あらためまして幼馴染み(2)
結構な大騒ぎをした割に、ユファちゃんが目を覚まさなかったのは幸いだった。
ユファちゃんの精神状態はよくない。
僕も聞いていたし、実際に目を覚ますたび泣いて怯える様子は酷く胸が痛んだ。
それでも一番最初のときよりはマシだと聞いたけれど……
「ユファは、大丈夫そうなの?」
彼女が眠る姿をそっと見やって、目を赤くしたライナが不安そうに呟く。
ときどき頭をさするのはバスク先生が拳骨を落としたからだけど、これはもう彼女ともう一人の不徳が成したことなので気にしない。
「体の方はなんともないみたい。ただ、あれだけ怖い思いをしたら、ね」
僕だって思い出せば恐怖に震えてしまう。
それぐらいの出来事だった。
精神的に大人の部分が混ざってる僕ですらこうなのに、まだ発達途中の少女が経験するにはあまりに酷すぎだろう。
PTSD、だったかな。
詳しくは覚えてないけど、そういうのを発症したっておかしくない。
「……ダットは、平気、なの?」
ライナが僕を窺うように首を傾げる。
心配してそう言ってくれているのだろうけど。
「三食薬草スープなこと以外は大丈夫、かな」
つい話を逸らしたくなるぐらいなのは伝わったと思う。
ただ、ライナが唇を噛みしめた一方で。
「……お、オレ、あれだけは食いたくねえ」
エリクが心底嫌な顔でうめいてくれた。
話を逸らしたことには、きっと気づいてないだろう。
そしてこれは……実際に飲んだことがある顔だ。
「子どもにあんな不味いものを飲ませようと思うこと自体が間違ってるよね」
「おう。あれは絶対、食べ物じゃねぇ」
これ幸いと話題を振れば、半分死んだような目で頬を引きつらせていた。
いくら栄養満点で効くって評判があっても苦い、不味い、口当たり最悪というマイナス面が大きすぎるのだ。
「僕も飲みたくないけど、お母さんの見張りがすごいんだよね……」
「うげ、それ、どんなごーもんだよ」
大人ですら不味いって評判があるというのに、それを一滴も残らず飲み干させようとするお母さんの執念、恐るべし。
そりゃ一応、飲んだ後に果物のすり下ろしたのを用意してくれてるよ。
でも、舌が甘味を感じてくれないからあんまり意味ないんだよね。
ははは。
「いいじゃない。それで良くなるんなら」
ライナは男二人で情けない、と言わんばかりに目を細めているけど、あれは実際に味合わないとわからないと思う。
だって、不味いものは不味いんだよ。
「まったく、子どもなんだから」
「十歳は子どもでしょ」
そう言うと、どうしてか諦めたようにため息を吐かれた。
これだから男の子は、と呟いているようにも見える。
子どもが子どもって言ってるのはおかしくないないはずなのに、なんでだろう。
まぁ、僕の中身は置いておいて。
「……でも、安心した。ライナたちも無事で」
いつもとそう変わらない会話が続いているから忘れそうになるけど、ライナたちだって大変だったはずだ。
僕が人質にされて、ギドたちと対峙して、【闇の死者】にだって遭った。
僕やユファちゃんと同じように、目の前で人が喰われる様を見たはずだから。
「ライナたちまで【闇の死者】に襲われてたらって思ったら」
そうなっていたらきっと僕は絶望の淵で死にたいと願ってしまっただろう。
うつむいてしまった僕を前に、ライナとエリクが顔を見合わせる。
「あー」
「大丈夫だったんだからいいじゃない」
「そうそう。気にすんなって」
ユファちゃんと比べれば図太い神経の持ち主だからと言えばそれまでなのだけれど、それでもまったく影響がないというわけじゃないだろうに。
「でも……」
「気にしなくていいって言ってるでしょ。こうやって無事にここにいるんだし」
「だから体力あまりすぎで朝からぼーそーしまくって、こっちはいいめーわく……」
「黙れこのバカ頭」
うん。見事に話が逸れた。
ライナがごつん、とエリクの頭をどつく。
そうして黙らせてから、団長さんから一応聞いてはいた、実際にその場にいた人間の体験談が語られた。
「あのねダット。そもそもあの【闇の死者】、あたしたちになんて目もくれなかったのよ。最初からあたしたちじゃなくて、ギドたちに向かっていったの。で、あいつらを喰らった最後にあたしたちを見て、ダットの居場所を教えられたのよ。だから心配しなくてもあたしたちは無傷よ。自警団で取り調べとか、バスク先生にも診てもらったけどなにもなし」
「……あ、うん」
なんでだろう。
一応、命が奪われるかも、っていう危機的状況だったはずなのに全然そんな感じがしない。
もしかして虚勢張ってるのかとも思ったんだけどそうじゃなくて……
なんかちょっと不満そうに見える。
「【闇の死者】が出てからギドがやられるまであっという間だったしな」
「ギドに呼び出されてダットの居場所問い詰めようとしたらいきなり出てきてあたしたちそっちのけだし。怖いよりなにより、あっけにとられたって感じだったわ」
「そ、そうなの?」
「そーよ。そりゃ最後に見られたときは怖かったわよ。こっちに来るかもって思ったし。でもそんなのすぐにどうでもよくなったわ」
おかしい。
団長さんと話をしていたときはものすごく真剣な話ができていたはずなのに。
幼なじみふたりとのこの会話ではそれとは違う方向に向かってるとしか思えない。
嫌な予感がする。
その第一波はライナだった。
「【闇の死者】なんなの?」
なぜか怒っている。
しかも急になんなのって言われても、答えようがない。
そんなわけでライナの怒りの理由を知っているらしいエリクがそれに言葉を返す。
