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第2話 追う者たち①

#第2話 追う者たち①



太陽が真上に差す、煌都の裏路地。

コンクリの照り返しに熱が滲み、どこかから罵声が飛んだ。

飲食街と雑居ビルの狭間に、乾いた足音が連なる。


「──おい、待てって!」


先頭を走るのは、黒ジャケットの若い男。

髪はぼさつき、呼吸はもう限界ぎりぎりだった。


その数歩後ろ、やや離れて──


「……厄介だな。」


ナオはため息まじりに呟いた。

背には、黒の刀袋が一振り。

街の雑踏に馴染まないそれは、

それが“抜かれたら終わる”と、誰の目にも分かる背中だった。


シャツの袖を捲りながら、追跡に入る。

動きは速いが、焦りはない。


さらに後方。

ルカが頭を緩く掻きながら、のんびりと走ってくる。


「昼間っから、街中で全力疾走って、恥ずかしくね?」


そう言いながらも、口元は笑っていた。

障害物を軽く避けながら、どこか楽しげに、

だが視線はしっかりと堀井を追っている。


「……なあ、ナオ。」


ナオの背中に声を投げる。


「先に捕まえた方が、ラーメン奢りってどうよ。」

「状況見て言えよ。」


ナオは振り返らない。

けれど声には、微かに呆れたような色が滲んでいた。


「えー、反応薄。その方が面白ぇじゃん。」


軽口を叩きながら、ルカは地面を蹴る。

足取りは軽快。

ネクタイが風を受けてはためいた。


堀井は直進──細い裏道を突き抜け、繁華街の裏路地へ差し掛かる。


その瞬間。

ナオが、ふいに脚を止めた。


「……ん?」


分かれ道を前に、ルカは眉を上げる。

堀井はなおも直進。

だがナオは、ルカの姿を確かめると、

何も言わず、左の路地に身を滑らせた。


──回り込む気か。


「……ふーん、俺を陽動に使うつもりだな?」


苦笑まじりに、ルカが肩をすくめる。


でも、止まりはしない。

むしろ楽しげに、ほんのわずか速度を上げる。


「……ナオに回り込まれる前に、捕まえてやろっかね。」


金茶の髪が跳ね、腰に括り付けられた鞭が揺れる。

交錯した──まるで、それすら遊びの一環であるかのように。

駆け抜けるその音が、街の膿を踏み鳴らしていた。



---



──その数時間前。


太陽がまだ天井に昇る前の、昼過ぎ。

煌都の片隅の雑居ビル。

《ルクシオン》の事務室に、二人はいた。


ガラスの割れた窓から差し込む光が、床に斑を落とす。

その部屋に、気だるい空気が漂っていた。


芹原ナオは、机の上の端末に静かに目を落とす。

指先だけが、書類の端を無駄なく捲る。

整えられた前髪の奥、その目は常にどこか張り詰めている。


「……おやおやー、もうお仕事中とは。

勤勉ですね、ダーリン。」


がちゃり、と扉が鳴く。

緩く撫でつけた金茶の髪。シャツのボタンは外れたまま。

寝癖混じりの鷹宮ルカが、片手で口元を覆いながらあくびをかみ殺す。


「重役出勤だな。」

「昨日遅かったんだよ。昼まで寝かせてくれよ。」

「俺の目の前でそれ言えるの、強いな。」


ナオが書類の角を、ぴしっと揃える音が小さく鳴った。


「それ、俺もやらなきゃいけないやつ?」

「やるんだよ。」

「うわ、即答……。」


渋々手を伸ばすルカに、紙束が無言で突きつけられる。

ルカはふてくされたように眉をひそめつつ、素直にソファに沈み込んだ。


──そのとき、天井のスピーカーから声が降る。


『おつかれー。今日も漫才ありがと。』

「せっちゃん、おはよー。昨日の動画、助かったわ。」


ルカが軽く手を挙げて、天井に向かって笑みを送る。


雪。

ルクシオン所属のハッカー、“雪月花せつげっか”。

半地下にこもりきりで、姿を見た者はほとんどいない。

だがその声は、いつだって一番近くにいる。


『今日の案件、ちょっと気持ち悪い。レーヴァ絡み。』

「……あー、やだやだ。」


ルカがぐいっと頭を掻いた。


「あいつらって、“運ぶ”って単語に倫理がねぇんだよ。

薬でも人でも、壊れたら取り換えりゃいいって顔してる。

……まぁ、レーヴァらしいっちゃ、らしいけどな。」


『最近このエリアで流れてる薬物。

普通じゃない、新規の流通経路があるみたい。

で、それに関わってるのが“堀井”っていう、フリーの情報屋。』


雪の声が続く。

それに合わせるように、ルームモニターに情報が投影されていく。


通話履歴、支払いデータ、匿名アカウントの接続元──

それらが雪の手で編まれ、“堀井”の輪郭が蜘蛛の巣のように浮かび上がる。


『レーヴァの管理外で勝手に動いていて、それが“巨人”──上層部の怒りに触れたみたいね。』

「……こいつの投稿癖、雑だな。これなら張れる。」


ナオが一瞥して呟く。


