そして現在。
――――なんて。
そんな前世のことを思い出したのは、たぶんっていうか絶対、あのすっっっごくおいしくない薬湯のせいだ。
いや、そもそも薬湯に美味しいもなにもないかな。
「ダット? どうしたの。気分が悪くなったの?」
眉間にしわをが寄っていたのを見逃さなかったのだろう。
今の母……カーライルでは一番の美人と言われていたキーラお母さんが心配そうに僕を見ていた。
「あ、ううん。ちょっとまだ、あの薬湯の味が口に残ってる感じがして気持ち悪かっただけだよ。お水、もらえる?」
「あら、そうだったの」
お母さんが苦笑いを浮かべているのは、本人もそれを実感しているからに違いない。
高級そうな水差しから、高級そうなコップに水が注がれた。
いかにも高そうなものだけど、用意された物がそれなんだからしょーがない。
「ありがと」
差し出された水の入ったコップを慎重に受け取るとひんやりと冷えていた。
それをごくりと何口か飲んで一息つく。
「ところでお母さん。お父さん、まだ姿を見てないけど……大丈夫なの?」
「えっ、ああ。大丈夫よ。今日はサリムさんのところに報酬をもらいに行くと言っていたから、そのあとにこのお屋敷へ戻ってくるはずよ」
「そっか。じゃあ、お父さんが戻ってきたら、三人でお母さんの料理が食べたいなぁ」
「えっ」
何気なく言った希望に、お母さんが驚いた。
前世よりも料理が未発達な世界だから美味しいと感じられる料理は少ないけれど。
でも……前世を思い出したせいかな。
無性にお母さんの手料理が食べたかった。
「ダット……」
お母さんが碧眼を潤ませる。
「あ、でも、ここ、居させてもらってるわけだし……すぐには無理かもだけど」
「すぐお願いしてくるわ! ダットのためだもの」
有言実行。
お母さんはすぐに立ち上がり、僕のお願いを叶えようとして。
「許可せんぞ」
背後にいた人物に即止められた。
……そういえば、この人がいたんだった。
白衣に身を包んだ、神経質そうな目をしたお医者様が。
「ルーヴェンス医師……」
「それぞれの体調を考慮して面会は許したが、それ以上は双方ともまだ許可は出せん」
「で、でも。せっかくダットが食べたいって言ってくれたのに」
「栄養の面も合わせた薬湯を用意しているのだぞ。普通の食事などいらぬくらいだが?」
「…………」
「…………」
あの、脅威を感じるほどの物体が? とは口に出さないけれど、お母さんも僕も、なんとも言えない顔で黙る。
「なにか言いたそうだな」
「い、いえ。別に」
「ならば、今しばらくは薬湯でかまわんな。特に、そちらの坊やは落ち着いたと言えど、まだ油断できん。母親なら興奮させるようなことは控えるべきだろう」
「申し訳ありません……」
ルーヴェンス医師の厳しい視線にお母さんは完全にしょげている。
医者の言うことは絶対だ。
でも。
「大丈夫だよ。お母さん。僕が元気になってから食べさせてくれたらいいよ」
「……ダット」
これから先、お母さんの料理を食べられる日はいくらでもあるはずだ。
僕が元気になれば。
「私もいつまでも許可しないとは言っていない。許可できる日がくれば伝えよう」
「はい!」
ルーヴェンス医師の同意も得たお母さんの顔が明るくなる。
「まあ、当分先のことになるだろうが」
余計な一言もついてきたけど、お母さんの顔色は柔らかくなったままだ。
「元気になったら、たくさん作るわね」
「うん。待ってる」
よかった。
お母さん、ほんとに強くなってきてる気がする。
カーライルに居た頃だったら、暗い顔のままだったはずだ。
だからほっとした。
でも。
「その前に二人とも、薬湯の時間だ。飲みたまえ」
「ひっ!?」
「うぇっ!?」
まっずい薬湯の前にはそれも役には立たない。
ごくり、とつばを飲み込み、顔を見合わせれば。
お母さんは絶望の表情を浮かべていた。
たぶん、僕も。
…………うん。ほんと、死ぬかと思う不味さでした。
どろっどろのえげつない匂いを発していた薬湯を飲んだ母さんが青い顔をしてお屋敷の使用人さんに部屋を連れ出され、僕自身も耐えきれず柔らかなベッドに沈んでからおそらく数時間経った頃。
コンコンと数度扉を叩く音にふと目を開ける。
そのままぼんやりとしていると、寝ていると思ったのかそのまま扉が開き、数人の男女が部屋に入ってくる。
目をこすり、そして。
「あれ……?」
声を出せば、その数人の男女がぴたりと止まって僕を見る。
「あら、ダット。目が覚めていたの?」
最初に口を開いたのは、金髪碧眼の……
「シェリナ叔母さん? それに……お父さんまで」
「ああ」
短く僕の声に応えたお父さんたちは、また僕の居るベッドに近づいてきた。
