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 魔方陣の前で行きつ戻りつ、落ち着かない様子の正臣は放っておく。綾子は木陰を選んで仁王立ちで腕を組んだ。正臣の様子は仮にも北海道知事後継者の夫君として相応しいものとはいえないが、それだけ麗華を案じているということだ。身内しかいない場でくらい許されるだろう。


 麗華が異界に転移する。その話を耳にしたのはほんの十日前だ。綾子専属の侍女兼護衛である奏絵を、人見知りの激しい麗華のために一時的に貸し出してほしい、という依頼が和臣経由で届いたときである。


 胎児が魔法力を溜め込むのが原因で、麗華の体調があまり思わしくない、とは以前に本人からの連絡で聞いていた。いろいろと試した対策がどれも効果なしだったとも。


 半月前に、魔方陣の書き換えの腕を買われて、和臣が正臣に呼び寄せられたときから、綾子は麗華のことを強く案じていた。だがプロの魔法士でもない和臣を駆り出すとなると、自家で収めておきたいのだという意味と察せられる。声をかけられていない水瀬伯爵家が口を出すわけにもいかない。状況を説明してもらえているだけ良しとした。もっとも資格持ちのそれこそプロの魔法士は、本條辺境伯家にも、正臣と和臣の生家である関侯爵家にも、何人も雇用されている。だから宮内庁や軍に所属する魔法士に助力を乞うような深刻な事態ではないのだろう、とも思った。


 しかし、異界への転移となると話は別だ。


 向こう側の日本国とこちら側の瑞穂(みずほ)王国の間に、何か所か通路が存在しているのは、一般的によく知られている。その内の一つが本條邸の奥庭に存在するのも。


 通路の両側の門は気まぐれに開閉し、時に運悪く門が開いたところに居合わせた誰かを反対側に渡してしまうことがある。数十年前に、当時の本條家令嬢が意図せず向こう側に渡ってしまった事故は有名だ。令嬢はついに戻って来なかった。


 その事故以来、本條家では通路や門、渡りに関する研究に惜しみなく援助するようになった。結果、二十年ほど前に、転移魔法を応用すれば門を開き、通路を使って反対側への渡りが可能となる、という成果が出された。といっても行き来は決して簡単なことではなく、上級魔法士数人が立ち会わなければ安全性を保てない。


 そもそもこちら側から向こう側への渡りはデメリットのほうが大きい。それもまたよく知られているから、華族でも一般民でも、向こう側に行こうと望む者はまずいない。


 そのデメリットを今回は有効活用できるからこそ実行となったわけだが、綾子は不安を拭いきれなかった。たとえ麗華自身が渡りの研究者であり、発案が当人からだとしても。たとえ本條家には優秀な上級魔法士が何人もそろっているとしても。わずかでも危険を伴うとわかっていながら柊子と正臣が渡りを許可したとなると、事態はそれほど深刻なのだろう。


 綾子はなんとはなしに、目の前をうろうろしている正臣と、その側で揶揄(からか)っている和臣を眺めた。


 対極の性格をしている二人だが、顔立ちはよく似ている。切れ長の二重に、野暮ったくならない程度の太眉。鼻梁が高く、薄めの唇。各パーツの配置が良くて、すっきりしており、理想的な華族男子の顔といえる。魔法力を多く取り込むために華族は髪を長めにするものだが、二人とも襟足が隠れる程度だ。同じくらいの背丈と体格に、偶々(たまたま)なのか同じブランドの似たようなスーツ姿で、そのため普段よりも一層似て見えるのかもしれない。大きな違いといえば、正臣は口角が下がり気味のせいで不機嫌そうな印象がし、和臣は左側の口角だけがほんの少し上がっているせいでどこか皮肉っぽい印象がする点くらいか。


 麗華とは容姿の好みが似ていたのだな、などと綾子は苦笑してしまった。


 和臣と目が合った。大げさに手を振りながら和臣が近づいてくる。


「なんだかんだ言って、正臣兄さまは麗ちゃんのこと大事にしてくれているのよね」

「膝に乗せたり、お姫さま抱っこしたり、ね」

「そうじゃなくて、いえ、それもあるんだけど、なんていうのかな、麗ちゃんが正臣兄さまには懐いているでしょ。あれほど人見知りの子が、あんなふうに人前で自然に膝に乗るだなんて思ってもみなかった。おとなしく抱き上げられるってのもね」

「膝にのったのは自分からだけど、お姫さま抱っこは兄上が勝手にやったでしょ?」

「あのね、あれって抱き上げられる側にも、それなり技術がいるのよ。相手が抱えやすいように自分のバランスを取ったり重心を移動したりね。麗華は運動神経いいほうじゃないから、慣れてなかったらあんなふうにうまくいかないと思う」

