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13.黄泉の国へ

 (受刑者・里中蛍)

 

 殺人の罪を被ったのは、その場での思い付きだった。自分でも、どうしてそんな考えが頭に浮かんだのかは分からない。しかし、何故かその時は良い考えだと判断していた。殺人の罪を被れば猿ヶ淵刑務所へ入る事ができる。猿ヶ淵刑務所には、あの妹を殺した変態の緒義理がいる。堀の中に入れさえすれば、チャンスはきっとあるはずだ。絶対に緒義理を殺してやる。

 篠崎さんは戸惑っていた。当然だろう。まさかボクが罪を被ると言い出すなんて思ってもいなかっただろうから。だからボクは彼女を説得したんだ。無理矢理のこじつけで言い始めたのだけど、一度言い始めてしまうと、驚くほどもっとらしい理屈が自然と出てきた。

 「猿ヶ淵刑務所に入って、ナノネットの秘密を暴く。その為には、ボクは捕まる必要があるんだよ。これは、チャンスだとも言えるんだ。ナノネット“黄泉の国”を潰す。それができるのは、今の段階ではボクしかいないはずだ。潰した後で、本当はボクがやっていない事を明らかにすればいい……」

 あまりに自然に次々と出てくるものだから、自分でも本当にそんな考えを持っていると勘違いをしてしまったくらいだ。でも、冷静になれば、自分にナノネット“黄泉の国”を潰すつもりなんて全くない事は明らかだった。ボクは復讐がしたい。ただ、それだけだ。その為ならば、手段は選ばない。それで例え一般社会から、隔絶された立場になったとしても。別の世界の住人なってしまったとしても。

 ボクは復讐がしたい。

 もちろん、少しは罪の意識を想いもした。上司は悲しむだろう。同僚だって、きっと。無論、家族も。篠崎さんは、心からボクを信用しているのかもしれない。ボクの行動に、感謝すらしているのかもしれない。ボクは、そういった諸々の全てを裏切ったのだ。後悔が全くないと言えば嘘になる。だけど、もう既に取り返しのつかない所まで来ている。それに… 留置所から起訴され拘置所に移送され、裁判が始まる。そういった経過をボクは楽しんでいたんだ。少しずつ猿ヶ淵刑務所が近付いてくる。復讐ができる。それが現実になる。ワクワクした。その感覚は、後悔という感情を簡単に包み隠してしまった。

 裁判で僕の有罪が確定した。そして、猿ヶ淵刑務所に入れられる事が決定した。

 

 入所の日。空は曇っていた。何人かの刑務官には見覚えがあった。見学の時に見た顔だと思い出す。その中の一人に、ボクは突然、こんな事を言われた。

 「ようこそ、あなたの入所を、お待ちしておりました………」

 何の事かと思った。不気味に感じはしたけど、皮肉だろうと判断して、気にしないようにした。

 猿ヶ淵刑務所には一度入った事があったけど、それは見学者としてだ。受刑者として猿ヶ淵刑務所に入ると観え方はまるで違った。鬱屈とした雰囲気。誰も喋らない無言の空間の異様。そういった要因が、自分自身の事として直に実感させられる。強い圧迫感を感じた。

 この刑務所は二つの区間に大きく分けられている。ナノネット研究開発、または応用関連の仕事を行う者の区間と、それ以外の雑務をこなす者の区間。当然ボクは、ナノネット関連の区間に入れられた。だけど、どこまで確りと世界が分けられているかは分からない。雑居房、独居房、仕事場は、区間が明確に異なっていると判断した方が良さそうだったけど、でも、食堂や入浴場、娯楽室まで分かれているとは限らないだろう。

 語るまでもないかもしれないが、それはボクにとって大問題だったんだ。何故なら、ボクが殺したいと思っている緒義理は雑務担当だろうからだ。ボクとは入っている区間が違う。接触する機会がなければ、殺しようもないのは当然の話だ。

 刑務所には雑居房と独居房がある。集団生活を行うのに支障がある場合は、独居房に入る事が多いらしい。その他の者達は雑居房だ。ボクは、雑居房に入れられた。

 雑居房には、色々なタイプのヤツがいた。とても犯罪など犯しそうにないような大人しそうなヤツ、かと思えば、筋骨たくましい大男。ナノネット関連だから、ヤクザ者はいないのじゃないかと思っていたけど、数人はそんなヤツがいるらしかった。

