3.ある少年の場合
(犯罪心理学専攻生・篠崎紗実)
――ある少年の場合。
少年院に入るまでは、その少年には全く問題がなかった。とても真面目だったし、性格も優しいと周囲から言われていて、一般社会に適応していた。
しかし、ある時、悪い巡り合わせで罪を犯してしまった。不可抗力的な罪。情状酌量の措置は執られたが、それでも少年は少年院に入れられてしまった。そして、それが原因となって、少年の人生は一変してしまったのだった。
少年院に入っていたというだけで、世間の風当たりは強くなる。疎んじられ、職に就く事も難しくなり、生活に困る。悪い知り合いも多くなり、時には、そういった知り合いから騙されて損害を被りもした。そんな境遇からだろうか、やがてその少年は常習犯となり、刑務所に出たり入ったりを繰り返すようになってしまったのだった。
半分は、生活に困っての犯罪。もう半分は……。恐らくは、彼に根付いてしまった性質による。
犯罪心理学を学んで、私が知ったケースの内の一つだ。
もし仮に。
と、私は思う。
もし仮に、少年院や刑務所といった場所が、本当に教育の為の場、社会復帰の為の場として機能できるのなら、このような少年の人生を救う事ができたのじゃないだろうか? そうなれば、それは社会全体にとっても利益になっていたはずだ。ただ、それを実現する為には、刑務所だけを変えるのじゃ駄目だろう。一般社会にも、彼らを受け入れる為の“何か”が必要になってくるはずだ。制度だけじゃなく、それも含めての“文化”が。
それを生み出す為には、一体、どうしたら良いのだろう?
私は思う。
不幸な境遇により世の中から外れてしまった人間。そんな人が、適応した最終的な社会が“刑務所の中”であってはいけない。
世間には、人生の半分以上を刑務所内で過ごす人間がたくさんいる。普通に生活していると実感できないけど、私達が暮らすこの社会にそういった人達は、確かに生活しているのだ。彼らは、決して別世界の住人などではない。この一般社会で、仕合せに暮らす事のできる普通の人だ。
……兄さん。
あなたは私達と同じ世界に住んでいるのよ。
お願いだから、それを思い出して。
私が犯罪心理学を学ぼうと思ったのは、刑務所に入った者が犯罪を繰り返してしまうという負の連鎖を少しでも防ぎたかったからだった。社会復帰が困難な世の中。どうして、そんな事になってしまっているのだろう?
――兄。私には、常習犯になり刑務所に出たり入ったりを繰り返す兄がいる。兄さんは、とても繊細で優しい人だ。幼い頃、いつも私を守ってくれていた。 (初め、罪を犯してしまった理由だって……) それは今でも変わらないのだろうと思う。だけど、兄さんは罪を繰り返す事を止められないのだ。兄さんの中の何かが、恐らくは狂ってしまったのだと思う。
もちろん、私がそういった問題に関心を持つようになったのは、その兄の事があるからだった。
……犯罪心理学を学んで、一番心に残ったのは、“犯罪”に関する考え方が変わってきたその歴史的な経緯だった。
誰でも直感的にそう思うように、或いは“思いたがる”ように、犯罪の研究の始まりは個人に目を向けたものだった。犯罪が発生するのは個人に問題があるから。一般の人はそう考えたし、学者達もそう考えた。恐らくは、今でもそう考えている人達はたくさんいるのじゃないかと思う。
だから、初期の研究において、学者達は犯罪を犯す者と法を守る者との違いを見出そうとした。たくさんのデータを取って、それらを比べたのだ。生まれに注目した研究も多かった。犯罪者が犯罪を犯すのは遺伝子にそのようにプログラムされているからだと考えたのだ。その反対に育ちに注目するものもあった。成育環境によって、犯罪者かそうでないかが決まる。しかし、それらはいずれも間違いだった。初めから、犯罪者になるように宿命付ける遺伝子など存在しないし、人の性質は生育環境によってのみ決まってくるものでもない。更に言うのなら、それは個人によって決まるものでもない。個人に注目をする発想は“犯罪”というものを捉えるのには、明らかに単純すぎる考え方だったのだ。
研究を進める内、徐々に学者達は自分達の見解の誤りに気が付いていった。
例えば、こんなケースが考えられる。
