いざ、星花祭へ
日曜の午前5時台の東海道本線S駅構内は人がほとんどいない。そのせいでひときわテンション高めの男が悪目立ちしている。
「ウェェェイ! 待ちに待った星花祭だ! 数多の百合を目に焼き付けて生きる糧にしていくぞ!」
御神本学園雑誌部百合愛好会会長、大埼竜馬の叫び声が構内にこだました。すると朝帰りの酔っ払い二人組が「ウェェェイ!」と呼応してきた。さらに大埼先輩が「ウェェェイウェェェイ!」と調子付けるものだから、たまらず俺、杉山陽人は「恥ずかしいからやめてください!」と怒鳴りつけてしまった。
「すまない、しかしこの溢れる百合エナジーを抑えきれないのだ。ウッ……また胸がゆりんゆりんしてうずいてきたっ……!」
「これじゃまだ中二病の方がマシだよ……」
俺はボソッとぼやいた。
「ねえ杉山君、いくら何でも始発で行く必要はないんじゃないの? コミケじゃあるまいし……ふぁぁ……」
副会長の小路翠先輩はさっきからあくびしっぱなしで、中性的な美人顔が台無しだった。
「姉ちゃんの情報によると、昨年度の倍以上の来場者が予想されているらしいです。美滝百合葉がmisericordeのメンバーを引き連れてJoKeと卒業前コラボライブをやるみたいで」
「いち学校が人気アイドルどうしのコラボライブを開催するの? はー、全く羨ましい限りだわ」
言い回しはどことなく皮肉っぽかった。
「だが我々の目的はあくまでも百合を感じ取ることだ。ライブの観客に負けない熱気を見せようではないか!」
「はいはい」
大埼先輩と小路先輩の熱気の落差がでかすぎる。
「ハルちゃん、星花女子学園って一体どんな感じなん?」
そう聞いてきたのは香山拓海。百合愛好会のメンバーで俺の同級生、中等部からの内進生だ。
「俺も実は行くの初めてなんだ。姉ちゃんは極楽浄土みたいなところだって事あるごとに言ってるけど……」
「極楽浄土なあ。男だらけの八寒地獄みたいなところで勉強しとるボクらからしたら余計そう感じるんかなあ」
見た目はふわふわ癖っ毛の美少年、しかし口からはクセのある関西弁が出るというギャップは人によってはたまらなく感じるそうだ。
実際に彼の出身地は実際に関西の方で、兵庫県たつの市という俺が全く知らないところからわざわざS県まで来たのだが、そうめんと醤油と皮革の産地として有名らしい。
会長の大埼先輩、副会長の小路先輩、そして香山と俺の四人で百合愛好会は構成されている。だけど俺たちは正式には雑誌部員で、その中でも百合作品を特化して扱うのが我々百合愛好会である。例えるならアイドルユニットの中のサブユニット的存在だ。
昨年、大埼先輩が御神本学園に百合を愛し、語り合い、布教し、表現する場が無いことを嘆いて百合愛好会を立ち上げた。いずれは雑誌部かに独立することを夢見ているが、そのためには実績を重ねなければならない。
「女性同士の関係性どころか女性そのものに理解を示さない無骨な男が多い中で百合を広めるのは困難を極めるが、世界に影響を与えた宗教家や哲学者ですら自分の教えを広めるのに苦労し、時には弾圧を加えられた。我々も数々の困難を乗り越えなければならない、百合の女神が与え給うた試練である……」
というのは大埼先輩の口癖である。自分としてはかなり大げさすぎると思うが。
そんな話はさて置くとして、我々は始発に乗り込んで空の宮中央駅まで進み、さらに私鉄の星川電鉄に乗り換えた。しかし……。
「なっ、何なのかしらこれ……コミケじゃあるまいし……」
押しくら饅頭の中、小路先輩は苦しそうに呟いた。そう、先月俺たちが一般参加した夏コミで利用したりんかい線の車内のようにぎゅうぎゅう詰めになっていたのだ。乗客の汗臭い熱気が冷房に打ち勝ってしまっていてサウナ状態。汗臭さは学校で慣れているとはいえ、やっぱりきつすぎる……
「みんな、耐えろ! 百合を極めるための修行と思え!」
「ちょっと竜馬! あんたどこ触ってんの!」
「おぶっ!」
小路先輩が大埼先輩に頭突きを炸裂させた。大埼先輩の学帽がずれて庇で目が隠れてしまった。
「ぬああっ! 世界が闇に包まれてしまった! 誰か元に戻してくれ!」
「すみません、俺も身動きとれません!」
