22.精神の牢獄
(天下り官僚・金田正)
エリート官僚と言っても、ワタシはその中では下の方だった。同僚が出世すると、慣例に従って職を辞し、独立行政法人の役職に付いた訳だが、その所為で、その独立行政法人も他の連中に比べて質が悪かった。
刑務所の販売側の経営を担う組織。あまり儲かる場所ではない。しかし、ワタシがその職に就くと俄かに状況は変わった。誰の意見だったのかは知らない。受刑者の中に、ナノマシン・ネットワークの技能を持った人間がいるから、その受刑者を使って、生産作業を行おう。そんな試みが実施され始めたのだ。ワタシには元よりやる気がなく、任期を無難にこなして退職金を貰う事しか頭になかったものだから、何も口出しをしなかった。勝手にしろ。ワタシの責任にならなければ、それで良い。
だが、それが当たった。受刑者の生産効率が極端に上がり、その反面、受刑者達の労働賃金は据え置く。正式な意味での労働者ではないのだから、猿ヶ淵刑務所の受刑者だけ賃金を上げる訳にはいかない、という大義名分があったから、これは問題なく行えた。むしろ、賃金を上げた方が、批判の対象になるかもしれない。結果的に、独立行政法人の収入が一気に上がったのだ。
だが、初めからそれほど巧くいった訳ではなかった。商売が上手くいき始めたのは、小村独歩とかいう科学者が受刑者として入所した頃からだった。詳しい話は知らないのだが、その男が斬新な改革を行ったらしい。
利益が上がると、ワタシの立場も必然的に強いモノになっていった。エリートの中では下の立場だったワタシには有り得ない話だ。ワタシは折角、手に入れたこの場所を離してはなるものかとしがみついた。このイスを奪おうと狙っている連中は山ほどいたのだ。既にある程度の権力を握っている連中である。浅ましい話だとワタシは思った。
俄然やる気になったワタシは、経営に色々と口出すようになった。猿ヶ淵刑務所で生産している主な生産物の一つに、農作物があると知ると、それを食堂に積極的に用いた。馬鹿にならない利益になるし、味を知った結果で色々とアドバイスができるだろう。もちろん、利益は上がった。ワタシはその結果に気を良くした。
実力主義、と世間の人間達はよく口にする。ワタシは長い間、それを上手く実感できなかった。学業において優秀な結果を残し、試験で高得点を獲得し、エリートとして人生を約束される。それこそが“実力”であると認識してきたのだ。それは組織内のシステムによって決められた評価の概念でもあった。それは一つの社会制度なのだ。もちろん、それだけという訳でもない。そこにはどうやって権力を握るのかといったパワーゲームも絡んでくる。権力を握ったものこそが、“実力者”であり、だから優遇されるのだ。富を得られる。その富とは多くの場合は国民の税金だから、それは奪い取っているものでもある。
だが、ワタシはこの経験によって、世間においての“実力”がワタシの経験してきた世界の“実力”とは異なっている事を理解したのだった。
ここでの実力とは、権力とは必ずしもイコールではない。組織、或いは社会に貢献した者こそが評価され、実力者として権力を握る。それが実力主義なのだ。税金を奪い取る。これは社会全体から観ればむしろマイナスだ。富を得れば、権力は強くなるだろうが、それは実力がある訳ではない。権力が強くなっているだけの話だ。だから、その社会制度の中では、立場が約束されていても、他の社会制度に入れば役に立たなくなる。
しかし、ワタシは違う。ワタシは組織の利益に貢献したからこそ、評価されたのだ。だから、この位置にいる。もちろん、官僚社会の一員でもあるワタシは、他の連中にもイスを用意し、役目を果たしもしたのだが。そうして権力も強くしていった。
時々、起こるトラブルはその権力を用いて潰した。優秀な働きをする受刑者を手に入れ易くする事にも利用した。ライバルにそれで差をつける事もした。
ワタシは自分の人生の凡そに満足していた。唯一気にかかる点といえば、時折、意識や記憶が曖昧になる事だろうか。何故そうなるのかは分からない。アルツハイマー病ではないようだ。今のところ実害はないから放っておいているが……。