「よかった。あなたが目覚めたことは姉さんから聞いていたけれど、心配していたのよ」
「うん。ごめんなさい」
ほっとした様子の二人の表情に、僕はどれだけみんなに心配を掛けてしまったのか自覚する。
というか、今までずっと心配しかされてない気がする。
どうしよう。
「もう。そんな顔しないでちょうだい。責めているわけではないのよ」
両頬を手で包んで、シェリナ叔母さんが笑う。
「こればかりはね。仕方ないことだもの。わたしたちもいざというときは覚悟してるわ。ね、義兄さん」
「ああ」
お父さんもまた、僕の頭に手を乗せて頷く。
「でも、本当に良かったわ。ダットの目が覚めて。流石に今回は……わたしも駄目かと思ったくらいだから」
「え……」
それはどういう意味だろうか。
という思いが浮かんだ僕に、叔母さんは笑いかけ。
「ちょっとね。いろいろとそのあたりの件で、話があるのよ」
「この私を含めてな」
微妙な顔をして振り向いた彼女の視線の先にいたのは神経質そうな顔のルーヴェンス医師だった。
自然と僕の顔は引き攣ってしまったわけだけど、彼がそんなことを気にするわけもなく。
「少し失礼する」
とシェリナ叔母さんとお父さんをかき分け、僕の前に来た。
そして、脈を診たり、胸を開いて胸の音を聞いたり触診したのち。
「ふむ。少しは落ち着いたようだ。調合した薬は効いたらしい。これならば……まあいいだろう」
「ですって。ガリオ義兄さん」
「ああ」
一体事前になんの話し合いがあったのかわからないけど。
「えっと、なに?」
体を起こして、背中にクッションを詰め込んで支えられるようにベッドに座った僕にシェリナ叔母さんが「大事な話があるのよ」と告げた。
「大事な、話?」
「そうよ。大事な話なの。でも、正直わたしはダットに今話すのはどうかとも思ったのだけれど、ガリオ義兄さんがダットにも聞かせるべきだって譲らなくてね。先生の許可があればっていうことで、三人でここに来たのよ」
「それって――」
「ダットの体についてのことだ」
お父さんの言葉に、僕は「あぁ」と声を漏らす。
「キーラには、また後で話す」
「だよね」
前よりも強くなった印象のあるお母さんだけど、それでもいろいろとありすぎて心身の疲労が酷い状態なわけで。
大事な――それも僕の体についての話っていうことは、かなり重い話になるんだろう。
だとしたら、その内容を精査して少しでも軽い話として伝える方がまだまし……と考えたのかもしれない。
「まあともかく。これは大事な話だから、じっくり話しましょうか。腰を落ち着けてね」
シェリナ叔母さんはそう言うとベッドのそばに椅子を用意して座る。
お父さんも僕の側で、ルーヴェンス医師もつかず離れずの場所で。
「あのね、ダット。これは、あなたの将来に関わる大事な話よ。それも、あまりよくない種類の話。でも、率直に言うわね」
「……うん」
「左手の、【印】のことよ」
印、と言われて僕は左手の甲を見る。
「ソレ、不味いわ」
「不味い?」
「ええ。ものすごく、ね」
シェリナ叔母さんはそう言って顔をしかめる。
「ダット。あなた、このお屋敷に来る直前のこと、覚えてる?」
「……あんまり」
気分が悪くなって、荷馬車の中で横になって、そこから先の記憶はない。
「実はね」
シェリナ叔母さんは言いにくそうに、でも言うべきことだという顔で告げる。
「ダット。あなた……一度死にかけたのよ。荷馬車の中で」
「えっ」
「まあ、こうしてこうやって話していることが奇跡みたいだって思えるくらいだけど……でも実際は奇跡というよりも……悪夢、かしらね」
叔母さんが言うことが、よくわからない。
「あぁ。まあ、なんていうのかしら。とにかく、あなたが助かったのは、その印のおかげ……みたいなものなのよ。忌々しいことにね」
「どういうこと?」
「ああもう! ほんっとに言いたくないのよ。こんなこと!」
首を傾げれば、叔母さんが苦悩に叫ぶ。
「ダットが助かったのは、その印が生気を吸い取ったからよ」
「…………え?」
なに、どういうこと?
「ダットが息をしてない。それに気がついた姉さんに呼ばれてね。そうしてダットの左手に触れた瞬間、その左手の印が光を放ったのよ。驚いたわ。全身の力が抜けて、目眩がした。なにが起こったのかわからなかったわ。でも……あれがそうだったのね。ダットは息を吹き返したわ。つまりはそういうことよ」
「え……なに、それ。じゃあ」
「……本当に言いたくないけれど。ダット。あなたは、あの忌々しい化け物と同じ力を持ってるのよ」
頭が、真っ白になった。
次回は閑話シェリナ叔母さん視点です。
2018.07.10 改稿