墓穴を掘った、かもしれない
他人事のように感じている場合ではない。
目の前にいるのは紛れもなく王族だ。
「私はダット・クリークスと申します。こちらはユウト。まだ言葉が不自由ですので、ご無礼の程はお許しください」
きちんとした挨拶はこれで二度目。僕はどうにかつっかえずに言えたが、問題はマリッサ嬢だった。
「あ、あたしは……」
流石に身分が上の人間、王族に対して乱暴な言葉遣いは出来ない。
自己紹介を始めようとするが、すぐには言葉が出て来ないらしく黙り込んでしまった。 いきなり王女様が登場したものだから、混乱しているのかもしれない。
それを見た王女様は。
「ああ、フルーリ伯爵家に引き取られた娘だね。話は聞いている。確かマリッサ、という名だったか」
ナイスフォローと言っていいのか空気を読めるお人のようで、あっさりマリッサ嬢のことを言い当てた。
「し、しってんのか。じゃなくて、知って、おられた、の、ですか?」
マリッサ嬢がぽかん、と大口を開ける。
「ああ。フルーリ伯爵が跡継ぎとして庶子である令嬢を迎え入れたというのはそこそこ有名だよ。母上からも今日はここに来ていると聞いていたし、他に令嬢はいないということだったから。君で合っているんだろう?」
「え、あ。はい」
「聞けば随分気が強いというじゃないか。ファロイ夫人も将来が楽しみだと言っていたよ」
「そ、そうですか。えっと。光栄、です?」
何故か疑問系で答えるマリッサ嬢。
緊張でガチガチなのが目に見えてわかる。
その証拠に王女様の顔をまともに見れていない。
「そう硬くならなくてもいい」
王女様は寛容とも取れる苦笑を浮かべたが、それは無理な話。
自分より地位の高い相手の機嫌を損ねたり、無礼を働いたなんてことになれば、最悪家がなくなることもあり得る世の中だ。
マリッサ嬢は伯爵家の跡取りとして引き取られたそうだし、そのあたりのことは最初に叩き込まれたはず。
そのプレッシャーもあって萎縮してしまっているのかもしれない。
「う、うう」
マリッサ嬢は限界なのか、涙目になりかけていた。
まさか本気で泣いたり、はしないだろうが……
「ま、マリッサ様。大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない……」
そっと問いかけると彼女は肩を震わせた。
オレンジ色の髪の下から見える胡乱な目が怖い。
一杯一杯すぎたのだろう。
そして思わぬ言動に出た。
「大丈夫じゃないっ!」
涙目のまま、叫んだ。
緊張に耐えられなくなったことは一目瞭然だった。
でも、だからって――
「だ、だってお前、相手は王女様だぞ! あたしら下町の人間がお目にかかることだって滅多にないんだぞ! それが目の前にいるんだぞ! これが冷静でいられるか!」
「ちょっ、マリッサ様!」
そういう心の内を叫ぶのも、指差すのもマズイんです!
言葉通り冷静でもないようだし、とにかく落ち着かせないと。
「お、落ち着いて」
「落ち着けたら叫んでない!」
ありきたりすぎて駄目だった。
「ちょ、声が大きいです。落ち着かないと王女様の目の前ですよ」
「だから落ち着けないんだろうが!」
……そうですね。だからパニックになってるんでした。
王女様を放り出しての押し問答が終わらない。
挙動不審のまま、マリッサ嬢は今にも逃げ出しそうな体勢に入っていた。
頭が痛い。
そんな僕らの背後の見物人は。
「……あー、なんだ。これはわたしが悪いのかな」
「はい。失礼ながら、原因はクルス様にあるかと存じますが」
こんな会話を交していた。
なにを暢気な。
「も、もう無理。これ以上は無理!」
せっかく綺麗に着飾っているのに、マリッサ嬢は頭を掻きむしっている。
言葉ではもうどうにもできそうになかった。
あと残っているのは一つだけ。
「マリッサ様、ホント落ち着いてください」
僕は頭を悩ませるマリッサ嬢の腕をつかみ取った。
決して褒められたことではないが、これで止まってもらえなければ僕ではもうどうしようもない。
でもそれにも一つ誤算があった。
体格差。
それをすっかり忘れていたのだ。
おまけに体もそんなに強くないし、腕力もない。
そんなわけで簡単に弾かれてしまう。
いやもう最初から気付けって話だよな。おそらく僕も混乱している。
後ろによろめいた僕は足を踏ん張った。
だが、自分で体を支える前に。
「マリッサ嬢」
柔らかな声と温かな体に受け止められていた。
あ、れ?
「だいぶ驚かせてしまったようだね。すまない。けれど、落ち着いて周りを見なければ友人に怪我をさせてしまうよ」
「あ? え? う?」
マリッサ嬢が我に返ったかのように僕を、否。僕の後ろの王女様を見ていた。
否、そうじゃない。
声は頭上からしている!
ということは、まさか。
ということは、背中の柔らかい感覚は……?
恐る恐る見上げてみれば。
「ひぃっ」
喉が引きつった悲鳴を上げ、次いで足から力が抜けた。
予感的中。
僕を後ろから支えていたのは王女様だった。
「だ、大丈夫かい?」
ずる、と崩れ落ちかけた僕に気付いた王女様は。焦った様子で体を支えに入る。
だが、それもまた僕の思考を混乱に導いた。
お、王女様に触っちゃった。
それも、密着状態……!?
「え、や、もう。えっと」
支えられ、床に座り込むとその状態からは抜けたが、あまりのことに言葉が出てこない。
これはもう、マリッサ嬢のことを言えないだろう。
――だらしのない人間だみょ。
「う、うるさいわっ!」
悪かったな。自覚してるよ。
僕は声の主にそう反論し――部屋中が静まりかえった。
約一名、きょとんとした少年がいたが、それは問題ではない。
……あれ?
その瞬間何かに違和感を覚えたものの、気付いたのは小動物を睨みつけた直後だ。
――こ、こやつ。もしや我が輩の言葉が聞こえているみょっ!?
「まさか……っ!?」
小動物と王女様が愕然と僕を見た。
これを聞けば違和感の正体などすぐにわかる。
「あっ」
声が聞こえるのが、バレた。
いや、隠したわけじゃないけれど、それでも悪戯がバレた時のように心臓が跳ねるのは抑えきれない。
一気に血の気が引いた。
そしてさらに。
「ちょ……」
同じく愕然としていたマリッサ嬢が口を開けた。
「ば、馬鹿じゃねーのか。お前はっ!」
遠慮無く罵倒された。
「お、王女様に向かってそーいうのって不味すぎだろ!」
あ、彼女には声が聞こえないからそう見えるのか。
でもどっちにしたって最悪なことには変わりない。
王女様に助けられ、声が聞こえるってばれて、声が聞こえない人からみたら僕は王女様を罵倒したように見えて。
あ、終わったな。コレ。
パンク寸前だった脳内は、それで止めを刺されたらしい。
次に気付いた時はベッドの上だった。
2013.6/9 改稿