本物の聖女は妹だったらしいので
「公爵令嬢フェリーチェ・エルディアナ。お前との婚約を解消する!」
声高らかに宣言された言葉に、私は眉をひそめた。
王国の第一王子イーサン・ロスマン。
彼は、私の婚約者だ。
正式に婚姻の取り決めがされているわけではないが、聖女は代々次期国王と結婚している。だから私も、その習わし通り、そうなるものだと受け入れていた。
それなのに、これは一体どういうことなのだろう?
学園から聖女の勤めを果たすために戻ってみれば、突然王宮に呼び出され、婚約の解消を言い渡されるとは……。
「お姉様、どうか喜んでください。どうやら私が本物の聖女だったようです」
イーサン王子の隣に立つ、明るい茶髪の髪を持つ少女が口を開く。
「……それはどういう意味? ちゃんと説明して。ジゼル」
私にジゼルと呼ばれた、まだ十六歳の少女は何かを堪えるように下唇を噛む。
すると、ジゼルの肩を抱いたイーサンが庇うように話し始めた。
「説明するも何も、真の聖女はお前ではなく、このジゼル嬢だったということだ」
「私は何も自ら聖女であると名乗ったわけではありません。王子も知ってのとおり、聖女は代々神の力を与えられる存在です。そして聖女が死ぬ時、次に生まれる聖女の信託を受ける。その信託によって私が聖女であることは明確に示されています。それなのに、私が偽物ですって?」
前聖女は亡くなる寸前、まだ幼かったエルディアナ公爵家の子息に言った。
『次の聖女は、其方の娘である』
それから長い月日が経ち、誰もが聖女の誕生を心待ちにしていた。
いつしかエルディアナ家に生まれる娘を。次期聖女を。
そんな民の切望の中で生まれたのが私だった。
私は間違いなくエルディアナ公爵家の娘だ。
たった一人の、遺言通りの唯一の後継。
「お父様の娘は、あなた一人ではありません」
胸に手を置いて、ジゼルはそう強く言い放った。
「私もエルディアナ公爵の娘だということを、どうか忘れないでください」
ジゼル・エルディアナ。
確かに彼女はエルディアナ家の性を持ち、戸籍上私の妹だ。
だけど、この子にはエルディアナの血は一滴たりとも入っていない。
「私ではなく、あなたこそが神託にあったエルディアナの娘であり、真の聖女だと?」
「そのとおりです、フェリーチェお姉様」
私を見つめる目が、あれほど臆病だった義妹の鋭い睨みに思わず笑みが零れる。
「しばらく会わないうちに、随分と変わってしまったようね。ジゼル?」
私が十三歳の誕生日を迎えたばかりの頃。父が再婚した。
私の母は、私を産んですぐに産褥熱で死んでしまったから、新たな母親ができるということにそこまで抵抗はなかった。
しかし、問題は相手の身分だった。
彼女は踊り子だった。
高貴な身分である公爵の父と、平民の出である継母の結婚。
公爵家の娘として、ただ一人の後継として、王国唯一の聖女として。
高貴な血が身体に流れる私は、平民に対して愛を持って接しなければならないが、その穢れた身分と公平になることはないと徹底的に教育されてきた。
当主である父の意向に逆らうとは思わなかったが、家臣や周りの貴族たちと同じように、私もそれなりの抵抗があった。
『新たな公爵夫人が踊り子だと? 公爵は気でも触れたというのか!』
神殿側と私を取り合う立場にいた王室は、この異質な結婚を承諾した。
公爵夫人となった平民の女に対する憤りを、みんなはその娘に当て始めた。
当然、今は亡き侯爵令嬢だった母の子である私に対してではない。
継母の連れ子である、私よりも三つ下の子。ジゼルに対してだ。
『忌々しい、平民の娘がよくも平然と屋敷を出歩けるわね……。この屋敷に足を踏み入れることすら不敬だというのに』
『茶色の髪も緑の瞳も、フェリーチェお嬢様の淡いピンク色の髪と輝く水色の瞳と比べてみなさいよ。なんて穢らわしいのかしら』
『公爵様は、あの売春婦が前公爵夫人によく似ているから傍に置いているのでしょう? 初めから愛なんてないのよ。それなのに、あの平民の娘は恥ずかしげもなく公爵様の気を惹こうと必死なのが笑えるわね。自分が本当の娘になったつもりなのかしら』
高貴なる血がすべてとされる世界で、平民の血しか持ち合わせないジゼルは、貴族たちだけでなく、使用人たちからも蔑ろにされていた。