『うん。“LOOP”ってカフェ、ここにほぼ毎日来てる。

支払いもそこだけ現金、監視カメラにも顔が映ってた。』

「よし、じゃあ張り込みデート決定っと。

……パフェ食えるかな。」

「仕事中だろ。」

「ひっでぇな、ダーリン。」


軽口を叩くルカに、ナオは表情ひとつ変えない。

その空気が崩れかけたそのとき──


「ちょっと待った!あたしに回しなさいよ!」


ドアが勢いよく開き、飛び込んできたのは蘭子だった。


ゆるくパーマのかかった髪に、スーツすら色っぽく着こなす、ルクシオンの武闘派オカマだ。

表情と声の温度差に、一瞬空気が跳ねる。


「何よ、“カフェ張り込み”って。

あたしだって優雅にシャレこみたいのよ!

なのにいつもカチコミ案件ばかりじゃない!」


「……俺たち知ってるよな、ナオ。」

「うん。いつも拳一発で沈めて、即解決。」


蘭子は机に頭を打ちつけ、うなだれる。

だがその目の奥には、微かに刺があった。


「まぁいいわよ。……でね、あたしがこの前潰した現場もね。

似たのがいたの。――薬物。しかも、新しいルート。」


その言葉に、ナオが視線を落とす。


「……増えてるのか。こういうの。」

「まるで気づくか気づかないか、試してるみたいな……ね。

気のせいなら、それでいいんだけど。」


ルカはソファで寝転びながら、天井を見つめたまま呟く。


「だから俺、薬物だけはほんと無理なんだって……胃が痛ぇ。」

「あんた、何でも嫌いでしょうに。」

「ちげぇよ。薬物は“別腹”で嫌い。ほんと、反吐が出る。」


一瞬、ナオの指先が、わずかに止まる──まるで躊躇のように。


ふぅ、と蘭子がため息をついたそのとき、

ルカはふざけたように手を挙げて見せた。

けれど、その仕草だけが、妙に丁寧だった。


「……じゃ、俺たち、カフェでデートと洒落こむんで。」

「あームカつく。さっさと行きなさいよ!」

「はいはい、行こうぜハニー。

お上品な昼メシタイムに、ちょっと毒味でも。」

「言い方。」


ナオは端末を閉じ、ゆっくりと立ち上がった。


――扉が閉まる音を聞きながら、蘭子は口角を上げた。

視線は、誰もいない空の椅子をじっと見つめている。


「……それでも、あたしらは、

ひとつずつ潰してくしかないのよね。」

『……カッコいいよ、蘭子ちゃん。』


スピーカーの向こう、温度のない声が、そっと撫でた。


「やだぁ、聞こえてた?

あたし達はガールズトークでも楽しみましょ、せっちゃん。」



---


カフェ“LOOP”は、雑居ビルの一階にひっそりと佇んでいた。

木目調のテーブルと控えめな照明が、午後の柔らかな陽光を受けて、ぬるい温もりを滲ませている。


「なぁ……来なかったら、今日はパフェ食って帰ろーぜ。……チョコバナナな。」


メニューをめくりながら、ルカは空気を和ませるような声を出す。

けれど、その目はどこか焦点が合っていなかった。

逃げ道を探すような、妙に空っぽな響きだった。


対面のナオはというと、ストローも刺さずにアイスコーヒーを見つめたまま動かない。


「……毎度、レーヴァの依頼は性に合わねぇんだよなぁ。」

「だな。お前はいつもぐずる。」

「アルゴスなら“契約が絶対”で済ませるし、ヘリオスだったら“義がどうのこうの”で説教コース。」


ルカはわざとらしく肩をすくめた。


「ほんっと……この街は、三大勢力の性格がそのまま“病気”みたいに広がってんだよ。」


──ちょうどそのとき、耳に仕込まれたインカムが小さく鳴った。


『──来た。入口から入って、カウンター右側。黒ジャケット。端末いじってる。』


ルカの指がメニューをめくる手を止めた。

何気なく視線を横に流す。

ナオもそれを感じ取るように、無言で頷く。


──いた。

髪はぼさつき、目の下にクマ。

やけに手が落ち着かない。

まさしく、狙っていた“堀井”だった。


「さて……ご挨拶、してくるか。」


ルカが笑みを浮かべて腰を上げかけた──そのとき。


『待って。堀井のスマホに通知来た。開封する。

“余計なの、連れてきたな”、って……。』


通知を聞くや否や、ナオは椅子を押しのけて立ち上がった。


「バレたな。」


次の瞬間。

堀井が顔をこわばらせ、席を蹴るようにして立ち上がる。


ルカも椅子を飛び越え、路地へと駆け出す。


「誰だよ……察しの良いのがついてんなぁ……!」


ルカが小声で毒づく間に、

ナオはすでにドアへと向かっていた。


「遅ぇよ、ハニー。」

「待てよダーリン……じゃねぇな、あのガキ!」


雑踏の奥に、堀井の背が見えた。


「……ゲーム、開始だ。」


ルカがニヤリと笑い、足元を蹴った。

ふたりの影が、煌都の街を裂いて駆けていく。

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