24.晴れた空の下
(犯罪心理学専攻生・篠崎紗実)
兄が自首をした。
紺野さんのナノネット治療のお陰で、状態は随分と良くなっていたが、それでも紺野さんは不満そうだった。
「まだ、充分とは言えませんが、これ以上、里中さんを塀の中に入れておく訳にはいきません」
私も兄も、もちろん、その意見に反対なんかしなかった。実際に人を殺したのは兄だ。罰は受けなければいけない。
兄が自首をすると、問題なく里中さんは出所する事ができた。新聞やニュースにもそれは取り上げられて、『冤罪判明、罪を被ったその理由は、ナノネットの正体を暴くためだった』というような記事が載った。多分、紺野さんが何かをやったのだと思う。私は里中さんがそう言って、捕まった話を紺野さんにしている。
出所した里中さんには会っていない。何か、会い難かったからだ。
卒業論文の作成は、滞りなく進んでいた。ナノネットはテーマから外して、絞り込んだお陰でかなりスッキリしたと思う。吉田君や星君とも仲良くやれていた。もうぎこちなさはない。星君には、時々頭突きをかましている。しかしそんなある日、私はある記事を拾ってしまったのだ。それは浦上という男性の受刑者に関するもので、その男が罪の意識に駆られ、ひたすら懺悔を繰り返しているというようなものだった。
何か気にかかると思い悩んでいる内、私はそれが紺野さんの研究所で聞いた例の受刑者の名前だった事を思い出した。猿ヶ淵刑務所から仮保釈されたというナノネット“黄泉の国”の使者。
あの時の様子は色々とおかしかった。
更に私は、星君から祭主という高校生に、どんな能力があるのかを教えてもらった。なんでも、彼はナノネットに侵された人間の行動に影響を与えられるらしい。
もしかしたら、とそれで私は思ったのだ。
私は再び、紺野さんのナノネット研究所を訪ねた。
紺野さんは私を温かく迎え入れてくれた。ナノネットの実験か何かをやっている最中だったようだけど。
「今日は、何の用ですか?」
飲み物を出しつつ、紺野さんは私にそう尋ねて来た。私はどう返そうかと迷ったのだけど、正直に話題を切り出す事にした。まず、浦上という保釈中の受刑者に関する記事を紺野さんに見せる。
「ほほぅ」
と、紺野さんはそう言って私を見た。その視線を受けて、私は「星君から、祭主君の能力について聞きました」とそう告げる。紺野さんは何も答えない。
「あの時、この浦上という人は、窓の外にいたのじゃありませんか? そして、紺野さんはわざとナノネット・カプセルをこの人が盗んで飲んでしまうような発言をした。この人がこうなってしまう可能性を充分に知りながら」
それから私がそう言うと、紺野さんはこう返してきた。
「保釈の時期と、ここまでの距離。後は、ナノネットの反応を捉えれば、ナノネット“黄泉の国”の使者であるその人がどれくらいの時間帯にやって来るのかの凡そは予想する事ができました。それで、あなた方をその時間帯にここに招いたのです。襲われる可能性のある人は、全てあそこに集めたつもりです。もちろん、護る為に。祭主君に来てもらったのはその為ですね」
私はそれに何も返せない。確かに、仕方のない事情があったのは分かる。でも、私はなんだか納得がいかなかった。
「紺野さんは兄を救ってくれました。その気持ちに嘘はなかったと思います。でも、そういう意味での犠牲者というのなら、この人も同じなのじゃありませんか?」
紺野さんはアッサリとこう答える。
「同じでしょうね」
「ならば、何故……」
私がそう問い掛けると、それをかわすように紺野さんは微笑んだ。
「世の中は、そんなに都合良くはできていないのですよ。そして、人間には限界があります。もちろん、私にも」
その言い方がとても悲しそうなものだったからだろう。私は何も言えなくなってしまった。その後で、紺野さんはこう続ける。
「実はね。私は罪というモノの存在を信じてはいないのです。それは、人間が作り出した幻でしかない。でも、もちろんそれは意味のある幻です。それがある事で、人間達は自らの行動をコントロールしている。ただ、万能ではありません。だから、あなたのお兄さんに施した処置のように、時々補ってやらなくてはならない事がある。
ただ、自ずからそれには限界があります。だから、当然、こういったケースも出てきてしまう。もちろん、全ての人が救えるのならそれが一番なのでしょうが……」
そう言って、紺野さんは記事を指し示した。
この件で、紺野さんが何かの罪を法律的に犯している訳ではないのだろうと思う。紺野さんはただ単にナノネット・カプセルを盗まれただけなのだ。むしろ被害者だ。それも、人の世の限界と言えるかもしれない。
私がそんな事を思ったタイミングだった。