 初めての日は仕事はなかった。どうしてなのかと思ったけど、色々と手続きなんかで戸惑っているらしい。ナノネット関連の技術需要はこの場所では高い。もしかしたら、複数の刑務官がボクを取り合っているのかもしれない。

 夕食の時間になって、食事が出た。思ったよりも、食事の質は悪くない。ただ、白飯に麦が混入していて噛み難かった。それに、食事の時間も短い。監視されているので、それも苦痛だった。

 食事の前、突然隣の男が不意にこちらを見てこんな事を言った。

 「ここの飯を食うとな、この世界のものになっちまうんだよ。もうお前は、外の世界へは帰れないぜ」

 監視されている中で、何を言い出すのかと驚いたが、その言葉に刑務官は何も反応をしなかった。まだ刑務所に入って、少ししか経っていないけど、普通は勝手に喋ったりしたら怒られてしまうくらい知っている。ボクはそれを不可解に感じた。そして、同時にその言葉で思い出しもしたんだ。この猿ヶ淵刑務所には、ナノネットが巣くっている事を。ナノネット“黄泉の国”が影響力を持って存在している。

 少しだけ、箸を持つ手が震えてしまった。もちろん、食べない訳にいかない。ボクは夕飯を口へと運んだ。ナノマシンの塊、ナノネットの端子でもあるその夕飯を。これを食べると、ボクは黄泉の国に囚われてしまう。

 

 ………。

 

 その日の晩、ボクは上手く寝付けなかった。初めての場所だし知らない人間が周囲にたくさんいる、何よりここは刑務所の中なんだ。それに、ナノネットの事もある。無理もないだろう。どれくらい時間が経過したかは時計がないから分からなかった。でも、かなり夜遅い時間帯である事は、確実だろうと思う。見回りの足音がした。でもなんだか様子がおかしかった。足音が一つ、また一つ増えているようだったんだ。

 カツーン(カツーン)

 カツーン(カツーン)

 カツーン(カツーン)

 懐中電灯の灯りが幾筋も外に見えた。雑居房には鉄格子の窓があって、廊下の様子を見る事ができるんだ。足音と共に、その灯りも増え、強くなっていく。

 何が始まるのかと思った。足音は、ボクの雑居房の前まで来ると止まった。刑務官達だという事は簡単に分かった。でも、こいつらは一体何をやっているのだろう?

 光が雑居房の中を照らす。しばらくそうしていた。それから連中は、一人ずつその場を離れ、徐々に消えていった。

 雑居房の中を確認していたのは分かる。でも、何の為に? この雑居房で異質な存在といえば、今日入ったばかりのボクしかいないのじゃないか?

 ボクを監視に?

 仮にナノネット“黄泉の国”の影響なのだとして、その行為に何の意味があるのか、ボクには全く予想がつかなかった。次の晩からは、そんな気配は感じられなかったけど、ボクが寝た後で“それ”が行われている可能性は否定できない。

 軽視していた黄泉の国の存在を、ボクは徐々に不気味に感じ始めていた。連中の目的は一体、何なのだろう?

 

 ………。

 

 ニ、三日は何事もなかった。

 仕事はナノネットに関わっている者ならば誰でもできそうな濃度の管理で、やり方があまり効率的ではなかったから、自分で工夫して効率良くしてやった。マニュアルにはないその行動を注意されるかと少し心配したけど、それはなかった。ただし、その行動はボクの立場に別の影響を与えた。配属先が変更になったんだ。ボクはどうやらその単調な作業から、もっと別の職場へと移動するらしい。つまりは、実力が認められたという事だろうか。

 それは、ボクにとってあまり良い事ではなかった。何故なら、緒義理とより離れてしまうだろうからだ。ヤツに接触する機会がなくなってしまう。そうなれば、ヤツを殺せなくなってしまう。

 新しい職場は、ナノネットの研究開発になるらしかった。そして、それに伴って、ボクは雑居房を離れる事になった。独居房に移るらしい。刑務官からは、「出世すると嫌がらせの対象になるんだ。新人ならばなお更だ。お前を、護ってやるんだよ」と、そう説明された。

 確かに雑居房で生活し始めて、多少の嫌がらせをボクは受けていた。ただ、そういう事はあるのだろうと覚悟もしていたし、恐れていた程でもなかったから大して辛くもなかったのだけど。自分でも驚いたけど、雑居房を離れる時、ボクは少しの寂しさを感じた。