公爵家に仕える使用人たちのほとんどが貴族の家の出だということも大きかったのだろう。
傲慢に鼻を高くする継母と違って、ジゼルは内気な性格の子だった。
私の後ろをついては、いつも怯えたように体を震わせていた。
メイドたちも、私の前ではジゼルを虐めることはできなかったからだ。
私は常にジゼルと共にいた。
初めはあまり関わり合いたくないと思っていたものの、いざ、私しか頼りがいないのだと縋られると、その手を振り払うことはできなかった。
けれど、それも私が十五歳の誕生日を迎え、魔法学園入学を目前に控えるまでのことだった。
「いや、行かないで、姉さま! 学園になんて行かないで、ずっと私と一緒にいてよ!」
「分かってちょうだい、いつまでも一緒にはいられないのよ。私にも自分の人生があり、あなたにも自分の人生があるのだから」
「姉さま、わからないわ、私バカだから……姉さまがいてくれないと、私……。私には姉さましかいないの。姉さまが居なくなれば、きっと、みんな私をいじめる!」
「人前で涙を見せてはダメだって、何度も教えたでしょう」
ジゼルの淡い水色の瞳に溜まった大粒の涙を拭ってやると、何度も繰り返し頭を撫でる。
それでも赤子のように泣きじゃくる子に、私は小さく溜息をつく。
ここまでくると、この子の機嫌を直す方法はアレしかない。
私は、両手を合わせて目を閉じた。
そしてそのまま神聖力を込め、この世でただ一人、私にしか扱うことのできない光魔法を発動させる。
すると、ふわりと黄色い花が現れる。
夏に咲く花。季節的には、咲くにはまだ早い。
花を咲かせる魔法に、聖女の光魔法を込めて作り上げる、この世で私だけができる技。
ジゼルの大好きな夏の花を咲かせた私は、幼い妹を宥めるように優しい声を出した。
「心を強く持つの。ジゼル、あなたも貴族の家の娘になった以上、耐えなければならないことがたくさんある。泣いていても、ただ踏みにじられるだけよ」
花が好きで、母親が好きで、突然公爵家という大きな牢獄に送られてきたかと思えば、母親からは見捨てられ、血の繋がらない父親からは無いもののように扱われる。
時折、屋敷に訪れる貴人たちからは醜悪なものを見るかのような眼差しを向けられ、使用人たちからはひどく蔑まれ、虐められる。
そんな中で、ただ一人の義姉に縋ろうとする気持ちは理解できる。
でもね、ジゼル。いつまでもそうしてはいられないの。
あなたは私がいなくとも、一人で生きていけるようにならなくてはならない。
……私のあげた花に縋り付くよう抱きつき、今にも泣き出しそうな顔をしていた子が、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
学園に行く前に最後に会った時は、私に行かないでくれと縋るような関係性だったはずだ。
私は暫し頭を悩ませて、あの時の、ジゼルの不可解な発言を思い出す。
神殿が聖女を所有物のように扱ってきたが、私は聖女である前に公爵家の娘。
代々、家の子供達がそうしてきたように私は隣国の魔法学園に入学した。
けれど、浄化の仕事として半年に一度は戻り、聖女の勤めを果たしていた。
「ジゼル? 驚いた、こんなに大きくなったのね」
「フェリーチェお姉様、ご無沙汰しております」
王国に戻って聖女の務めを果たす時はあまりに忙しくて会うことはなかったが、一度だけ、あの子が私の元を訪ねてきたことがあった。
「突然私を訪ねてくるなんて驚いたわ。何かあったの?」
「少しお姉様とお話ししたくて。それに、聞きたいこともあったので……」
「私に聞きたいこと?」
「ねえお姉様、聖女には、高貴な血とか、そういうの、関係ないのですか?」
「まあ、確かにそうね。私のように貴族の家の出の者もいるけれど、歴代には平民の出の聖女も多くいるから。事実、前代の聖女さまは平民の出だったそうよ。……ところで、どうして急にそんなことを?」
「いえ、何でもありません。ちょっと気になっただけです。頑張ってくださいね、お姉様。私も私で、頑張りますから」
今思うと、あの頑張るという言葉は、こういうことだったのだろうか。
「お姉様が王国を離れている間、この私が神聖力を使って国を浄化してきました。私に聖女の力が宿っている、これこそが真の証明というものです」
