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第3話 震盪

#第3話 震盪



緑の葉っぱが、ルカの顔面を打つ。

モンステラが、紙袋から天高く突き出していた。


午後二時。

陽光だけはやけに爽やかで、ホームセンターの自動ドアが気の抜けた音を立てて開く。


紙袋の中には、ラミネート機と業務用文具、そして──

明らかに場違いな、観葉植物。


「買い出しって言ってもさ……俺ら、これ必要か?」

「お前が“せっちゃん癒されるかも”って、追加したんだろ。」

「……言ったけどさ。うん、まぁ……空気だけでもマシになれば……的な?」


ナオは黙って、自分の紙袋を持ち直す。

中身はコピー用紙の塊。

指に食い込む重さが妙にリアルだ。


「てか、地下で作業してるのに植物って。

育つわけないよな、これ。」

「……ハニー。」

「ん?」

「“まとも”のふりしてんの、しんどくねぇか。」


その言葉に、ルカの足が半拍遅れる。

でもすぐに、笑う。


「しんどいかもな。でも、やめたら戻れない気、すんじゃん。」


どこに──と、ナオが問うより先に。


「……“普通だったことにしてた場所”、とかさ。」



──そのときだった。


狭い路地の影から、ひとりの少年が飛び出してくる。

ぶつかった肩が、ごつん、と鈍く音を立てた。


「あ、悪ぃ。大丈夫?」


ルカが体勢を整え、軽く声をかける。

けれど少年は返事をしない。

黒いパーカーのフードを目深に被り、顔をそらしたまま、すぐに背を向ける。


垂れた前髪の隙間からのぞいた瞳――

焦点が、合っていなかった。


手に持った端末を、強く、強く握りしめている。


その背中を、ナオが目で追う。

遠ざかるその肩が、まるで世界すべてを拒絶するようだった。


「……今の子、変な空気だったな。」

「あれだ、思春期で世界が全部ムカつく期。俺には分かる。」


ルカは気にした様子もなく笑い、歩調を戻す。


「……あぁ、そうだな。」


ナオは目を伏せ、ひとつだけ息を吐いた。

自嘲にも、共感にも似た空気が、口元に滲んだ。

少年の背中が、かつて誰かに言えなかった自分に、少しだけ似て見えた。


そして不意に、モンステラをひょいと引き抜く。

腕に収まるように抱え直すと、ルカの視界がようやく開けた。


「ほら、見えるだろ。前。」

「サンキュー、ダーリン。やっぱお前いないと俺、真っ直ぐ歩けねぇ。」

「甘えんな。」


口調はいつも通り。

でもその言葉の裏に、お互いちゃんと気づいてた。


フリでもいい。

嘘でもいい。

今日みたいに“ちゃんと歩けた気がする”なら、

それは……きっと、“まだ壊れてない”ってことだ。




---


煌都の外れ、陽の届かぬその影に、

五階建てのビルが静かに沈んでいた。


看板も、表札も、郵便受けすらない。

だが、すべてのフロアに等しくともる灯りだけが告げていた。

ここが、《ルクシオン》の巣だと。


警察でも、企業でもない。

けれど、“知っている者は知っている”。

このビルの灯りが、“都市の深部”を調律していることを。


「……たまには他の奴が行けよな。」


ルカが紙袋を床に下ろし、文具を無造作にばらまく。


「お前が率先して出たんだろ。」


ナオは袋を脇に置き、ようやく腕の自由を得る。


「俺“どうしよっかな”って言っただけで、ナオが立ち上がったんだろ。」

「立つ前に、お前がもう袋持ってたから。」


『なんだかんだで行ってくれるもんね、ルカ兄。』


天井のスピーカーから、雪の軽やかな声が降ってくる。


『で、その葉っぱの主張すごいの、何?』

「癒し。せっちゃん、ずっと地下だろ。」


ルカはモンステラをちょいと掲げ、鼻で笑うように言った。


『……あ、そういう……うん。ありがと?』

「ほら、照れてる。」


わざとらしく得意げに言うルカに、ナオが小さく息を吐いた。


『あ、そうだ。Vさん今日、寄るって言ってたよ。』

「お、癒しのつぐみちゃん来るじゃん。」

「……だから嫌われるんだぞ。」


ナオが眉をひそめた、その刹那だった。


ドアがわずかに揺れる。

気配の変化が、部屋の空気をひとつだけ沈める。

扉が開くより早く、先に影が現れた。


それが、男の輪郭を象った――Vだった。


その背後、小柄な少女が黙って続く。

つぐみ。

視線は上げず、ただVの背中だけを見ている。


ふんわりと揺れるハーフツイン。

肩から吊ったリュックは、彼女の身丈に迫りそうな大きさだった。

黒いロックが三つ、規則正しく並んでいる。


『……Vさん、お疲れ様。』


天井から雪の声が落ちる。

トーンは変わらないが、空気がひとつ、締まる。

Vはルカとナオに一瞥をくれる。

目を細め、背を向けたまま低く言う。


「社交辞令はいい。すぐ出る。」


それきりだ。

歩みを止めることも、言葉を足すこともない。


ナオの視線が、Vの横顔をとらえる。

触れれば切れる。

その刃のような沈黙が、空気をじわりと冷やした。


その無言に並んでいるのは──つぐみだった。


ルカが彼女に目をやる。

つぐみの瞳は、まばたき一つにも意味を含むような深さで、何かを飲み込んでいた。


「……おっ、つぐみちゃん。ルカ兄ちゃんだよー。」


軽く手を振る。

小さな唇が、返事を紡ごうと動いた、その瞬間。

Vの指先がすっと伸びた。

つぐみの唇の、わずか手前で、そっと止まる。


命令ではなかった。