「ということは、だ。兄上は日頃からしょっちゅう麗華さんをお姫さま抱っこしてるってことか」

「でしょうね」

「でもって麗華さんだけなく、綾も抱っこされる技術をすでに会得してるわけだ」

「う……あなたがそれを言う?」

「まあ、それはおいておくとして。なんか変なんだよなあ。とっくに向こう側に着いてるはずだから、連絡が来ててもいいのに音沙汰なし」

「手順はどう決めてたの?」

「二人が着き次第、向こう側であらかじめ待機していた緑川(みどりかわ)、あ、本條の魔法士ね、緑川が、着いたよぉって書いたカードを魔方陣に乗せて戻して、そのカードをこちらで回収したら魔方陣が閉じる、って段取り。今まで何度かやってみたときには、そうだな、十分かからないくらいだった」


 場所を移動するだけの通常の転移であれば、一呼吸で終了する。異界への転移にはさすがに時間がかかり、狭間(はざま)に五分はいなくてはならないというが、それにしてもすでに十五分は過ぎている。


 二十分が経過し、対策案の一つを取るべく、魔法士たちが正臣のもとに集まったときだった。魔方陣の中央で、光の粒が湧き始めた。


 全員が注視するなか、だが現れたのは奏絵一人だった。光が消え去ると同時に、奏絵は正臣の元に走り寄る。


「どうしたんだ? なにがあった?」


 奏絵は沈痛な面持ちで、正臣を見上げた。


「申し訳ございません。麗華さまが行方不明となりました」

「どういうことだ。なぜ、そんなことに」

「わたしにもよくわかりません。狭間で麗華さまがいきなり歩き出して、手が放れてしまって」

「なぜ手を放した!」


 正臣の怒声に、綾子はさっと割って入る。


「奏絵の主人(あるじ)はわたしです。苦情はわたしに言ってください」

「すまない、怒鳴るつもりなどなかった」


 正臣が片手を口元にあて、視線をそらした。


「ひとまず落ち着いて、奏絵さんに状況を話してもらおうよ。綾は奏絵さんの傷の手当てをしてあげて」


 和臣に言われて始めて、奏絵の顔や手足に細かい切り傷がついていると綾子は気づいた。自分も落ち着きを失っていたのだ、と思う。肌表面の擦り傷くらいであれば、綾子にも治療ができるので、奏絵の両手を取り治癒魔法を流しこんだ。


「それじゃ、何があったか順に教えてよ。狭間に入って、まずどうしたのかな?」


 和臣が促すと、奏絵は正確に思い返そうとしているのだろう、左上に視線を向ける。


「当初は、狭間では極力動いてはならないとの指示を守っていました」


 三度目の奏絵でも、上下左右が不確かになる狭間には息苦しさを感じたという。暗闇の中で頼りとなるのは、周囲を淡く取り巻く魔法の光の粒子だけ。その心許なさをどうにか我慢し、留まらなくてはならない五分がようやく過ぎようとする頃。


 いきなり麗華が身震いした。何かを小さく唱えながら、後ずさる。パニックを起こしたのだろうかと、奏絵は名を呼びながら麗華の手首を掴んで引き戻そうとした。だが、それを麗華が強く振りほどいた。


「赤ちゃんが、行きたくないって言っているの。わたしも、もう行きたいとは思わない」


 ぼんやりとした光では、麗華の表情はうかがえなかった。だがその声音は、普段の彼女からは想像できないほどに落ち着き払っていて、奏絵はとても驚いたそうだ。


「もういいの。黙ってたらみんなを騙すことになるって、わかってたのに。今までどうしても言い出せなくて……。ごめんね、奏ちゃん。綾ちゃんにもごめんって伝えて。それから、正臣さんにはありがとうございましたって」


 麗華がさらに後ずさる。二人を一緒に包んでいた淡い光が、二つに分かれた。奏絵が身動きできずにいたほんの数秒の間に、麗華を包む光は一気に離れて行き、闇に滲み、飲まれていった。


 その後すぐに奏絵は向こう側の門から外に出た。待っていた緑川に説明し、周辺一帯を魔法で走査してもらったが、麗華は見つからなかった。緑川は範囲を広げて走査を続け、奏絵は報告のためにこちら側に戻ることにした。


 話し終えた奏絵の目尻に涙が浮かぶ。短くはない付き合いの中で、綾子が奏絵の涙を見るのは始めてだった。


「どうやら麗ちゃんが自分から望んで立ち去ったようね」

「兄上、お嫁さんに逃げられちゃったね」

「やめなさい、和くん、こんなときに!」

「に、逃げられた、のか? 転移中に危険を冒すほど、俺が嫌だったのか?」

「正臣兄さまも本気にしない!」


 目の前で正臣が(くずお)れた。これもまた綾子が始めて目にする姿だ。


「やはりこんなオジさんが婿なんて嫌だよな? 俺はもう三十過ぎで。麗華より七歳も年上で。麗華なら可愛くてお淑やかで可愛くて頭も良くて可愛くて、しかも辺境伯令嬢だから、婿の立候補は掃いて捨てるほどいただろう。それなのに俺が無理を言って婚約者に納まって。たまたまタイミング良く、いや、麗華にとってはタイミング悪く、確定婚約せずに結婚する羽目になって。可哀相に、麗華」

