初めての旅路と魔晶石
荷馬車に揺られ揺られて見たことのない町の外の風景を楽しんだのもつかの間。
カーライルを旅立ってからほんの数時間後のことである。
「……気持ち悪い。は、吐く」
「わ、私も……」
僕とお母さんは荷台の端で、首を揃えて外の空気を求めていた。
頭がクラクラするし、胃の中身が逆流しそうなくらい気持ち悪い。
間違いなく乗り物酔いというやつだ。
がたんっ。
「うっ」
「っ!」
車輪が石に乗り上げたのか荷馬車が大きく揺れて、体を揺さぶる。
「……大丈夫か?」
お父さんの気遣いの言葉はありがたいけど、乗り物酔いにはなんの効果もない。
返事も出来ない僕とお母さんに、流石に不味いと思ったんだろう。
「すまんサリム! 一度停めてくれ!」
荷台の木箱を叩き、御者台へ向けて大声を張り上げた。
「どうしました!?」
サリムさんの声がしたあと、緩やかに揺れが収まる。
揺れがなくなったことでお母さんとふたり、ほっと息をつく。
そこへ積み上がった荷物の隙間からサリムさんが顔を出し。
「……あぁ。酔ったんですね」
と納得顔になった。
うっ。こんな危険な街道のど真ん中で停めさせてごめんなさい。
「あらあら。大丈夫?」
シェリナ叔母さんも顔を覗かせて苦笑いだ。
「慣れてないと馬車はキツいわよね。義兄さん、酔い止めは持ってるの?」
「ああ。ダットの薬と一緒にバスク先生から預かってる」
「え」
そんな便利なものがあったんだ。
思わずお父さんの顔を見上げると、ばつが悪そうに顔を逸らされた。
これは……忘れてたな。
そんな視線から逃れるかのように、お父さんは大きな背負い袋のひもを解くと、なかから小さな袋を取り出す。
さらにその中から薬が入っているらしい紙の包みを摘まみ出し、
「これだ」
お母さんと僕に皮で出来た水筒と一緒に手渡した。
正直に言って飲みたくない。
だってこれ、確実に苦いやつだよね。
お父さんを見上げれば、黙って「飲め」と合図を送ってくる。
仕方なく紙の中の粉末を一気に口の中に放り込で、水で一気に流し込む。
が、やっぱり苦かった。
「ごめんね。余裕があれば魔法を使って揺れを弱くできるんだけど。流石に周囲を気にしながら、魔力を大量に消費するのは……一日持たないわ」
僕が涙目を浮かべている様子を見たシェリナ叔母さんが申し訳なさそうに言う。
そんなこともできるんだ。とは思うものの、魔物に襲われる可能性のことを考えたら無理だ。
「そ、そんなの気にしなくていいよ」
快適さを求めて命を落とすようなことにはなりたくない。
「一応、定期的に街道整備もしてるんだけどね。雨や魔物との戦闘で穴が開くのはしょっちゅうだし。どうしても……ね」
「整備自体もいつ魔物に襲われるかと思うと、そう丁寧にはしていられないですしね。大きな損傷を見つけたら報告して、修繕してもらう。そんな感じなので……」
「町で普通に暮らすぶんにはあまり関係ないからな。こういうのは経験しないとわからん」
シェリナ叔母さんとサリムさんとお父さん。
三人の説明に、僕は慣れるしかないんだな。ということを理解した。
「順調に行けば、昼を過ぎるころには隣町に着きます。そこでしばらく休憩しましょう。その次の町はそこまで遠くはないですから、日暮れまでに着けると思いますし」
サリムさん、優しいなぁ。
気遣いの人だ。
「ただ、状況によってはかなり飛ばすことになるかと思うので、そのときは覚悟してくださいね」
「…………」
う、うん。
病人だからって、甘えていられなかったですね。
ごめんなさい。
お母さんと一緒に蒼白になりながら「もう大丈夫だから、馬車を出してください」と言ったのはよかったのか悪かったのか。
魔物に遭遇することもなく順調に町に着いたときには……揺れをどう凌いだのか記憶がなかった。
最初の町で、サリムさんはいくつかの木箱をある商店に下ろしていた。
積み荷の大半は王都行き。
ただ、他にも行く先々で契約している商店へ卸すものも積んでいるんだとか。
そして帰りは逆に仕入れた商品を積んで帰る。
これがサリムさんのいつもの仕事だそうだ。
今回は特に雪が本格的に降る前の最後の仕入れになる。
あれこれ、必要なものを書面にしててきぱきと帰りに用意しておいて欲しい商品をお願いしていた。
流石よね。とそんな話をシェリナ叔母さんから聞きながら、僕とお母さんは胃のむかつきにいい、というお茶を飲んでいた。
その一方でお父さんとシェリナ叔母さんは……がっつり食事してたけど。
「まあ、無理に食べても吐くだけだろうからな」
うん。お父さんの言う通りだと思います。
「次の町で宿を取るから、食べるならそのときにしたほうがいいわね」
「あー……うん」
食べる気力が残ってたら、ね。
先が思いやられる。
