お茶会のはじまり
ヴィリア様が客人を伴ってやってきたのはそれからまもなくのこと。
涼やかな二種類の声が楽しげに近づいてくるのが聞こえて、一度は落ち着いた僕や母さんの顔に再び緊張の火が灯る。
せっかく少しリラックスしたのにこれじゃ元の木阿弥だ。
が、そう思ったところで最早遅い。
戸が叩かれ、外から「失礼致します」とメイドさんの声がした。
そして重厚な戸が見た目通り重い音を立てて開く。
「さ、こちらでしてよ」
最初に現れたのはヴィリア様だ。
ワインレッドのドレスを身に纏った女主人という出で立ちで堂々と入室してくる。
そして、次いで現れたのは金髪をきっちり結い上げた妙齢の淑女。
最初からいる僕たちを除けば、今日のお客人第一号様である。
ヴィリア様の友人だというから同じようなやり手の女性を想像していたんだけど、その彼女は意外にも想像とは違っていた。
上品に整えられた清楚な暖かみのある橙のドレスの上の表情はとても穏やかで落ち着いている。
先客がいると伝えられていたのか、彼女は慌てて立ち上がった僕や母さんを見ても驚かない。
優しく微笑むと淑女らしいたおやかな挨拶が口紅を引いた唇からこぼれ落ちた。
「失礼致します」
その声は全てを包み込むかのように穏やかで、含みがなかった。
裏のない真心こもった挨拶。
ヴィリア様とは全く方向性が違うことにやや呆然としていると。
「さ、紹介致しますわね」
ヴィリア様が――こちらは含みのある笑みで――両者の真ん中に立ち会った。
「ミーシア。こちらがお話ししてあった者たちですわ。そしてキーラ。こちらがわたくしの友人でしてよ」
「ミーシア・ユル・フルーリ、と申します。ふつつか者ながら、フルーリ伯爵夫人を務めさせていただいております」
「っ」
母さんが息を呑んだ。もちろん僕も驚いたけどかろうじて声は出さずに済んだ。
そりゃまあヴィリア様の友人だから貴族なのはわかってたけど、ヴィリア様よりさらに上の人がいきなり来れば一般庶民はビビッて当然です。
敷居が高いよ。本当に。
でももうここまできたんだからあとは度胸。
「母さん」
ドレスの裾を引っ張れば、母さんが今にも泣き出しそうに視線を向けてきた。
あーもう。だからその目やめて、って、え、ちょ、顔面蒼白になってるし。
どうしよう。
助けを求めてヴィリア様を見上げれば、にこり、と一つ笑い返された。
これは「こういうときこそ紳士の出番ですわ」ってことですか。そーですか。
なんかもう全部ヴィリア様のお膳立て通りのような気がしてならないんだけど。
いやもう今更か。
だよね。
以上、自己完結完了。
つい出そうになるため息を押し込めて、僕は緊張の汗がにじむ手を握った。
「申し訳ありません。母は少々緊張で声が出せないようです」
出来るだけ丁寧に、と心がけながら、一歩前に出る。
そこにフルーリ伯爵夫人の視線がやってきて、それを受け止める。
何でも見透かされてしまいそうな藍色の瞳がほんの少しではあるが、驚きに見開かれた。
「私はダット・クリークス。母はキーラ、と申します。フルーリ伯爵夫人」
心臓が破裂しそうなくらいバクバク鳴っているが、なんとか言えた。
「勉学を始めたばかりで何かと不作法かとは思いますが、どうぞご容赦ください」
右手を差し出せば、その上に絹の上等な手袋をした彼女の右手が添えられた。
実のところ、こうして人の手に触れるのは左手の印のこともあって少し怖いんだけど、ルーヴェンス医師が見る限り、少なくとも起きている時に【生気】を奪うような現象は起こっていない、とのこと。
僕が無意識にでも制御しているのか、それとも死にかけるような状態の時に発動しているのか、まだまだ情報が足りないと言っていたけれど、現状では大体このあたりではないかと言われた。
まぁ、でないと他者に触れることが前提の紳士教育なんてヴィリア様もしないよね。
もしもに備えて接触は最低限に抑えることが条件だけど。
それを心がけて、僕はフルーリ伯爵夫人の手に素早く口づける。
でも、でもさ。これ、すっごく、恥ずかしいんだよね。
純朴な元日本人舐めるなよ。
無意味にそんなことを思うのは間違いなく脳内がパンクしているから。
顔も熱いから、茹で上がったタコのようにきっと顔は赤くなっているに違いない。
おかしい。赤面症ではなかったはずなんだけどなぁ。
最後にどうにか笑顔を作って顔を上げ、フルーリ伯爵夫人の顔色を伺う。うまく出来たかはもうさっぱりだけど、確実に顔は引きつっていたはずだ。
うわぁ、やばい。けなされても反論できない。とかそんな風に考えた僕にフルーリ伯爵夫人は最初と変わらず、
「いいえ、とてもすばらしい所作ですわ。ご丁寧にありがとうございます」
