書庫にて
カリィナ先生の言ってた内容だけじゃ、感想文を書くにはちょっと足りないかな。
そう思った僕は、先生の許可をもらって学校内に作られた書庫まで来ていた。
教科書だけだと、他の子と同じような内容になりそうだったし。
書庫の扉は分厚くて、僕の体格だと少し開けづらい。
それでも体重を乗せて押し開けると、古い本独特のかび臭さが香った。
「あ、いらっしゃ……ってダット?」
一歩入ったところで、貸し出しカウンターに座っていた金髪の女性が顔を上げる。
「あ、シェリナ叔母さん」
そういえば、受け持ちの授業がないときはこの場所が定位置だった。
「え、なんで? どうしたの、授業中じゃないの?」
彼女の表情がやや気まずそうなのは、僕がサボりでここに来たと思ったからか、それとも朝のことがあったからか。
「あ、えっと。授業で感想文を書くようにって言われて、それで資料を探しにきたんだけど」
「……感想、文?」
僕が抱えたミニチュア黒板もどきを叔母さんが不思議そうに見下ろす。
「試験、じゃないわよね。そんな時期じゃないし」
「うん。学長先生の思いつきみたい。紙を用意したから、それに書いて提出しなさいって」
「えっ……学長先生の指示!?」
またあの人の気まぐれがでたの? と叔母さんが身構える。
「まさか……あの人を称える感想文じゃないでしょうね」
「え、いや、まさか」
普通にジードリクス王国の成り立ちについての感想文です。
そう言うと叔母さんは顔をひきつらせていた。
「ちょっと変わった先生だけど、さすがに高価な紙を使ってまで学長先生についての感想文はない、と思うよ」
「そ、そうよね。さすがにそれは……ない、わよ、ねぇ」
でも、叔母さんがそう言ってしまいたくなる気持ちはわかる。
突発的にいろいろと……やっちゃう人だから。
領主様の古い友人で、領主様自身が引き抜いてきた優秀な人ではあるんだけど。
生徒たちにも絡む、遊ぶ、時々思いつきで大騒動を引き起こす。
生徒たちには人気なんだけど……先生たちには頭痛の種。
「ここ最近【全生徒対抗魔法のお宝探し】とか【罠仕掛けの陣地取り合戦】とかどう考えても学長先生が楽しみたいだけの企画ばかりだったからつい今回もかと思っちゃったわ」
「……ははは」
他にも【自警団に負けるな障害物捕り物競争】で自警団の人たちまで巻き込んでの大騒ぎになったり、【難問百解いたらこれで君も天才に】とか、いきなりクイズ大会をしたり。
子どもたちはともかく、後始末が毎度大変ってこともあって、先生たちには不評。
カリィナ先生の不穏な発言もそのせいだ。
今回のこれは単に感想文を書けということだけだけど……
紙の供給が少ないこの世の中。
ほんと、どこから出してきたんだろう。あの紙の束。
「でもほんとに今回は本当にまともなのね。嵐でも来るんじゃないかしら」
ぼそり、と呟く叔母さんの目は真剣だ。
こわい。
「え、えっと。それで叔母さん。他の子たちも来ると思うし、早めに本とか探したいんだけど」
「あ、そ、そうね。ぼうっとしてる場合じゃないわね」
叔母さんがカウンターからあわてて出てくる。
「王国の成り立ちについての本は奥の方になるのだけど。でも、ダットくらいの子が読めるような本となると……ちょっと難しいかしら」
「えっ」
「資料になりそうなものは、偉い学者さんが書いたものとか難しい著書が多いし、そういうもの以外は……子ども向けにわかりやすくしたみんなもよく知ってる昔話がいいところよ」
「……そう、なんだ」
「ていうか、普通はそういう昔話を聞いた感想文を書くものじゃないの? そんな資料まで探して書こうなんて、子どもの思いつきじゃないわよ」
そう言って僕を怪訝そうに見下ろした叔母さんは、ため息をつき。
僕は自分が失敗したことに気がついた。
あ、どうしよう。
うっかり、レポートを書く感覚でやっちゃってた……かも?
普通の子どもはこんなことしないよ。
その場にうずくまった僕の肩を、叔母さんが苦笑いしながら叩く。
「まあまあ、ダット。落ち着きなさい。大丈夫だから」
「……え?」
「姉さんから聞いてるし」
「えっ!?」
聞いてるってまさか……
お母さん、前世のことまで言っちゃった?