でも弱音を吐いている場合じゃない。
出立までのあいだ、横になって少しでも気分を落ち着かせる。
そして目を覚ましたら道連れが増えていた。
随分と頑丈そうな荷馬車と護衛の人の馬が二頭、サリムさんの荷馬車と並んでいる。
サリムさんは増えた荷馬車の人たちとなにやら打ち合わせ中だった。
「え、えっと」
戸惑う僕に、お父さんが「こういうのは珍しいことじゃない」と説明してくれた。
「ここから先は魔物だけじゃなくて盗賊が出ることもある。単体で移動するよりこの方が護衛も増えて安全だからな」
なるほど。
旅は道連れ世は情け、的な感じってことか。
丁度目が合って「よろしくお願いします」って挨拶したら、御者をしてる中年のおじさんにごつい手で思いっきり頭をなでられた。
……商人、なんだよね? 力がめちゃくちゃ強い。
「坊主。よくそんな白い顔で旅に出られたなぁ。病人みてぇだぞ」
まあ、病気を治すために旅してるようなものだし。
「そうかそうか。きっとよくなるんだぞ。応援してるからな」
随分と情に厚い人だったみたいで、旅してる理由を説明したら涙ぐんでた。
そのせいかな。
街道で馬のための休息ついでの休憩で声をかけてきた。
「ほれ、坊主。珍しいものを見せてやる」
例のごとく、乗り物酔いにやられて木陰で休んでいた僕は差し出されたソレを見て首を傾げた。
黒く光沢のある手のひらほどもある石の塊。
「なにこれ」
どこかで見たことがあるような気もするけど。
「加工する前の魔晶石だよ。オレたちはこいつを運んでるのさ」
「えっ」
魔晶石って、これが?
しばし石を見入った僕を見ておじさんはにやりと笑う。
「じゃあ、コレの元ってこと……だよね」
僕は思い当たるまま、服の下に隠れていた魔導具を取り出す。
首飾りにしてある紋章を刻んだ黒い石。
目の前に差し出されたものと色がよく似ているこれも魔晶石だ。
「おっ。坊主は魔法使えるのか」
「え、あ。まだ、勉強中だけど」
おじさんは意外そうな目で僕を見たあと、少し考えるそぶりを見せ。
「ちょっと待ってろ」
一度馬車に戻った。
そしてそれほど間を置かずに布に包んだなにかを抱えて戻ってくる。
「ほら、見てみろ」
包みを地面に置き、開ければ。
「わぁ」
黒、深緑、茶色、灰色。
色も形も輝きもまったく違う、四種類の石が出てきた。
「ねえ、これもしかして」
「ああ。これ全部がこの世界の魔素が物質化して結晶になった石……魔晶石だ」
魔素の濃い場所でないと生成されない貴重な石。
その原石の塊をいくつも見ることになるなんて。
乗り物酔いしてる場合じゃない。
「すごい。こんな風なんだ。初めて見た」
「ああ。今回採掘場で採れたやつは大体こんな感じだ」
「こっちの黒いのって闇属性だよね。こっちの緑のは風で、茶色が土。灰色は……混ざってる感じ?」
「お。勤勉だなぁ。坊主」
他にここにはないけど青が水、火が赤、光が白、だったかな。
本で読んだ知識を元におじさんを見上げると感心された。
「正解だ。その様子だと、魔晶石は採れる場所で属性が違うってのも知ってそうだな」
「うん。勉強したし」
というより、外出できなくて勉強するしかなかったとも言うけど。
ライナとかシェリナ叔母さんに頼んで本を借りたのも記憶に新しい。
「おじさんが運んでる魔晶石の採掘場って洞窟のだよね」
黒と茶の魔晶石は主にそういう場所で採れる。
「おう。採掘場ってのは大抵そうだぞ。川やら滝やら水関係のとこもあるが……大抵は魔物も闊歩する危険なとこが多いからなぁ」
「護衛の傭兵さんは必須、だね」
「だな。まあ、オレが今回行ったところは比較的安全なとこで警備も充実してたから問題なかったんだが、採掘しはじめたばっかりのとこは危険が多いな」
きっとおじさんはいろんなところに行ってきたんだろう。
苦笑いを浮かべながら話してくれた。
「この周辺は闇属性やら土属性の魔晶石が多いが、北のラグドリア帝国だと火山があるから火属性の魔晶石が採れるな。ま、火のやつはかなり貴重だからこっちじゃ魔素が薄いのでもかなりの値段だが」
「うん。火の魔導具だけはお店に並んでなかった」
土とか闇は畑なんかで掘ったらふつうに出てくることもあるらしくて、一番流通していて安い。
水とか風とか光とかも比較的手に入りやすい部類だ。
でも、火だけは火山がないと駄目なんだよね。
ジードリクス王国には火山がないからしょうがない。
「で、坊主はその黒いのを選んだわけか」
まあ一番安かったから、ね。
「魔素は薄いが、初心者にゃ丁度いいやつだな。上級の魔法使いになると魔晶石の相性なんかも出てきて原石から選ぶのも珍しくないんだが」
「そうねぇ。魔導具職人さんのにもかかってるけど」
「えっ」