「ボクも無理ですうー!」
「むっ、是非もなしか! ならば百合妄想で暗闇を克服するしかない!」
何だそれ……とにかく、そのまま学園前駅まで我慢してもらうことになった。
学帽着用がいまだに義務化されている学校は恐らく全国でもミカガクぐらいのもので、S県民の間では学帽=ミカガクの生徒という共通認識ができていた。だから客たちは俺たちのことをそういった目で珍しそうに見てくるが、「こいつら男子校育ちで女に飢えてるから星花女子の生徒をナンパしに行くんだろうな」とか思っているかもしれない。でもそれは絶対にない。大埼先輩はこう言っていた。
「星花女子の生徒とは必要以上の会話を交わさないこと。連絡先の交換をしないこと。ましてやカップルの間に挟まろうとしないこと」
自分の言いつけを破ったら処すぞと、大埼先輩はこの一週間毎日毎日口うるさく言い続けていた。もっとも、先輩がいちいち言わなくても星花女子学園に迷惑をかけるわけにはいかない、というのは会員たちの共通認識である。
学園駅前に到着し、ドバッと乗客が吐き出された。警備員の誘導に従ってゆっくりと移動したが、改札口を出るまでにだいぶ時間がかかり、ようやく押しくら饅頭から解放されたのもつかの間、大埼先輩にとって念願の星花女子学園がちょろっと遠くに見えている箇所からすでに待機列ができていた。
「星花祭をなめてたわ。やっぱりコミケみたいじゃない」
「俺は感動している。これ程百合を求めている者たちがいようとは……」
「いや、さすがにそれはないと思います」
俺は思わずツッコんだ。
何か、列の前がざわざわしている。身を乗り出して覗いてみて、「うわっ!」と声が出てしまった。「どしたん?」と拓海が聞いてくる。
「銃を持った自衛隊っぽいのががウロウロしてる……」
「はい? 自分、何言うとんの?」
「いや、本当だって。見てよ」
拓海も先輩たちも身を乗り出すと、「うわっ!」と声を出した。
「え、何なんあれ? めっちゃ怖い目つきでこっち近づいとる……」
「拓ちゃん、ジロジロ見ちゃダメよ」
「あらかさまに無視するような仕草をしたら逆に怪しまれるぞ。自然に、自然に……」
俺たちは直立不動でおとなしくしていたが、その迷彩服を着た、自衛隊員らしき人物が俺達のところで歩みを止めた。
「大埼君たちではないか。君たちも来ていたのか」
「……須賀野さん!?」
人を刺すような鋭い目つきは見間違えようがない。俺が姉ちゃん経由で小説の登場人物ネタとして拝借した(でも書いたのは会長)、須賀野守さんが自衛隊員の格好をしていたのだ。小銃は本物ではないと思うが……。
「あの、何でそんな物騒な格好を……?」
俺は恐る恐る聞いた。
「今日の入場者数は非常に多いと聞いてな、早朝より見回りに当たっている。周囲は住宅街ゆえ、くれぐれも大人しくしているよう」
ギロッと睨んできたから、背筋がブルッとなった。大人しくならざるを得ない。会長ですら冷や汗たらたらで固まっていたところ、
「あのーちょっと、お話よろしいでしょうか」
今度は青いシャツと黒の帽子を被った屈強な大人が数人がかりでやってきた。帽子には金色の旭日章が。あ、本物の公務員だ……。
「私は怪しい者ではありません。星花女子学園の風紀委員であり……」
「とりあえず話は交番で伺いましょう」
あえなく連行されてしまった。
「何なん、あの人……?」
「大埼先輩の小説の主人公のモデルの人」
「ハルちゃん、あれ触ったらアカンタイプやで」
拓海は身も蓋もないことを口にした。実際そうかもしれない。会ったときはまともそうだったんだけどなあ……。
でも大埼先輩はニコニコ顔で、
「うーん、さすが軍曹と呼ばれるだけあって軍人スタイルが似合っていたな……よしひらめいた! 次の小説のネタは士官学校を出たばかりのヒヨッコ女性士官をお付きの女軍曹がシゴキ倒すのはどうだろう。自分より階級が下の軍曹に怒鳴られてみじめで嫌な思いをするもやがてシゴキの中にこめられた愛情に気づき、そして二人の絆は……」
小路先輩と拓海のつめたーい視線が大埼先輩に刺さる。大埼先輩も大埼先輩で危ないんだよなあ。
姉ちゃん、今俺はこういう人に鍛えられて刺激的な学校生活を送っています。