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頭を打ったら異世界でした。  作者: 小池らいか
第二幕 帝国への旅立ち
30/61

 閑話 「叔母の奮闘」



 ジードリクス王国の王都は緩やかな丘の上にある。

 中央には周囲を一眼出来る一本の塔が立っており、そこを中心として町が構成されていた。

 そこから伸びる街道は東西南北に一本ずつ。

 主には隣国である北のラグドリア帝国と鉱山ある南方の町への行き来が盛んとなっている。

 そこを南から北へ抜けるのがわたしたちの予定だったのだけれど。


「ガリオ、シェリナっ、助けて!」


 カーライルに店を構える商家の荷馬車でひとまず王都に向かっていたわたしたちを襲ったのは、世の中を席巻する魔物の襲撃でも野を這う盗賊の襲来でもなく。


「ダットが息をしていないのっ!」


 甥っ子の危機だった。

 お昼過ぎ。休息も兼ねた昼食を摂るために荷馬車を止めた時のことだ。

 実体を持たない魔物、【闇の死者】によって生気を奪われてしまった甥のダット。

 生きていながらその体温は死人のように冷たく、肌は青白い。

 正直、生きているのが不思議なくらいだと、ダットを診た医者は言っていた。

 だから、わかってはいたのだ。

 現在のダットの体調は長旅に出るには非情に厳しく、耐えられるかどうかはわからない。

 それでも大事な姉の、大事な息子だから、どうにかしてあげたかった。

 だから王都の友人に連絡を取ったし、手がかりが北のラグドリア帝国にあると知って本来使うはずのなかった伝手も頼った。

 どうしかして、ダットを救いたかった。

 それなのに、今ここでその存在を失うなんて考えられるはずもない。


「シェリナっ」


 姉の切実な叫びに応えてわたしは荷台に駆け寄った。

 そこで目にしたのは、ぐったりとした息子を抱きかかえて涙を浮かべる姉。そして難しい顔で息子に手を伸ばす義理の兄の姿。


「落ち着け、キーラ」


 義兄が姉を宥めているものの、腕に抱えたダット以上に蒼白に見える彼女は必死に目の前の出来事を否定しようと頭を振る。


「いや、いやっ」

「キーラ」


 姉の名を呼びながら、義兄がその肩を抱く。けれどその視線はわたしの方へ向いていて。その意図はすぐに理解した。


「姉さん。退いて」


 荷台の中ではよくわからない。

 わたしは、姉の腕の中からダットを奪い取るように抱き上げるとそのまま外に連れ出した。

 気がつくと商人のサリムが心得たように道ばたの草むらをかき分け、寝かせる場所を作ってくれていたので、そこへ降ろす。

 姉さんは息をしていないと言っていたので、まずはその確認をしなければ。

 ダットの胸のあたりに耳を押しつけて、生きている証を捜す。

 鼓動の確認。

 医師から聞いたり、書物で得た付け焼き刃の知識だけれど、間違ってはいないはずだ。

 耳を押し当てたその場所。

 とくん、と脈打つ感覚を得たのはそれからすぐのこと。

 だが、胸をなで下ろしたのも束の間。それは酷く弱々しいもので、紫色に近い唇から漏れる呼吸も姉が息をしていないと言ったのも頷けるほど浅い。


「どうですか?」


 サリムが不安げにこちらを見る。


「……わからないわ。生きてはいるのだけれど」


 見下ろした甥っ子の顔は、死人と言ってもいいような白さを纏っていた。


「早く医者に診せた方がいいわ。王都にならいい医者もいる。友人にも頼れるし、馬車全体に【疾風走行】を使えば時間もかなり短縮できる」


 これは本来なら自身に掛けて使用する魔法だが、その範囲を広げれば自分を中心とした一定の空間に作用させることも可能だ。

 しかし、自分一人なら制御も難しくないものの、それを荷馬車全体にとなると非情に繊細な制御が必要となる。

