閑話 「メイドの独白」
どんな手段を持ってしても、【彼】を手に入れる。ですか。
眼前で宣言されたクルス様の考え方。
それはいかにも王侯貴族らしすぎて、わたしは内心ため息を吐かざるを得なかった。
その対象となってしまった少年は色々と耐えきれなかったようで、今は遠く夢の中。
目を覚ました後の彼の今後に哀れみを覚える。
貴族ではない者たちからすれば横暴と思える手段も、彼ら王侯貴族からすれば政治の駆け引きとなんら変わりない。
手に入れたい者があれば彼らは本当に手段を選ばない。
巻き込まれる人間の気持ちなど考慮されないものである。
こみ上げてきた不快感に、私は必死に耐えた。
それは同時に過去、私自身が巻き込まれた事件を記憶の底から呼び起こす。
私も一応は貴族の末席に籍を置いており、貴族同士の意地の張り有り、策謀のあれこれは耳にすることはあった。
だが、あの日までは自分には関係のないことだと思っていた。
実家はしがない男爵家。
軍人を多く排出していることである程度は知られている家だったが、取り立てて優秀というわけでもない、堅実な家だ。
出世にしても大したことはない。
将軍など夢のまた夢。
大体が大隊長や、中隊長止まり。
実際に父は百人強の部下を持つ中隊長として現在も前線に立っている。
母もその父の片腕として魔法使いの才能を発揮していた元軍人。
その間に生まれた兄も最も魔物との接触が激しい部隊に所属しているし、軍人一家には珍しく魔法研究にしか興味のない弟は別としても、私が軍人を目指そうとするには十分な理由だったろう。
実際に、一度は軍人になりかけた。
帝国などでは女性士官を軽視する傾向があるようだが、ジードリクスは女王が興した国ということもあってか、実力があれば性別は問われない。
幸いにして武芸の才能と多少の魔法の心得。
その二つが私の素質として認められ、士官学校へ入学を許された。
目標は父や兄に負けない実力をつけることで、その思い通りの道を実際に歩んでいたと思う。
それを実感したのは 士官学校内での部隊長補佐の地位についたとき。
順調に行けば卒業後は軍人として生きていけただろうが、現実にはそうはならなかった。
そう、くだらない色恋の暴走によって。
私は私が補佐した部隊長に女を求められ、それが元となる騒動に振り回された。
士官学校内での恋愛を禁止する項目はない。もちろん相応の節度が求められるが、士官学校だけでなく、国軍にしてもそうしたことは日常にある。
父が母と出会ったのもそんな状況に近かったため、女として見られることにも抵抗はなかった。
だが、この部隊長に関しては別だった。
英雄色を好む。とでも言うべきか。
一言であるならば好色家。二股、三股は当たり前で、常に浮き名を流していたし、名門伯爵家の長男という立場もそれに拍車をかけた。
良くも悪くも持ち上げられ、崇められることに慣れた部隊長は高慢を通り過ぎて傲慢になっていた。
女は自分が声をかければ落ちるとそう思っていたのかもしれない。
正直に言って、不愉快もいいところだ。
飽きれば捨てるというその状況を側で見ていたのだ。
そんな相手に自分の女になれと言われて頷くことなどできるだろうか。
遊ばれるとわかっていて、つき合うなど我慢ならなかった。
当然答えはいいえ、だ。
失礼にならないくらいに丁重にお断りした。
ところが、それが逆に彼の琴線に触れてしまったらしい。
自尊心を刺激された、とでもいうのか、これまでよりも積極的に接触をはかるようになった。
授業の合間に声をかけられ、何かにつけて贈り物をしようとしたり、休みの日には一緒に出かけないかと言われたり。
相手をすることすら面倒になるほどだったが、部隊長と補佐の関係がある以上全く関わらないという選択はなかった。
また、相手が名門伯爵家の跡取りということも問題だった。
下手に向こうの自尊心を傷つけでもしたら家同士の問題に発展しかねない。
私はただ耐え、やがてそれが功を奏したのか興味を失ったかのように部隊長からの接触は減った。
正直助かったと思ったのだ。この時は。
だがそれは間違いだった。
卒業まで間近に迫ったある日のこと。
弟が、魔法学院で行った実験の失敗で大怪我を負ったと知らせが入った。