「篠崎さん」
と、紺野さんはそう言って再び語り始めたのだ。
「私達は、一人残らず人殺しなのだと思った事はありませんか?」
「どうしてですか?」
「私達の生活は、間接的に多くの人々に影響を与えています。私達の暮らしの犠牲になって死んでいる人は実は多くいるのでしょう。環境破壊の犠牲になったり、安い労働賃金で苦しんだり。そしてそういう状況を、平気で私達は無視している。そういう意味では、我々は全て罪人なのではないかと思います」
紺野さんの言いたい事は分かった。しかし私は何も返せなかった。何か複雑な思いが抜けなかったのだ。
「ではどうして、罪人である我々が罰せられないのかと言えば、それが社会制度として意味がないからです。間接的には、人を殺しているからといって、全員を罰する訳にはいかないでしょう。つまり、罰する罰しないの基準は、社会的な機能面にこそあるのです。罪のあるなしではなく。
あなたのやろうとしている事も同じですね。あなたは受刑者の社会復帰問題を扱った。それは、社会的に必要な機能です」
紺野さんはまだ続けた。
……或いは、感情的になって罪を犯す人達にもっと罰を与えるべき、と言う人もいるかもしれません。それで世の中の状況が良くなるのなら、それもいいかもしれない。しかし物事はそれほど単純ではない。恐らく、それは不幸な結果を招くはずです。あなたも知っている通りですが。
本当の意味での罪人などいません。その存在は不幸の一つの現われなのです。罪を犯した人もその被害者も、その意味では、全ての人は不運なる犠牲者でしょう。そして、それをどうする事もできない現状が転がっている。私には、自分のできる事しかできません。
――この世の中は、不都合な場所なのですよ。我々が、仕合せに生きるのに。
紺野さんはそう語り終える。私はその場では何も言わなかった。しかし、全てを聞き終えた後で、私は“でも”とそう思ったのだ。
でも。
帰り道。
晴れた空の下。
私は歩きながら“でも”の続きを考えていた。私は紺野さんように達観はできない。助けたいと思っている。例えば、兄のように敏感に反応し過ぎてしまう人も、浦上さんのように鈍感過ぎる人も。
そういう人達の全てが、犯罪者になる訳じゃない。もちろん、そうじゃない人も犯罪者になってしまう。そして、自分の問題を、克己している人だって多いはずだ。その為には何が必要なのだろう? 何が違うのだろう?
人の問題行動を抑えるのには、何より予防が重要だと教わった事がある。つまり、子供の生育が。それを踏まえるのなら、受刑者の社会復帰問題という狭いカテゴリで考えるよりも、もっと社会全体の大きな問題としてそれらを把握すべきなのかもしれない。……なら、私にはまだまだ勉強していない事も、考えていない事も山ほどあるはずだ。
そこまでを考えると、私は足を大きく踏みしめた。少し元気が沸いてきたんだ。そして、こう思う。
そうだ。まだ可能性はいくらでもあるんだ。仕方ないと諦めるには、私は、いや、私達は早過ぎるはずだ。
考えなくちゃいけない。
行動しなくちゃいけない。
一度駄目でも、その結果を元に、考えを改めまた行動する。それを繰り返すんだ。
晴れた空の下を、私はそう自分に言い聞かせながら歩いていた。この不都合な世の中という場所を、少しでも仕合せに変える為に。
2007年に施行された「刑事施設・受刑者処遇法」以前の資料を参考にしていたりもするので、現状とは合っていないかもしれません。まだ新し過ぎて、変わり続けている最中で資料が少ないし、そういった具体的な事柄に囚われずに普遍的な問題としてテーマを扱いたかったので、敢えてそうしました。
刑務所の話が中心になってしまいましたが、書いた本人としてもっと広い範囲で捉えてくれる事を望みます。
生物学で人間を評価したり判断したりはできません。何故なら、生物学的特徴は、人間の行動に、間接的(しかも、場合によっては何段階も経て)にしか影響を与えられないし、多数の影響を与える因子の内の一つでしかないからです。
しかし、では生物学が「人間の行動」に関して、何も役に立たないかといえば、それも違います。それは、ヒントをもたらしてくれる。銅などの微量必須元素の不足により、ストレスが溜まり、問題行動を執り易くなっていた(飽くまで、間接的かつ一因に過ぎません)、なんて例もあるそうです。こういう事例を集め、普及していけば、問題行動を執っている人達(または、その予備軍)を、引き戻す事ができるかもしれない(それは、少しの切っ掛けの差かもしれないんです)。
もちろん、自分自身にとっても役立たせられます。
最後に、こんな言葉を添えさせてください。
どうか、人間社会がより住み良い場所になりますように。