ある男がいるとする。その男は、ある社会においては、とても大人しい。何故なら、その社会ではその男を挑発するような人間はいないからだ。しかし、別の社会では、男は暴力的になる。その男を侮蔑する人間が多く、自分のプライドの為に、男は暴力を振るってしまうからだ。もちろん、身を守る為の過剰防衛が暴力に繋がっている側面もあるだろう。
このケースでは、男は一人では暴力的な人間では決してない。しかし、他者がどう関わるかによっては、その反応として暴力的な人間になってしまう。断っておくが、これは特異なケースではない。どんな人間にでもこれと似たような事は当て嵌まるのだ。人間は、一人では人間になれない。他者との関わり合いの内に人間になる。もちろん、犯罪も同じだ。犯罪とは他者との相互作用に発生する。つまり、それは人間関係によって発生する。人間関係。その前提となっているのは、もちろん社会だ。犯罪は、社会が生み出す。犯罪が少ない社会とは、犯罪を犯さない個人が集まった社会ではなく、社会の構造が犯罪を少なくする社会なのだ。もちろん、それは単純なシステムだけでなく、そこに存在する文化の影響もあるのだろう。結果として、犯罪心理学には様々な分野が統合され、社会科学的な分野になっていったのだ。
私はこれを勉強した時に、兄を思い浮べた。そして、兄もある意味ではこの社会の被害者なのだと思い至った。(いや、違うのかもしれない。私はそう思いたがったのだ)。
日本は、世界において極端に犯罪の少ない社会だ。それは誇っていい点だと思う。でも、それと比較して、犯罪者の社会復帰に関しては、残念ながら高い能力を持っているとは言えない。再犯罪率は極めて高い。それは犯罪者に対する偏見が強い事や、排他的な性質によるものなのかもしれない。一般の人間にとって、刑務所から出てきた人間は、別の世界からやって来た別の世界の住人なのだろう。なかなか、受け入れる事ができない。
一応断っておくと、前科がある事実を報せる義務は選挙以外ではない。だから、差別があったとしても、大きな影響はないと主張する人もいるかもしれない。しかし義務がなかったとしても、それでも自ずからその経歴は実生活に影響を与えるはずだ。例えば、頼る人間の有無。住民票が削除されてしまうケースの存在。それに伴う、……実質的な社会保険の喪失。受刑者からは、健康保険に加入する資格が失われてしまう事があるらしい。住民登録すれば再加入が可能だけど、それには一定の場所に居住している事が条件になる。人によってはそれも難しい。また、就職にも住民票は必要になってくる。どうにもならなければ、後はホームレスになるか、再び犯罪を犯して刑務所に戻るか……。
私の兄の場合は、もちろん、出所したばかりの頃は私が面倒を見ている。と言っても、直ぐに兄は出て行ってしまうのだけど。それで、刑務所に入ると、国民健康保険の納付が不可能である事から、手続きも何もしないでいると、その資格を失ってしまうという事実を私は知ったのだった。兄の場合は、私の住む家を住居にすれば、住民票の再登録が可能だったけど、身寄りがなくてお金のない人はもしかしたら、どうにもならないのかもしれない。
悲惨な現実だと思う。変えなくちゃいけないはずだ。でも、その方法を知る為には、もっと知識が必要だった。しかも、こういった点が関わってくると、犯罪心理学の知識だけでは足らなくなってくる。それで、他の知識も得ようとしている最中に、私は吉田君という社会学を専攻している学生と知り合ったのだった。
ネズミ。
その時、吉田君はネズミの本を読んでいた。大学の図書館での話。私はそれを偶然見かけて不思議に思った。彼が社会学の専攻生である事は知っていた。同じ課目を選択していて、何度か見かけた事があったし、前述した理由で、私は自分の専攻分野以外にも興味を持っていたからだ。特に、社会関係の分野には注目していた。
彼がただネズミの本を読んでいたのだったら、私は多分不思議には思わなかっただろうと思う。でも彼は、その時、他の社会学の本なんかと並べて、そのネズミの本を真剣に読んでいたのだった。しかも、どうやら何かの課題をやっている最中のよう。それで私はつい話しかけてしまったのだ。