ジゼルはそう言って空に手を掲げる。
すると、そこから淡い光が放たれ、空から色鮮やかな花々が降り注ぐ。
ライトグリーンの神聖なる光は、まさに聖女の力……に、見えるただの幻想魔法だ。
けれど、光魔法ではないただの幻想魔法も、聖女でない人間にとっては違いが分かるものではない。
そう簡単にできるものではない。私の神聖力を、光魔法を、誰よりも傍で見たからこそできること。
そして度重なる努力があったはず。
たくさん練習したのね、ジゼル。
私に、聖女に成りすますために……。
「今では王国全体が、ジゼル嬢が真の聖女だと信じている。フェリーチェ、白状するなら今のうちだぞ。偽物の聖女として今まで民を誑かしてきた罪は重いが、お前は公爵家の娘であり、心優しいジゼル嬢は何の罪も負わさず許すと言っている」
「イーサン王子、分かってはいたけれど、あなたって相当な……いいえ、何でもないわ」
聖女の神聖力をここで使ってもいいけれど、まだ王国での仕事が終わっていないし、無駄に力は使いたくない。
それに、どうして臆病な妹がこんなことを仕出かしたのかも気になる。
「私は昔からお前の生意気な態度が気にくわなかったんだ。それに比べ、お前の平民の妹は、自分の身の丈をよく分かった利口な娘だ」
平民いう言葉に、ジゼルの顔が分かりやすく歪む。
あの子は本当に分かっているのだろうか。
平民の身分が唯一担保される聖女。その地獄は、ここからだということを。
「何を勘違いしているのか知らないけれど、エルディアナ公爵家の娘は私一人だけよ。それは、今も昔も変わりはしない」
一瞬にして顔色が変わったジゼルは、泣きつくようにイーサン王子に縋りつく。
「王子様、お願いです! 早くあの人を私の目の前から消し去って!」
「ジゼル嬢? どうしたんだ、急に……」
「これ以上話をする必要もありません。この半年間で、私が聖女であるということは皆さんが分かってくださっています! それに、もうあんな人の顔は見たくない……」
「あ、ああ……ジゼル嬢の言うとおりだな。さっさと偽物の聖女を連れていけ!」
イーサンの力強い一声に、背後に控える護衛兵が私に歩み寄る。
「し、失礼いたします……」
彼らが私に触れようと腕を伸ばした瞬間、私はそれを弾く。
手ではなく、神聖力で。
「気安く近寄らないで。私は公爵家の一人娘。あなたたちみたいな者が気安く触れて良い人間じゃない」
目を大きく見開いたマヌケな二人を一瞥して、私は一歩足を進める。
「私は聖女ではなく、偽物だったのですね。それはそれは、大変失礼いたしました」
私はドレスの裾を持ち上げて、丁寧に礼を取る。
「イーサン・ロスマン第一王子殿下。婚約の解消、喜んでお受けいたします」
・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
公爵邸に戻ると、まるで救いを求めるかのように目を輝かせたメイドたちが私を出迎えた。
「ジゼルお嬢様がとんでもないことを言い出してから、私たちは大変困惑しているのです。フェリーチェお嬢様が偽物だなんて、そんなはずがありません。ですよね、お嬢様……?」
本物の聖女が私でなく、ジゼルだったら。真っ先に困るのはこの子たちだろう。
散々、ジゼルに冷たく当たってきたのだ。報復されるのが怖いのか……。
「私を信じてくれていたのね、嬉しいわ。でも、家に戻ったばかりでとても疲れているの。バカなこと言ってないで、飲み物でも持ってきてちょうだい」
「は、はい、お嬢様!」
一瞬にして表情が明るくなったメイドが、駆け足で去っていく。私の周りを囲むメイドの声を聞き流して、自室へと向かった。
それから私は、三日間ほど自室でのんびりと過ごした。
もっとも、イーサン王子は私を自宅謹慎をさせたと思っているのだろうけれど。
結局、私が行うために帰ってきた聖女の務めはジゼルが行っているらしい。
光魔法を扱えない子が一体どうやって浄化を行なっているのやら。
「……騒がしいわね」
ソファーに寝転がって本を読んでいると、メイドと甲高い口論が扉の向こうから聞こえてくる。
両手で耳を押さえて乗り過ごそうと思った時だった。
ドンっと勢いよく扉が開かれ、豪勢に着飾った女が乗り込んでくる。