割って入って声に顔を上げるとそこにはシェリナ叔母さんの姿がある。
「あれ、シェリナ叔母さん。護衛は?」
「他の人が見てるからわたしも休め、ですって」
あぁ。護衛のなかで唯一の魔法使いだもんね。
いざというときに一番頼りたい相手だからそうなるか。
「あー。姉ちゃんは魔法使いだったな」
「ええ」
「いま使ってる魔導具との相性はどうなんだい」
「いいわよ。かなりね」
ほら、とシェリナ叔母さんが右手の人差し指に嵌めた魔導具を見せてにこりと笑う。
途端に。
「げっ」
おじさんの顔が引きつった。
「おいおい。なんだこの上質な魔晶石。どこで手に入れた?」
おじさんがそう言うのも当然で、シェリナ叔母さんの魔導具の石は透明に近い緑玉石。
魔晶石って不思議なことに、色が薄く透明なほど魔素が濃くて品質がいいらしい。
だからシェリナ叔母さんの石は紛れもなく高級品。それも最高級品に近い。
僕も初めて知ったときにはびっくりしたのを覚えてる。
「留学してるときにちょっとね。友人たちとたまたま偶然これの原石を見つけたのよ。その関係でいい魔導具職人さんも紹介してもらえたし」
「……姉ちゃん。それにしたってこりゃ……加工の手間やら考えたらラグドリア帝国金貨換算でも軽く二枚いくぞ」
「まぁ、けっこう大きい原石だったから余りを売ったらなんとかなったわよ」
「姉ちゃん大物だな」
「友人に恵まれただけよ」
叔母さんは苦笑いで肩を竦める。
「つってもなぁ。少なくともコレぐらいはあったってことじゃねぇか。恵まれたどころじゃねぇぞ」
大人が片手で持てる大きさのソレを持ち上げておじさんがため息をつく。
おじさんが持ってる黒い魔晶石はシェリナ叔母さんの石より濃い色をしてるけど、それでもかなり品質のいい方だろう。
「この大きさでその品質なら贅沢さえしなきゃ、数年は余裕で暮らせるってのに」
「でしょうね。でも魔法使いにとっていざというとき頼りになるのは魔法だもの。相性の合わない魔導具で死にたくないわ」
それは魔物との戦闘に駆り出されるほど魔法に長けた人間にしか言えない台詞で。
「それもそうか」
おじさんもすぐに納得した。
「っつーわけで坊主。おまえさんもいまはソレでいいかもしれんが、ある程度魔法を使いこなせるようになったら石の相性見て買い換えろよ。そんときゃオレの伝手で安くしてやる」
「そうそう。伝手って大事なんだからね」
「……う、うん」
なんでこのふたり、そこで意気投合してるんだろう。
とりあえず、よくわからないけど頷いておいた。
その後は一行が気にしていた魔物や盗賊に出くわすこともなく、無事一泊する予定の町に着いたのは、雲に覆われた西の空が赤く染まりはじめたころだった。
泊まる予定の宿は魔晶石を運ぶ荷馬車の人たちとは違ったので、町に入ってすぐに別行動になった。
明日、出る時刻を合わせてまた一緒に出立するらしい。
「またな坊主」
おじさんにはかなり気に入られたらしく、別れるときにも頭をなでられた。
それはともかく。
サリムさんがいつも使う、荷馬車が収納できる信頼の置ける宿でひとまず体を休ませることになった。
サリムさんとしては完全に陽が落ちる前にこの町で下ろす荷を契約してる商館に持って行きたかったみたいだけど……
まあ、僕とお母さんが限界だったからね。
五人分の部屋――男女別二部屋――を確保して、それからお父さんたちとまた出て行った。
僕とお母さんは部屋で寝てた。
夕食は……気がついたら朝だったから食べ損ねたよ。
その代わりというか、朝はしっかり食べた。
酔い止めの薬も飲んだけど。
ただ、慣れない馬車旅だったからか体調は万全とは言えなかった。
体が重いし、痛い。
だからって出発の時間は待ってくれない。
「ダット、大丈夫?」
同じように疲れた顔のお母さんが心配して僕の顔をのぞき込んでくる。
「どうだろ。わからない」
正直言って、今日一日乗り切れるか不安だ。
そんな僕たちの前でサリムさんが言う。
「昨日と同じで、今日一日走れば王都へ着けますよ。それまでの辛抱です。積み荷もだいぶ減りましたし、ダットくんやキーラさんが横になってもいいぐらいにはなってますよ」
それにだいぶ気を遣ってくれたらしく、荷台の一部にクッションらしきものがいくつか乗ってた。
「気休めくらいにしかなりませんけどね」
いやいや。衝撃が和らげばなんでもいいです。助かります。
そう思ってたときがありました。
昨日一日で幾分慣れたとはいえ、昨日よりも明らかに体調はよくなかったわけで。
魔晶石を運ぶおじさんたち合流して町を出て、一度目の休憩を取ったところまでは覚えてるんだけど……
「……あれ?」
気がついたら知らない家のベッドの上、でした。
何度目だこれ。
2013.6/15 修正&改稿
2017.5/25 改稿