なんで纏えるんだ幸せを
全体的に非現実的です 最初に出てくる表現も、比喩ではなくて空想です
俺の周りには幸せが留まってくれていないようだ、と気付いたのはごく最近のことだ。
俺以外の人たちを見ていると、ぼんやりと、オーラをまとうかのように、その人の周囲には幸せが漂っているような感じがする。それは「『幸せ』という気体が、鎧となってその人を守っている」とでも言うべきか、ともかく、その『幸せ』は、その人の日々を豊かなものにするのに非常に役立っているようなのだ。長続きする幸せが、消えずに漂っているのである。
なのに、俺にはその鎧がない。近頃なんだか寒いのも、きっと俺が幸せをまとえていないせいだと思う。
それで、俺は幸せを集めたいと考えた。幸せを集めることができたなら、それを身体中にペタペタ貼り付けるかなにかして、他の人と違うのをうまく誤魔化せるだろう。
幸いなことに(もしかすると不幸なことなのかもしれないが)俺は、俺の左の手の平から、おそらく『幸せ』であろうものが絶えず抜けていっているのを感じている。だから、この左の手の平を採取場所として活用すれば、きっと幸せを集めるのに成功できるに違いない。
他人がまとっている幸せは、目に見えず、かつほとんど空気に溶け込むようになっているので、幸せというものは、多分気体なのである。『幸せ』と聞いて思い浮かべるイメージは、決して、固かったり冷たかったりといったものではない。むしろ、幸せというものはフワフワしたイメージであるはずだ。これも、幸せが気体である一つの根拠になるだろう。
小学校か中学校か忘れてしまったが、理科の授業で「気体の集め方」を習ったのを覚えている。気体は、水上置換法、下方置換法、上方置換法のいずれかの方法を使って集めることができる。
本当は、気体の性質によって、もっとも適した方法を選ばなければならない。けれど、俺は「気体:幸せ」に詳しくない。だから、これらの方法を順に一つずつ試していくことにした。
まずは水上置換法だ。水上置換法は、水に溶けない気体を集めるのに向いている方法だ。俺は風呂場から洗面器を取ってきて、そこにたっぷり水を張った。次に、ガラスのコップを沈める。そしてコップを、空気が入らないように逆さにする。そのあとで、左手も水の中に沈めて、そのコップの下に滑り込ませるように配置する。こうすることで、(これが上手くいくのだとしたら)手の平からブクブクと発生する「気体:幸せ」が、どんどんコップに貯まっていくはずなのだ。
俺はしばらく待った。しかし、一向に気体は集まらなかった。おかしい。感覚的に、左の手の平から幸せとおぼしきものが抜けている感じは今もずっと続いているのに。
ということは、幸せは水に溶けていってしまったのだろうか。試しに、洗面器の水をちょっぴり舐めてみる。
水は、甘い酒に変わっていた。俺はひどくがっかりした。
どうしても不幸に耐えられなくなった時に、俺は仕方なく酒を飲む。すると、少しの間だけ幸せが訪れる。だが、この幸せは絶対に長続きしないのだ。むしろ、酒を飲んだあとにはかえって不幸のほうが大きくなって、さらには余分な後悔さえ湧いてくる。幸せが水に溶け込むと酒になってしまうだなんて。
さて、水上置換法では幸せを集めることは出来ず、むしろ幸せを悪い形に変えてしまうということがわかった。なので、別の方法を試すことにする。
次は下方置換法だ。空気より重い気体は下に沈むので、そのちょうど沈む場所に容器を置いておいて、十分に貯まったらフタをすればいい。
ちょうど家にはフタつきの鍋があったので、いったんそのフタを外して、鍋の内側の底に左手を配置した。鍋のフタには蒸気穴が開いていたので、あらかじめテープでふさいでおいた。
しばらく待った。すると、部屋がなんだか煙っぽくなりはじめた。煙は、俺の左の手の平から出ていた。その煙は、鍋に貯まることなく、上へ上へと立ち昇る。そして煙は、少し嗅いですぐ気がついたが、正真正銘のタバコの煙だった。
俺は、またもやがっかりした。俺は、なにもやることがなくてやるせないときに、なけなしの幸せを取り込もうと思って、仕方なしにタバコを吸う。吸い終わるのと同時に、やるせなさはもっと大きくなってしまう。そうなると分かっているのに、それでも、中毒性に抗えず、俺はガマンできずにタバコをまた吸ってしまう。俺はタバコなんて大嫌いだ。幸せは、下方置換法で集めようとしても、タバコの煙になって逃げてしまうだなんて。
下方置換法でも、幸せを集めることは出来なかった。残す方法はあと一つしかない。
最後に、上方置換法を試してみることにする。空気より軽い気体は上に向かうので、容器を逆さにしておいて、そこにうまく気体が入り込むように気体の発生口の場所を調整する。
俺はバケツを持ってきて、それを逆さにした。左手をバケツの中に配置する。