「いい加減にしなさい、フェリーチェ!」
私の母と同じく、太陽のように輝かしい金髪を持つ女。
ただ、全公爵夫人と同じ神を持っているというだけで、公爵夫人にまでなった踊り子。
「……セレリア。私に何か用ですか?」
「あ、相変わらず私をバカにしているのね……? お母さまよ呼べと、いつも言っているでしょう!」
「あなたは私の母ではなく、ジゼルの母でしょう? 今更何を」
「この、生意気なガキがよくも……!」
セレリアは顔を真っ赤にしたまま、まくしたてるように話す。
「随分余裕気だけど、これからどうするつもりなの? お前ではなく、ジゼルが真の聖女だとなった以上、今までのようにはいかないはずよ!」
「なるほど、あなたが企てたことですか。さすがは、一介の踊り子が公爵夫人の座についただけのことはありますね」
「今更そんなことを言うのね。文句でもあるっていうの?」
「私は決して他の人たちのように反対した覚えはありませんよ。病んだ父の心を癒すための人形を買ったようなものと思えば、安いものです」
「……お前は本当に酷い娘ね。いつまでこの家にいるつもりなの? さっさと学園に戻ったらどう?」
「お父様がそう言ったのですか? 私に早く出て行けと?」
「…………」
「そんなはずありませんよね。私は彼の血の繋がった唯一の後継者ですもの。私がどう振る舞おうが、あの人は何も言いませんよ。たとえ、私が聖女を辞めたとしても。継母と義妹を追い出したとしても」
セレリアは赤く染まった下唇を噛むと、瞳に宿った憎悪を隠そうともせず、私を睨みつけた。
「これでも、お前には感謝しているのよ? 私たち母娘のために、犠牲になってくれたのだから」
歪な笑みが不愉快でたまらない。
「やっぱり、ジゼルを唆したのはあなただったのね」
「唆しただなんて。母として、娘の未来を案じるのは当然のことでしょう? だけど、お前は気味悪いくらいにジゼルを可愛がっていたじゃない」
「ああ、だからあの子を使ったと……」
「否定するの? 結局、お前はジゼルのために真実を表に出さなかった。賢い選択よ。お前にとっても、悪いことじゃないでしょう? 今まで通り、学園で好き勝手やっていなさい。もうこの家に戻ってこなくたっていいわ」
「確かに、私にとっては魅力的な話でもあります。聖女の勤めを果たすためにこっちに戻ってくるのは、なかなかに面倒でもあったので」
「手品レベルの魔法しか扱えない子が、聖女としての役目を果たせるとでも? 今は人々を欺けても、いざという時は? 聖女なら無事でいられても、凡人なら死ぬかもしれないのよ」
死という言葉に顔色ひとつ変わらないところを見ると、そんなことは初めから心得ていたようだ。
「精々、可愛い妹のために協力してやってちょうだい。聖なる娘の慈愛の心を信じているわ」
・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・
せっかくの冬休みを満喫しようとしていたが、数日も経たないうちに、また呼び出された。
それも今度は神殿に。
私が広間へ行くと、そこには既に、数名の貴人と見慣れた顔の神官たちが居た。
そして私を呼び寄せたジゼルとイーサン王子。そしてセレリアも。
「十分な時間は与えたはずだ。フェリーチェ。そろそろ、すべてを明かす気になったか? ここで、神に贖罪したまえ!」
私の反応を好奇の眼差しで伺う貴族達。気まずそうに視線を逸らし、疑いの眼差しを向けてくる神官たち。
自信満々に私を見下ろすイーサン王子とセレリア。
その横で、何とも複雑そうな顔をするジゼル。
「そうですね。そろそろ、私も知りたいです。本当にジゼルが聖女であるのかどうか。ですから試してみましょう」
そう言うと、人々の顔に困惑の色が浮かぶ。
肯定とも否定とも捉えられない言葉に動揺しているようだった。
私は、懐に隠してあった短剣を手に取ると、そのまま自身の左手に突き刺す。
どくどくと流れる血よりも、人々の視線が向かったのは、黒魔法の証である靄だった。
魔法が存在する世界で聖女が重宝されるのは、黒魔法による傷を癒せるのは聖女のみが扱える光魔法だけだったからだ。
そして、その黒魔法自体が広まらないように浄化を続けてきたのは他でもない私だ。