ある日、秘書から連絡が入った。
紺野秀明というナノマシン・ネットワークの研究者から、面会の希望があるという。恐らくは、ウチがナノネットを扱っているからだろう。何かを売り込みに来たのだ。
ワタシは追い返すように言おうと思った。専門的な話をされてもワタシに分かるはずがないし、こういう話をいちいち聞いていると切りがなくなってしまう。しかし、
『通すように。ワタシの部屋で、二人きりで話したい』
と、ワタシはそう言っていたのだ。どうしてなのかは自分自身にも分からなかった。
紺野という男は落ち着いた雰囲気を持っていた。しかし、その落ち着いた雰囲気が仮面なのか、それとも本当にリラックスしているのかは判断がつかなかった。ただし、どちらにしろ何かを売り込みに来たといった感じではなかった。
紺野をソファに座らせると、ワタシは秘書を外に出した。それから、どうしてなのか、自然と口を開いていた。
『よくここが分かったな、紺野』
紺野はにやりと笑うと言った。
「あなたが猿ヶ淵刑務所で自由にやる為には、それなりの権力者を押さえておく必要がありますからね。それに… あなたのナノネット“黄泉の国”は、外に範囲を広げ過ぎています。それは武器にもなるが、同時に弱点にもなっている。黄泉の国はナノネットの中では鈍感な方ではありませんか? それならば、いくらでも調べようはあります」
紺野という男が“ワタシ”に用があって来たのでない事は明らかだった。ワタシに勝手に喋らせているワタシの中の何か… ワタシはそこで気が付く。ワタシの最近の曖昧な記憶。まさか。ワタシの中の何かはまた言った。
『なるほど。あのくまのぬいぐるみか。意外だな、アレがお前にそれほど協力的だとは思わなかったぞ。
……それで、今日は何の用だ?』
「なに。大した用はありません。ちょっとした答え合わせです。それに、もう一度あなたと話してみたくもあった。あなたは私の尊敬する研究者の内の一人ですから」
研究者? もちろん、ワタシは研究など何もしていない。この男は一体、何者と会話しているのだろう?
ワタシの中の何かは何も答えない。一呼吸の間の後で、紺野はまた言った。
「今回の里中さんに関わる一連の出来事は簡単です。早い話が、あなたは自分の領域の奥深くに里中さんを誘い込みたかったんだ。その為に、色々と回りくどい事をやったのではありませんか? ですが、私にはその動機が分からなかった。一体、あなたが何を狙っているのかが。
里中さんを誘い込む為に、あなたはかなり危険な事を行っています。ナノネット“黄泉の国”は、それほど磐石な体制の基に存在しているものじゃない。疑う可能性のある人間、或いは既に疑っている人間はかなりいるのじゃありませんか?
見つからないようにするには、細心の注意が必要だ。にも拘らずあなたは随分と大胆な事を行った。里中さんの妹を殺害したり、篠崎さんに幻覚を見せたり、篠崎さんのお兄さんに殺人を犯させたり。それは、一体何故なのでしょう? どうして、そこまでして里中さんが必要だったのか」
『ふん…… それを私が言うとでも思っているのか? 答え合わせと言っていたな。お前の予想を言ってみろ、紺野』
それを聴くと、紺野は嬉しそうに笑った。
「……あなたは主に意識を研究していました。意識とは何で、意識とは何処に存在しているのか。その過程で、様々な洗練された手法を開発していきましたね? その内の一つ。あなたがナノネットを形成するのに用いた独特の方法。自意識のコピーを増殖させ、核を多数形成し、それらを連携させる。ただし、これには問題点がありました。放っておくと、メインの意識がどれか分からなくなり、存在自体が破綻してしまう。つまり、実質的に自意識と呼べるものがなくなってしまうのです。そのナノネットの中に、基の人格は存在しなくなってしまう。あなたは、これを防ぐ為に、メインの意識を脳の奥深くに置く事を行った。違いますか?