「どうして、ネズミの本なんて読んでるの?」
吉田君は読書に熱中しているようで、そう私が質問をしても何も反応を返してはこなかった。それで私は、頭突きをかまそうかと悩んだのだけど、流石に初めて話す相手にそれはないかと思って止めておいた。その代わりに再び話しかけてみた。
「それ、社会学の課題やっているのでしょう? どうして、ネズミの本が関係してくるのかしら?」
タイトルを見てみると、“遺伝とネズミの行動”となっていた。ネズミの行動。少しは社会学と関係がありそうな気がしないでもないか。でも、
「そういう本は、むしろ生物学とかそういう方面の人が読むものじゃないの?」
三度、私が問いかけると、ようやく吉田君は反応してくれた。恐らくは、半ば意図的に無視していたのだと思う。
「人間は生物だよ」
一言、淡白にそう答える吉田君に、私は少し腹が立った。もう少しくらい、愛想良くしても良いと思う。いくらこっちがいきなり一方的に話しかけているとは言っても。
「確かに人間は生物だけど、それとネズミの知識が社会学に役立つのとは全く別問題だと思うわよ」
それで、ややむきになってそう言ってしまったのだ。吉田君は、チラリと私を見るとそれからこう言った。
「君、何度か見た事あるね。僕と同じ講義を受けている人だ。確かにその通り。役立つのかどうかは全く別問題だ。でも、役に立つんだよ。そしてそれは人間もネズミも同じ様に生物であるからこそなんだ。表面に囚われてないで、もう少し深く、偏見を捨てて学問に臨めば、きっとそれが見えてくるはずだよ」
私に挑戦的な事を言われて彼も少しは怒りを覚えたのか、それは少し険のある口調だった。
「私は篠崎よ。面白い意見だわ。でも、私はその内容を知らないから納得ができない。少し教えてくれない?」
私は、彼に感情の断片を見つけた事をちょっと面白く感じていた。そして、その時私は、彼を問い詰める事よりも、彼がそれから何を言うかに興味を覚えていたのだった。
彼は語りだす。
「この本には、ネズミの行動が遺伝子によるかどうかの実験が、数例書いてあるんだよ。それについての考察も一緒に。中には、実験方法とその結論に疑問が残るものもあるけど、少なくとも参考にはなる」
「それで?」
「例えば、“世話をする行動の遺伝”だね。自分の子供の世話を熱心にするタイプのネズミがいるんだ。そのネズミの行動は、遺伝子によるのかどうかの実験がある。
世話焼きタイプのネズミの子供を、他の母ネズミに育てさせてみる。逆に、他の子ネズミを世話焼きタイプの母ネズミに育てさせる。さて、次の世代のネズミはどうなるか?
もしも、遺伝的な子供が世話焼きタイプになれば、遺伝子が影響している可能性が高いと言える。しかしそうではなく、育ての親の行動が次の世代に受け継がれたのなら、遺伝子は関係なさそうだって事が言えるはずだ。
結果は、遺伝子を受け継ぐかどうかは関係なく、子供時代をどう過ごすかが、次の世代のネズミの行動に影響を与えたんだ。世話焼きタイプに育てられた子ネズミは、本当の子供でなくても世話焼きタイプの行動を執るようになったんだね。
さて、この実験結果を聞いて、篠崎さんはどう考える?」
私はそう訊かれて、少し考えるとこう答えた。
「動物の行動は、その全てが遺伝子によって遺伝しないという事が分かるかしら?」
吉田君はそれを聞くと、軽く何度か頷いた。
「うんうん、それでもいい。だけど、もうちょっと踏み込んで考えると、この結果はある種の環境は、次の世代に遺伝するという事実を物語ってもいないだろうか?
つまり、遺伝は、遺伝子によってのみ行われるのじゃないって事だね。
子ネズミの世話を確りするというネズミの行動は、原始的な文化とも表現できるかもしれない。文化。ならばそれは人間にも当て嵌められるはずだ。世界には、子供を大切に育てる文化を持った社会がある。その文化の人々の行動は、もしかしたら子供時代に自分が大切に育てられたという経験によるものなのかもしれない。なら、この考えを応用すれば、もしかしたら、子供を大切に育てる文化を、人間が意図的に作り出せるかもしれないじゃないか。
どう? 遺伝子とネズミの行動の関係は、社会学にもちゃんと意味があるだろう?
