緊張のひととき
前話に話を追加してあります。
ここから読もうという方はご確認を。申し訳ない。
お茶会当日、である。
「ふぁ……」
あ、あくび出た。
貴族のお坊っちゃまよろしくな格好を整えた状態ではあまり見栄えがよろしくない仕草だが仕方ない。
昨晩眠りについたのは夜明け前。
おかげで午前中は起こしても起きなかったみたいで、母さんが卒倒しそうなほど心配していたらしい。
悪いことしたな、という思いはあるものの、昨日のヴィリア様の話を聞けばこうもなる。
あれから僕は、脳内で必死に覚えたまともに言えば歯の浮く台詞を復習していたのだ。
もうほんと大学受験を懐かしく思うくらいに。
あぁ、思い出すだけでため息が出る。
ヴィリア様が語ったそれはなんというか……まあ、あれだ。一般の人から見るとちょっと特殊な感じの――いわゆるめくるめく禁断の世界。
最初はまあ普通の、と言っていいのかどうか、同性同士の恋愛関係から始まった。
このあたりはまだいい。
そーいうのがあるのは一応前世知識で知っていたから。
友人のなかには業界用語っぽく腐女子なんて呼ばれてるのもいたし、芸能人とかドラマとかでもたまにあったし、自分の周囲にはいなかったが、人それぞれだしと他人事に思っていた。
世界が違えど人間は人間。似た嗜好があって当然だ。
その上でヴィリア様は紳士教育というものの大事さを改めて説いたのである。
「ダットのような顔はそういった趣向をお持ちの方に好まれやすいのですわ」
ということを前面に押し出して。
これには流石に僕も焦った。
顔のことはあまり気にしていない部分が多かったからなおのこと。
前世はほんっとに普通の平凡な顔だったし、現世の自分が美女顔の母親似だってことは理解してても鏡を覗くなんてこともほとんどなかったから無頓着もいいとこだったのだ。
故郷のカーライルじゃそーいうのに遭遇することもなかったし。
あー、なるほど。だからそういう相手に勘違いさせないためにも女性へのアピールがことさら大事なわけだ。納得。
と、ここでヴィリア様の話が終わるかと思えばそうではなかった。
問題はここからだったのである。
鞭とか縄とか使った特殊プレイが好きな男爵様の話とか。
年端もいかない子供に好みの格好をさせる嗜好をお持ちの侯爵様の話とか。
同性を囲うために大金をはたいた商人の話とか。
段々と紳士教育の必要性の部分から離れていってないか? と思える内容になっていき。
さらには。
「そういう好色家のところには大抵人買いが出入りしていて、条件に合う子供なんかを攫うことがありましてよ」
さりげなくヤバげな部分で僕を見て意味深な笑みとか浮かべたり、触れてくるものだから、最後まで聞き終えた僕の顔は蒼白になっていた。
め、めちゃくちゃ怖かった!
逃げようにも隣にテューラさんがいて反対側には鏡で背後はベッド。八方ふさがりだったし、僕は無力にも引きつった顔でそれを聞いているしかなかった。
早く解放されたくて仕方なくて、ヴィリア様がそんな僕の様子に満足して元の格好に戻された瞬間、その場から逃げ出した。
で、母さんのところに駆け込んで、父さんが帰ってきたらその体の後ろに隠れてヴィリア様に怯えるように一晩過ごした。
二人にまた色々と心配させてしまったわけだけど、これはもう不可抗力です。
ごめんなさい。
文句はヴィリア様にどうぞー!
