男装の少女
失礼致します、とまず部屋に顔を覗かせたのはこのお屋敷のメイドさん。
それを部屋の中にいるメイドさんの片割れ、ルリカさんがすぐに動いてつなぎを取る。その表情がほんの一瞬驚きに見開かれた。
かと思うと。
「あ、こら、待ちなさい!」
――まったく、何をするにも面倒な人間とは困るんだみょ。
そんな愚痴と共に小さな何かが部屋に飛び込んできた。
「えっ?」
「な、なんだ!?」
あまりに突然な侵入者。
それに驚くしか出来ない僕たちの前にテューラさんが立ちはだかる。
「お三人方とも、お下がり下さい!」
その手にはいつの間に取り出したのかナイフがあって――
え、と言葉を発する間もなくテューラさんの手が翻った。
――みょっ!?
何かが床に落ちる鈍い音がした。
おそらく、ナイフが床に刺さった音だろう。
そしてその音がした直後には、二本目のナイフを投げるモーションに入っていたのだが。
「っ……!?」
彼女はナイフを放つ寸前で手を止めた。
そこまでほんの数秒。
一瞬で緊迫した空気を纏った空間で、全員が全員ただ呆然とテューラさんを眺めていた。
え、どうなったの?
正にそんな感情が部屋中に渦巻いていただろうところ。
「だから待ちなさいと言っただろうに」
この部屋にいた誰でもない、少女の呆れ声が響いた。
近づいてくる軽い足音。
顔を上げた僕は、当人を見て目が点になる。
入ってきたのは銀髪の少女ではなく、少年。
「……ん?」
じゃなくて、少女?
僕はその人物の顔を見て二度、性別を改める。
いやだって、服が男物だったんだよね。
しかも顔立ちとか体つきは完全に女性のものだけど、剣も持ってるし、雰囲気がちょっと男っぽいし、似合ってるし。
一瞬見間違えるのも無理はないと思うんだ。
って、誰に言い訳してるんだか。
それはともかく。
「騒がせて悪かったね」
男装の少女は苦笑を浮かべた。
あー、なんだろう。
多分、女子校にいたらモテるタイプだ。
肝も据わっている。
テューラさんが投げて床に刺さったナイフも視界に入っているはずなのに全く動じていない。
で、投げた当人は少女を見て固まってるけど。
「クルス、様」
呆然とした呟きが彼女から漏れる。
どうやら知り合いらしい。
「やあ、テューラ。久しぶりだ。流石は姉上が引き抜こうとしていただけのことはある。相変わらずいい腕をして……」
「クルス様!」
少女の口上をテューラさんが遮る。
その表情は苦々しく、いつものテューラさんらしくない感情の変化っぷりだ。
なんだろう、と気になりはしたが、そこは僕が口を出すことでもない。
「そのお話は、いずれまた。それよりも」
テューラさんは自分が投げたナイフのある方向を一瞥した。
手にしていたはずの二本目のナイフはどこにしまったか、すでにない。
両手をお腹の部分で合わせ、彼女は深く深く頭を下げた。
「クルス様の従獣とは知らず刃を向けましたこと、お詫び申し上げます」
テューラさんの後ろにいた子供三人がきょとんとしたのはいわずもがな。
従獣というのは人に飼われた魔物やら動物のことだ。
テューラさんの口から漏れたその言葉に、そっと顔を覗かせてみると。
床に敷き詰められた暖色系の絨毯。
その一部に全くカラーの違う緑色の生き物がいた。
「リス?」
によく似ているけれど、形が微妙に違う小動物だ。
頭部から生えた二本の長い毛が尻尾と共に膨らんでおり、その側にテューラさんが投げたとおがぼしきナイフが突き刺さっている。
状況から見て、部屋に突入してきたのはコイツだろう。
ていうか、ナイフ、すごいギリギリの所に刺さってるし。
とか思ってたら、僕と同じようにテューラさんの影から顔を出した悠斗君が「かわいい」と呟くのが聞こえた。
いや、確かに可愛らしい容姿ではあるけれど。
人間の中に魔素を魔力に変換できる魔法使いがいるように、動物にも魔素を魔力に変換できるものがいて、それを【魔物】と呼ぶのがこの世界だ。
見かけに騙されて大怪我したり、死んだりなんていうこともこの世の中では起きている。
だからこそテューラさんもナイフを投げたってわけで。
結局は、飼い主がいる従獣だったんだけどね。
自然の中で生きるのであれば必要のない、首元の赤いリボンがその印。
であるからして現状。
テューラさんの立場は非常に不味い……ってことにならないか?
