頭痛の種が増えた
背中に触れた柔らかいものに気付いて目を開ける。
「あ、目が覚められましたね」
最初に目にしたのは自分から離れていくテューラさんだった。
「えっ、目が覚めたのか!?」
「大丈夫なのかな」
続けて現れたオレンジ色の髪と銀色の髪の少女が二人はマリッサ嬢と王女様。
そして僕はベッドの上という。
「……あれ?」
なんでこうなったんだっけ。
思い出そうと眉を寄せるとテューラさんが。
「ダット様は先程お倒れになったのですよ」
「そうそう。王女様に向かってすっげぇヤバイこと言ってさ」
「いや、マリッサ嬢。あれは――」
続けて少女二人が加わり、最後に一人遅れて悠斗君も三人の隙間から顔を出した。
その唇が大丈夫? と聞いてくる。
どうやら全員に心配をかけてしまったようだ。
とりあえず大丈夫だよ、と笑顔を返した僕だったが。
ベッドに横たわることになった原因を思い返し、内心でため息を吐いていた。
要はマリッサ嬢が耐えきれなくなって叫んだのと同じ理屈で、脳内がパンクしちゃったんだよな。
僕の場合は意識が飛んだ、という。
パニック状態だったとはいえ、少し情けない経緯だ。
ため息も吐きたくなる。
幸いなのは窓の外はまだ明るく、意識を失っていたのは少しの間だけだった、ということだろうか。
長時間ハラハラさせるようなことにならなくてよかったよ。うん。
ただ、倒れて迷惑かけたのは紛れもない事実なわけだから、そこはきっちりしておかなくてはいけない。
謝罪のために体を起こす。
「お手数をおかけして申し訳ありません」
テューラさんに止められかけたが、体調そのものが悪いといったようなことはないのだ。それを手で制すと、背中にクッションを入れて座れる体勢にしてくれた。
「いいのか?」
「ええ。少し頭の中身が混乱しただけですから」
一度気を失ったことで脳内の混乱はリセットされたし、これ以上頭の中身が混沌とするようなこともないはずだ、と思いたい。
まあ、頭痛の種はまだそこに存在しているわけだけども。
――ふふん、これだから人間は脆弱で困るんだみょ。
「…………」
鼻でせせら笑いしたな。この小動物め。
忘れてはいけない、というか忘れられない声の主はもちろん緑色のリスもどき。
王女様の肩で見かけだけはかわいらしく鼻をヒクヒクさせている。
「脆弱で悪かったな。好きでこんな体なんじゃないんだよ」
反射的に睨みつけると小動物は体をやや後ろに引いた。
――や、やはり聞こえているみょ。そして変な気配もお前からなんだみょ。お前、【グラン・ヴ・ディール】に呪われたのかみょ?
……ん?
声が聞こえることはともかくとして、どうしてそっちのことを知っている。
小動物には言ってないはずだけど。
――ふふん。我が輩は気配に敏感なんだみょ。それぐらいのことは朝飯前なんだみょ。褒めるがよいのだみょ。
首を傾げる僕に小動物は自慢げに胸を反り返した。
ああ、なるほど。
それで部屋に入る前からキーキー言ってたわけか。
けど。
――そっ、その目はなんなんだみょ。我が輩は嘘などついていないみょ!
「誰も嘘とは言ってない。確かに【半死人】だから間違ってはないし」
――そうであろう、だみょ! 我が輩の気配察知術は魔物一鋭いみょ! 褒められて当然なんだみょ!
「……へー」
確かに便利そうな能力ではあるのだが、その態度がどうにもな。
子供が「褒めて」と言うのは可愛らしくても、この小動物がやると小憎たらしいだけなんだよ。
かといって何も言わなければそれはそれで騒ぎそうだし、下手に褒めれば増長しそうだし。
どっちにしろ鬱陶しそうだなぁ。
――そ、それは信用していないため息だみょ!?
あ、ため息が出てた?
しまったと思ったが、出てしまったものは仕方がない。
こうなったら、いっそううるさくなる前に物理的に口を塞ぐべきか。
そんな僕の考えが通じたのかどうか。
それは不意に起こった。
――目も少し怖いんだみょ。わ、我が輩は【リル・カーラ(小さき賢者)】だみょ。そんな目で脅すなど言語道断だ――
「うるさい。しばらく黙っていてくれないか?」
――みょがっ!?