音もない、ただの静かな“制止”。


つぐみは頷いた。

その瞳には拒絶も恐れもなかった。

ただ――“わかってる”という光だけがあった。


Vが封筒をひとつ置く。

つぐみも、ついていこうとしたそのとき、ふと立ち止まる。


視線を、上げかけて……やめた。

代わりに、小さく、ぺこ、と頭を下げる。

声も音もない。

ただ、その一礼だけが、静かに残る。


ルカもナオも、何も言わない。

いつも通りだ。

今日もまた。


つぐみはまたVの背中に寄り添う。

ふたりの気配は音もなく消えていき、ドアが静かに閉じた。


「……やっぱガード固いな。」

「いつかVに刺されるぞ。」

「でも、つぐみちゃんは可愛い。」

「……続き、片付けろ。」


ナオが淡々と返す。

視線だけ、机の上の封筒へ流す。


「──あれで、精一杯なのかもな。」


誰のことかは、言わずともわかってた。

なのに、胸の奥がざらりと波立つ。




---


荷物を粗方片付けた頃、

天井のスピーカーが、くぐもった電子音と共に震えた。


『……ねぇ、ネットに変な動画が流れてる。ちょっとまずいかも。』


壁のモニターが点く。

映し出されたのは、昨夜の廃ビル内部。


ナイフ。

殴打。

喉元を締め上げられる男。

どれも、一瞬の暴力だけをつなぎ合わせた悪意ある編集だった。


──タイトルは、《地下組織によるリンチ映像》。


顔はモザイク処理。

だが、ナオとルカの暴力だけが、過剰なまでにクローズアップされていた。


「えー、なにこれ。この間のじゃん。

俺らの隠し撮り?……ファンかな?」


一瞬だけ、ルカがふざけた口調で笑う。

けれど、その目には冗談の光はなかった。


「……笑ってんじゃねぇ、バカ。」


ナオが低く言い放つ。

その声音に、珍しく鋭い棘が混じっていた。


『投稿主は《Clown》。開設から10日で7本。どれも“炎上誘導”動画。

監視カメラの映像を拾って、暴力の瞬間だけを切り出して――“煽って”る。』

「ありがちなやつだな……でも、なんで俺らを?」


ルカが顎に指を当てる。

モニターには、“鞭で男の首を締め上げる自分”が映っていた。


苦痛に顔を歪める男。

それを無表情に見下ろし、

淡々と鞭を引く、“誰か”の姿。


「こうして切り貼りされると──」


目を細める。

その視線が、動画の中の“自分”と静かに重なる。


「……なかなかの、クズだな。」


それでも、視線は逸らさなかった。

苦笑いの奥に、ほんの僅かな“肯定”があった。


「……ま、“まとも”のふりなんか、最初から似合わねぇか。」


その言葉が落ちたとき、

ナオは黙ってルカの顔を見た。


少しだけ目を伏せて、

小さく、あぁ、とだけ返す。

その手は、ほんのわずかにルカの背に触れていた。

言葉にすれば、全部が壊れそうで。

それでも、ただ──隣には、立っている。


ナオは黙って画面に目を凝らした。

口を開く代わりに、視線だけが鋭くなる。


“何かがおかしい”。

記憶にある“現場の手触り”と、映像に映る風景が、どこか噛み合わなかった。


「……雪、あの時カメラ潰してたよな。

どこから撮った、これ。」


答えを待たず、ナオの視線が再生画面の隅を捉える。

ぶれる画角。微かに映る、光の反射。


「窓……ビルの反射か。角度的に、向かいの建物だな。」

「なるほど、それはせっちゃんの範囲外だな。」


ルカの言葉にナオは頷かない。

そのまま、編集の“呼吸”を読むように映像を追う。


タイミング。

抜きの妙。

ノイズすら演出に変える、いやらしいほどの編集。


──これは、ただの晒しじゃない。

“煽り方”を知ってる奴の仕業だ。


その時――


『……それだ。近くのビルの防犯カメラ!

……こいつ、詰め甘い。カメラのログに足跡がある。辿れるかもしれない。』


雪の声が跳ねる。

ほんの少し、色が変わった。


「さすが雪。──準備、行くぞルカ。」


ナオが肘でルカを軽く突いた、その瞬間――


『…………えっ?』


その声が、不自然に裏返った。

一瞬で、空気が止まった。


「……せっちゃん、どうした?」


返事はない。

代わりに、スピーカーが掠れた独り言を拾った。


『……戻し方が……これ、なんで……』


小さく震える声。

それは“感情”ではなく、“反射”だった。

まるで、古傷を踏まれたような。


『……私……?』


ひたり、と空気が張り詰める。

そして――


『……面白い……っ』


一瞬、背筋が冷えた。


声は、確かに雪だった。

けれど、どこかが違った。

ほんのひと欠片だけ、知らない誰かの“熱”が混じっていた。

……雪自身でさえ、気づいていない。


「……おいおい、なんだよ。」


ルカの口角が、自然と上がる。

興味と、ほんの僅かなゾクリが背を這った。


あの声に、覚えのある熱が滲んでいた。

自分が闇に踏み込む時の、あの感触に──

似ていた。


雪の声は、明らかに“何か”を呼び覚ました。

ルカの瞳が、愉しげに細められる。


ナオは、それを見て。

静かに吐き捨てた。


「……伝染ってるぞ。」


狂気は、もうここにあった。

クラウン編、ここから本格始動です。

バトルも涙も、痛みも希望も、詰め込んでいきます。

次回3.5話では、その前に――

少しだけ、彼らの静かな日常を覗いていってください。

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