私が真に聖女であることは、私自身がよく知っている。
だから……。
「ほら、姉様を助けてちょうだい。このままでは私、死んでしまうわ」
黒い渦に包まれた腕を晒しながら、ジゼルに向かって笑いかける。
既に彼女の顔は真っ青になり、眉間をこれでもかというほどしかめていた。
「……冗談はやめて」
「冗談なはずないじゃない。たとえ聖女であっても、すぐに光魔法で治療を行わなければ、死ぬわ。だから助けてよ、聖女様」
私の言葉に、ジゼルはあきらかに動揺を見せる。
それに気づいたセレリアが、すかさず声を上げた。
「この後に及んで自虐行為に出るとは、なんて愚かな! 黒魔法の浄化はたとえ聖女であっても体に負荷がかかるものです。ジゼル、相手にすることないわ! そして何よりフェリーチェ本人が治せないことこそ、自らが聖女でないと証明しているようなものです!」
「そうね、セレリアの言うとおりだわ。私が偽物の聖女なら治せない。だから助けてほしいとあなたを頼っているんじゃない。ジゼル」
「所詮は義理の姉。あなたの敵となる人物よ! 愛しい娘、判断を誤ってはいけないわ」
ジゼルの蒼白な顔に汗が流れる。
続いて、周囲で私たちのやりとりを見守っていた貴族たちがコソコソと話し始めた。
「あれだけ肝の座った娘が偽物だというのは有り得るのか? フェリーチェ様が本物の聖女だったら、どうするのだ。このまま死なせてしまえば……」
「だったらどうしろっていうの? 本当にフェリーチェ様が真の聖女ならば、私たちはただでは済まない。それなら、このままジゼル様を祀り上げている方がよっぽどマシよ!」
「心配することはない。たとえ聖女が死んでも、また新たな聖女が生まれてくるのだからな」
「ですが、聖女の不在の間をまた埋めなければならないとなると、かなりの損害が生まれ……」
私は頭を左右に振って、鬱陶しい言葉の数々を耳に届かないようにする。
自分の利益のために私の生死を図る貴人たちに呆れてしまう。
決して、今に始まった事ではない。
神殿側と王室側でまるで物のように取り合われ、散々好き勝手言われる始末。
もしも、私が公爵家の出でなければ。一人娘でなければ。父が私を神殿に売ってしまっていたら。
……私の責任でもある。自身の血と権力と立場を誰よりも気にしていたあの子には、誤魔化したりせず、すべてを教えてあげるべきだった。
血や生まれが関係なく権力と立場を手にできるのが聖女であり、誰からも羨望の眼差しを受け、人々の駒となり、まるで人形のように扱われるのが実態だ。
「や、やめて……」
「ジゼル嬢?」
「謝る、謝るから、やめて! 意地悪しないで、早く傷を治してよ!」
「ジゼル嬢、何を……聖女である君が謝ることは……」
「聖女じゃない! 嘘ついてたの!」
イーサンの腕から抜け出したジゼルは、イーサン王子やセレリアの忠告に耳も貸さず走り出した。
「死んじゃ嫌! 姉さま!」
ジゼルは両手を伸ばすと、勢いよく私の胸に飛び込んできた。
「お願い、謝るから、早く治して!」
丸くて大きい目元から絶え間なく涙を流して縋りつく。
「ずっと姉様と一緒にいたくてやったのに、姉さまが死んじゃったら意味ない……!」
頬に手を添えて、涙の溢れる目元に親指を添えて擦る。
「……バカな私の妹」
光魔法を発動させると、一瞬にして黒魔法の渦は消え去り、初めから何事もなかったかのように傷が塞がる。
私はどうしてこんなことをしているのだろう?
わざわざ自分を傷つけたりして。この子は私を陥れようとしたのに。
ジゼルのことなんて、見捨てればよかったものを。
貴族の娘に生まれた以上、自分のことだけを考え、たとえ家族であろうと切り捨てるべきだ。それも血の繋がりは一切ない、ただの小娘を。
すぐに光魔法を発動させて、自身が聖女であることを明確に証明すれば、それで簡単に済んだことじゃない。
「妹……?」
ジゼルの丸い目が、大きく見開かれる。
私ったら、どうしてこんな生意気な子供に手間をかけているの?
人並みの愛情を持ち合わせているわけでもない、この私が。
まだ、たった十五歳の子供。
あなたを唆した愚かな母親と、自分の味方となったバカな王子を押し除けてまで私の元に来たの? 自分が踏み潰そうとした姉の元に?
