21.クエスト
(受刑者・里中蛍)
黄泉の国の王。小村独歩。
ナノネット“黄泉の国”の反乱分子が作ってくれた自由時間を使って、ボクは多少、その男がどんな内容の研究を行ったかを調べる事ができた。もっとも、刑務所内で参考にできる資料は痕跡くらいのものだったけれど。
調べていく内、その小村独歩の研究が、意識に関するものである事が分かってくる。本来、ナノマシン・ネットワークは、人の意識とも深い関係があるものだから、それは不自然ではなかった。しかも、小村独歩はどうやらかなりの老齢らしい。自分の元からの研究の流れをそのまま変えないでいるのなら、むしろ意識を扱っているのは必然であるとすら言えるかもしれない。
痕跡の中から読み取れる内容に、自意識のコピーというものがあるのを見つけた。ナノネットにおいては、初歩の発想だけど、この男のそれは奥が深かった。自意識のコピーを何段階にも行う事によって生じる系と、その制御まで研究している。問題点も幾つも指摘してあって興味深い。
自意識をコピーして、ナノネットの核を形成する。更に、それらは自分自身をコピーし増殖を行う。幾つもできた核は、互いに連携し合って、一つの大きな系となる。
その研究内容はそんなものだった。自分自身によって作られた世界。何かしら不気味な印象を受ける。
その研究内容から、ボクはナノネット“黄泉の国”の核の内の一つ“真夜中”を思い浮べた。ボクにコンタクトを取ってきたアイツをボクはそう名付けたんだ。理由は簡単、アイツが真夜中に現れるからだ。恐らく、“真夜中”はこうやって発生したモノの内の一つなのだろう。
小村独歩は自分のシステムの問題点として、連携から外れ反発する核が現れる可能性を意識していたようだった。しかし、こうやって実際に分裂してしまっている以上、それを解決する試みには成功しなかったのだろう。優秀な科学者だとしても、当たり前だけど、失敗もあるんだ。
救護施設に繋がっている、一つの大きなリンクを見つけた晩、ボクは早速“真夜中”にその事を告げた。もちろん、そこに小村独歩がいる可能性が高いとも。
“真夜中”は思ったよりも反応をしなかった。しかし、ボクの考えを否定もしない。一瞬の間の後で、こう応える。
『分かった。あなたがアソコに入れるように、なんとかしてみるよ。準備ができたら告げるから、そうしたら仮病を使ってくれ。救護施設に入れるようにしておく』
そのニ三日後に、“真夜中”は仮病を使うようにとボクに言った。ボクはこういった演技があまり上手い方じゃないのだけど、頭が痛いと訴えると、簡単に刑務官はボクを救護施設に入れてくれた。
救護施設は、別世界のように感じられた。刑務所内とはまるで違う。猿ヶ淵刑務所だけがそうなのか、他の刑務所もそうなのかは分からなかったけど、ボクはその印象からそれはここがボスの巣だからじゃないか、と勝手に推測した。
救護施設に入れたと言っても、それで自由に動き回れる訳じゃない。受刑者である自分は、確りと閉じ込められている。そこで小村独歩を捜す為には、やはり“真夜中”のサポートが必要だった。ナノネットであるアイツは問題なくここにも入って来られるはずだ。
初日の晩、やはり“真夜中”は現れた。独居房よりも病室が広いからだろうか、アイツの闇をいつもよりも深く感じた。黒いモヤは怪しくザワメキながら告げた。
『一人、深い昏睡に陥っている受刑者を見つけたよ』
昏睡に?
『ソイツが怪しい。
明日、何とかして君が自由に動けるような時間を作る。その時に、A棟3階の一番奥の部屋を目指してくれ』
そのまま、ボクが何かを質問する間もなく“真夜中”は消えてしまった。ボクは少しだけ奇妙に感じた。手際が良すぎる。ボクの手助けなんかなくても、アイツは目的を達成できるのじゃないだろうか?
しかし、そこで思い直す。
アイツは物理的な存在じゃないんだ。居所が分かったとしても、相手を殺す事なんてできないのだろう。直ぐに消えたのは、ここが敵の本拠地だからなのかもしれない。ただ、それでも気になる点があった。
果たして、昏睡状態に陥っている人間に、ナノネット“黄泉の国”を支配できるものなのだろうか?
