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0.相互ネットワーク系としての脳

このシリーズでは、意図的に一人称複数視点で物語を進めています。でもって、できるだけそれぞれの主体となる人物の文体を分けるよう努めているのですが、今回は書いている内にどうしても限界に陥ってしまって、ある登場人物の文体を子供っぽくしてしまいました。純粋に技術的な限界でそうなっただけで、他意はない事を予め断っておきます。

 (犯罪心理学専攻生・星はじめ)

 

 ――始まりは骨相学。

 脳の構造に関する論争は、医師で解剖学者でもあったフランツ・ヨーゼフ・ガルによって始まりました。彼は、身体的特徴、つまり脳の構造が人の性格や行動の原因になっているという発想を、初めて明確に提示したのです。そして、その発想を基に、彼は“骨相学”という学問を立ち上げました。

 骨相学。

 現代では疑似科学の一つに数えられる事もある学問ですが、この学問を簡単に説明すると、脳の構造を反映しているはずの頭蓋骨の形状を調べれば、人間の性格を判断できる、というようなものです。

 この学問には、多くの賛同者が現れもしましたが、同時に批判も少なくありませんでした。わずかな臨床例しか基にしておらず、信用するに値しないと考えられたのです。そしてその批判は、発想の基礎的な部分にも向けられました。

 脳の構造と、その機能の関係。

 骨相学では、脳の部位が、それぞれに対応する機能を持っていると考えました。例えば攻撃行動なら、攻撃に関する脳の部位があって、そこが活性化すると攻撃行動が起こるのだ、と考えます。当然、それに相当する部位が発見できるはずだ、とも予想しています。つまり、脳の“機能局在論”です。

 これに対し、脳をそれぞれの部位に分けるのではなく、全体が一つとなって総体的に機能する器官と考える発想、つまり、脳の“総体論”が唱えられ、反論がなされました。

 やがて骨相学自体は、衰退していくのですが、この“機能局在論”と“総体論”という二つの発想は生き残り、その後も長期間、論争が続きました。そしてこの論争は、自然科学的な領域だけでなく、社会科学的な領域にとっても大きな意味があったのです。

 脳の機能局在論が正しいとしましょう。例えば、殺人衝動の原因となるような脳の部位があったとします。すると、その部位が発達している人間は殺人を犯し易いという事になってしまい、社会的な差別の対象となる可能性が出てくるのです。極端な脳の機能局在論は、社会的な危険性を孕んでいると言えるでしょう。ですが、総体論が正しいのなら、このような単純な見方はされない事になります。

 この論争は、途中までは機能局在論が優性でした。機能局在論が正しい事を示すような証拠が次々と発見されていったのです。ブローカ野と呼ばれる発話に関する部位、食欲や呼吸、体温調節を担う部位、手足などの筋肉を動かす部位などが発見されていき、そうした発見から、脳の機能マップが作成され、病状から脳の何処に障害があるかを予想できるようにすらなりました。脳の科学の発展の多くは、機能局在論に基づいて為されたという表現が可能かもしれません。しかし、そうして研究が進んだのにも拘らず、攻撃中枢のような部位は発見できなかったのです。また、それらのデータはどれも相関関係を示しているに過ぎず、完全に因果関係であると証明された訳でもなかったのでした。だからこそ、下火になったとはいえ、脳の総体論は生き残り続けました。そして、研究が更に進むと、機能局在論では説明のつかない現象が報告されるようになり始めたのです。つまり、脳の機能局在論では理解の限界があったのです。

 脳の機能局在論では説明のつかない例の一つとして、感情と深い関係にある“扁桃体”と呼ばれる部位があります。この部分が破壊されると、感情の機能が正常には働かなくなり、精神盲と呼ばれる状態になってしまいます。当然、扁桃体に異常があると、行動にも影響が出ます。連続殺人犯の扁桃体を調べてみると、ほぼ石化していたというような事例があるそうです。しかし、扁桃体に異常があるからといって、必ずしも殺人犯になる訳ではありません。もちろん、影響はあるのですが、正常に社会生活を送れている人も数多く存在するのです。つまり、扁桃体だけで実際の人間の行動は決定をされないのです。もちろん、扁桃体以外の部位の異常が、攻撃行動の原因になっていると思われるケースも存在しますし、脳が全く正常な連続殺人犯だって存在します。

 では、どうしてこのような事が起こるのかというと、それは扁桃体が、他の部位と繋がりネットワークを形成した上で機能しているからです。例えば、扁桃体は感情の機能を拡張している前頭葉と呼ばれる部位、また、記憶に関する部位とも強く結び付いています。

 仮に危機的な状況下に陥ったとしましょう。簡単に説明する為に簡略化しますが、扁桃体が、身を守る為に誰かを攻撃するような反応をしたとします。しかし、その反応を前頭葉が抑えたとすると、それは実際の攻撃行動にはなりません。更に、そこに記憶も影響を与えます。その人が、どんな記憶を持っているかによっては、やはりその刺激によって攻撃行動が引き起こされるかもしれないのです(もっとも、記憶は前頭葉や扁桃体の性質を、育むことへの影響の方が大きいのかもしれませんが)。

