ダットの苦難
僕にとっては大騒動だったあのお茶会から数日が過ぎた。
わけなんだが。
何故か目の前にいるのは大騒動を巻き起こしたその王女様。
「その、すまなかった」
いきなり謝罪されました。
えー何コレ。どういうこと?
「ふわわわぁ」
僕が首を傾げた向こう側でマリッサ嬢が悠斗君のほっぺをふにふにしている。
悠斗君が嫌がってれば止めるんだけど、そんな様子は全くない。
ま、僕が言わなくてもそのうちテューラさんが止めるだろうし、そこは問題ないよね。
「……聞いてるかな?」
「はっ」
しまった。あり得ない事態に意識が他に飛んでいた。
「も、申し訳ありません」
「いや、だから謝らなくてはいけないのはこちらなんだが」
「え?」
「その、気絶させてしまっただろう」
それはもしかしなくても、無様にも人前で二回も気絶したあれですか。
前回パンクした時を思い返して、僕は眉間にしわを寄せた。
正直な気持ちを言うと、穴を掘って入りたい。
確かに、起因としては王女様の行動があるものの、気絶したのは僕の耐久性のなさが原因なわけで。
王女様の前で、二回も気絶って情けないだろ。
というのが先行してたおかげで、謝ってもらうこととか考えてなかったんだよ。
いやまあ、謝ってくれるというなら受け容れないわけにはいかないけど。
王女様はおずおずと言葉を切り出す。
「わたしは、今までわたしのような【耳】を持っている人間に他に会ったことがなかったんだ。それで、君がその【耳】を持っていることを知って、つい感情のままあんなことを。君を混乱させて、気を失わせてしまう気など本当になかったんだ」
どうやら王女様は、そこに罪悪感を感じていたらしい。
だけど、王女様の事情も事情だ。
あくまでも噂の範囲でだけど、気絶から復活後にテューラさんからある程度の事情を聞いた。
王女様が周囲から奇異の目を向けられ始めたのは六年ほど前。
友人付き合いも疎遠になり、それからずっと今までほぼ一人で過ごしてきたそうだから……
そりゃ感情も爆発するよ。
「いえ。王女様の事情については、あの後目が覚めてから色々と伺いましたら気になさらないでください。長い間、ずっと一人で悩んでいらしたのですよね。それを考えれば、怒ることなどできません」
だから僕的には、気絶した方がずっと不味かったんじゃないかと思っている。
そこは慰めて然るべきであって、気絶する場面じゃないよなぁ、と。
頬に一発キスされただけでとか……アホか。
「逆に僕の方が王女様に謝罪をしなければいけないくらいですよ」
とか言いつつ、今も似たようなものなんだけどね。
王女様をまともに見られません。
見たら、思い出しちゃうから。
絶対に顔、赤面する。ゆでだこになるから。
王女様眼力半端ないです。
視線が超、こっち来てます。
王族の威圧感バリバリです。
今、目を合わせたら、またノックアウトされかねない。
そんな風に情けないことこの上ない状況だって言うのに、この王女様ときたら。
「……君は、見かけよりもずっと大人だな」
「僕は子供ですよ。自分の体すら思い通りにならない、そんな子供です」
そこはまあ、中身に二十歳過ぎの前世が詰まってますから。
なんてことはもちろん言えない。
大人ならあんなことがあっても人の顔を見て話せるはずだし、過大評価しすぎ。
「いや、そんなことはない」
不意に、温かな感触が頬に触れた。
「え?」
それが王女様の手だと気付く前に俯いていた顔を持ち上げられた。
必然的に、王女様の顔が視界に入る。
きりりとした眉。知性を秘めた瞳、肌にほんのり施された化粧。そして艶やかに彩られたやわらかそうな唇が――――
って違っ。何考えてるんだ僕!
思わずあの日の感触を思い出して頭が痛くなる。
思い出すから見られなかったっていうのに、何なのこの仕打ち。
もう悶える寸前なんですけど、
「君は今、十二分にわたしを気遣ってくれた。それは、誰にでもできることではない。わたしはやはり、君が好き(、、、、)だよ」
………………何なのこれ。拷問ですか?