王女様が小動物を後ろに投げ放った。
「え」
「あ」
勢いよく放物線を描いた小動物に僕とマリッサ嬢は唖然と口を開ける。
投げた当人はひとこと。
「すまなかったね」
微笑を浮かべるのみ。と言っても僅かながらも眉間にしわが寄っている。
――キィ! 何をするみょ。クルス!
王女様の背後で憤慨した声があがる。
バランス感覚はよいのだろう。
しっかり両手両足で床に着地した小動物は全身の毛を逆立たせ、小さな牙をむき出しにしていた。
もちろん黙ってもいない。
――我が輩をなんだと思っているみょ。【リル・カーラ(小さき賢者)】だみょ。敬われるはずの我が輩が何故このような扱いを受けねばならんのだみょ!
言いたい放題である。
王女様の眉間にさらにしわが寄る。
そこが限度だった。
――まったく、人間は我が輩を敬うということをもっと知った方がいいのだみょ。我が輩は知識の宝物殿みょ。我が輩の頭が失われっ!?
おそらく、ソレに音があるならば「ぷちっ」と言っていたに違いない。
銀光が疾く鋭く走り、カッ、という軽い音が小動物の声を奪った。
その正体は。
――みょっ……みょみょみょみょみょ!?
鋭く光るテューラさんが投げたのと同型のナイフ。
超、ギリギリ。小動物の鼻先に刺さっている。
「わたしは黙っていて欲しい、と言ったはずだよ。リチル」
動揺に声も体も震わせる小動物に対する王女様の声は確実にさっきよりも低い。
しかも目が笑ってない。
実質、これが最終警告だった。
小動物は全身の毛を逆立たせ、人間のように頭をコクコクと頷かせていた。
人間ならおそらく蒼白になっているだろう。
「さて、二度も騒がせて済まなかったね。リチルは本当に……いや、それはどうでもいいな」
さわやかに笑ってるけど、今のを見た後だとちょっと怖い。
ナイフ、振り返らずに投げてたし。
見た目の凛々しさ通り、腕の方も相当のようだ。
この瞬間、王女様への認識が色々な意味で怒らせてはいけない人物というものに固定された。
もちろん小動物に関しては同情はしないけどな。
「ともかく、今ので確認が取れた」
小動物が完全に大人しくなったことで、王女様はかなりすっきりしたらしい。
何事もなかったかのように真剣な表情に立ち戻る。
真っ直ぐな瞳が僕を捉え。
「ダット。君はリチルの声が聞こえているね?」
言い逃れは許されない質問をされた。かと言って答えて何か問題があるわけでもない。
「ええ。聞こえていますよ」
素直に認めれば、王女様は「そうか」と表情を綻ばせた。
呟く声にも安堵と嬉しさが滲み出ている。
大体の予想はつくので、どうしたのかとは聞かない。
だが彼女は誰も予想の付かなかった行動に出た。
「……やっと会えたんだな」
感極まった呟きを洩らしたかと思ったら、僕に手を伸ばし、抱きついてきたのである。
「へ!?」
当然僕は大混乱。
「ちょ、王女様!?」
どえらい人に抱きしめられてしまった。
「クルス様! 幼いとはいえ、異性の寝台に上がるなどはしたのうございます! ましてや抱きしめるなど――」
テューラさんも困惑して声をあげ、マリッサ嬢に至っては相次ぐ出来事に絶句しているしかないようだ。
「やっとわたしを理解できる者に出会えたんだ。それを喜んで何が悪い?」
「喜んでは悪いとは言っておりません。ですが、ご自分のお立場をお考えくださいと申し上げているのです!」
「ふふ。わたしの立場などあってないようなものだろう。世間一般の人々からみれば出来損ないの王女ぐらいにしか思われていないよ。だからこれぐらい気にしなくとも」
「僕が気にします!」
「そういう問題ではありません!」
そうそう。テューラさん、もっと言って。
僕が叫び、テューラさんが睨むと王女様はひとつ大きなため息を吐いた。
「仕方ないな」
いえ、仕方なくありませんから。
渋々離れていく王女様にほっとしつつ、僕は疲労を感じて肩を落とした。
「なんかよくわかんねぇけど、あたし帰りたくなってきた」