だけど、そう考えてから、ボクはその考えも否定した。
いや、違う。それは逆なのかもしれない。むしろ、昏睡状態だからこそ、小村独歩はここの支配者でいられるのかもしれない。眠ったままであったとしても、自意識が機能していないとは限らない。昏睡状態であるのは、意識を、自分の身体ではなく、ナノネットに傾けている結果なのかもしれない。
次の日、何事もなく時間は流れ、ようやく夕刻過ぎに変化があった。“真夜中”が現れたのだ。ただし、もちろん、声だけでその姿はなかったけれど。
『さて。殺しにいくよ』
“真夜中”は、そう告げた。
ボクはそれに少しだけ震える。これでようやく、妹の恨みが晴らせる。そう、頭に刻み込んだ。
次の瞬間、ドアがノックされた。
コンコンッ
ドアの外からは刑務官の声が。
「検査の時間だ」
検査があるなんて話は全く聞いていなかった。恐らくは、“真夜中”が仕込んだ何かなのだろう。
ボクはゆっくりと、ベッドから這い出るとドアの前に立った。格子の隙間から、刑務官がボクを確認する。ボクが手を後に組んで待機すると、刑務官はドアを開けた。
ボクの称呼番号を呼ぶと、刑務官は検査を行うから付いて来いと言った。ボクは黙って付いていく。何が起こるのだろう?と思いながら。
やがて、検査室の前まで来ると、ボクはその中に入れられた。
おかしい。尿検査用のカップが置いてあったけど、ただそれだけだった。検査と言っても形だけだとそれが証明していた。そして、明らかに警備が手薄すぎる。確かに刑務所は人手不足らしいのだけれど、幾ら何でもこれは酷い。そう思っている最中だった。警報が鳴り響いたのだ。
検査室の前にいる刑務官の気配が、それで消えてしまった。走り去る音が聞こえたんだ。警報に反応して現場に駆けていったのだとは直ぐに分かったけれど、本来ならボクを忘れるなんて有り得ないだろう。つまり、これは行動し始めろ、と言っているんだ。A棟3階の一番奥の部屋。ボクはそれを反復した。
ドアを開ける。すると、本当に誰もいなかった。ただ。
暗がりに亡者がいるのが見えた。白く細い餓鬼のようなもの。手を開いて、驚いたような顔をして、ボクを見ている。その餓鬼はそれから頼りなく、指を廊下の奥へと指し示した。ボクに進むべき道を教えている。
ボクは軽く戸惑いながらも、その通りに歩き始めた。走るべきか悩んだけれど、歩く事に決めた。ただし、早歩きで。
不自然に人はいなかった。恐らく、警報の音で皆、現場に駆けつけてしまったのだろう。冷静に考えれば、おかしな話だったかもしれない。しかし、その時のボクには、それを疑う余裕なんてなかった。
やっと、復讐ができる。
やっと、妹の恨みを晴らせる。
その為に人生の全てを犠牲にしたんだ。ボクは。
救護施設の天井を、何かが歩いているのが見えた。それは二匹の鬼達だった。鬼達は口パクで何かを言っている。
頭をかち割ってやるんだよ。
多分、そう告げている。
指で示す先。観ると消火器が置いてあった。重くて堅い。ボクはニヤリと笑う。そうか、あれで殺せと言っているのだな。
ボクはそれに従って、消火器を持った。不思議と重さは感じなかった。信じられないくらいの力を自分は得ているのだ、とそれでそう思った。きっと、やっと復讐を果たせる想いで興奮しているのだろう。
殺してやる。
そう繰り返した。
やがて、救護施設のあらゆる影の部分から、亡者達が溢れ始めた。こいつらは皆ボクの味方なんだ。そう思った。影でできたそいつらは、ゆらゆらと手を振っていた。
『いいかい。頭だよ』
突然、そう告げられる。
気付くと、ボクの横に黒いモヤが現れていた。“真夜中”だ。ボクはそれを歓迎する。今まで何処に隠れていたのだい?
真夜中は更に告げた。
『一口に“意識”と言っても、定義は様々に設定できる。もしも、それに自由意思まで含めるのなら、新しい脳にその座を求めなくてはいけないかもしれない。しかし、壊されると意識障害が起こる場所は、旧い脳なんだ。自意識ですら、旧い脳に求められる。
いいかい?
小村独歩はそこにいるんだ。アイツが自分を自分と定義している場所は、脳の奥の奥なんだ。原始的な部位だよ。だから、君が狙うべきは頭なんだ。頭の奥の奥にいるアイツをぶっ殺してやるんだよ。アイツはソコに閉じこもっている』
なるほど。なるほど。とボクはそれに頷いた。
小村独歩の意識のコピーども、お前らはオリジナルが憎いのか。それでボクにそれを壊せと言っているのだな。
いいさ。
ボクが殺してやる。ボクはお前らにとっての英雄なんだ。
アハハハ!
やがてボクはA棟の3階の奥についた。脳の奥の奥だ。ドアには、当然、カギなんかかかっていなかった。
開ける。
ボクは興奮していた。この奥に妹を殺した冥府の王がいるんだ。ボクはそいつを退治してやるんだ。みんなはそれを喜ぶはずだ。篠崎さんだって、大満足さ。だってボクは黄泉の国を壊すのだから。だけど。
ドアを開けると、眩いばかりの光にボクは包まれた。
そして。
そして、
観ると、そこには老人が一人、チューブに繋がれて横たわっていたのだ。
生命維持装置がつけられている。それは今にも老衰で死んでしまいそうな、たった一人のか弱い老人だった。これが冥府の王だって?
病室は廊下に比べれば随分と明るく、そして現実的だった。ボクは今までの自分の体験が夢だったのじゃないかと、慌てて振り返ってみた。すると、開きっ放しになっているドアの向こうには亡者どもが。しかも、ボクに殺せ、殺せと訴えている。
夢じゃない。
どうしてなのか、急にボクは冷静になってしまっていた。そこにいるのが、想像していたような魔物ではなく、ただの哀れな老人に見えたからなのか。あんなに軽かった消火器が急に重く感じられる。
ボクは再び振り返った。亡者どもは、やっぱりボクに殺せ殺せと訴えていた。しかし、明るいその部屋には入って来られないようだ。
どうしてだ?
ボクは再び、消火器を振り上げる。しかしそれを振り下ろせない。
その時、
『お兄ちゃん』
声がした。振り返るまでもない。それは、妹の声だった。妹がボクに訴えている。
『ソイツはワタシを殺したのよ』
多分、それは“真夜中”の声だった。アイツの正体は妹だったんだ。だから、ボクはアイツの声に従ってしまっていたんだ。
何故か、そう思えた。そして、その瞬間に再び憎しみが膨れ上がった。この領域では、どうやらナノネット“黄泉の国”の効力が消えてしまうようだ。だから興奮が治まる。しかし、そんなモノはボクには必要ない。何故なら、ボクの、妹が殺された事に対する憎しみは本物だからだ!
ボクは再び消火器を振り上げた。
オマエを殺してやる!
絶対に!