もうやだ。
この王女様天然なの?
それとも僕の心臓に止めを刺したいだけ?
盛大にため息が出ちゃったよ。
なんだろなー。ヴィリア様、恨んでもいいかな。
「ダットに同年代の学友を、という話がありましてよ」なんて取って付けたような理由を聞いた時点でもっと疑うべきではあったんだよねぇ。
今朝方、楽しそうにこの話を持ってきた子爵家の大奥方様に本気で怨念を送りたくなった。
要するに現在の状況ってそういうこと。
旅立つ予定の春まではまだ時間があるし、僕も真面目に勉強しているってことで、他に誰にも誰かいた方が張り合いもあるし寂しくないだろうって。
一応、こっちは庶民だからそこまでしてもらわなくても、って言ったんだけど、相手はあのヴィリア様。断る間もなく押し切られた。
で、やってきたのが王女様とマリッサ嬢。
これが眩暈を感じずにいられるとでも。
しかもなんだ。
マリッサ嬢はともかく、王女様。
しっかり女装、じゃなくてオンナノヒトの恰好でやってきた。
最初に見たときは、一瞬「誰だ?」ってなった。
フリフリになりすぎず、かつ女性らしさを前面に出した淡い緑色のドレス。艶やかな銀髪は一部分を結い上げて、うなじがほんの少し見え隠れ。歩き方も静かで、どこからどう見ても立派なご令嬢、いや、お姫様だった。
かわいい上に、綺麗。
みっともなく口を開けて見とれてしまったわけだけど。
挨拶の声聞いて、同一人物だってわかったときにはさらに大口開けて愕然としたわ。
女性は化粧で顔変わるってホントだな。って実感した瞬間だった。
直前にテューラさんに「ダット様、ご武運を」って言われた意味もその瞬間に悟ったよ。
で、冒頭に戻る。
王女様の顔を見られなかったのはもちろん、数日前の頬のキスと今日の王女様の出で立ちの両方が原因。
反応しすぎなのはわかっているけど、あれこれ色々と強烈過ぎてもう連鎖反応しまくりで、いい加減脳みそが沸騰してしまいそうだ。
とか思っていると。
「こほん。あの、クルス様」
テューラさんがわざとらしく咳払い。
助けて、と視線を送るまでもなかったようだ。
その割に助けに入るのが遅いけど!
「前回も申しましたが、ダット様は殿方です。容易に触れてしまうのはいかがなものかと思いますが」
テューラさん、あくまでも平静。真顔だ。
それを見た王女様は、僕の頬に当てた手を見下ろすと。
「あ、そ、そうか。そうだね」
頬に触れていた手を離した。
……た、助かった。
ありがとうテューラさん。あなたは救いの女神様だ。
今は無理だから、あとでちゃんとお礼言っておこう。
「では、これより私がお二方を。マリッサ様とユート様はルリカさんが指導に当たります。クルス様に関しては私がお教えするすことはほとんど無いと思いますが、復習だと思ってくだされば結構です」
「わかりました」
「ああ。よろしく頼むよ」
元々僕はわからないことはテューラさんに教わっていたからそれでかまわないんだけど、王女様もそれでいいんだ?
王女様なら専属の家庭教師とかいそうなものなんだけど。
あとで聞いたら、最低限の知識と王族の礼儀作法はもう頭の中に全部入ってるそうで王位継承権も低いから、あとは好きにさせてもらっているそうだ。
王立の学院は噂の件もあって行き辛いのだとも。
悪いことを聞いたかも、と思ったが、当人はそのぶん色々と情報収集にせいを出せるから、と案外楽天的だった。
そういえば。
「今日はあの小動物いないんですね」
「ああ、あの馬鹿は置いてきた。今頃は好物の実でもかじっているんじゃないかな」
……あざ笑うかのような失笑は見なかったことにした。