懐かしい夢。
「不味っ、なんだコレっ」
帰宅してすぐ。
テーブルの上に無造作に置いてあったクッキーの山に手を伸ばした僕は唖然とした。
なんとも言えない塩加減の激マズ物体。
これは口の中が辛い。
「み、水……」
「あっ! ちょっ、誠也おにーちゃん、それダメっ!」
「……亜由美?」
明らかに塩と砂糖を間違えたとしか思えないソレはどうやら、たった今台所に入ってきた妹の作品らしい。
かなり慌てて、僕が一口かじったクッキーを奪い取った。
「ソレ、失敗作! まさか食べた!? 水!」
「あー、うん。食べたけど。っていうか水頂戴。マジで」
正直、舌が痛いレベルだ。
「わーん。なんで食べるの? ラップしてなかった?」
「してなかった」
「げっ、最悪!」
はい、お水! とコップを渡されて飲む。というよりもううがい状態だ。
台所にぺっと水を吐くが、まだ辛い。
「亜由美……こんな劇物誰に渡す気なんだ?」
「劇物言うな! っていうか、友だちにレシピもらったから作ってみたの! そしたら塩と砂糖間違ってたの! それだけよ!」
「いや、普通塩と砂糖間違えないだろ」
「まっ……間違ったんだからしょうがないでしょ!」
亜由美は痛恨のミスだ、と言わんばかりに涙目だ。
まあ、他のものを作ったりするときにはそれなりのものを作れるわけだし、たまたま間違えたんだろうけど。
「だからってクッキーでこれはないだろ。どこのドジっ娘だよ」
「うっ」
かなり自分でもショックだったんだろう。
表情が暗い。
「これ、どうするんだ?」
実際問題、美味しく頂くのは無理だ。
生ゴミとして処理するのが一番の方法だろう。
でないと、僕みたいな被害者が増える。
「うぅ……捨てようと思ってたんだけど食材もったいなくて、迷ってたらお兄ちゃんが食べちゃったから」
「いや、そこはすぐ捨てていいと思う」
「やっぱり?」
「誰に食べさせる気だよ」
取っておいたところで、ろくなコトにはならないのは目に見えてるしなぁ。
「……彰、とか?」
「弟を殺す気か、お前は」
「いや、日頃の恨みとか?」
「どんだけ殺伐とさせたいんだ」
中三の弟と高二の妹。年が近いせいか、ケンカも多い。
まあ、仲もそれなりにはいいんだが。
「じゃあ、お父さんとか?」
「……それこそやめとけよ。マジで死人が出る」
父親は亜由美を溺愛している、いわゆる親バカだ。
失敗作のクッキーだろうともらえば喜んで食べるに違いない。
例え塩分の取り過ぎで死んででも。
「あはは。だよねー」
「だよね、じゃなくてな……亜由美ぃ」
「わ、わかってるわよぅ。捨てるってば!」
亜由美はそう言うとクッキーを生ゴミのバケツに放り込む。
これで、これ以上の被害者は出ないだろう。
よかった。
「彼氏に作るならもう少し慎重にな」
「彼女いない人に言われたくありませんっ!」
……ここでそれを言うか。
なんかそれなりにショックだ。
「もう一回作っても、誠也お兄ちゃんにはお裾分けしてあげないからね」
「失敗作はもういらないけどなー」
「次は失敗しないってば!」
「期待しないで待っとくわ。っていうかなんでそもそも間違ったんだ……」
うちの調味料の類は、種類別にちゃんと瓶に入ってたはず。
「そう、ソレよ!」
「ん?」
「あたし、ちゃんと砂糖の瓶使ったのに、なんでか塩が入ってたのよ……」
「は?」
憤慨する亜由美が差し出したのは砂糖のラベルが貼ってある瓶。
舐めてみて、とふたを開けるので、小指を突っ込んでついた粉をぺろりと味見する。
……これは。
「塩、だな」
「でしょ? 朝は確かに砂糖入ってたのに」
「犯人の心当たりは?」
「……おにーちゃん。ソレわかってて言ってるよね?」
亜由美の半眼が痛い。
「まあ……うん。僕が悪かった。っていうか、母さんだよな。やっぱり」
「それ以外ないよぅ」
「……とりあえず、帰ってきたら言おうか」
「うん」
「あと、中身ちゃんと入れ替えような。他にも被害者が出る前に」
「だね。で、この中身どうする? 塩のに入れる?」
「砂糖と混ざってたらヤバくないか?」
母さんがなにをどうして入れたのか知らないが、混ざってたらかなりヤバい気がする。
「じゃあ、上のほうだけざっと取って、下の方だけ捨てようか。それならなんとかなるかも。あとは瓶を洗って乾かしてから砂糖入れたら元通りだし」
「塩の瓶は砂糖入ってないよな……?」
「あ、そっちはちゃんと確かめたから大丈夫」
「ならよし」
ぱぱっと片付けてしまおう。
二人なら早い。
瓶の中身を取り出し、捨てて、瓶を洗って乾かして、そして砂糖を入れ直し。
その夜。
「…………ねえ、お母さん」
「この煮物……」
おかずである里芋の煮っ転がしを口にした亜由美と僕、そして他の家族も微妙な顔で制作者である母を見る。
「……あら? お昼に作り置きしておいたんだけど、お砂糖と塩、間違えちゃったかしら」
「そうきたか」
「お母さん、味見は?」
「した記憶は……ないわねぇ」
「「「「…………」」」」
家族全員微妙な顔で母さんを見つめる。
「まあ、でも、食べられなくはないでしょ?」
母さんがそう言ってひとくちぱくりと里芋を食べる。
「たしかに食べられないと言うほどではないけど……これはちょっと」
「濃すぎだろ……これ」
「なんだ……その。長く食べられそうではあるな」
唯一、なんとか母の味方をしようとしている父も微妙な感想だ。
「してしまったものはしょうがないわ。残してもいいわよ?」
母の許可も出たことで、子どもたち三人がおかずを残すことになったのもいい思い出だ。
ちなみに父は渋い顔をしつつ完食した。
そして翌日。
味の濃すぎた里芋は色々と手を加えられ、里芋のコロッケとしてリニューアルして美味しく夕食に並ぶことになったのだが、これはまた別の話である。
2018.07.10 改稿