 ここから先、馬車の往来は激しくなるのだ。

 無理に急いで制御を間違え、正面衝突などしようものならダットを救うどころではない。

 それでも、だ。

 この命を救うためにできることをしなければ。


「すぐに準備できる?」


 サリムに問えば「多少強行軍になりますが……大丈夫でしょう」とすぐに返答があった。


「お願い」


 わたしはサリムに頷いて、すぐにまたダットを見下ろした。

 絶対に助けなければ。

 姉と義兄の間には、この子しかいないのだから。

 ダットが死ねば、おそらく姉はそのあとを追う。

 これまでの姉のダットへの行動を思えば、それは簡単に予想できた。

 だからこそ、投げ出されるようにして無造作に地面に置かれた小さな手。この手にはまだまだ大きくなってもらわなくては困るのだ。

 わたしはそっとその手に自分の手を重ね。


「……え?」


 目の前が、歪むのを見た。

 青白い光が一瞬目の前を過ぎったかと思うと、ざわりと全身の肌が粟立った。

 それはわたしに強烈な恐れを抱かせ、その場から一歩後ずさらせた。

 そう。ダットの手を振り払って。


「っ!?」


 それは正に一瞬のことだったのだろうと思う。

 わたしは地面に尻餅をついていた。


「あ……?」


 何が起きたのかさっぱり理解できず、わたしの視線は呆然と中空を彷徨った。


「今のは、なに?」


 何か激しい運動をしたわけでもないのに、体に力が入らない。

 まるで体中の力という力が自分という生き物の中から抜けてしまったかのようだった。

 激しくなった動悸と、混乱する頭を抱えてただ座り込んだわたしは、ふと直前に手放したダットの手の甲が僅かに光を帯びているのを見て硬直した。

 それは見ただけで肌寒さを感じさせるに足る青白い光。

 【闇の死者】がダットに残したという印のことはあらかじめ聞かされていて知っていた。

 けれどこんな。


「光るなんて、聞いてないわ」


 しかも先ほどわたしが感じたあの恐怖感。そしてこの虚脱感。

 もしかしてあれが、ダットの命を脅かす元凶なのだろうか。

 だとしたら、あの恐怖をなんとかしてダットから引き離さなければいけないということになる。

 でも、どうやって?

 方法がわからない。

 いや、だからこそ、それを知るためにラグドリア帝国へ行くのだ。


「大丈夫。きっと、大丈夫よ」


 わたしはそう願って、目を閉じる。


「シェリナさん。準備が出来ました!」


 サリムがそう声をかけてくる。

 迷っている時間はない。

 声をかけられて我に返ったわたしは、力の入らない体を叱咤した。

 動けないわけじゃない。

 手も、指も、足だって動く。

 それを確認して、ダットの体に手を掛ける。

 一瞬だけ先ほどのようなことになったなら……という思考が頭を過ぎったが、そんな躊躇いは無用だったらしい。

 何が起こるでもなく、ダットの体はわたしの腕の中に収まった。

 その胸は正常に上下し、そして左手はもう光ってはいなかった。




 王都へ向けて走る荷馬車。

 わたしは魔法を惜しまなかった。

 ダットに触れて力が抜けて少しばかり体が怠かったりしたわけだけれど、甥っ子の為と思えばそんな些細なことは気にならなかった。

 王都の城壁をくぐったのは夕暮れにはまだまだ早い時間帯。

 王都が近づくに連れて行き交う人も馬車も増えるので魔法は途中から諦めた。それでも夕暮れ直前に到着予定だったことを考えれば、時間は短縮できたと思う。

 その間ダットの症状は小康状態で、むしろキーラ姉さんの方が死にそうな顔色をしていた。ガリオ義兄さんが横になるように言っていたのに、ダットの手を握って離さなくてそちらの方が心配だったくらいに。

