつもりでも、端から見てるとねぇ」
「ったく、これだから天然物は……」
「ほんとよ。わざわざクーの彼に対する溺愛ぶりを見せに来ただけなの?」
「ふふっ。わたしの自慢すべき数少ない友人同士を会わせたかっただけさ。無論、他にも目的があるにはあるのだけれどね」
「なんだ。本命はそっちか?」
「いや、今言ったことも本当だよ」
王女様と彼らのやりとりは文句を連ねながらも和やかに進んだ。
冗談に笑いあい、ときに互いの手を叩いて喜ぶ。
その気安さときたら、王族と平民という垣根を軽く越えている。
彼らが彼女が王族だと知っているかどうかは別として、いい信頼関係ができているのだろう。
「と、いうことは。ヴェラにも会いに行くのよね。なら、いつものとこにいるわよ」
「そうか。ありがとう」
聞きたいこともすべて聞かずとも彼らには通じているようだった。
アリカさんの言葉に、王女様はスマイル全開で礼を告げる。
そして。
「では行こうか」
切り替えがものすごく早かった。
一応お互い自己紹介はしたけど、ほぼそれだけしかしてない。
それに父さんもまだ戻らないのに。
あのイビクさんという人を追って、時間もそんなに経ってない。
同郷――この場合同じ国って意味だけど――なら、たぶん話すことも色々あるだろうけど王女様の護衛も兼ねているわけだし、それを考えたらここを動かないのが一番ではないだろうか。
そんな心配が顔に出ていたのだろう。
「大丈夫よ。ヴェラがいるのも劇場の中だから。戻ってきたら伝えておくわ」
アリカさんが笑みを浮かべた。
さらに、ヴァルゴさんが面倒くさいという表情で、フェリーシアさんが苦笑してそれぞれに告げる。
「ま、俺たちも今年の冬はここにいるしな。クーもいつでもここに来られる。それよかヴェラの機嫌損ねる方がこえぇよ」
「そーそー。あの子が拗ねたら、機嫌直すの大変なのよね。さっさと行ってらっしゃい」
「初めて会う人は、びっくりするとは思うけれど、悪い子じゃないから安心してね」
「……悪い子じゃないって」
この人たちにこんなことを言わせるってどんな人だ。
「ふふ、会ってのお楽しみよ」
アリカさんが目を細める様がいたずら好きなお姉さんぽい。
ちょっとライナに似てるかな。
思わせぶりに、なにか驚かせようとしてるときにそっくりだ。
「アリカの言うとおり、会えばわかる。かなり奇抜ではあるが」
「あ、こら。クーちゃん。それ言ったら楽しさ半減でしょ」
「ダットは見ての通り繊細なんだ。驚きすぎてここを止められたら困る」
胸を指して大人たちに苦言を呈す王女様だが。
ここは一つ苦言のひとことでも言いたいところだ。
驚かせまくって何度も気絶させたあなたが言いますか。と。
思わず半眼で王女様を見上げるも、彼女の笑顔があまりに年相応の少女らしくて気が抜けた。
ここでの彼女は王族ではない、ひとりの少女として、人間として、生きているように見える。
お屋敷で見る彼女とは違う一面がそこにはある。
王族であるがゆえに責務を背負い、大人の面が強く出ているけれど、彼女はまだ肉体年齢で言えば、僕とほんの二つほどしか違わない少女なのだ。
ふと、そんなことに気付かされた。
クルス王女が、王族や平民など関係なくいられる、大切な居場所。
僕も、彼女を王女様だという枠で見ている場合じゃないな。
不意にそう思う。
「さあ、行こうか」
「はい、クルス様」
自然に出た言葉に、クルス様がふと瞬きをした。
けれど、それは一瞬。
クルス様は微笑み、そして歩き出した。
クルス様に連れられて行った先は、劇場の二階。
貴族の控え室があるような立派な赤い絨毯が敷かれた通路だった。
「ずいぶんと歩いたけれど、ダット、体調は大丈夫かい?」
クルス様の気遣いに、僕は「なんとか」とうなずいた。
正直なところ、少し身体がだるい。
劇の最中も気にならなかったが、こうして少し長く歩くとそれを実感する。
外の露店が建ち並んだところを歩いて劇場まで来るまではよかったが、思ったよりも体力を消耗していたらしい。
僕の苦笑いに、クルス様は通路に設置された柔らかそうな皮のソファを示す。
「すまないね。わたしも不注意が過ぎたな。ダット。顔色がいいとは言えない。休んだ方がよさそうだ」