そして、しばらく待つ。今度こそ上手くいってくれ、と思っていた。さっきとは違って、手の平から煙は出てこない。俺は、『気体:幸せ』が本当に集まっているのかどうか、いまいち分からないな、と考えていたが、そんなことを思っているうちに、ちょっとずつ、部屋に異変が起きつつあることに気がついた。なんだか、俺の身体が斜め下に引っ張られるような感じがするのだ。この力(これはまさに引力だ)はどんどん強くなる。この引力は、いったいどこからくるのだろうか?と、引力の発生源と思われる方向を見てみると、そこには、面倒くさがって今日は畳まずにいた、敷きっぱなしの布団があるのだった。
俺はここで、上方置換法もやはり失敗だった、と悟った。悲しくてどうしようもないとき、俺は眠る。睡眠というのはいつも、それなりの幸せを保証してくれるものだ。だが、その幸せも、起きた瞬間には消え去ってしまう一過性のものである。そのうえ、寝るきっかけとなった悲しみそれ自体はちっとも減らしてくれない。
おそらくこれは、布団が床に沈んだ幸せを吸って、そのまま引力に変換してしまっているのだろう。また悪い形の幸せが出来上がっただけで終わってしまった、と思いながら、とうとう引力に逆らいきれなくなった俺は、そのまま布団に入って眠った。
次の日、俺は、どうしても幸せを集められないものかと悩んで、頭をひねった。そしてとうとう、もう一つだけ浮かんだ、苦肉の策を試してみることにした。
それは、『気体:幸せ』を冷やして、『液体:幸せ』あるいは『固体:幸せ』に変化させるという方法だ。これなら、きっと幸せが目に見えるようになるし、集めるのも、保存しておくのも、簡単になるに違いない。
なぜ「苦肉の策」と言ったのかといえば、俺は幸せの冷やし方を知らなかったのだ。
まずは、ちょっとの間だけ冷凍庫に左手を突っ込んで時間を置いてみた。が、液体や固体が出来る様子はない。それ以上に、左の手が寒さに耐えきれない。このままでは凍傷になってしまう。
それで、別のやり方を考えた。今度は、自分の左の手の平を『冷たい目』でジッと見つめ続けてみることにした。
さて、うまくいくだろうか、と考えていると、なんと、左の手の平の上に、黒い小さい石ころのようなものが、2つ、3つと生じ始めた。
しかし、しめた!と思ってその石ころをつまんでみようとしたその瞬間、石ころはポーンと跳ねて、脇の棚の上に立て掛けて飾っておいた、お気に入りのCDアルバムの一つにぶつかって、そのままシュンッ、と消えた。
悪い予感がした。俺は左の手の平を見つめるのをやめて、慌ててそのCDをプレイヤーで再生した。
悪い予感は見事に当たってしまった。俺は今まで、そのCDアルバムを聴くたびごとに、快い幸せを噛み締めることができていた。ところが、あの石ころが融合してしまった後のCDアルバムを聴くと、「なんだ、所詮はこの程度のものか」という失望しか湧かなくなってしまったのだ。幸せは、"よくない見方"をすると、すぐに、幸せとは別種の醜いものに変わってしまう。幸せは、幸せのまま固まってくれはしないのだった。
もう疲れてしまって、俺は諦めることにした。
こんなことに躍起になっていないで、これからちょっと散歩をしよう。
そして散歩を始めてしばらくすると、道端で、友人のAにばったり出会った。俺は、さっきまでの自分の幸せに関する奮闘をどうにか分かってもらおうとして、ことの顛末を事細かにAに説明した。
するとAはこう言った。
「確かに、日常的な幸せが少なくなっているというのはつらいね……。僕は酒もタバコもやらないし、実はちょっと睡眠不足なことも多いのだけれど、それでもむしろ、君よりかは幸せな感じがしてしまうもの。よければ、一緒にどこかに出かけようか?そしたら、ちょっとは君も周囲に幸せをまとえるかもしれない。」
Aには家族がいる。俺と出かけるような暇を作るのには盛大な困難が伴うということを、俺はハナからちゃんと理解していた。Aは優しいやつだから、俺を心配して、こんなに気を遣ってくれたんだ。
俺は、
「気持ちはとても嬉しい、が、俺もちょっとここ最近忙しいんだ。ありがとうな。じゃあ、また今度。」
と答えた。
「……一番大事なのは自分だよ。じゃあね。」
とAが言った。俺は、Aという存在が、心の底からありがたいなと思った。
そのままAと別れて、一人でもう少しトボトボ歩いていた。
そういえば、なんで左の手の平から幸せが抜けていくんだっけ、と考えた。
そして、一つ思い当たることに行き着いた。
少し前に俺を盛大にフッていったBと、最後に手を繋いだのが確か左手だったような。
でも、やっぱりそんなのは関係しないよな、と俺は思い直した。
俺は不幸せではないんだ。ただ単に周りに幸せが留まってくれないだけなんだ。
……そういうふうに考えているうちは、この俺のおかしくてしんどい状態が改善することは絶対にない、と気付けたのは、実のところ、もっとずっと先の話になるのだった。
幸せというものに定まった形はない。
あえてここで言うまでもなく、その状態変化や状態把握はとてもとても難しいものなのである。