 そんなこともあって。

 サリムとの約束は城下町の店舗まで、ということだったが急遽荷馬車で町医者の所まで運んで貰えることになった。

 それに予定より早い時間だから、世話になる予定の家の家主との待ち合わせの場所に行っても恐らく迎えは居ないだろう。

 もしかしたら、今夜は町医者のところで一夜を明かすことになるかもしれない。


「いや、困ったときはお互い様というじゃないですか。こういう事情ですし、こちらもわかって護衛をお願いしたんです。幸い何事もなくここまで来ましたから。大丈夫ですよ」


 サリムはそう言ってくれたけれど、流石に最後までこれでは格好がつかない。

 ガリオ義兄さんも渋い顔をしていて、あとで必ず顔を見せるからということで報酬は受け取らずに、話は一旦切り上げられた。

 一家総出で駆け込んだ町医者は義兄さんの腕に抱きかかえられたダットを見るなり、寝台に寝かせるように指示した。

 姉さんもひとりで歩かせるには心許なくて、わたしが肩を貸す形で同じように寝台に寝かせられた。

 そのとき、ダットの側に行きたいと強く願っていたわけなのだけれど、わたしの脳裏にはダットの息がなかったに等しいあの瞬間の出来事があって、姉さんを留めることにした。

 姉さんの顔色はよくない。それに、以前よりずっとやせたように見える。

 元々そんなに強い心を持っているわけではない女性だから、ダットに神経を使うあまりこうなったのだと思っていたのだけれど。

 あれを体験してしまった以上、今の姉さんをダットに近づけるのは危険に思えた。

 わたしの考えているそれが確実とは言えない。

 でも、その可能性があるのならそれをしては駄目だと思った。

 あの瞬間に感じた恐怖と虚脱感。

 あれが多分生気を抜かれるということなのだろう。

 体から何かが抜けていったとはっきりとわかった。

 おそらくあれは【闇の死者】という魔物の能力そのもの。

 そしてダットの左手の印はおそらくその能力を発揮したから光ったのだ。


 ダットを死なせないために。


 そう。思えば奇妙なことばかりだった。

 【闇の死者】が人間に印をつけるなんて話は今まで聞いたことがなかった。

 【闇の死者】に触れられた人間は本来、遠くない死を待つだけの存在となるのが常だった。

 それなのに、またダットと出会うために印をつけるなんておかしな話だ。

 近い将来、確実に死を迎えるだろう人間相手にすることじゃない。

 ダットが語ってくれた、ダットの持つ力を求めているという話を信じるのならなおのことだ。

 だからこその【印】。

 そう考えればつじつまは合う。


「なんてこと」


 ダットはとんでもないものを背負ってしまっている。

 よりにもよって【闇の死者】によって生かされているなんて。

 そして、ある可能性に気付いてわたしは愕然とした。

 もし姉さんの今の状態がそのせいだとしたら、姉さんはもしかしてダットのその能力に気がついているのではないだろうか。

 わかっていて、姉さんはダットに自分の生気を与えているんじゃ……?

 ダットは姉さんの生き甲斐のようなものだもの。

 あり得る。

 わたしはダットを診る町医者の後ろ、寝台に横たわった姉さんの手を握るガリオ義兄さんを呼ぶことにした。

 今の考えが事実で、わたしが姉さんを止めたとしても、姉さんはきっとそれを止めるとは言わないだろう。

 わたしでは止められない。

 止められるとしたら、それは義兄さんとダット本人だけだ。

 だから。


「ガリオ義兄さん」


 姉さんのことは町医者の助手という女性にまかせて、わたしは病室の外で義兄さんに話すことにした。


「なんだ?」


 厳めしい顔つきの義兄さんだけれど、その顔には心配だという心情がすぐにわかるくらいに現れていた。

 そこに、更に不安を掻き立てるようなことを言うのは気が引けたが。


「実は、ダットと姉さんのことで相談があるの」


 二人の命にかかわる問題だ。言わないわけにはいかなかった。

 ダットの先ほどの症状からにはじまり、左手のことまで。

 うまく話せたかはわからない。ただ、義兄さんは黙ってそれを聞いてくれた。


「……そういうわけで、姉さんとダットはしばらく触れさせないで。ううん。本当はわたしも義兄さんもダットには触れない方がいいのかもしれない。でもそんなことは出来ないだろうから、せめて姉さんはこれ以上、ダットには近づけないで。このままじゃ、死んでしまうかもしれないわ」