「……ありがとうございます。でも」
「心配しなくていい。約束もしていない急な訪問だし、彼ならむしろ出向いてくる可能性の方が高い」
そう言って、クルス様が僕をソファに座らせる。
思った通り柔らかいソファに沈んだところで、
「あら、よくわかってるじゃない」
よく通る年若い男の声がした。
「げっ」
マリッサ嬢がまっさきに引きつった声を上げる。
悠斗君はその人物を見て首を傾げ、そしてクルス様が不適に笑う。
「やはりな」
赤と黒、見事な色彩のドレスを着た青年がそこにいた。
――みょみょみょ……でた、みょ……――
小動物が微妙な声を出す。
リチルはこの青年が苦手そうだ。
いや、この場合、一人をのぞく全員が、となるのだろうか。
「あら、ずいぶんと失礼な気配が充満している気がするけれど、気のせいかしら?」
顔立ちも、声も、体格も、立派な男性だというのに、このしゃべり方。
もしかしなくてもいわゆる――
「そこの坊や!」
「ひっ!?」
考えが読まれてるんじゃないか、というタイミングで青年がこちらを向く。
非常に怖い。
端正な顔立ちをしているだけに余計に怖い。
マジで背筋に悪寒が走った。
が、完全に萎縮してしまったところに、彼のヒールが絨毯を踏みしめる音が近づき、さらには鮮やかな赤い袖から伸びた手入れされた手が僕のあごを捉える。
逃げようもなく、彼の鋭い緑色の瞳と正面から向き合うことになった僕は、戦々恐々としていたのだけども。
「あなた、随分と厄介な気配を纏っているのね」
第一声は予想の斜め上からやってきた。
「一目見てわかるほどに侵されてる。壊れてるも同然なのに、無理矢理生かされているという感じね」
まさしく見透かされている。
ルーヴェンス医師と同じような眼を持っているのだろうと予想がついた。
もしかしかして、と思い、クルス様を見上げると苦笑された。
そんな僕の反応に彼は姿勢を正すと、クルス様を見下ろす。
「クルス。貴女、わたしにこの子をどうしろっていうのかしら?」
「……ヴェラの力を借りたい」
クルス様はそう言うと「まずは紹介をさせてくれないか」と僕たちと彼を交互に見た。
「ダット、マリッサ、ユート。彼がヴェラ。ヴェラ・ジーナだ。見ての通り、奇抜ではあるが、先ほどの舞台で主役……領主役をしていたのが彼だよ」
「えっ」
「うわ、ほんとに?」
クルス様の説明に惚けた顔になったのは、僕とマリッサ嬢の二人だった。
確かに言われてみれば、主役をしていた青年の顔立ちそのままなのだが、いかんせん、雰囲気が違いすぎた。
あの領主役は凜々しい、という言葉が似合っていたが、こちらはどちらかといえば妖艶という言葉当てはまる。
そうと言われなければ、わからない程度には違っていた。
「役どころとしてはいい役をするから人気はあるんだが、中身がこれだと知っている者はそう多くない。この格好で表に出ることもそれほどないから、それも相まって謎の役者扱いされている」
「役者をしたり、喝采を浴びるのは好きだけれど、人混みは苦手なのよ」
「という変わり者だ。他にも特殊な才があって……まぁ、人の気配やらなにやら、色々と読める。たった今、ダットにしたような、ね」
「それについてはごめんなさい。興味のあるものがあるとつい、先にそちらに行ってしまって。それで、今の子がダットでいいのかしら。そっちの小さな坊やも異質な気配がするけれど、特に問題はないようだし、こっちのお嬢さんは……とても情熱的な色の持ち主で、クルスにはぴったりの友人になりそうだわ」
「……相変わらず、独特の感覚でぴたりと正解を当ててくれるな。説明が省けて助かる。で、相談なんだが」
クルス様が、青年に話し始めたのは、僕のこと。主に、魔力が使えない現状についてのことだった。
魔力が貯められないことについての対処法。
それがうまくいっていないことであろう理由。
その状況を青年ならば、改善、あるいは改善のヒントが出せるのではないかという期待。
それらを聞いた青年は「そうねぇ」と僕を一瞥し。