「そうよ、妹よ。五年前、お父様があなたを連れてきた時から、あなたは私の妹なの。たとえあなたの体に流れる血が高貴でなかろうと、どれだけ愚かなことをしようとも、その事実は変わらない」
ジゼルに向かって差し出すように手を掲げ、昔のように、あの頃のように、鮮やかな黄色い花を出す。
「泣いていても踏みにじられるだけだということをあなたに教えたのは……他でもない、私だったものね」
夏にしか咲かない季節外れの花。
妹を笑顔にさせるために、私が生み出した花を咲かせる魔法。
神聖力と光魔法を合わせて作る花。
「……はは、やっぱり姉さまのお花はとってもきれい……私が咲かせる偽物とは全く違うわ……」
私の服にしがみつくように掴んでいたジゼルの手が、するりと離される。
糸を切られた操り人形のように、だらりと崩れ落ちると、そのまま両手で顔を覆ってしまった。
次の瞬間には、絶え間なく涙交じりの謝罪が繰り返される。
くぐもり、喘ぎながら、何度も言葉を発するジゼルを、私は立ったまま見下ろした。
私たちがどこにでもいる、ただの姉妹だったなら。
大人たちの支配が何もない、どこにでもいる姉妹だったら。
許してあげる、と言って、優しく抱きしめてあげられたのだろうか。
……ああ、神よ。
「これでお分かりいただけたでしょう。本物の聖女がどっちであるのか」
「も、もちろんです、聖女様! 私どもは初めからフェリーチェ様のことを信じておりました!」
「そうです、聖女様! この汚らわしい平民の娘の言うことなど、初めから信用していません!」
「なっ、あんたたち、よくもそんなことが言えるわね……!」
「黙れ! 踊り子の出の分際でよくも言えたものだな!」
「なんて無礼な! 私は公爵夫人よ!」
「お主が公爵夫人でいられるのも、すべては聖女様あってのこと! それにも関わらず、なんと不敬な真似をしでかしたのだ!」
貴族と平民。高貴な血と汚れた血。
敬愛なる私の神様。
貴族たちは、みんな揃って平民を穢れていると言います。
私も幼い頃は、大人たちに教えられたとおり、それを信じて疑いませんでした。
だったら、高貴と言われる貴族たちはどうなのでしょう?
自らは清く正しく美しく生きてきたと、胸を張って言えるのでしょうか……。
私は時々、自分が本当に聖女なのかと悩むことがあります。
聖女は神の化身の存在だと言いますが、私にはあなた様の考えることがちっともわからないのです。
私には、この国の民を愛おしいと思うこともできなければ、悪に手を染めた妹を救ってあげることもできません。
私にできることといえば、この、愚かな妹の涙を拭ってやることくらい……。
私は背筋を伸ばし直すと、見慣れた顔の従者を顎で呼ぶ。
すると、きまり悪そうな顔をした男がすぐにやってきて、私の足元に膝をついた。
「お呼びでしょうか、聖女様」
「どうやら、母と妹には時間が必要みたい」
「……聖女様のおっしゃる通りでございます」
そう言った従者はすぐに立ち上がると、イーサン王子の後ろに控えていた王国騎士に向かって叫ぶ。
「そこで何をぼさっと立っている! それでも騎士なのか! すぐに奴らを捕らえよ!」
その一声に、慌てて動き出した騎士がセレリアの手首を掴み上げた。
「何をするのよ! わ、私はあの子の母親よ! 血は繋がっていなくとも、私は確かに……!」
最後まで足掻こうとするセレリアと、俯いたまま何も口にしないジゼルを一瞥し、私は冷酷に告げた。
「罪人を牢へ閉じ込めておきなさい」
・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・
『この度の騒動は、私も怒りを抱いておる。すまないな、聖女殿。私が病に伏せている間に、第一王子が独断で起こした件で其方にはなんとも苦労を……』
数時間前に長々と話された国王の言葉を思い返し、私は深くため息をついた。
第一王子が、独断で……ね。
結局こうなったのは、王室側も神殿側も、心内では真の聖女がジゼルであれば、今よりずっと扱いやすいと思ったからだろう。
公爵家の後ろ盾がない平民の娘に首輪をつけ、聖女として飼い殺しするために。
今までの聖女に、そうしてきたように。
次期後継だからといって、国王はイーサン第一王子を甘やかしすぎたのだ。
度を越した問題を起こしたのが、たまたま今回だっただけであって、イーサン王子ならば、きっと他にも問題はあったはず。
神殿側は王室の失態として責め立て、王室側はイーサン第一王子にすべての責任をなすりつけようとしている。
そのうえ、イーサン王子との婚約が難しいのなら、まだたった十歳の第二王子との婚約はどうか、とまで言い出す始末。なんとか私を王子の婚約者として引き留めようと必死のようだ。
ただでさえ、私は公爵令嬢であり、隣国の魔法学校にいる。