 まだわからないけれど、もしわたしが感じたあの感覚が【闇の死者】の能力であるのならば姉さんもダットのようになってしまった可能性もある。

 だから。


「冗談だろう、と言いたいが。それならつじつまも合うか」

「え?」


 義兄さんはどこか納得したように唸った。


「実はキーラが言っていたんだ。自分の生気をダットに分けられるなら分けてあげたいのだと、ダットの手を握りしめて真剣に祈っていた。オレもそのときは同意見だと言っておいたんだが」


 義兄さんは深いため息を吐いて。


「キーラの様子がおかしいことには気付いていた。だが、まさか本当にそんなことだったとは。てっきり心配のしすぎでああなったのかと思っていたんだが」

「ええ。わたしもそうだとばかり。でも、あれを体験してもしかしてと思ったの。姉さんならやりかねないわ」

「まったく困った妻だ。夫に相談もなく」

「そうよ。義兄さんにも言わないなんて」


 はぁ、とお互いの顔を見合わせて「仕方ないわね」と苦笑する。


「姉さんのダット思いは今に始まった事じゃないわ。昔からよ。下手すると義兄さんより大事そうに見えるもの」

「…………はぁ。オレは本当に愛されているのか疑問だ」

「大切、の中には確実に入ってるはずよ。まあ、今回のことは明らかに行きすぎだから旦那様から叱ってあげて? そうしたら、反省くらいすると思うわ」

「だといいが」


 病室の方へ視線をやって、義兄さんは肩をすくめる。


「大丈夫よ。わたしから見て、義兄さんたちは理想の夫婦だもの。姉さんだってそこまでバカじゃないわ。だから姉さんとダットのことは義兄さんに任せる。わたしはちょっと出てくるわね」

「何処へ?」

「お世話になるはずの人の所へ連絡を取るわ。二人とも今日は動けないかもしれないでしょう。だから行ってくるわね」

「ああ、そうか」

「出来るだけすぐに戻ってくるわ。だから、見張りよろしくね」


 わたしはそう告げて、町医者の家をあとにした。




 わたしがジードリクスの王都に来るのは一年ぶりになるけれど、懐かしんでいる余裕なんてなく。

 世話になる予定の家、というか屋敷は王城に近い場所にあるので途中まで乗合馬車を使い、そこから徒歩であまり人気のない場所を行くことになった。

 学生時代に何度も行った道であるし、迷うこともないけれど、少しばかり心細いのはダットや姉さんのことがあるからだろうか。

 雑多な商店街と違って、人気のあまりない石畳の道は身分の高い人々が通る生活路であるためかどこか整然としていて自分が場違いな場所に来ているのだと思わされる。

 それはまぎれもなく事実ではあるのだけれど。

 乗合馬車とは違う優雅な作りの馬車と何台かすれ違った時だった。

 そのうちの一台が急停車する。


「シェリナ!」


 聞き覚えのある声に振り向けば。


「……ジラルド様?」


 金色の混じった茶色の髪の青年が、大慌てで馬車から降りてくるところだった。

 ジラルド・ファロイ子爵。

 顔立ちは多分、整っている方だろう。魔法学校時代、同期の女子に彼と知り合いであることを羨ましがられたこともある。

 仕立ての良い服を纏ったその彼は、一年前に会ったときと変わらぬ様子で満面の笑みを浮かべてわたしの元へやってきた。

 そしてわたしの手を取って。


「やあ、シェリナ。相変わらず綺麗だね」


 軽くその手に口づける。

 そうした貴族の淑女扱いにわたしは気後れしてしまいがちなのだけれど、まあこの人は家柄が家柄だし子爵という立場もある。貴族同士の社交界にも出慣れているわけだから、これぐらいは当然といつも思うことにしている。だからと言って戸惑うのは止められない。


