避難誘導訓練です
さて、どうしたものか。
「……ありゃねーわ」
エリクがそうぼやくぐらいに僕はライナに避けられていた。
ていうか、ちょっとでも僕がライナに近づこうものなら視界からあっという間にいなくなるんだもの。
エリクがそう言いたくなるのもわかる。
僕も言いたい。
追いかけて捕まえることができればそれが一番だけど、これはちょっと無理がある。
僕の体はライナよりも小さい上に運動が得意じゃない。
逆にライナは運動が得意。
となれば、結果はもうわかりきっている。
それならとライナの家に行けば部屋に引きこもって「会いたくない」と拒否。
もうほんとにどうしろと?
そんなわけで、翌日、翌々日と経過してしまい。
「エリク……アレ、捕まえられるかなぁ?」
「無理」
「だよねぇ」
エリクの即答に僕はうなだれる。
今、僕らは青空教室よろしく自警団の団員に囲まれて学校の校庭にいる。
教室に関係なく集められた子どもたちの数はおよそ二百名。
僕とエリクはその真ん中辺りに陣取って体育座りをしていた。
ライナはその後方。こちらを伺える位置にいる。
そろそろホントにどうにかしたい。
周囲の好奇の視線も、ライナを追いかけることも疲れてきた。
「あいつ最近、足早くなる魔法おぼえたろ。俺じゃつかまえられねーよ」
「……そういえば言ってたね」
確か魔法基礎読本にも掲載されている、早く走れるようになる補助魔法で疾風走行って言ってたかな。
魔物と戦うときにも、魔物から逃げるにも便利、って説明だったような気がする。
元々のライナの運動神経にこの魔法を合わせると、いくら体力に自信のあるエリクでも追いつくのは無理だろう。
でも、この魔法って魔法基礎読本の中でも難しい部類に入る魔法のはず。
普通は魔法を学び始めてから二、三年はかかるところを、一年であの本の中身をほぼ網羅とか才能がすごすぎる。
初歩の初歩。
薪に火を付けるとか、風を吹かせるとか、それでさえ半年かかってしまう人間もいるのに。
「あいつ、そのうち王都とか帝国の方の魔法学校に行くんじゃね?」
「そうかもね」
飛び抜けた才能がある生徒は領主様が推薦状を書く。
本人の希望にもよるけど、それにより大きな専門の学校に行くことができる。
実はシェリナ叔母さんもそのクチで、王都の魔法学校に二年。
そこから魔法が盛んな他国へ三年留学させてもらっていた。
その割にこんなところで教師やってるのがどうにも疑問ではあるんだけど。
「よし。いいかーよく聞けー。これから魔物に出くわしたときに対処法を教えるぞ」
落ち着かない子どもたちに対して、授業の先生役となった自警団の団員が声を張り上げる。
自警団の緑色の詰め襟制服を着崩した彼には見覚えがある。
確かお父さんと同年代だったはずだ。
彼は生徒の注目の的となっても特に萎縮することもなく話を続けた。
「地を駆ける魔物は素早いことが多い。子どもの足で逃げるのは難しいだろう。建物の中に避難することが出来るだけの時間がある場合はそれでいい。だが、それが無理だったときは木に登るか、魔物の大きさでは入ってこられないような場所に入り込むのが有効だ。この近辺の魔物は体が人間よりもデカイのが大多数だからな。空を飛ぶやつらの場合は……障害物が有効だ。建物の影の隙間なんかでもいい。とにかくやつらの入り込めないような隙間に隠れろ。今日はそのあたりを考慮して、避難できる場所の確認も行う。住んでいる場所によっても違うので、それぞれに分かれてもらう」
そうして彼は生徒を囲む自警団の団員たちの名を呼んだ。