学園に戻られるまでに、なんとかして私の機嫌を取ろうと、必死だった。
「……ジゼル」
部屋の窓から、体格の良い騎士二人に拘束されたまま歩くジゼルの姿を暫く眺め、私は勢いよくカーテンを閉めた。
「フェリーチェ」
その時、背後から名前を呼ばれ、私は急いで振り返る。
「エヴァン!」
そこに立っていたのは、爽やかな銀髪の似合う青年。
私の通う魔法学園のある隣国アストレアの王子エヴァン・アストレアだった。
彼とは学園入学時、四年間の中であり、学園で最も仲が良い相手でもあった。
聖女しか扱うことのできない光魔法の存在を妬み、羨み、利用しようと近づいてくる人間はごまんといたが、彼はどこか王族らしくなく、居心地良くいられる数少ない存在だった。
「せっかくのお忍び旅行の中、突然呼び出してごめんなさい。そしてありがとう。あの子のこと」
「俺は構わないけど、お前はそれでよかったのか? 一歩間違えていれば、彼女にすべてを奪われていたんだぞ」
「あなたの言いたいことは理にかなっているし、よく分かる。だけど私だって血の通った人間なの。一度は妹として可愛がっていた子に無残な死に方はしてほしくないから」
「妹……ね」
「そうよ。許されない罪を犯したとしても、妹であることに変わりはない。この世でただ一人、私だけはあの子の味方でいないと」
私の機嫌を取るために、聖女として王室と神殿を欺いたジゼルの罪は重い。
だから私は友人であり、隣国の時期国王であるエヴァンに頼み、あの子をアストレア王国の田舎で平民として暮らさせてはもらえないかと頼んだ。
そして彼は、私の望みなら、とそれを叶えてくれた。
先ほどジゼルが連れられた騎士二人は、アストレア王国からエヴァンに呼ばれて参じた者たち。
監視の上の生活とはいえ、牢獄で痛ぶられながら暮らすよりは幾分もマシのはず。
もちろん、セレリアはこのまま王室と神殿にその身を任せるつもりだ。
母娘を一緒にすれば、またセレリアがジゼルに悪巧みを持ちかけるに決まっている。
なんにせよ、お父様がこの件を機にセレリアと離婚を決断してくれたのは幸いだった。
私の母を亡くしたことで精神を病んでしまった人。
少しでもその心が癒やされるなら、と亡き母によく似た金髪を持つセレリアを置いたものの、結局その傷が癒えることはなかった。
哀れであり、恥じるべき父だ。
二人の娘、二人の妻、どちらも守れない男なんて。
「そもそも、あの子には平民としての暮らしが合っていたのよ。純粋無垢な少女が闇深い貴族社会にくるべきではなかった。あの子もまた、被害者みたいなものだわ」
豪華な衣服に身を包んだ母に連れられて、体を震わせながら、壮大な公爵邸の敷居を跨いだジゼル。
当時の私は、彼女たち母娘の存在が不快でたまらなかった。
だけど、もしもあの子と私の立場が反対だったらと考えると、恐ろしくてたまらなくなる。
私だって、自分の居場所を確立するために、同じことをしていたかもしれない。
私の紅茶を飲みながら優雅に窓の外を見るエヴァンを見つめていた時だった。
突然、部屋の扉が叩かれる。
「お嬢様、よろしいでしょうか?」
「……どうしたの? 今少し手が離せないから、後にして欲しいのだけど」
聞き慣れたメイドの声に、私は手でエヴァンに隠れるように指示を出す。
色々と面倒ごとを避けるために、彼が今、公爵邸にいることは私しか知らない。
エヴァンは面倒そうな顔をして透明化魔法をかけると、紅茶のカップも一緒に姿を消した。
「お嬢様、それが……」
「おい! フェリーチェ、開けろ。私だ!」
「……は?」
メイドの声に続いて放たれた腹立たしい声に、思わず声が漏れる。
その声の主は、間違いなくイーサン王子のものだった。
どうして彼がここに? どうしてメイドは止めなかった……いや、王族である彼の行先を阻むことはできないか。
「一体どういうことです? イーサン王子。何の便りもなく訪ねてくるなんて……」
「フェリーチェ! お前がどうにかしろ!!」
扉を開いた途端に叫ばれ、思わず両耳を押さえる。
「……とにかく中へ。あなたはもう下がっていいから」
怯えたように私の様子を伺うメイドに指示を出して、ひとまずイーサン王子を部屋に招き入れる。
このまま追い返したところで、何度もやってくるに違いない。
「客人としてのもてなしは期待しないでください。突然の訪問でしたので。それで、一体なんのご用です?」
「お前のせいで散々な目にあった! 初めから自分が聖女であることを証明すれば良かったものを……いや、そもそもの話だ。隣国の魔法学園に入学したこと自体があり得ぬことなのだ! 聖女という身で。王室の飼い犬である聖女の分際で!」
捲し立てるように叫ばれ、頭がぐるぐると回る。
とにかく、私を侮辱したくてたまらないということは理解できた。
……どうしてこいつが、私にそんなことを?
