驚きはまだ続く
はたして。
「ダット。父さんだ。わかるか?」
クマのような無精ひげの大男にそう言われた瞬間の僕の心情は「寝起きにこれはないわー」だった。
だって鎧っぽいものを着込んだクマみたいな大男が勢いよく部屋に飛び込んできたわけさ。
ノックもなしに扉が乱暴に開かれて、だよ。
で、その向こうにいたのがソレとかどんな悪夢?
もう一度目を閉じて開けても同じ姿が見えたときの絶望感ったらない。
しかも見ていてすくみあがるほど厳つい顔をしているし、気合いっていうか気迫もすごいし、これで逃げたくならないとかありえない。
濃いひげ面も、迫力が増す要因だろう。
かろうじて黒髪が「あ、髪はこの人からの遺伝か」と思えるくらいで、その他が母親似でよかったというのは内緒にしようと思った。
そんな大男に肩を掴まれ迫られる状況が涙目で済んだのは奇跡だろう。
そして最初のひとことがアレ。
でもだからって言うことは母親に対してと同じだ。
「ご、ごめんなさい。わかりません」
結果?
……床に崩れ落ちて泣いてたっぽい。実際に泣いたかはわからないけど。
この人も同じか。
大男が床にうずくまっている姿がなんとも言えない哀愁を漂わせていたが、それでも母親よりは復活が早かった。
このやりとりを横で見ていた母親の方が重症で、父親がそっちの方に気遣ったからだけど、こちらの罪悪感をそそられる格好になったので地味につらい。
「なんか、さらにごめんなさい」
「いや、いい。謝るな。オレこそすまん。記憶のないお前の方が辛いだろうに」
「……そ、そうだわ。わたしが落ち込んでいたらダメよね。ごめんなさい」
謝ったら謝り返される。
本当に謝るべきはこちらなのだろうに。
さらに謝ったりしたら、ずっとこれが続きそうだからやめておこう。
「え、えっと。とりあえず、僕も状況をよく飲み込めてなくて、全然わからないことだらけで、教えて欲しいことがあるんですけど」
「なに? 何でも聞いてちょうだい!」
話を逸らすため、ではなく、本当に聞きたいこともあったため、二人を見ると真っ先に金髪碧眼の美女が身を乗り出した。
そうくると聞きづらいんだけど、どうしたって聞かなきゃはじまらない。
「名前、まだ知らないので教えてください」
二人同時にまた床に崩れ落ちたのは不可抗力だと思いたい。
どうにかふたりをなだめて、名前を聞き出したけど疑問も増えた。
新しい情報も含め、もう一度現状を把握するために整理する。
どうにも泣き上戸っぽい金髪碧眼の美女が母親で名前はキーラ。
厳めしいひげ面の大男が父親のガリオ。
母親の方は専業主婦で、父親の方は町の自警団の副団長だった。
でも自警団ってなに?
「……それも忘れたのか」
思わず聞いたらまた意気消沈された。
それでも一応説明はしてくれたのだが、これがまた僕には信じがたい話で。
「自警団は町を守る雄志の集まりだ。仕事は町の治安を維持すること。それからと町の外にいる凶暴な魔物……まあ魔獣と呼ぶこともあるが、とにかくそいつらから町を守ることだな」
「まもの?」
なんだか随分と奇妙な言葉が出てきた。
服装が鎧もつけてるし、戦う職業なんだろうとは思ったけど、そこまでいくと本当に世界が違うと感じる。
「何!? 魔物のことも忘れたのか?」
驚愕されたが、忘れたんじゃなくて、わからないんです。とは言えない。
彼はしかたない、とゆっくり説明をはじめた。
それによると、魔物とは町の外にいる危険な生き物のことを言うらしい。
「奴らは人間が自分の縄張りにやってくりゃ容赦なく襲う。逆に言えば縄張りにさえ入らなければ安全だ。ただ、はぐれたり食料がない場合は人間の住む場所にやってきて人間も襲う。力も強い。大きさや数にもよるが、基本的にちゃんと鍛えた奴か、魔法使える奴が何人かで組んでやらなければ死人が出る。中には一人でやる奴もいるが、それは特別な人間だけだな」
うん。前半は理解できる。
つまり、前の知識にある野生動物に当てはめてよさそうだ。
でも。
「魔法……?」
魔法ってあれだよね。ファンタジーな世界に付きものの。
「…………あるの?」
「あるのもなにも。おまえ十歳になった日に適性検査受けて、有りって判定されてたんだが」
「へ?」
そ、そうだったんだ。
「ダット、これ」
金髪碧眼の美女が手渡してきたのは一冊の分厚い本。
受け取ったそのほんの表紙には【魔法基礎読本】とこの国の文字で書いてある。
……ん?