そう呟いたマリッサ嬢の顔にも明らかに疲れが見えている。
「一体なんだっていうんだか。ダットは王女様に暴言放ったかと思ったら倒れるし、起きたら起きたでなんか一人でしゃべってるし、王女様は従獣投げるし、ダットに抱きつくし、なんだよこれ。わけわかんねぇ」
あ、また頭抱えた。
これはちょっと説明をしてあげないと可哀相かもしれない。
と思っていたら、そこは王女様も同じ考えだったようだ。
「マリッサ嬢。混乱させてすまない。だが、王都に住むならわたしのあだ名ぐらい知っているだろう?」
謝罪と共に自分から説明に乗り出した。
「……あだ名? あだ名、っていうとあれか? 【奇怪王女】ってやつ」
言葉遣いが乱暴なままなんだけど、なんかもうそれもどうでもよさげだ。
見た感じ王女様も気にした様子はないし平気だとは思うけど。
「ああ。それだよ。誰もいないのに誰かと会話をする奇怪な行動を取る王女。まあ、魔物相手に喋っているというのが正解だけどね」
「は? 魔物と喋る?」
理解しがたいのか、マリッサ嬢の表情は険しかった。
でも、この反応が一般的なものであることは確かだ。
僕だって実際、小動物の声が聞こえなければ魔物が喋るなんて思いも寄らなかっただろう。
「信じがたいのはわかるよ。わたしも最初はそうだったからね。わたしにしか聞こえない声なんて気味が悪い。最初は悩んださ。どうして自分にだけこんな声が聞こえるのかと、泣いて過ごしたこともある。けれど、人には知られていない前例もあったらしくてね」
「前例?」
「【リル・カーラ(小さき賢者)】だよ」
そういえば、さっきから連続してその名前が出てきていた。
どこかで聞いた覚えがある、と思ったら。
「あれか? 小さな子供に助言して家族を助けるっていう魔物のおとぎ話」
「それだ」
マリッサ嬢のひとことで思い出した。
四歳か五歳か、それぐらいまでには一度は聞くおとぎ話だ。
僕も母さんから寝物語として聞いた覚えがある。
人間の言葉を理解する魔物が、子供と出会って知恵を貸す。
単なる物語だと思っていたけど。
度重なる小動物の言動を思い返して、僕は顔が引きつった。
「作り話だろ?」
「まさか」
「そのまさか、さ」
王女様も納得し難いと言わんばかりの表情だったが、それを認めた。
「わたしもアレに遭うまでは作り話だと思っていたが、そうではなかったらしいね。とんでもなく高飛車で扱いには困るが、アレが本物の【リル・カーラ(小さき賢者)】らしい。わたしたちの言葉を理解し、発する魔物だよ。ただし、聞こえる人間は限られる。この国ではもうわたしだけしかいないのではと諦めかけていたのだけどね」
よほど待ち望んでいたのだろう。
「僕が聞こえると知って喜びのあまり抱きついた、と」
「そういうことだよ」
やっと待ち望んでいた相手に出会えたのだ。
感情が爆発してもおかしくはない。
心底嬉しそうな笑顔を見れば、抗議はできなかった。
「本当に、嬉しかったんだ。母上も、父上も、兄上や姉上も。理解はしてくれても、本当の意味での理解者にはなれない。だから、君が聞こえてくれて本当に嬉しい。ありがとう。ダット」
「いえ、僕は特に何もしてしませんよ。単に王女様と同じく、声が聞こえるというだけです」
「それはわかってるさ。だけど……感謝させてくれ」
王女様は瞳を潤ませて僕の肩に手を置いた。
流石に雰囲気を読み取ってか、テューラさんも何も言わない。
「ありがとう」
王女様の手はそうして肩から離れていき、その途中で頬に触れた。
かと思いきや。
唇をかすめるようにして手とは違う柔らかな温もりが頬、に。
「!?」
驚いた視界には、銀色の髪が棚引いていた。
呆然と、離れていった王女様の視線を追えば柔らかい微笑と鉢合わせ。
少し、顔が赤い。
そのことから想像するに。
まさか、今の、は。
「クルス様!」
テューラさんの本日数度目の叫びが響き渡った。
次から三話連続閑話。最初は「奇怪王女」