「や、やめてください。こんな往来で……」

「なに。ここはそう人通りがあるわけでもなし、見られていても困ることはない。君は独身だし、私も独身だ」


 茶目っ気たっぷりに片目まで瞑って言うその姿には好感を覚えなくもないけれど。


「でも、わたしは……」

「ああ。わかっている。わかっているとも」


 彼はしたり顔で頷いた。


「君にはちゃんとした相手がいる。それはもちろん知っているよ。けれど、まあそれはそれ。君の想い人には勝てないだろうが、君を想う気持ちは誰よりも持っているつもりだ。それを押しつけるつもりはない。ただ、やはり妬けるのでね。学生時代にきっぱりと振られたのに、未だに君に未練のある男のつまらない愚かな行為だと笑ってくれていい」

「……ジラルド様」

「おっと。謝るのはなしにして欲しい。惨めな人間を更に惨めにするだけだからね。それでも、私は君を我が家へ招待するのは嬉しいんだ。例え招待主がここにいない弟だとしてもね」


 ジラルド様はそう言って笑うとわたしの周囲を見回して首を傾げた。


「ところで、一人で来たのかい? 姉夫婦と甥っ子が一緒に来ると聞いていたんだが……」

「あっ」


 そうだった。

 懐かしい気持ちに囚われて忘れかけていたけれど、それどころではなかったのだ。

 慌ててわたしはここまで来た経緯を掻い摘んでジラルド様に話す。


「それで君だけこちらに?」

「はい。そうしたらジラルド様に声をかけられて」

「そうだったのか」


 ジラルド様は少し考えて。


「ちょうどこれから君たちを迎えに行こうとしていたところだったんだ。弟は最近仕事が佳境に入ったらしくて手が離せないので、代わりに私が。そうか。それならば急いだ方がよさそうだ」

「え?」


 わたしを馬車へ誘う仕草を見せた。

 戸惑うわたしに彼は。


「町医者も悪くはないが、貴族医院に名医と呼ばれるいい医者がいる。性格に少々難があるが、腕は確かだ。幸い医院はここからそう遠くない。君たちの滞在中は元々その医者を紹介するつもりだったんだ。今から手配して……その甥っ子をファロイの屋敷に運べばすぐに見てもらえるはずだ」

「え……でも」

「友人が困っているのを見過ごせるはずがないだろう。それに町医者の所は家族を泊められる場所がないと聞いている。それなら全員一緒の方が安心だろう?」


 それはジラルド様の言う通りで、わたしはそれ以上何も言うことが出来なかった。


「では……お願いします」


 なんだか申し訳ない気持ちと感謝とで胸がいっぱいで少し涙が出そうになったけれどなんとかこらえて、わたしはジラルド様の言う通りに馬車に乗った。

 それからほどなくして、彼が遠くないと言った通り貴族医院にはすぐに辿り着いた。

 研究者も多く在籍しているという王立機関だけあって建物もそれなりに大きく、隣には医師や文官を育成するための学院が存在している。

 士官学校や魔法学校とはまた違った雰囲気を醸し出すその場所で、わたしはしばらく馬車の中で一人待たされた。

 わたしの格好が旅装束だったのと、貴族御用達の医院だったから、というのが理由だ。

 ジラルド様は「すまない」と言っていたが、こればかりは仕方ない。

 それでも戻ってきた彼は。


「約束は取り付けた。一応の事情も話しておいたよ。用意が出来たらファロイの屋敷まで来てくれるそうだ。さ、甥っ子を迎えに行こうか」


 どこかほっとした様子で馬車を城下町へ行くよう促した。




 町医者の所へ戻って、姉さんとダットを引き取って、二人とジラルド様を先にお屋敷に見送って、わたしとガリオ義兄さんはサリムの所へ顔を見せてからお屋敷へ行くことになった。