ああ、何故父さんに似なかったんだ、僕。と夜のベッドの上で本気で頭を抱えたよ。
あれも一種のトラウマになりそうだ。
おかげで夢見たらヤバそうだって感じになって、眠れるまで歯の浮く台詞の練習に打ち込んだ。というわけである。
そのおかげで夢見ずに済んだけど。
「……様。ダット様」
「へっ?」
名前を呼ばれ、見上げた先に僕の世話付きになっているメイドさん。テューラさんの鋭い視線があった。
「なにをぼーっとなさっているのです? 来賓の方々がお着きになられたようですよ」
「え、あ、ほんと!?」
しまった。ついうっかり現実逃避しかけてた。
「来賓の方々の出迎えは大奥様がなさっておいでです。一応ダット様とユート様もその扱いの内に入りますので、出向かれる必要はございませんが……ただ、そろそろそのぼけっとした顔を整えて頂けなければ」
相変わらずの鉄壁の笑顔で、さりげなくぐさっとくることを言ってくれる。
「あはははは。そーだねー」
ぼーっとしていた点については反論の余地はないので、から笑いするしかない。
ごまかすように視線を逸らした先には、にこにこと楽しそうにもうひとりのメイドであるルリカさんと言葉の練習中の悠斗君が。
これから色々と度胸を試されるような対応が求められるにしてはリラックスしすぎだよ。
この世界を理解しきってない状態だからしょーがないのかもだけど、こっちは理解した上での初挑戦だ。
うぅ、緊張する。
「ダット様。今からそのように戦いに赴くかのような顔では相手の方に不審がられてしまいますよ」
うん。まさにそんな感じですよ。テューラさん。
これから討ち入りに入る侍とか、僕は突入する前に死んじゃって経験してないけど就職戦線に突入する大学生とか。
そう、経験したことで例えるなら。
『入試前の学生な感じかなぁ』
「は?」
あ、しまった。つい思ったことが日本語で出ちゃったよ。
テューラさんが不審そうに見下ろしてくる。
「いや、独り言だから気にしないでください」
あはははは。
駄目だ。最近こっそり悠斗君と日本語で話したりしてるから油断すると口から出てしまう。
気を引き締めねば。
実はとっくに会場となる応接間にいるのだから。
貴族の家柄らしく高級な調度品類で飾られたその部屋は人が大の字で十人寝そべっても平気なほど広い。
そこに暖炉だのテーブルだの椅子だのがあるのでそのぶん狭まっているが、それでも十二分に広すぎた。
そこに僕は悠斗君とメイドさんたちといるわけで……まぁ、落ち着かないわな。
ヴィリア様の設けた試練も待っているわけだし。
ちなみに、さっきまで母さんもいたんだけどやっぱり落ち着かないみたいで「お、お花を摘みに……」と出て行ったきりだ。
こないだみたいなドレス姿で。
なんかヴィリア様に友人へ紹介したいのだとか言われて押し切られたらしい。
ヴィリア様の無茶ぶりはここでも健在か。
あーもう。なんだろう。おかしくないか?
僕らって一般庶民のはずなのに、どうしてこんな貴族の中に放り込まれてるんだろう。
平凡に生活できればそれでいいんだけどなぁ。
「……はぁ」
盛大にため息が出て、そしたらテューラさんに睨まれた。
あー、はいはい。わかってます。紳士らしく。ですね。
そうしているうちに母さんが戻ってきて、綺麗な顔を強張らせながら僕の手を痛いくらいに握りしめた。
めちゃくちゃ緊張してる顔だ。
せっかく綺麗に化粧して髪もそれらしく仕上げてもらっているのに。
「母さん。大丈夫?」
「え、ええ。でも胸の奥が破裂してしまいそうだわ」
「あああ、えっと。とりあえず深呼吸して。水かなにか飲んで」
周囲を見回すと、テューラさんが母さんに水の入ったグラスを手渡してくれた。
流石本業のメイドさん。手際がいい。
僕の言ったとおり深呼吸して水を飲んだ母さんは一息つくと少しは落ち着いたのか肩を落とした。
それでもまだ、体に力が入りまくりなのは見れば丸わかり。
ここはちょっと緊張をほぐしてあげないと駄目かもしれない。自分のためにも。
「ありがとう。ダット」
「ううん。母さんの慌てっぷり見てるとこっちが落ち着くから逆にお礼言わなきゃかも?」
「ちょっ、ダット!?」
母さんの頬が紅潮して少し膨らむ。
少し潤んだような碧眼で睨まれると、息子の僕でもちょっとヤバイなー。
かわいい。
喧嘩とかしてないで、こういう顔こそ父さんに向けたらいいのに。
でも今の目的はそこじゃない。
「大丈夫。母さんは美人だし、そんじょそこらのおばさんたちじゃ適わないくらい綺麗だから。いつもみたいに胸張ってれば問題ないよ」
そう言ったら母さんが面食らって目を見張った。
「要するにお茶会って町の井戸端会議と同じでしょ。友達同士が集まっておしゃべりするすのが基本だし。そりゃ相手は貴族だから多少違うこともあるだろうけど、堂々としてればいいよ。僕たちはヴィリア様に呼ばれたお客様って扱いなんだしさ」
最早お茶会は目前。ここで尻込みすればそれこそ失敗して、招待主の顔に泥を塗りかけない。
開き直って多少の失敗は笑って流した方が余程マシだ。
うん。そういうことにしておいてください。
「そ、そうかしら」
「だと思うけど」
正直自信はない。
母子で向かい合っていると、近くで「フッ」と抜けた吐息が聞こえた。
あれ? と思って見れば、テューラさんだ。
口元に手を当てて、こほんと咳払いする。
え、なに。今もしかして笑われたの?
「失礼いたしました。どうぞご歓談をお続けください」
何事もなかったかのようにテューラさんは母さんが飲んだ後の空のグラスを持って去っていった。
あぁ、なんだろう。
悔しいような恥ずかしいような、複雑な気分。
だけど。
「ふふっ」
何がおかしかったのか、母さんが笑った。
どこか入りすぎていた力が抜けたように見えたから、これでよかったのかな。
2013.2/1 サブタイトル変更