 予め調べていた通り、ここの刑務官達はナノネットに関する知識が少なかった。だから、ボクの具体的な配属先は、外部の専門家との面談によって決定されるらしかった。

 外部の専門家は、眼鏡をかけたやや小太り気味の人の好さそうな男だった。詳しい素性はもちろん、その男の名前すらも教えてもらえなかった。ただ、大らかだが仕事に関しては真面目そうな印象を受けた。軽く話してみた感じでは、ナノネットに関しての知識も豊富そうだった。

 しばらく話していると、徐々に打ち解けてきた。ボクは信用をされ始めたようだ。大体の配属先が決まると、その男は不意にこんな事をボクに尋ねてきた。

 「ここに入って……、その、何か変わった経験をしたりしていないかい? いや、もちろん刑務所での生活は、全て変わった経験なのだろうけど、そういった事ではなく」

 男が何を言いたいのかは、直ぐに分かった。ナノネット“黄泉の国”の存在。それに、この男は薄々勘付いているのだろう。外部の人間だから、ナノネットに侵されていないんだ。ボクは躊躇したが「分かりません」と、それにそう答えておいた。今はまだ、黄泉の国に関しては知らない振りをしていた方がいいと判断したんだ。男は少し怪訝そうな表情を見せはしたが、それ以上を追求してはこなかった。

 「そうか。いや、君も気付いているだろうが、ここのナノネットには精神感応タイプのナノマシンが用いられているのだよ。もしかしたら、何かあるのかと思ってね」

 会話はそれで終わったけど、ボクはこの男を利用すれば、ナノネット“黄泉の国”の存在を公にできるかもしれないと、そう思ったのだった。もっとも、ボクにその意志はないのだけども。緒義理を殺す事だけが、ボクの目的だからだ。

 (もっとも、その後でなら……)

 

 ボクの配属先は、発酵関連のナノネット研究室に決まった。薬のナノネット研究とも関連があるし、この刑務所内の研究所で最も人手が不足している場所でもあったからだ。

 パソコン画面を見て、ボクは少しの感動を覚えた。まさか、刑務所に入ってパソコンを触れるとは思っていなかった。取り敢えず、見ておいて欲しいと指示を受けた、課題一覧という名のファイルをクリックする。すると、そこには課題と共に、重要度と優先順位がズラッと記述されていた。

 少しだけ胸が躍った。思ったよりも、楽しそうな仕事だ。得られる報酬よりも、仕事そのものに対する職人的な快感。そういった内発的な動機付けを、恐らくボクは持っているのだろう。

 上から順に流し読みをして、今の自分のスキルとここの設備でも解決できそうな問題をメモしていく。資料が足らないもの、機材が足らないものは後に回す。後で、刑務官と外部の専門家に状況を説明して、取り寄せてもらえばいい。

 気が付くと、ボクは仕事に熱中していた。緒義理に接触しなくてはいけない事も忘れて。

 

 夜間独居の生活は悪くなかった。もちろん、独居房に移ったといっても、その生活は規則に縛られている訳だけど、雑居房の頃に比べれば、随分と楽になったと感じる。雑居房を出る時に、寂しさを感じはしたけど、やっぱり一人の方が落ち着くんだ。

 ただ、その生活にも異変があった。真夜中の事だった。誰かの気配をボクは感じて目を覚ましてしまったのだ。

 部屋の中は真っ暗で、何も見えない。だから何がいるのかは分からなかったけど、確かに誰かがいるようなのだ。

 「誰だ?」

 ボクは声を上げた。

 『起こしちまったか』

 その誰かはそう答えてきた。その声にボクは戦慄した。ここは独房だ。どうして、他の誰かが入ってこられるんだ?