 そこでやっとわたしは、王都に辿り着いたのだと思うことが出来た。

 サリムの所へ顔を出して、少し早い夕食を共にして、日も沈んだ頃。

 報酬を受け取ってファロイの屋敷へ行くと、一家総出で歓迎された。

 まあ、魔法学校時代には何度か訪れたことのある家なのだし、ファロイ家の面々は気さくだし、ほっと一息吐きはしたものの、気になったことが一つ。

 それは臭い。

 なんだかよくわからない異臭が屋敷の中を漂っていて、みんな何故か嫌な顔をしつつ誰も文句を言っていなかったのだ。

 気になって尋ねてみたら。


「え、と。それはですね」


 ファロイ家の末の娘、現子爵の妹である少女が教えてくれた。

 どうやらジラルド様が手配してくれた医者の用意した薬湯の臭いだそうで。


「ええ、まあ。ニオイはちょっと困るのですけど、実際に効く薬湯を作って下さる方なので」


 などと言いながら、苦笑いを浮かべていた。

 多分、実体験があるからそう言っているんだろう。

 案内された客間に荷物を置くと、湯浴みが出来るように準備がされていて旅の汚れをまず落とすように言われた。

 貴族の屋敷であるわけだし、それはある意味当然だ。

 というか、体にぴったりの着替えまでしっかり準備されてたのは……気にしないでおこう。

 問題の医者に会ったのは、湯浴みをして着替えてファロイ家の応接間に呼ばれてからだった。

 そこには居心地が悪そうに大きな体をどうにか縮めようとするガリオ義兄さんとジラルド様それからジラルド様の弟で友人のルーク、そして……


「ようやく来たか」


 ふんぞり返るかのように布張りの椅子に腰掛けた細い目の、神経質そうな男が待っていた。

 彼は自らを医師であると言い、同時にラリー・ルーヴェンス男爵だと名乗った。


「ここには医師として来ているのだ。私のことはルーヴェンス医師と呼びたまえ」


 実に偉そうに言うものだが、ある意味貴族らしい態度であるので大人しく挨拶だけしておいた。

 そして回りくどいことはなしにして。


「結論から言おう」


 ルーヴェンス医師の診断結果を聞く。


「母親の方は少々弱っているが、じっくりと養生すれば問題はなかろう。毎食後に薬湯を用意する。ただ、体力も随分弱っている。最低でも三日は寝台で大人しくしてもらう」

「……そうですか」

「それから、子どものほうだが」


 ルーヴェンス医師はそこで一旦区切ってガリオ義兄さんの方を見た。


「私自身あのような症状を見るのが初めてだ。書物での知識を総動員するしかないが、あれは小康状態というやつだな。というより、あれが普通の状態なのだろう。一応薬湯は準備して飲ませたが、効くかどうかはわからん。知っての通り、アレに薬はほとんど意味はない。生きるための活力を奪い去られている状態だ。いつ死んでもおかしくはなかろう。特に彼のような子どもは弱るのも早い。が――」


 再びルーヴェンス医師は発言を区切った。


「私は少々特異体質でな。魔法を操る素質はそれほど持たないが、人の体に宿る魔力の流れが読める。これはそれを含めた私個人の見解だが……あの坊やは普通とは言えぬ」

「普通じゃない?」

「うむ。これは現在の医学的にも証明されている事実だが、病で弱っている人間の魔力の流れは鈍くなる傾向にある。病を得た魔法使いの魔法制御が上手く出来なくなったり、失敗する可能性が高まるのはこれが原因とされている。それは魔法の素養がない人間も同じで、その場合は取り込まれた魔素の排出がうまく出来なくなる。それで熱が出るなどの症状に繋がるし、どんな病かも大体の所はわかるのだが。しかし、あの坊やに関してはそれが当てはまらない」