実験室の一部が炎上したという。
こういった場合、失敗の原因を探る調査が行われるのだが、その結果は以下のものだった。
実験の際に使用した道具の一部に不備があり、それを用意したのは弟であり、一歩間違えば死人を出していただろう、と。
調査結果は全て弟の責任を問うものだった。
学院からの追放を言い渡された弟は、反論も出来ないまま寝台の上で泣いていた。
また同じ頃、カーライルの西の砦の駐留部隊にいた兄が怪我を負ったと連絡が入った。
魔物の掃討戦で一人はぐれたためだと言う。
命には別状がないという知らせに胸をなで下ろしたが、立て続けの災難は両親も私も慌てさせた。
そこに父の部隊が東の鉱山に湧いた魔物の討伐に出ることになったという通知が来る。
元々東の鉱山に付近には厄介な魔物がおり、定期的に討伐にあたることになっていたからそれ自体は不自然ではなかった。
ただ、こんなときに、と思わずにはいられなかった。
それでも命令は命令だ。
父は熱に浮かされる弟と不安げな母、そして私を残し、出立した。
全てを知ったのは、その後である。
父が出立した翌日。
私は部隊長に呼び出され、再び自分の女になるよう迫られた。
その上で彼はこう言った。
「兄上も、弟君も災難だったね。このうえお父上に何かあったら君の家はどうなるだろうか」
もったいつけた余裕の笑み。
何を言っているのかすぐには飲み込めなかった。
「どうかな。君が私のものになるというなら、君の家はこの先安泰だ。この私と、名門伯爵家と繋がりができるのだから」
どういうことですか、と尋ねると。
「君の返事次第で、君の家族の安否が変わる、ということだよ」
にこやかに、彼はそう言い放った。
状況を飲み込めた瞬間、私は……愕然とした。
弟のことも、兄のことも、全てこの男のせいだったのか、と。
この後のことは、思い出したくもない。
最終的にこの男の女にならずに済んだものの、あの時の自分の中で渦巻いていた気持ち悪さは最悪の域を超えていた。
そこから救い出してくれるきっかけを作ったファロイ子爵家――正確には子爵家の次男、ルーク様――には感謝するばかりだ。
弟が起こした実験による事故。一度は弟による過失で落ち着いたそれに不審な点があるとルーク様が調べ始めたのがきっかけだったらしい。
そこからズルズルと繋がった先は王家に近い公爵家。
部隊長はどうやらそこと繋がっていて、兄弟のことや、父のことに関する脅しも公爵家の力を借りてやっていたらしい。
部隊長やその公爵家、公爵家に繋がっていた者たちはそれぞれ処分されたが、それら全てを聞いた私は……
士官学校をやめた。
自暴自棄になっていた部分もあったのかもしれない。
私が原因で家族が危険にさらされた。
その衝撃と、貴族間の骨肉の争いに嫌気がさして。
そして、このファロイ子爵家に拾われた。
今からもう……五、六年は前のことになる。
だからこその不安を私は覚えた。
クルス様の噂の真相。
その稀なる才がダット様にもあるとわかった今、クルス様はその手を放すまいと必死になっている。
それを望むことを否定するつもりなど毛頭無い。むしろ、クルス様の境遇を考えればダット様という理解者ができたのは喜ばしいことだった。
けれど、本人の意志がないままその人物を縛り付けたところで、果たして好意が返ってくるだろうか。
クルス様は今、やっと得られた理解者を失うまい盲目になっていらっしゃる。
かつて私が受けたもののように、その根本的な箇所を抜かしてしまっているように見えた。
だが、クルス様に提示したように私には決定権がない。
最終的には身柄を預かっている子爵家の方々とダット様のご両親と女王陛下。三つの壁と本人の了承が必要だ。
そのため、困難を極めるだろう。
ただ、懸念材料もある。
ダット様がクルス様と同じお力を持っていることだ。
その希少性によって、国が保護の名目で国外に出さない可能性もある。
そこも含めるとどうなるか、予想も付かない。
そして国が関わればダット様は……
嫌な想像に、私は眉を寄せるしかなかった。
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