この国の文字…………?
違和感にふと顔をあげる。
「どうした、ダット」
クマのような大男がこの国で使われている言葉で疑問を口にした。
あ、そっか。
見落としすぎだろう。僕。
ここは日本じゃないんだし、言葉だって文字だって違って当たり前だ。
それに世界も違うなら、魔法がある世界があっても不思議じゃない。
でもそれなら僕が読めなくてもいいはずなんだよね。
この文字、漢字でもなく、ひらがなでもなく、カタカナでもなく、アルファベットでもない。
強いて言うならハングル語? を崩してさらに細かくしたような字だ。
それを理解して読めるっていうのはこの体が、ダットという少年が覚えていたものを記憶しているから、ってことなんだろう。
「魔物って、魔法を使って倒さないといけないものなの?」
「いや、さっきも言ったが、鍛えている者であれば町の近くにいる魔物くらいなら問題はなく倒せる。罠を使えばもっと楽だな。この周辺は食料として狩ることもある。だが、剣や弓が通らない魔物もいてな。魔法が必要となることも少なくない。そして、逆もある」
「……逆」
「そうだ。魔物も魔法を使うことがある。こいつらは総じて頭がいい。昔からそうした魔物は魔獣と言われて魔物とは区別されている。こいつらと魔法使いなしで戦おうとすれば、苦戦必至だ。そして町にも入り込むことがある」
「うわぁ」
聞けば聞くほど物騒になっていく。
この国、っていうかこの世界は人の生き死にがすごそうだ。
ということは。
「魔法を身につけた方がいいってことですね」
「そういうことだな」
今の状態で魔物と遭遇したら簡単に死ねるわけだ。
これはけっこうヘビーな世界に来てしまったかもしれない。
教師の夢は現時点で難しいが、まずは身を守れるようになるのが先決だ。
幸いなことに素質はあるらしいし、手元にある【魔法基礎読本】はきっちり読ませていただこう。
「教えてくれて、ありがとうございました」
「……いや、お前のためだからな。それぐらいは当たり前だ」
クマのような大男が苦笑する。
なんだろう。少し違和感が……
「ダット。本が気になるのもわかるが、そろそろ寝た方がいい。頭も打っているんだろう。オレももう一度団に戻る。キーラ。あまりダットに構って疲れさせるなよ」
「ガリオ……その言い方は酷いわ」
「あまり構い倒すと嫌われるぞ」
「もっと酷いわ!」
それは母親と父親の軽いじゃれ合いだったのだろう。
母親は怒っているように見えたが、表情は明るい。
暗い顔ばかり見ていた僕としてはよかった、と肩の荷を下ろした感じだった。
「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい」
二人は唇を寄せ合い、そして離れる。
まさに美女と野獣のラブシーンそのもの。
子どもの前でもこれが普通なんだろうな。
ためらいがなかった。
「行ってらっしゃい」
「ああ。行ってくる。記憶、戻るといいな」
「戻してみせるわ。絶対に」
最後に僕が声をかけ、美女が気合いを入れ、そして野獣は出かけていった。
2013.6/2 改稿
2016.6/15 改稿