「え……?」

「坊やの魔力の流れは奇妙なのだよ。本来なら体内で循環しているはずの魔力が、内から外へ流れ出ている。そう。体内に魔力が留まらない。言うなれば、常に魔力を消費して魔法を使っているようなものだ」

「ちょっと待って下さい。だとしたら……」

「人の体には限界がある」


 それ以上何も言えなくなったわたしを見てルーヴェンス医師は話を再開させた。


「魔法には精神力も必要だが、その精神力にも限界がある。魔素を魔力へと変換する器にもそれは言える。酷使すれば当然、その影響は体にも出る。二十年程前のもので、書物としても纏まっていなかったために少々捜すのに骨が折れたが、一例だけその手のことに関わる記述も見つけた」


 ばさ、とわたしたちの目の前に置かれたのは随分色あせた書類の束。


「だが残念ながら治療法については書かれていない。この患者はこの医者が診てすぐに息を引き取ったらしい。それでもこの医者が書き残したこととあの坊やの類似点から見て想像は出来る。おそらく【闇の死者】に襲われた者の死因は……」

「【闇の死者】は生者の生気を奪う。奪われた者はそういった体の代謝を狂わされる。そして狂わされた結果、死に至る……?」


 つまりダットを治療しようと思うならば、その狂った代謝をどうにか正常に戻さなければならないということで。


「どうにか、なるんですか?」


 その問いは。


「現状、この国ではどうしようもない」


 淡々とした声で返された。


「だから帝国へ行くのだろう? あちらには専門の研究機関があると聞く。悔しいが、あちらならば治療法が確立されている可能性は高い」

「ええ」

「しかし、あの坊や……他にも奇妙な特徴があるだろう」

「え?」

「左手だ。左手の甲、そこの痣だ。あれは実に興味深い。あれはどうやら触れた人の魔力を吸い取る性質があるらしいな。いや生気、と言うべきか」

「!!」

「坊やはおそらくあれのおかげで生き延びている。あれに生かされていると言ってもいいだろう。あれはそういう意味を持つものだ。その結果、母親が弱ってしまったようだが」

「そこまでわかるんですか!?」

「私は自分が特異体質だと言ったはずだが?」


 ルーヴェンス医師はあきれたように苦笑すると腕を組んだ。


「詳しくはわからん。許しがあれば私が研究したいところではある。それはともかく、彼に触れる時には注意が必要だ。特にあの母親は……しばらく近づけない方がいいだろう」


 それに関してはわたしも同意だ。


「あの坊やにも……体調には配慮すべきだろうが、しっかりとそれを伝える必要がある。母親を死なせたくないのなら、必要以上に触れぬことだ。それは明日にでも伝えてかねばなるまい」

「でも、まだ子どもですよ」

「かと言って、伝えねばなにか間違いが起こってからでは遅かろう」


 ルーヴェンス医師が言うことは正論だ。

 でも、ダットはまだ十歳だ。

 こんな残酷な事実を伝えて、もし受け止めきれなかったら……?


「シェリナ」


 右隣に座るガリオ義兄さんが、悩むわたしの肩に手を置いた。


「心配するな。ダットなら大丈夫だ」


 見上げた先で合ったその目は、子どもを信じている親の目だった。


「ダットはそこまで弱くはない。キーラも……ああ見えて芯は強い。なにかあれば、オレもいる。シェリナもいる。だから大丈夫だ」


 まっすぐと、自分が信じているものを信じている力強い言葉を放つ義兄さんに、わたしはまぶしさと安堵を覚える。

 この人がいるなら、二人はきっと大丈夫だと思えた。

 だから。

 わたしもしっかりしなくては。

 この三人を、支えられるように。 


「わかったわ」

「では、都合がつき次第、話すとしよう」

「ええ」


 どんなに辛いことでも、受け止められるように。

 わたしも、この人たちの家族なんだから――――



2018.07.10 改稿

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