「可愛いを三回言ったわね。……わたし、正臣兄さまが一度にこんなにしゃべってるの、今まで聞いたことなかったわ」

「普段なら心の中で思ってるだけなのが、口から出ちゃってるんだろうね。ウチの兄ちゃん、麗華さんがいないとポンコツになるって話、本当なんだなぁ」

「なにそれ?」


 綾子と和臣は、正臣の見慣れない言動に少しばかり引いた。


「正臣さま、どうかご指示をください」


 慣れているのか、表情に出さないだけなのか、正臣付きの侍従である工藤(くどう)が進み出た。


「少し待ってくれ」


 心ここに在らずといった様子の兄の代わりに、和臣が答える。


 正臣はといえば、周囲の会話などまるで届いていないようで、なにやらブツブツとつぶやいている。


「魔法力はしばらくは足りるだろう。子供がかなり溜め込んでいた。だがいつまでもつ? 最長滞在日数は……ああ、これだ、三ヶ月か。だがこの滞在者は上級魔法士。しかも竜を連れて行った。麗華は体内蓄積量が多くない。二ヶ月半、いや余裕をもって二ヶ月だな。よし……竜だ、竜……千歳基地……宗一郎(そういちろう)を呼ぶ」


 読んでいた資料を放り投げて、正臣は足元に転移用の魔方陣を展開しだした。和臣が慌てて羽交い締めにし、同時に綾子が魔方陣を強制解除する。


「え~通訳しますと……。竜がいれば魔力の中継を担ってもらえるかもしれない。千歳空軍基地の竜騎士隊に、従兄弟の風早(かざはや)宗一郎が赴任しているので、協力してもらおう。連絡を取ってくれ。……以上です?」

「疑問形なの?」

「だって俺、読心術は使えないもん。兄上の独り言と状況から察してるだけだもん」

「語尾に『もん』はやめて。気持ち悪い」

「気持ち悪いはないでしょ」


 そうこうする中、正臣がようやく我に返ったらしい。羽交い締めしたままの腕を外すように指示したので、和臣は言われたとおりにする。


「このクソ忙しいときに。さっさと片付けるぞ」

「通訳すると、年度上半期末の繁忙期に重なって申し訳ないが、緊急性を要するので、手を貸してくれ」

「和臣、もう通訳はいい」

「了解」


 綾子は和臣と共に他の者たちの背後へと回り込んだ。一時的に正臣配下となっている奏絵についてはともかく、他家の采配に口を出すつもりはなかった。


「皆、聞いてくれ。指示を出す。

 まずは柊子さまへの連絡だが、手配は家令に頼もう。工藤は家令への説明後、関家に行って魔法士を派遣してもらえないものか相談してくれ。現在の状況は母上に話してかまわない。

 魔法士は二手に分かれて、一方は門をもう一度開ける準備、一方は向こう側で使えそうな追跡魔法の組み立てを行う。休日の者も動員してくれ。関家の魔法士が合流したときには、魔法力中継魔法を使える者が一人いるので、その者を中心に魔法力を向こう側に補充する方法を考えてもらう」


 各々は役割を把握した様子で、互いにうなずき合っている


「高峰には、緑川と共に向こう側での捜索を頼みたい。渡りの準備ができるまでは待機。綾子は高峰に寄り添っていてくれ」

「はい。でも奏絵はまず休ませます。よろしいですね?」

「ああ、もちろんだ。和臣には、宗一郎への連絡を頼む」

「頼まれました」

「最後に一つ」


 言いよどんだ正臣が、一度下に落とした視線を戻してから口を開く。


「今後もしも……もしも、麗華か子供のどちらかを選択しなくてはならない場面が生じたときには、麗華を優先する」


 正臣の言葉の意味が、その場に沈黙を落とした。


 綾子は口を開きかけて、閉ざした。可能性がないとは限らない以上、あらかじめそうと決めておくのは当然である。各自の存在に相対的な優先順位が付くのが華族なのだから。華族的な考え方をするなら、子供よりも麗華の命のほうが圧倒的に重い。子供は男児だ。本條家の跡継ぎになることは絶対にない。


 普段からふざけた言動ばかりの和臣でさえ、うつむき加減で下唇をぎゅっと噛みしめていた。


 正臣は居合わせた全員の顔をぐるりと見回す。


「たとえ彼女がそう望まなくても、必ず麗華が優先だ。これは決して(たが)えないように!」

「承知しました」


 一斉に声が上がった。


「宮内庁に、麗華と共同研究していた魔法士がいる。わたしはそちらに助力を依頼してくる。では解散」


 全員が自分の取るべき行動を始める。正臣は足元に小さく魔方陣を展開すると、転移魔法で姿を消した。


 それを見送ってから、綾子は和臣、奏絵、工藤と共に公館へと戻った。

この世界の魔法士さんたちは、ローブ姿ではなくスーツ姿だったりします。手には杖の代わりにスマホを持って。

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