紳士教育の罠
眠っている間、僕は人形になる夢を見ていた。
それも、頭のてっぺんを糸でつり上げた操り人形になった夢。
その夢の中で僕は、自由にならない体でダンスを踊らされていた。
「……せ……ですわ」
「お……ませ……で……ね」
「……ほど……ていた……で……」
舞台の上で踊る僕の耳に観客の声が届く。
「ふふふ。お似合いですわ」
満足そうな女の人の声。
「一生このままでもよさそうだとは思わなくて」
……一生、このまま操り人形として生かされる?
ダメだ、そんなの。
どうしてこんなことになっているのかわからない。
けれど、どうすればいいかはすぐに思い浮かぶ。
人形をその場に留めているのは頭の上の糸である。
それがある限り、人形はそこから抜け出せない。
だったらどうするかは決まっている。
その糸を切ればいいのだ。
切ってしまえばこの状態から脱せられる。
はさみが欲しい。
そうイメージすると同時にはさみが現れた。
僕ははさみを持った手を振り上げて。
目が覚めた。
「………………あれ?」
目の前にあるのは観客席でなく、天蓋付きベッドの天井。
あぁ、今の夢か。
そう思うのと同時に、見たことのない豪奢なそれらは僕に疑問をもたらした。
「ここどこ」
「わたくしの寝室でしてよ」
口をついて出たのは誰にあてたものでもない問い。
それなのに返答があったことで、僕はまだ寝ぼけていた眼を見開いた。
声に引かれて視線を傾ければ、すぐ側にヴィリア様が立っている。
てことは。
「あー……」
ようやくはっきりしてきた頭で考える。
意識がなくなる直前まで椅子の上でウトウトしてたのは覚えてるから、運んでもらっちゃったんだな。たぶん。
僕は起きあがろうとして。
「ごめんなさ……」
もさっとした布の固まりが眼前にあるのに気が付いた。
それはピンクと白のレース網が折り重なったもので、その一番端っこから靴下に包まれた足が出ている。
なんだこれ。
布を押しのけようとした僕は、胸のあたりの布が引きつったことに違和感を覚え自分の体を見下した。
その目に飛び込んできたのはかわいらしい大きなリボン。
足を引き寄せれば職人技の光るレースの固まりの中にすっぽりと収まり、全体像を確認しようと膝を立てれば、光沢のある布そのものが体に寄り添う。
体を滑るような布の感触はすでに慣れたものではあったのだが、その形は今までと全く違っていた。
そういえば、股の間の感触もなにやら微妙で。
左右上下と見て触って確認した僕は血の気が引いていくのを感じる。
これはもしや。
「ドレス……?」
「正解ですわ」
してやったり、って顔だった。
やられた。
がくり、と体から力抜け、ベッドの上に手をつく。
状況を理解した途端、とてつもない敗北感が全身を駆けめぐった。
なんていうか、自分の中の男の矜持をへし折られた……的な。
ばさり、と金色の糸の波が視界に押し寄せてきたが、頭の中は最早それどころではない。
なんで女装。
しかもなんでドレスっ!
僕は男。
男なんですよ。ヴィリア様っ。
「ヴィリア様……これは……」
このときの僕は油を差す前のブリキ人形のようだったろう。ギギギ、という音が鳴りそうな感じで首を動かす。
「あら、似合っていましてよ。ねえ、カティナ。ティーラ」
「はい。お似合いです」
「お嬢様とお呼びしても問題ないかと」
「問題ありすぎだろ! 呼ばれてたまるかー!」
メイドさん共々、和気藹々と喜んでいるところに怒鳴り込む。
相手が元子爵夫人で貴族なんていう設定は綺麗さっぱり吹き飛んだ。
現時点での最大肺活量を持ってしての叫びである。当然息は上がるし、頭もくらくらしたが、ここで倒れては絶対にダメだ。
寝てる間に勝手に着替えさせられたあげく、女の格好で「お嬢様」なんてここでそれを認めたら、本気で僕の男としての本能が潰される!
今すぐ脱がなければ、という妙な危機感に襲われながら、ひらひらのスカート部分を勢いよく持ち上げる。
だが。
びっ、と途中で微妙な音がしたところでその手は止まった。
引っかかった、と思い、もう一度引っ張るが。
ぬ……脱げない。
なんだこのドレス!
ぴっちりと体にフィットした胴体部分が邪魔して、それ以上動かない。
これはあれか?
一人では着脱不能な鎧甲ってやつか?