使用人が客人の、それも貴族の連れた従獣を傷つけかけたとなれば、咎められるどころかその場で切り捨てられても文句は言えない。
例え、仕える主人を守るためにしたことだとしても、それで通るとは限らない。
それに気づいた僕は蒼白になった。
子爵家にとってもよろしくない事態だ。
こ、ここは駄目モトでも守られる対象だった僕が釈明すべきかも。
そう思って動き出そうとした直後。
「ああ、別にかまわない」
少女は半眼で自らの従獣を見下ろし、鼻で笑った。
それも迷惑そうに。
「制止を聞かずに飛び出したのはこの能なしだ。肝が冷えるくらいでなければ反省もしないだろう」
と、とりあえず咎めだてされる感じではなさそう?
テューラさんの前に出ようとしていた気概を挫かれた僕は「はぁ」と生返事。
メイドさんたちの間からも、どこかほっとしたようなため息が漏れた。
が、である。
――の、能なしとは失礼なんだみょっ。そもそもクルスが我が輩の言うとおりにしないからこうなったんだみょっ!
奇妙な声が言い訳めいた台詞を喚きだした。
しかもやたら耳に響くものだから、耳の奥が痛い。
もういい加減にして欲しいんだけど、って。
ん?
耳を塞ぐように頭を抑えた僕は、ふと気づいた。
今、クルスって言った?
「その言葉、そっくりそのままあなたに返すよ。いい加減その頭に見合った落ち着きをつけるべきだと思うのだけれどね」
――なっ、我が輩に落ち着きがないというみょっ!?
「その言葉であなたが全く反省していないことがよくわかるよ、リチル。それでわたしがどれだけ苦労したと思っているんだい?」
クルス様、とテューラさんに呼ばれた少女。
その鋭い視線の先には尻尾を膨らませた小動物がいる。
――むきぃっ。それはこっちの台詞というものだみょっ。【リル・カーラ(小さき賢者)】たる我が輩を敬わぬなど失礼にも程があるのだみょっ。
「……だからそれなりの落ち着きを持ってもらいたいと思うのだけれどね、まったく。世の中の子供たちの夢をどれだけ壊していると思っているのだか」
眉間にしわを寄せる少女とその足下でピクピク動いている小動物。
このにらみ合いを見れば一目瞭然。
彼らの動きとその台詞はどう見ても連動している。
これはもう、会話が成立してる、ってことで確定だ。
で、奇妙な声の正体がコレ、と。
外側を見ているだけなら愛らしいが、そこから発せられている声はいかにも上から目線。
可愛くない。
そして、それ以前に問題もある。
「な、なあ。誰としゃべってる、んだ?」
声が聞こえていなければ、当然の反応だろう。
思わずといった風にぽろっと出た言葉はマリッサ嬢のものだった。
少女ははっと顔を上げ、苦笑した。
なにか悪戯をして、それがバレた。そんな顔だ。
けれどそれもほんの数秒。
「すまない。挨拶もせず、失礼したね」
少女は姿勢を正すと、見事な礼で名乗った。
「わたしはクルス・ミラ・ジードリクス(、、、、、、)という」
「え?」
「ええ?」
僕とマリッサ嬢は少女が言うそれにぽかんと口を開けた。
なんかあっさり名乗られてしまったけど、今とんでもない単語が混ざってたような。
そう。ジードリクスって確か。
唖然とする僕達に彼女は続けて言った。
「クルスと呼んで構わない。人によっては奇怪王女、とも言うが」
「うぇっ!?」
「ちょ……!?」
マリッサ嬢は絶句。
いや、絶句もするよ。
「え、えっと。テューラ、さん?」
僕自身も今聞いたことが信じられなくて、恐る恐るメイドさんを見上げるなんてことになっているし。
で、その助けを求めたテューラさんは厳しい顔つきで唇を引き結んで。
「今、あの方が仰った通りでございます」
あ、あははは。
笑うしかない。
けどまあ、ジードリクスなんてこの国じゃ王族にしか名乗れない姓だし、だったら王女って言っても全然問題ない、わけなかった。
「お、王女様が、どうしてこんなところに?」
いくら王都で王族のお膝元だからって、こうも簡単に当の本人に会えるのはおかしい。
本人に直接聞くのもどうしていいかわからなかったので、テューラさんに聞いてみた。
「大奥様が陛下のご学友なのです。ですので、稀にお忍びでいらっしゃるのですよ」
「あぁ……そうなんだ」
なんだろう。妙な説得力がある。
やっぱりヴィリア様は只者じゃなかった。
っていうか、このお茶会に王女様が来てるってことは。
「まさか今日来てる、とか?」
誰が、とは言わなかったが、テューラさんにはしっかり伝わっていた。
「いらっしゃるでしょうね」
「うわぁ」
なんか頭痛くなってきたのは気のせいかな。
地方で暮らしてた一庶民が王族と遭遇とか、一生に一度あるかないかってとこだし。
あ、母さん大丈夫かな。
ショックで倒れなきゃいいけど。
「それよりも、お早く自己紹介をなさってください。不敬ですよ」
……そ、そうでした。
2013.5.30 少し修正