「ドゥークとウェルズは北区。ルイザとカーシュは西区。ナンとファリスは中央区。キリエとゴルドは東区。リアとメイレルは南区を担当する。それぞれ住んでいる地区を回ってもらう予定だ。他にもめぼしい場所には団員を配置してあるので聞きたいことがあればその都度質問を。毎度のことではあるが、この確認は君たちの安全を確保するための重要なものだ。いざというとき、きちんと対応できるようしっかり確認してほしい。以上だ」
説明が終わるとそれぞれ担当する団員が「北区はこっちねー」「真ん中はここー」などと声を上げ始める。
僕もエリクも、そしてライナも東区だから、キリエさんとゴルドさんペアの所だ。
集まった人数は大体三十人くらい。
「おし、坊主ども。集まったな!」
赤髪を短く刈っている陽気な男性がゴルドさん。
「はぐれないようについてきてくださいね」
少し長めの茶髪を後ろで一つに縛っている男性がキリエさんだ。
二人とも二十代半ばで、キリエさんは妻帯者。
もうすぐ子どもが生まれると父さんが言っていたのを覚えている。
二人とも東区に家があるので、この人選になったのだろう。
彼らを先頭にして、まず向かったのは学校内の避難に適した場所、だった。
校舎内は省き、校庭内の用具入れや、緊急時に入れる地下壕などの場所。
木に登るならどんな木がいいか、登り方、登るときの注意事項なども実践を交えて教えてもらう。
ただ、木登りは運動神経がよくないと難しい。
今の僕では滑り落ちるのがオチだ。
体力つけなきゃ、って本気で思った。
そのあとに向かったのは学校の外で、学校自体はやや北区寄りだけど一応中央の範疇に入っている。
そこから東に王都へ向かう街道が整備されているので、大通りがある場所を目指して進んでいく。
「東区は……北区みたいに農場があるわけじゃねえしな。ほとんど家屋ばっかだ。基本的に家の中に逃げ込めば問題ねえ。それでも駄目な時は……この辺だな」
家と家の隙間。大人一人が通るのも難しいようなその場所をゴルドさんが示す。
「俺たちじゃ無理だが子どもなら入り込める。でかい魔物なら、入ってこられねぇから丁度良い。実際十年っくらい前にこういう所に逃げたおかげで助かったのもいるから、しっかり覚えておけよ」
「はーい」
比較的素直な子どもたちの返事がいくつも重なる。
ちょっと暢気にも聞こえるけど、その表情は真剣だ。
きっと親世代から色々聞かされてるからだろう。
それも自分たち人間が魔物に対抗する術が少ないことをわかっているからこそのこと。
町全体が積み重ねてきた歴史でもある。
「じゃー、次行くぞー」
町行く人とすれ違いながら、小さい子もいるから休憩も入れながら歩く。
一度目の休憩も、二度目の休憩もわかりやすいようにと街道へ向かう東の大通り、馬を休める水場の近くで取った。
他の町からやってきた商人やら、これから町を出て行こうとする人たちが集まっているので賑やかな場所だ。
馬を預かる厩もいくつか建っている。
そこにいる馬を見上げ、僕は前世で記憶している馬との違いに「ホントに異世界だなぁ」と呟いた。
姿形はほぼ同じなのに、目つきは鋭いし頭のてっぺんには天を突くような二本の角がある。
そしてなにより、大きい。
前世で見た馬の一・五倍はある。
魔物が普通に闊歩する世界なわけだし、それに合わせた進化なんだろうけど。
前世の記憶が甦るまでは普通だと思っていた光景でも、今こうして見てみると違和感がすごい。
「ダット。なにぼーっとしてんだよ」
「うん。馬が大きいな、って思って見てただけだよ」
間近でじっくり見る機会ってあまりないし。
「たしかにでっかいよなぁ。乗ってみてぇ」
「そうだね」
あの背中から見る景色はどんな風なのか気になるところだ。
いつか乗れたら乗ってみたい。
二人でそんなことを話していると。
「よし。じゃあ、休憩終わりだ。帰るぞ。全員集まれー」