 これらの部位は、相互影響し合うネットワークとして機能しているのです。

 脳の刺激に対する反応を調べてみると、様々な神経ネットワークを信号が飛び交う事が確認できるそうです。それを考えても、脳の部位に一つの機能のみを割り当てるのには、無理があると分かるでしょう。

 もっとシンプルに、機能局在論では説明のつかない現象もあります。

 例えば、視力を失ってしまった人。視覚が失われても、その人の視覚皮質は無駄にはなりません。機能局在論ならば、視覚皮質は視覚にしか使われないはずだから、無駄になってしまうはずでしょう。しかし、視覚皮質はなんと他の神経、聴覚神経などに結び付いて機能するようになるのです。つまり、その人は視る為にある脳を使って、音を聴く、ようになるのですね。脳は、それぞれの機能に固定されて分化してあるようなものではないのです。かなりの柔軟性と可塑性を持っている。その人の経験によっては、同じ部位が異なった機能を持ち違った使われ方をする場合すらもあるのです。

 脳はやはり単純な理解の仕方では説明できない事が分かったのですが、しかし、実は生物学の社会的な意味を考える場合、それだけでは充分ではありません。もう一つ重要な要素が存在します。それは、遺伝子。ゲノムと生物体の関係です。

 脳の“機能局在論”と“総体論”の論争が続く中で、生物学は同時に遺伝子の存在とその意味を探り始めていました。あの有名なダーウィンから発せられた“進化論”、生き残りのロジックです。

 遺伝子(当時は、まだその存在を明確に確かめられていた訳ではありませんが)が、生物体を決定する。ならば、劣等な遺伝子を排除し、優秀な遺伝子を残していけば、人類はより優秀に進化していくはずではないのか。ダーウィンの従兄にあたるフランシス・ゴルトンはこのように考え、優生学を誕生させたのです。もちろん、この発想も社会的に高い危険性を孕んでいます。

 犯罪を犯す者は遺伝的に劣等。劣等な遺伝子を増やしてはいけない。だから、犯罪者に子供をつくらせないような仕組みを、社会制度として取り入れるべきだ。

 そんな事が大真面目に主張されました。

 もちろんそういった主張は、自分達を特別に優秀であると考えたがる人間の願望を、多分に反映したものでもありました。当然、それに対しても反論がなされます。遺伝子ではなく、環境にこそ人間の性質を決める要因があるのだと主張する人々が現れたのです。

 現代では、この結論は既に出ています。遺伝子でも環境でもなく、どちらにも要因がある。重要な因子ではありますが、遺伝子には生物の性質を決定する力がそれほどある訳ではないのです。進化の生き残りのロジックは遺伝子に対してかかるのではなく、飽くまで発現した形質にかかります。そして、形質が発現するのは環境的な要素が大きい。環境によってもたらされた刺激は、遺伝子の領域にすら影響を与え、生物の性質を変化させます。そして当然、それには脳も含まれている。先に述べた視神経が聴覚神経に結び付く話も、その一例です。人間の脳の構造は、遺伝子によって固定的に定まっているのではないのです。脳の反応で動く、ロボットアームのようなものを作ると、しっかりそれに対応した神経が脳内に成長する、なんて事すらも起こるそうです。また、何が優秀かを人間社会に判断できるのかといった問題もあります。人間社会の判断基準が間違っているケースもたくさんあるでしょう。人間に、遺伝子の優秀さを判断する事なんてできないのです。

 選民思想を掲げたナチスの行動が、大量虐殺に繋がっていった背景から、人間社会は優生学的な発想を否定するようになり、やがて人間の性質を生物学的に求める主張にヒステリックに反応するようにもなりました。しかし、そこには大きな誤解もあるのです。

 確かに社会が生物学的概念を取り入れて制度を形作るのには慎重になるべきです。簡単に結論を出してはいけない。自分達の願望が人間の捉え方を歪めてしまっていないかよく考えてみるという事を忘れてはならないでしょう。ただし、全く無視してしまって良いものでもないのです。人間が生物である以上、それは避けられないはずです。

 人間、いえ生物の性質の原因は、単純には求められない事が、長年の様々な分野の研究から分かってきました。単純な機能局在論で捉える事もできないし、遺伝子にその原因を求める事もできない。どんな身体を持って生まれ来たとしても、その人の運命はそれによって決定されている訳ではないのです。何故なら、人は成長するからです。人間社会はその事をしっかりと認識するべきです。

 与えられた身体という条件で、世界をどのように学習し、どのように周囲に影響を与え、そしてどんな影響を周囲から受けるのか。それは一方向の反応ではなく、周囲との相互反応の内になされます。やがては、自らの意思で積極的に、成長の方向を周囲との関わりの中で模索するでしょう。

 

 “相互ネットワークする系としての人間”

 

 です。

 そして、そこには間違いなく、生物としての人間の性質が関わっているのです。それを分析する事は、人間を理解し成長させるのに役立つはずです。

 ……その重要性を、端的に表しているのは或いは、暴力行動と、刑務所の問題なのかもしれません。

 

 今回は、そんな事柄が関係してくるお話です。

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