 『心配するな。オレはここの同居人だよ。お前と同じ、受刑者の一人さ。ルームメイトだな』

 声は続けて、そう説明してきた。気配はする。しかし、姿はまるで分からない。暗闇の中から声だけが。まるで、闇そのものが声を発しているようだった。

 「ちょっと待ってくれ、ここは独居房だぞ? どうして、ルームメイトがいるんだ?」

 ボクの疑問に、闇の中の声はこう答えてきた。

 『何にも知らないんだな、あんた。

 刑務所は、どこも定員オーバーなんだよ。独居房のはずが、数人一緒なんて事も珍しくないんだ』

 それにしたって、そんな話はまるで聞いていない。そうボクが思うと、そいつはそれを見透かしているかのように。

 『刑務官が、わざわざ受刑者にそんな説明をする必要がどこにあるよ? オレは作業の関係で帰ってくるのが遅いんだ。朝はお前よりも早いしな。だから今まで気が付かなかっただけで、オレはずっとここで寝ていたんだぜ。布団は外から持ってきているんだよ』

 それを聞いてボクはますます疑問に思う。いくらなんでも全く気付かないなんて事があるのだろうか? ボクはここに入ってからの数日間で、他人の気配を感じた記憶がまるでなかったんだ。

 『そろそろ寝ようぜ。こんな話をいくらしても仕方ないだろう。お前がどう感じていようが、事実オレはここにいるんだからな』

 確かに男の言う通りだった。どれだけボクが訝しげに思っても、どうにもならない。ボクは妙な居心地の悪さを感じつつも、それ以上を追求しないで寝た。朝起きると誰の姿もなかった。やはり誰かがいたような跡は全く見られなかった。

 

 ………。

 

 その日を境に、その男は毎晩現れた。

 気配はする。でも、真っ暗闇の独房ではその姿を見る事はできない。そして、朝になるといない。

 明らかに不自然過ぎる。

 刑務官にはそれを質問しなかった。質問すると、罰せられるからだ。それに、何故か質問しない方が良い気もした。

 そんな生活の中で、ボクは徐々にその男の正体をナノネット“黄泉の国”じゃないかと考え始めていた。あの男の存在は、ナノネットが感じさせる幻。そう考えれば、納得できる。もちろん、だとしても疑問は残る。どうしてそんな幻を、黄泉の国がボクに見せているのかが分からないんだ。

 篠崎さんに聞いた話だと、彼女の体験した黄泉の国の見せた幻はもっと激しかった。まるで地獄絵図のような光景を見せられ、そして脅されたという。ボクと彼女との違いは明らかだ。彼女は黄泉の国を潰そうとしていた。彼女の場合は、だから黄泉の国全体の敵だった事になる。容赦なく、黄泉の国から攻撃される理由があった訳だ。それに対してボクにそんなつもりは全く無い。そして。あの男の存在が、黄泉の国の見せる幻だとするのなら、まるで何かから隠すように控え目に接触してきている。

 仮に、こう想定してみた。

 ナノネット“黄泉の国”は、統制が取れていない。いくつか核が存在し、反発し合っている。その内の一つが、他の核に知られないように、ボクに何らかの理由で働きかけてきている。

 ――だとするのなら、このままでは終わらないだろう。あの男…… いや、ナノネットには次のアクションがあるはずだ。

 

 ……ある日、それがナノネットのアクションなのかどうかは分からないけど、驚くべき出来事があった。ナノネット分布を調べる機械が、ボクの職場に搬入されたんだ。それはボクが申請を出したものだった。申請をした事はしたけど、まさかボクはそれが認められるとは少しも思っていなかった。かなり高価なものだったし、それに、その機械があるとナノネット“黄泉の国”を調べる事すら可能になってしまう。黄泉の国が、そんな危険を冒すとは考え難いだろう。

 でも、実際に目の前にその機械は搬入されてきていた。しかも、それを使う権限はボクにしか与えられていなかった。代理権限で他の人が触る事すらできない。

 さて。これをどう受け止めれば良いのだろうか。

 普通に考えるのなら…… 調べろ と言っていると判断するべきだろう。ここを支配しているナノネット“黄泉の国”を。

 

 ボクは訝しげに思いながらも、その機器を用いて慎重にナノネット“黄泉の国”を調べ始めた。どれだけこの刑務所内に広く分布し、そして人に影響を与えているのかを。一体、この先何が起こるのだろう? と思いながら。

 ――そしてそんな時に、それまでとは違った異変が起こった。昼間、研究の仕事をしていると、ボクの頭の中に直接、言葉が響いたんだ。

 『聞こえますか? お久しぶりです、里中さん。僕は星です。今、ナノネットを通じてあなたに直接言葉を送っています。驚かないで聞いてください。あなたは罠に嵌った可能性があります』

 ボクは軽く混乱し始めていた。

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