あ、もうそんな時間なんだ。
全員いるかー、と人数確認がはじまったので、集合場所に足を向けた。
ところが、後ろから急に服を引っ張られてつんのめった。
「は!?」
幸い転けるのは防げたが、何事かと振り返る。
そこで見たのは、僕よりも小さな五歳程度の少年が泣く寸前で僕の服をつかんでいる姿。
知らない子じゃないけど、この子ってたしか。
少年の青い目がすがるように僕を見上げる。
「ダット? なにやってんだよ」
一旦は先に行ったエリクが戻ってきて、ぼやく。
が、僕の服をつかんだ少年に気がつくと「あ、おまえ、ユファの弟じゃん」と口にした。
うん。間違いない。
僕やエリクの家とそう遠くない、僕と同い年の少女の弟だ。
「どーした?」
「いや、わかんない。急に服をつかまれて」
この子も記憶が戻る前の僕と一緒で内気なところがあるみたいだから、呼び止めの方法がこうなっちゃうんだろうけど……危ないなぁ。
「たしかリオくん、だっけ。どうしたの?」
「ていうか、ねーちゃんどーした?」
休憩前には姉弟仲良く座ってるのを見た気がする。
「あ、あのね。ダットおにいちゃんにだいじなはなしがあるから、さっきみたひなんじょにきてほしいってつたえて、って」
「……え?」
「なんだそりゃ」
エリクが首を傾げる。
僕も一瞬なにを言われたのかよくわからなかった。
「大事な話?」
こくん、とリオくんが頷く。
なにこのパターン。
僕の頭がフル回転して、そして。
「え、えっと。それ、ホントに僕?」
女子が男子に呼び出しかけるって、これ、ある意味定番な展開だよ、ね。
いわゆる、告白……的な。
僕が動揺して引っかかりながら聞いたらリオくんが再び頷いた。
「だめ?」
「あ、いや、駄目じゃないけど」
リオくんの目はお姉ちゃんのためだっていう気持ちが強いのか、かなり必至だった。
それを断るなんて、できない。
「でも、今抜けちゃったら、ゴルドさんたちに怒られちゃうよ」
「まー、そりゃそうだろうけど。便所って言っといてやろうか?」
……そのための休憩時間でもあったはずなんだけどなぁ。
っていうか、放課後とかでもよさそうなのに、なんで今なんだろ。
ぼやきたくなったけど、ユファちゃんが待ってるならしょーがない。
「わかった。行ってくるからエリク。あとお願い」
「おう。行ってこい。よくわかんねーけど」
エリク……呼び出しの意図にまったく気づいてない。
とりあえず、エリクがこういうことに鈍いのはよくわかった。
一応、顔立ちは整ってるからモテるタイプなのに性格が残念すぎる。
「おーい、そこの! 早く来い!」
ゴルドさんたちがさらに声を上げるのが聞こえる。
抜けるなら今のうちだ。
「じゃ、行ってくるね」
馬車が行き交うなか、僕は二人に軽く手を振ってすぐ近くの路地に入る。
ついさっき通った場所だし、知らない道でもないから迷うこともなかった。
民家と高い壁に挟まれた路地を赤ちゃんの泣き声や、人々の生活の音を聞きながら歩いていると、やがてなにもない場所に出る。
ただ単に外壁で囲まれただけの広場。
学校が終わったあとは子どもたちの遊び場にもなる場所でもあるんだけど、その片隅に町の人たちが批難するための地下壕もある。
ここにユファちゃんがいるはず……なのに。
ユファちゃんの姿はなかった。
「……?」
まさか地下壕のなかにいたりするのかな。
入り口は外壁沿いの階段の先で、いつでも使えるように鍵はかかってない。
扉は金属製だけど、子どもでもなんとか開けられる重さだし。
その扉に手を添えようとしたときだった。
リイン。
背後から小さな鈴の音が聞こえて。
【風散り】
甘い花の香りと、微かに誰かの声がした。
2017.01.25 改稿