これが第二波。
「まぁ、すげー上からもの言ってる感じだったからなぁ。おまえらなんか相手にならねー、みたいな」
「そう。それよ! 『弱き者らよ、我らの標を得た彼の者の未来は我が摘み取る。それを是とせぬなら、彼の者と共にかかってくるがよい』だったからしら。もう、ホント馬鹿にして!」
「思いっきりケンカ売られたからな。オレもイラッときた」
あー、ふたりともいい笑顔……じゃなくて。
「え、ちょ。待って。なにその話」
そんなの団長さんから聞いてませんよ。
ていうか、ものすごく怖い方向で嫌な予感が的中しそうなんですけど。
「まさか君らそのケンカ」
「もちろん買ったわよ」
「売られたら買うだろ」
嫌な予感の、とどめの第三波がこれか。
うん。君たちそういう性格だものね。
そしてこういうときだけ意気投合するのもいつも通りで頭が痛いです。
ていうか、【闇の死者】なにしてんの。
なんでこのふたり巻き込んでるの。
「悪いけど引かないわよ。思いっきり頭にきてるんだから。ダットの場所教えられて、それでその台詞よ。しかもあたしたちに向かってよ。許せるはずないじゃない」
「……だからって」
なんでこう、後先考えずに突っ走るんだこのふたりは。
両手で頭を抱えたら、ライナがめざとく「それ!」と左手の甲を指さした。
そこにあるのはもちろん、例の標だ。
ライナはそっと手を伸ばし。
「冷たい」
と触れた瞬間に顔をしかめる。
「……生気、取られたしね」
【闇の死者】のような魔物に襲われて生き残った人間はみんなこうなる。
それがこの世界の常識だ。
ライナはその標を親の敵のようににらみつけ。
「やっぱりあいつが言ってた『彼の者』ってダットのことで間違いないのね」
確信している相手に否定するような無駄なことはしない。
ただ、こんな風に僕を思ってくれるのは嬉しいけれど、それと巻き込むのとはまた別の話だ。
だから、今からでも遅くない。
ケンカを買ったからって、ふたりは標をつけられるような興味も持たれてない。
【闇の死者】が興味を持ったのは僕自身に対してだけだ。
それなら。
「狙われてるのは僕だけだから、僕がこの町を離れれば、ここは安全だよ。ふたりが命を賭ける必要なんてないからね。買ったケンカは今すぐ捨てて」
人が、あんなまるで萎れていく花のような光景はもうみたくないし、そんな風にふたりが命を失うかもしれない、と思うとぞっとする。
例え僕のことを思ってのことでも、絶対に嫌だ。
「僕にとってふたりは大事な友だちだから。危ないことはして欲しくないんだ」
大事だから、これだけは譲れない。
そんな本当の、心からの気持ちをふたりにぶつけたはずなのに。
ふたりの目は怒っていた。
あと呆れていた。
「それであたしが納得すると思うの?」
「ホント、バカだな」
「ほんとにね。あたしたちが最初にした約束のこと忘れたの?」
最初にした約束。
それで思い出すのはひとつだけだ。
そんな眉をつり上げて言わなくても、覚えてるよ。ライナ。
あれがあって今の僕たちがあるんだから。
『だいじょうぶ。あたしがダットをこわいものからまもってあげる。やくそくするわ』
『いじめてわるかった。こいつとのやくそくだからな。オレもやってやるよ』
これが僕たち三人のはじまりだから。
前世なんて知らずに頭に思い浮かぶ風景ばかり探して、周囲になじめなくて外出することすら怖いと思いはじめていた、そんな僕を見かねてやってきたのは今と同じように堂々と自信に満ちていたライナとなぜかぼろぼろの顔でふてくされたエリクで、そのエリクに顔のことでからかわれてたから逃げようとしたらライナに捕まってそう言われたんだよね。
しかもあのあとライナとエリクが言い合いをはじめたところにお父さんが帰ってきてふたりが腰を抜かして動けなくなったという、追加のエピソードつきだよ。
そのときのふたりときたら仲の悪さはどうなったんだと思うくらいぴったり体を寄せ合ってて、つい笑っちゃったんだよね。
この世界に生まれて、初めて心から笑えた日だった。
みんなが驚いて、お母さんがお祝いしなきゃと騒ぎ出したことも思い出せる。
だから忘れるなんてことは、ない。
「……しょうがない、なぁ」
持つべきものは友。
前世でそんな格言があったっけ。
十歳でそれをしんみり感じることになるとは思わなかった。
「引く気は、ないってこと?」
「ないわ」
「ねーよ」
ふたりとも即答だ。
「僕はいつまで生きられるかわからないよ。【闇の死者】がいつくるかもわからない。そこはわかってるの?」
「いますぐにくるわけじゃないんでしょ」
「……まあ、成長したら来るようなことを言ってたから、まだ先かな」
「じゃあ、時間はまだあるわ」
「だな。オレたちが強くなりゃいいだけの話だろ」
やる気満々の表情が、負けることを考えていないことを知らせてくる。
これが向こう見ずに突っ走っているだけでないといいんだけど。
「間に合わなかったら?」
「そんなの間に合わせるわよ。あたしを誰だと思ってるの? あいつを吹っ飛ばす魔法くらいすぐに覚えてみせるわよ」
「おまえがやると勢いつけすぎて町ふっとばしそーで怖え」
「はぁ? 魔法使えないあんたに言われたくないわね。わかってんの。【闇の死者】には物理攻撃使えないのよ?」
「う、うるせぇ。こーいうのは気合いでなんとか……」
「ならないわよ、このバカ!」
止めるのが馬鹿馬鹿しくなるくらいいつも通りなやりとりに僕はため息をつくと。
「おなか空いたなぁ」
現実逃避した。
2017.4.16 改稿