今までは婚約者だから、と散々言われっぱなしでも許容してきた。
だけど今では私たちは何の関係もない。
私は頭を押さえて、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけるイーサン王子を睨み返す。
「だったら、あなたは? あなたは何なのよ? 私は国の飼い犬である聖女で、あなたは何? 簡単に替えがきく頭がお花畑の王子さまってところ?」
「お前……!」
まさか、私がこのようなことを言ってくるとは思いもしなかったのか、イーサン王子は顔を真っ赤にしたまま一歩踏み出すと、私に掴み掛かろうと手を伸ばしてきた。
瞬時に魔法でやり返してやろうと身構えたが、彼が私に触れることはなかった。
「はっ、こいつにぴったりの異名だな」
愉快そうな笑い声と共に姿を現した男。
「なんだ、貴様は! なぜ、フェリーチェの自室に……がっ!」
振り返り、驚いて身を捩らせるイーサン王子に向かって、エヴァンは手にしていたティーカップでイーサンの頭を思い切り殴りつけると、瞬時に睡眠魔法をかけて眠らせてしまった。
「ちょっと、隠れていてって言ったじゃない!」
「安心しろ。あとで記憶をいじっておくから」
眠らせて記憶を消すくらいなら、ティーカップで殴りつける必要はあったの?
そう喉まで這い出てきたのを何とか堪えて、私はため息をつく。
「この情けないのが、お前の言ってた婚約者ってやつだったのか? ただの雑魚じゃないか。王子のくせに、魔法もろくに扱えないとは」
「我が国では魔法はそれほど主流じゃないから仕方ないわ」
「ロスマン王国は神だの聖女だの、そんなんにばかり頼りっぱなしでどうするんだか……。それでこいつ、どうする? どっかに埋めてしまうか?」
「バカ言わないで!」
悪戯げに口角を吊り上げたエヴァンの頭を軽く殴る。
ちっとも力を込めていないのに、わざとらしく「痛っ」と声を漏らすのがなんとも白々しい。
「適当に記憶を弄って、庭園あたりに捨てておきましょ。都合の悪いのはあっちなんだから、何も騒がないはずよ」
私の言葉に納得した顔をしたエヴァンは、すぐに指を弾いてイーサンの体を飛ばす。
ハハ、さすがは魔法学一位なだけあるわね。
彼が本気で悪巧みをしたら、一体どうなってしまうのか……。
「冬休みが終わる前に、どうにかしないと。代々聖女が王族と結婚してきたからって、何だって私があんな奴と……」
「にしても、どうして聖女が王子と結婚しなければならないなんて伝統があるんだ?」
「今までの聖女は平民の出ばかりだったから。聖女が平民の身分なんてありえないから、王子と結婚させて、王族の仲間入りさせようって魂胆よ。私が公爵家の娘でなければ、学園に通う自由なんてなく、今頃イーサンと結婚させられていたはず。彼との結婚を拒んだら、今度はあいつら、まだたった十歳の第二王子と婚約の話を持ちかけてきたのよ。全く、どうしたものか……」
「だったら、俺にすれば?」
「……え?」
突拍子もない言葉に、思わず目を見開く。
「他国の聖女が、別国の王子と結婚する話は前例がないかもしれないが、同盟を結ぶことを理由にすればおかしくはないだろ? 今までのように、半年に一度、祖国に戻って勤めを行えば誰も文句は言えない」
そこまで言い終えて、エヴァンはきまり悪そうに頬をかいた。
「なんて、流石に冗談……」
「エヴァン。それははっきり言って大アリよ」
「……フェリーチェ?」
「イーサンが王になれば、この国に未来はないし、弟みたいに思ってきた第二王子と結婚とかありえない。あなたなら結婚相手にも申し分ない。お父様も認めるはず。面倒な王室側と神殿側も黙らすことができる!」
エヴァンの手を両手で握り締め、これでもかというほど瞳を煌めかせて彼を見つめる。
首を軽く傾げて微笑み、私は言った。
「ね、私を妃にする気はある?」
私の言葉に驚いたように目を見開いていたエヴァンは、やがて呆れたようにため息をつく。
そして、悪戯っぽく言った。
「喜んで。俺の聖女様」
歪んだ世界で生きる子供たちは、それぞれに思惑と欲望を抱えている。
そして彼らは、大きく二つに分かれるのだろう。
大人たちの言葉に従い、その敷かれた道を歩む者。
あるいは、その瞳に野心を宿し、自らの手で運命を切り拓こうとする者。
フェリーチェは、間違いなく後者だった。
生まれながらに与えられた地位も、才能も、幸福も。
それらすべてを武器にして、彼女はこれからも選び続けるのだろう。
欲深く、狡猾に。
誰かに首輪をつけられ、大人たちの都合で飼い殺しにされないために。
自らの意思で、聖女として生きていくために。
フェリーチェの性格がお気に入りです͈ᴖ ̫ᴖ ͈
少しでも面白いと思っていただけましたら下にある☆マークから評価をお願いいたします。
感想、レビューもお持ちしております。励みになります⋈*.。