つまり、ナノネット“黄泉の国”のアイデンティティを保つ為のカギは、あなたの脳の奥深くに封じ込められてあるんだ」
『よく喋る男だな。面白い話だが、飽くまで想像の範疇だろう? それを確信できる証拠はないはずだ』
ワタシの中の何かはそう言った。少なからず、乱れているように思える。
「なるほど。否定はしないのですね。あなたの中の、研究者としての良心に感謝します」
紺野はそれにそう返した。どうも、それだけの返答から自分の結論の正しさに自信を持ったようだった。ワタシの中の何かはそれに何も応えない。
『それで、だとすると、それがどう今回の件と結び付くのだ?』
「……しかし、そのあなたが執った方法にも大きな問題があります。もしも、カギを封じ込めた脳が機能しなくなれば、ナノネット全体が動かなくなってしまう。だから、例えばあなたの身体が死にでもしたら、そのままナノネット“黄泉の国”は機能しなくなる。そして、今あなたの身体は、あの刑務所の中で当にその寸前なのじゃありませんか?」
紺野は返答を待ったようだが、何もなかった。しかし、その沈黙はそれだけで彼の述べた事が正しいと証明していた。それは、ワタシにも直ぐに分かった。紺野は続きを語る。
「そう想定すると、あなたの執った大胆な行動の理由が分かります。急がなければ、あなたが死んでしまうんだ。それまでに自意識を解放しなくてはならない。リスクは気にしてられませんね。その為には、恐らく、物理的に頭蓋を破壊する必要があるのでしょう。誰かを操って、それをさせれば良いようにも思うが、簡単にはいかない。何故なら、あなた自身がそれを邪魔するからだ。原始的な脳の生存本能が、自分の身を護ろうとしてしまう」
そこまでを紺野が語ると、ワタシの中の何かはようやくそれを認めた。
『ナノネットの核を置いた場所が悪かったんだ。旧い脳には、理性による命令が効きにくい。自分の死を自覚すると、勝手にその命令を消去してしまう。だから私は、私の命令がなくても、私に対して殺意を抱く何者かを作り出す必要があったんだ。私の精神を、頭蓋から解放する為に』
「だから、元受刑者を操って、里中さんの妹を殺させたのですね。恐らくその頃既に彼はあなたの影響下にあったのでしょう。そして、彼の心を刺激し、犯人への殺意を植えつけた。それが里中さんだったのは、自分の殺害者をそのまま次の意識の座に用いる為でしょうか? ナノネットの技能を持つ若い優秀な人材が望ましかったんだ。あなたは里中さんの身体を乗っ取るつもりなのですね。
ただ、そのままでは里中さんの殺意は、妹を直接殺した犯人に向けられるている。だからあなたは、里中さんを猿ヶ淵刑務所に誘い込んだ後で、本当の犯人は自分である事を教えたのではないですか? 彼の殺意はそのまま、あなたへと向かう事になる……
あなたの描いた筋書きは、そんな所ではないでしょうか?」
なんだかこの男はとんでもない事を言っている。と、ワタシは思っていた。しかし不思議と気分は落ち着いている。多分それは現実感が沸いてこなかったからだ。あまりに常軌を逸しすぎているし、それに、ワタシはまるで夢を見ているかのような感覚の中を漂っていた。ワタシの中の何かは軽く笑った。
『ハハハ。よくそれだけの事を調べたものだ』
「“緒義理”という名を、猿ヶ淵刑務所の受刑者の中に見つけました。あるサイトに載っていたのですがね。調べてみると、その男は里中という苗字の少女を殺害していると分かったのです。あなたが操って殺させたのだ、と直ぐに分かりましたよ。後は、想像力です。私はあなたの研究内容を知っていましたからね。どんな事態に陥っているのか、結論出すのに時間はかかりませんでした。
そして、その結論に辿り着いたからこそ、この件にはもう手を出さないと決めたのです。それは、あの浦上という男を通じて、あなたにお伝えした通りですよ。もちろん、篠崎さんのお兄さんには自首してもらいますが、それまでは何もしません」
『お前は、あの浦上という男を壊したな。折角の私の兵隊を役に立たなくさせよって』
「彼は、勝手に私のナノマシンを盗んで飲んだだけですよ」
『よく言う。そう仕向けたのはお前だろうが』
「……彼は放置するには、少々危険な存在過ぎますからね。あなたのコントロール下に完全にある訳でもない。刺激を欲して、私か、篠崎兄妹を傷つけないとも限らない。あなたが比較的、あの男がやって来る時間を特定し易くしてくれたお陰で、全員、無事に済ます事ができましたが。
今回の件で、一番、私が恐ろしかったのは彼ですよ」
『まだ、安心するのは早いぞ。私の精神を頭蓋から解き放ち、状況が安定してきたなら、幾らでも同じ様な事ができる。お前は、今の私にとって危険過ぎる存在だからな』
ワタシの中の何かは、そう言った後で軽く笑った。ただし、その笑いには何だか力がなかったように思えたが。
「そうでしょうか?
私はもうあなたに会うのは、これで最後になると思っているのですが」
『なんだと?』
「あなたの試みは失敗しますよ。里中さんはあなたを殺さない。そう確信したからこそ、私は何も手を出さないと決めたのです」
『非理論的な物言いだな。お前らしくもない。誰でも頭の中にエラーが起こる可能性はある』
「その通りでしょうが。里中さんの頭の中に、ナノネットの干渉なしにエラーを起こすのは至難の技です」
『この議論に意味はないな』
「ええ。ただ、問題はないでしょう。慌てなくても、結果は出ます」
そう言い終えると、紺野は席を立った。
「あなたはどうやら、最期まで“精神の牢獄”から逃れられなかったようですね」
そして、そう言い残すとそのまま部屋を出て行った。ワタシは、自分の記憶がまた曖昧模糊なものになっていくのを感じていた。