にこりと微笑んだ。
い、一応及第点くれたってことでいいんだろうか。
「お話に聞いていた通り、綺麗な顔をしていらっしゃるのですね。ヴィリア様がご心配なさるはずですわ」
「う……」
あぁ、彼女にまで言われしまった。
ヴィリア様の見立て通り、やっぱりこの顔は目立つらしい。
カーライルでは問題なかったっていうのに。とぼやきたくなるが、実際ここにきてこうも言われるとやはり気をつけないといけないのだと身につまされる。
やや暗い表情になったのを見られていたのだろう。
「ふふ。精進なさいませ。それは必ず、将来あなた様のためになることなのですから」
フルーリ伯爵夫人は励ましの言葉を口にした。
ホントに見た目通りの優しい人だ。
でもその優しさがちょっと痛い。だってそれってまだまだだって言われたも同然だから。
ホントのことだけどな。
「はい」
あはは。頷くことしかできない僕は苦笑いを浮かべる。
そして落ち込みかけの僕に彼女は、
「実は、そのためというのもおかしいけれど本日は娘を連れておりますの」
と背後を振り返った。
「え……?」
娘、という言葉につられてそちらを見れば、いつのまに入室していたのか彼女の背後には僕よりやや背が高めの人影がある。
しまった。緊張しすぎてたせいか全然気づいてなかった。
不敬とか言われそう。
フルーリ伯爵夫人なら笑って流してくれそうだけど、娘の方は果たしてどうか。
動揺を押し隠すように口を引き結ぶ僕の目の前で、母と娘は短く言葉を交わす。
「マリッサ、ご挨拶を」
「はい。おかあさま」
あ、なんかあからさまに不機嫌な返事が。
その直後、フルーリ伯爵夫人の胸のあたり、そこから彼女のドレスと同じオレンジの髪がひょっこり跳ね出してくる。
「マリッサ・ウェルチ・フルーリともうします。どうぞよしなに」
棒読み気味にそう名乗った少女は僕よりもいくつかは上だろう。
フリルの付いた深緑のドレスの裾を持ち上げてたどたどしく頭を下げた。
言葉の端々が少し刺々しいのはたぶん気のせいじゃない。
だってさ。ややつり上がり気味の緑色の瞳が「なにこいつ」って雄弁に語ってるんだよ。 おまけに値踏みするかのごとく頭から足まで見られれば、もう、ね。
さっきのフルーリ伯爵夫人の話でヴィリア様から僕たちの話が行っているのは確実だから、娘である彼女も当然それを耳にしているはず。
本来一般庶民である僕たちが入り込めるはずのないきらびやかな場所に支配される側の人間が入り込んでいるわけだから、そりゃおもしろくはないだろう。
まぁ、身分不相応なのはわかってるけど、嫌うのも当然かもだけど、僕らもヴィリア様に招待された歴とした客人だし少しだけ我慢してください。
そんなことを思いながら、僕は教えられたとおりの作法でマリッサ嬢に笑いかけた。
「初めまして、かわいらしい方。私はダット・クリークスと申します。以後お見知りおきを」
なにやら怯んだように体を引かれたけど、もうちょっとだけ我慢して欲しい。すぐ終わるから。
そうして彼女の手を取るために数歩前に出たわけですが。
「……?」
手を伸ばしかけた僕はそのままの状態で固まった。
マリッサ嬢がいない。というか、正確には目の前にいるんだけど、あれ?
なんか、空いている距離がさっきと同じっぽい。
えっと……あれ? なんで? 僕、ちゃんと動いたよね。
戸惑いに周囲を見回せば、隣にフルーリ伯爵夫人の姿がある。
さっきは彼女の前にいたから、僕が動いたことはたしかなんだけど。
「……マリッサ」
苦笑気味にフルーリ伯爵夫人が彼女の名を呼ぶ。
すると。
「つい、反射的に」
ばつが悪そうにマリッサ嬢が顔を背けた。
そうですか。そんなに嫌ですか。
された方としてはあまり気分がよくなかったけど、一般庶民に触れられることを不本意だと考えているなら、仕方ない反応だ。
彼女は僕より年上っぽいけどまだ子供だし、それを表に出してしまう未熟さがあっても不思議じゃない。
精神年齢はどう考えても僕の方が上だろうし、ここはこちらが折れた方が角が立たないはず。
「失礼致しました。ご不快にさせてしまったようで、申し訳ありません。これ以後はお嬢様の気に触れぬよういたしますので、ご容赦ください」
そのまま礼をして元の位置に戻ると、何故かヴィリア様とフルーリ伯爵夫人が目を丸くしていた。
え、なんで?
普通にしたつもりなんだけど、なにか間違ったかな。
やばい、どうしよう。これ以上何も思いつかないんですけど。
「ちょ、待て。違う。そうじゃねぇよ!」
慌てた少女の声が、せっぱ詰まった僕の思考を遮る。
……あれ。なんか凄く身近な言葉遣いが聞こえたのは気のせい?
2013.2/1 サブタイトル変更