「あらあらあら、大変ですわね」
初めてすぎて混乱に混乱を重ねているその側で、言葉とは裏腹な感情を含んだヴィリア様の震える声がしていた。
この人は……っ。
引っ張っても無駄だとわかったドレスの裾を手放した僕が睨み付けると、ヴィリア様はなんとも言えない微妙な顔をする。
「その格好でその目はおやめなさい。その気がある人間に対しては危険ですわ」
「はい?」
なにやら物騒なことを言われたような気がするけど。
「いや、この格好(女装)になったのはヴィリア様のせいですから」
「関係ありませんわ。鈍いのもほどほどになさい。あなたは自分の容姿に自覚がなさ過ぎなのですわ。少しは危機感を覚えなければ」
「だからそれはドレス着せられてるからそう見えるだけで……」
「あぁ、埒があきませんわ。テューラ、ダットのドレスを整えて。カティナは姿見を準備してちょうだい」
「「かしこまりました」」
「それから、ダット。それを一人で脱ぐのは難しいですわよ。脱がす気もないけれど」
「は!?」
真っ先に動いたのはテューラさんで、何言ってんのこの人、と唖然としていた僕は、あっさりその両手に捕まってベッドの端っこに座らされる。
手際良く、足に用意されていた靴――もちろん女の子用――を履かせられ、ドレスを脱ごうして乱れた髪やら服の形を整えられた。
「カティナ。準備は?」
「はい、こちらに」
「では、そこに置いてちょうだい」
カティナ、と呼ばれたヴィリア様と同じ年頃のメイドさんが、本人と同じくらいの大きさの鏡をベッドの側へと持ってきた。
かなり値が張るだろうと思われる装飾を施された鏡が床に固定され、準備は出来た、と言わんばかりに三人の視線が僕へ集まった。
誰も声を発しない。
しかし、言いたいことは簡単に察することができた。
つまり自分で自分の容姿を確かめろ、ということなのだろう。
内心逃げたい気持ちの方が強いのだが、ヴィリア様と二人のメイドさんに囲まれてのその選択肢はあり得ない。
はぁ、と深いため息が出るも、やれることは一つしかない。
大人しくベッドの縁から降りる。
子供用と言えども女性の靴はヒールが高く、少しぐらつく。
そこはすかざすテューラさんが支えてくれたので、転けるようなことはなかった。
鏡はすぐそこ。
向き合うために体の角度を九十度変えた僕は、一人の少女と対面することになった。
肩までのふわふわ金色の髪。
胸元についたピンクの大きなリボン。
レースが大量に使用されたピンクと白のドレスと赤い靴。
線が細くはあるが、整った顔立ちをした少女の青い瞳が鏡の中で見開かれる。
美少女と呼んで差し支えない存在がそこにいた。
「うわぁ……」
ぽかーんと呆気に取られれば、鏡の中の少女も口を開ける。
自分の顔を手で触れれば、その少女の色白の顔に同じように手が添えられる。
そう、あくまで目の前にあるのは鏡である。
顔つきも確かに自分のもの。
認めるしかない。
認めたくないけどねっ。
「ちゃんと男の格好してれば、男に見えるのに……っ」
服装を換え、鬘をつけただけでこれか。
女の姉妹とかいたらこんな感じかなーとか思わないでもないけど、あくまで目の前の鏡に映るのは自分自身。
男としての自信なくしそうだよ……凹む。
しかも。
「顔立ちがキーラに近いのですから当然でしてよ」
がっくりと肩を落としたところにヴィリア様の追撃が発動。
えーと、いや、そーなんですけど。
そーいう自覚もありますけども。
お願いだからそれ以上はヤメテ。泣くから。ていうか、こころの中ではすでに泣いてますから!
「ふふふ。とてもかわいらしくてよ。自分でもそう思わなくて?」
「いやそれ、嫌々この格好してるお・と・こに言う言葉じゃないですよねー」
「まあ。美しいものに美しいと言うのは美徳でしてよ」
「ですが、受け取る側の感性も推し量ってもらいたいなーと」
「まあ、ダットはずいぶんと難しい言葉を知っているのね」
そりゃ、普通の十歳じゃありませんから。
って、そうじゃなくて。
「えっと、ヴィリア様」
「なにかしら、ダット」
「満足したなら、着替えてもいいですか?」
俗に言うじと目で睨むように見つめると、ヴィリア様こほん、と咳払いした。
「……満足するために着替えさせたのではなくってよ。ダット」
あ、今一瞬視線逸らした。
「でも、楽しんでましたよね」
「否定はしませんわ」
しないのか。てか、開き直りましたね。
突っ込んだらいい笑顔が返ってきたよ。
「けれどこれもあなたにとって必要なことだと思ったからしたことですのよ」
「いや、女装とかいらないでしょ、普通」
そっちの怪しい趣味とか持ってるわけでもなし。
「ええ。確かに普通であれば、必要ありませんわ。けれどダット。あなたに自覚させるにはこれが一番だと考えてのことでしてよ」
ヴィリア様は言って、鏡に映る金髪の美少女を見た。
「自覚?」
はて。そういえばさっきもそんなことを聞いた気がする。
でも自覚ってなんの自覚だろう。
首を傾げた僕に、ヴィリア様は「よろしくて」と真剣な顔になった。
「これから教えることをよく覚えておいでなさい。あなたはとても聡明な子供ですもの。今はまだわからずとも、知識として知っておくことはこの先役に立つはずですわ」
うんうん、とメイドさんたちも真剣に頷いているところを見ると、これはかなり重要なことっぽい。
「まあ、あなたがそちらの趣味である場合は止めませんけれど」
「へ?」
今なんか含みがあったけど……?
なんて暢気に首を傾げている場合ではなかったことを、僕はこの後すぐ知ることになる。
2013.1/16 編集追記 2/1 サブタイトル変更