学問ってのは、積極的に役立たせていくものだと僕は思うよ。そのカテゴリーに囚われるのじゃなくてさ。はじめから、役立たせるつもりが全くないのに、役に立たないって言う人がいるけど、僕はそういうのには反対なんだな」
私はその話を聞いて、少し感動した。それで、その説明を聞き終わる頃には、もう彼に対して腹を立てていた事すらすっかり忘れてしまっていたのだ。
面白い。
だから、それで私は、それから私がどんな事をしてみたいのかについて彼に話をしたんだ。そして、それについての知識を欲しがっている事も伝えた。吉田君はその話をとても面白がってくれた。話している内に、共同で刑務所をテーマにした卒業論文を書くという話にまで発展した。正確には、“社会復帰を成功させる為の社会システム”だけど。同じ専攻教室の人間と共同作成するとどうしても観点が似たようなものになってしまうし、それに、この会話でも分かる通り、吉田君は自分の専攻以外にも、色々と変わった知識を持っている人だったから、都合が良かったのだ。
……問題は、何処の刑務所を主な卒論の研究対象にするかだった。本当は、数箇所を対象にできれば一番だったのだろうけど、流石にそこまでの労力はない。
結果として、私達が目を付けたのは、猿ヶ淵刑務所という少し変わった体制の刑務所だった。それにはもちろん理由がある。その刑務所は、とても再犯率の高い刑務所として有名だったのだ。普通の刑務所で、再犯率は50パーセントくらいだと言われているけど、その刑務所では少なくとも60パーセント、信用していいのかどうか分からないけど、70パーセントから80パーセントなんてデータもあった。つまり、今回の私達の卒論テーマの対象として適していたのだ。
ところが、調査を進める内、何点か問題がある事が分かってきた。一つは、猿ヶ淵刑務所が少々特殊な刑務所であるという事実。なんでも刑務所内にナノマシン・ネットワーク研究所があるのだという。ナノネットに関する専門的な知識や技能を持った受刑者を集めて、そこで作業をさせているらしい。そうなると、再犯率の高さとその研究所の関連性を疑いたくなってくる。ところが、私達にはナノネットに関する専門的な知識がない。流石に、吉田君もナノネットには詳しくなかった。もう一つは、労力の問題。ここの刑務所生活を経験した人を探し出して話を聞いて資料にするといった作業はかなり大変だ。出所者の生活を記録した資料を探すのだって難しい。場合によっては、それも調査しなくてはならないかもしれない。つまり、二人だけではとてもじゃないけど手が足りないのだ。
だから私は、もう一人誰かを巻き込む事にしたのだった。幸い、私の犯罪心理学専攻教室には、ナノマシン・ネットワークに縁のある後輩が一人いる。しかも、性格は素直で気が弱く、押しに弱そう。何しろ、いつも私が頭突きをかましても、文句一つ言わないのだ。協力者としては、最適だった。その彼の名前は、星はじめという。
……誘った時、星君はあまり乗り気ではないように思えた。校内の食堂で、コーヒーに誘って依頼したのだ。詳しい事情は知らないのだけど、ナノネットの専門家と知り合いというからには、ナノネットが好きで、その話題を気に入るかと思ったのだけど、どうもそんな態度ではなかった。
これは断られてしまうかな?などと思っている時、隣の席からこんな声がした。
「さっきの講義で、やたら犯罪者の肩を持つような事を言ってたけどさ。悪い事をやった連中の人権を保障するなんて、馬鹿げていると俺は思うけどね」
これだ、と私は思った。
怒っている振りをして、有耶無耶にしてしまえば、星君の性格から言って、きっと断りきなれないと私は判断したのだ。
でも。
怒っている振りのつもりで、その会話に反論をし始めた私は、いつの間にか本気で怒ってしまってる自分自身に気が付き、愕然となったのだった。涙目になり、吉田君に行動を止められすらしてしまった。結果的に、狙い通りに星君は卒論に協力をしてくれる事になったけど……。
どうしてだろう?
私は不思議に思う。幼い頃の記憶。兄さん。もしかしたら、その時私は兄さんを馬鹿にされたと錯覚してしまっていたのかもしれない。