「わたしも、この子を診察した医者とある部分では同意見よ。本来、身のうちに貯まるはずの魔力が貯まらないんじゃ、いくら魔力を引き出そうとしても無駄ね。ま、壊れてるも同然な魔力の栓を自分の意思で作るという方法ならあるいは、という考えにたどり着くのもわかるけど、この子の場合、ひとつ問題があるわ」
「問題?」
「ええ。だってこの子、重なってるもの。前世持ちでしょ」
そう言って、長い黒髪を払う。
「ぜん、せ?」
「ってなんだ」
クルス様も、マリッサ嬢も、悠斗くんは別にして、僕でさえ、あっけにとられた。
さらっと言われたことに、目が点になる。
「あら、違ったかしら? わたしには坊やの後ろにもう一人見えるのだけれど」
違わない。違わないけど、このヴェラって人、一体何が見えているのだろう。
「坊やみたいに重なってる子ってごくまれにだけれど、いるのよ。わたしの眼ってそういうのが見えちゃうの。隠していたのならごめんなさいね。でも、これも貴方にとっても重要なことだから」
クルス様たちの疑問をスルーして、青年は僕へを質問を向けた。
「坊や。貴方、前世は魔力が使えなかったでしょう。重なってる子の問題点ってそこなのよね。前世というのは、経験を表すもの。それまでの常識と違わないものであれば、問題は少ないけれど、常識が全く違う世界となれば、それは障害になり得るの。力に関してももちろんそう。特に貴方は……前世持ちとしてはかなり特異よ。先天性の能力にしろ、現在の病状にしろ、ね。特異すぎて、わたしでもどう手を出していいか迷うくらいだわ。だからまず、前世のことに絞って聞くわ。どう? 間違っているかしら」
「それは、まぁ、否定しませんけど」
正直、彼の言っていることの意味の半分くらいは理解できるようなできないような状況ではあったが、魔力が使えなかった、というかなかったこと自体は肯定する。
「そう。じゃあ、もうひとつ聞くわ。自分が二人いる、と感じたことはある?」
これももちろん肯定だ。
前世を思い出したそのときに、夢の中でしっかり、誠也とダットで会話をした。
「……あります」
「そうよね。見るからに身体と精神が合ってないわ。だとすると……潜ったほうがよさそうね」
そう言うと青年は膝をつき、再び僕の正面に向く。
「ねえ、坊や。これから少し試したいことがあるのだけどいいかしら」
「え」
「おい、ヴェラ。待て。そんな急に」
クルス様が慌てた様子で止めに入るが、青年は「そのために連れてきたんじゃないの?」とクルス様を睨み上げる。
「いや、だが、今日はダットの父君も来ていて……彼の同意のもとで、と」
「あら、保護者同伴? でも、この子。中身はたぶん貴方より年上よ」
「は? ヴェラ。何を言って」
ヴェラさん……確かにその通りだけど、クルス様がかなり混乱してるから。
てかマリッサ嬢と悠斗君も完全にはてな状態なんだけど。
「大丈夫よ。うまくいけば、魔法が使えるようになるわ。体調も多少は改善できるはず。流石に完治は無理だけれど、帝国での半死人の治療の話はわたしも聞いてるもの。その状態で帝国まで行ければなんとかなるはずよ」
「うまくいかないこともあるってことですか?」
「……そのあたりは、坊や次第ね。妙な介入がないとも限らないけれど、わたしができるのは誘導だけなの。危険が全くない、とは言えないわ。いきなりのことだし、今日あったばかりの人間に身をゆだねろっていうのは流石にいやかしら」
「まぁ、クルス様が信用してる人みたいだし、まったく不安がないってわけでもないんですけど」
なんとかできるならそれが一番で、だからクルス様がここに僕を連れてきて、彼に引き合わせたってことで。
「父さん、反対しそうだなぁ」
「あら、そんなに厳しい人なの?」
「というよりも、心配性なんです」
主に僕のせいで、しかも両親ともだし。
「そう。それなら少し待った方がいいかもしれないわね。一緒に来ているのでしょ。舞台上からでもわかったわ。さっきの話を聞きたがってる人もいるみたいだし、時間をつぶすなら、丁度いいわ」
「って、うちの父が誰かもわかったんですか?」
「まぁ、私はね。親兄弟って、ある種の独特の気配があるから知りたくなくてもわかるのよ。便利でもあり、時々迷惑でもあるけれど」
少しだけ、寂しげな表情のヴェラさんは肩をすくめた。