「記憶喪失になったかと思ったら、性格が一気に大人になっちゃった、ってね」
「え……えっと。それ、は」
「大丈夫よ。【魔物憑き】だなんて思ってないから」
「え?」
「確かに考えることが大人っぽくなったみたいだけど。そうやってびくびくしてるとこ、前と変わってないじゃない」
「うっ……」
「家族なんだし、それくらいわかるわよ」
一応受けれてはもらえてるみたいだけど。
お母さん、どんな説明したんだろ。
「でも、気味が悪かったり、しない?」
「んー、まあ。そりゃあね。どういう仕組みだろうって気にはなるけど。そういうのはそっち系の学者様にまかせるわ。わたしの分野じゃないし」
「……叔母さん、さっぱりしてるね」
「魔法関係以外はそんなに興味ないもの。まあ、ほんとに危険なら……その時は容赦しないだけよ」
叔母さん、笑ってるけど言ってることが怖いよ。
たぶん、今、僕、顔が引きつってる。
「なんて、ちょっと怖がらせちゃったかな」
「ううん。それ、あたりまえのことだと思うから大丈夫」
怖かったのはホントだけどね。
「ふふ。そういうことがわかるのなら、わたしも安心できるわ。ただ……」
叔母さんは笑みを浮かべつつも、視線を書庫の入り口に向けた。
え? と思って振り向けば、誰かが隠れる気配がした。
あ、これって。
「納得できない人間がいると厄介なのよねぇ」
「……ライナ」
入り口の戸が少しだけ開いていて、一房の特徴的な銀色の髪が見えている。
やっぱり、隠れられてるようで隠れられてない。
叔母さんもあきれ気味にそれを視界に収めていた。
「基礎魔法学のときもあんな感じで見てたわね」
「あれ、気づいてたんだ」
「そりゃ気づくわよ。あんなにダットにべったりだったあの子がいないんだもの。かと思えば一緒に混ざればいいのに、こっそり覗いてるし。不審に思わない方が変だわ。なにがあったかは想像つくけれど」
叔母さんもライナとはそれなりに付き合いがあるから、彼女の性格はお見通しなんだろう。
「ま、仕方ないわね。あの子はお姫様を守る凄腕の護衛だもの。今まで守ってた相手がいきなり変わっちゃったらすぐには信じられないのも当然だわ」
ここで騎士という言葉が出てこないのは騎士という職種がこの国にないからだけど。
「叔母さん。僕、男なんだけど」
「とりあえず、鏡を見てきなさい」
ぐうの音も出ない返しをされた。
……うう、わかってるよ。女顔だってことぐらい。
「要は、そういう関係に見えるってことよ。ここに通い出してからはずっとそうじゃない。ダットを虐めようとする子を片っ端からやっつけてたのは主にライナちゃんよ。エリクくんもたまに手を出してたみたいけどね」
「うん」
それは僕も知っている。
自分に自信がなくて、からかってくる相手に言い返せずに黙っていることしかできなくて。
そんなときはライナやエリクが駆けつけてきてくれた。
他にも僕が一人の時に絡んできた数人があとで見かけたときにケガをしていて、ライナも同じようなケガをしていたり。
僕はライナやエリクに守られ続けてきた。
それは確かに僕も感じていたし、申し訳ないとも思っていた。
まあ、今なら……たぶん相手に一矢報いるくらいはできる、かな。
「ライナちゃん、ダットの面倒を見ることを生きがいにしてるようなものだったでしょ。今のダットなら、一人でもどうにかしちゃいそうな雰囲気があるし。今までのダットと違ってしまったから、それで不安になってるんじゃないかしら」
「だから、疑ってる?」
「わたしはそんな気がしてるけど。実際のところは、本人に聞かないと」
それはわかってるんだけど。
話しかけようと動けば逃げる相手にどうすればいいのか。
「……エリクはすぐに受け入れてくれたんだけどなぁ」
頭が痛い。
「ふふ。エリクくんは本能で感じ取って動く子だものね。ライナちゃんも似たところはあるけど、自分が納得しないと駄目な子だから。早めになんとかしたほうがいいわよ。変にこじれる前に」
「捕まえられればとっくにそうしてる」
すでに声をかけようとして逃げられること数回。
子ども同士の遊びでも、逃げ足はトップクラスな彼女に追いつくのは至難の業だ。
たぶん、今も声をかけた瞬間にいなくなるに違いない。
「ま、しょうがないわね。こればっかりは根気よく、よ。と言っても、早いほうがいいのは確かだし、わたしからも一応声はかけてみるけど」
「本当?」
「ええ。でも、ダットも話しかける努力はしなくちゃ、ね」
「するよ」
とりあえず、書庫の扉を振り返って。
「ライナ!」
「ひっ!?」
うん。見事に予想通りだった。
そこに誰かがいた、という気配だけ残して足音が遠くなっていく。
「………前途多難ね」
叔母さん、泣きたくなるからやめて。
2017.01.25 改稿