最終手段を使うアレクシス嬢
「う、うう……! か、だが……っ」
カルメンは意識があった。身体に激痛が走り、治癒魔法を使わなければ動ける状態ではない。
「おーっほっほっほ! 我ながら天才的な力加減ですわ! 意識を残したまま無力化! 並みの淑女にできることではありませんわー! さらにここで油断しないのが淑女の中の淑女ですわ!」
アレクシスは高笑いを飛ばしながらある一品を取り出した。
「なん、だ、それは……」
「備えあれば患いなし。魔封じの腕輪ですわ。これであなたは自分の身体を魔法で回復できなくなります。もうしばらく痛いの我慢してくださいまし。あ、でも後でちゃんと返してくださいね? 私とカルロス様の結婚記念品ですので」
そう言ってアレクシスはカルメンの右腕にはめた。
「おーっほっほ! これで幽閉魔法のリンクも切れるはずですわ! さあてこんな壁、すぐに突き破ってアルフォンス様の元へ向かいますわよ!」
フラメンコシューズを履き直しカルメンを小脇に抱え光る壁をぶん殴った。
ゴン!
光る壁は力強く拳を跳ね返した。
「いったあああああああ!? なんで、なんでですの!? なんでまだ幽閉魔法が発動したままですの!?」
「アレクシス・バトレ……見事だ……拙の領域で貴様は拙を実力で上回った……」
カルメンは喋る。全身激痛が走っているはずなのに治癒魔法が使えないはずなのに言葉がやけに流暢になっていた。
「しかし運は……拙を味方したようだ!!」
左手にはあるはずのない拳銃を握っていた。ゼロ距離で脇腹に六発ぶち込む。
「っっっああああ!!!???」
アレクシスは脇腹に呼吸が途切れるほどの痛みが走りながらカルメンを投げ飛ばして距離を取った。
「肋骨はっ……いってえっっですわっぁぁ」
玄関の扉へと向かうが千鳥足になる。折れた肋骨の激痛のせいだ。
「な、なぜ、魔封じの腕輪が効きませんの……!? まじで不良品ですの!!??」
治癒魔法をかけながらとにかく距離を取る。
「アレクシス……貴様は肝心な点を見落としていた。どうして拙はいつも左手で現影魔法を使っていたと思う?」
形勢逆転。カルメンは魔封じの腕輪をはめながら現影魔法を使い、拳銃を装填する。
「左手……しか使えない……じゃあ右腕は、まさか……」
「そう、そのまさかだ。拙の右腕は義手だ。貴様ほどの聡明な者でも気づかないのも無理はない。これは宮廷魔術師エリック・ベルンシュタイン様特製の義手だ。本物の腕と見分けがつかない。最も拙の現影魔法はあくまで自分の影。義手は対象外だ」
「うっそーですわ!? じゃあすぐに腕輪返してくれませんこと!? 私とカルロス様の結婚記念品でしてよ!?」
「墓に一緒に埋めてやる」
義手でも射的の腕は落ちない。六発撃ち込み、うち二発を腰に的中させる。
「あああっっっ!!!??」
「ちっ……まだ身体のダメージが残っていて、狙いが正確ではなかったか……ドレスの上に撃ってしまった……」
アレクシスは急いで治癒魔法を施しているが回復が追い付かない。
「思ったように回復できない……もしや、これは……」
「ようやく気付いたか。何度も言っているがここは拙の領域。床の一部は踏むと魔法を弱らせる魔減石が仕組まれている。しかし拙には関係ない。どこにその魔減石が設置されているか正確に把握している」
「アウェーにも……程がありますわよ……」
アレクシスは最初に入ってきた扉にたどり着いた。この扉は中庭から最も近い。
試しに押したり引いたりしたがびくともしない。
「開くとでも思ったか、アレクシス」
「あきませんわね、扉というのは……まるで人の心ですわ」
「今際でも戯言を続けるか」
「ねえ、カルメン……ここで手打ちにしません? 私はこれ以上あなたを傷つけたくないの」
「その強がりも今日この時までだと思うと寂しく……ならないな、これっぽちも」
カルメンはライフル銃を拾い、銃口をはだけた胸に押し付けた。装填も確認した。
「これで、絶対に、外れない!」
「私は忠告しましたわよ。あなたが……強い心を持っていただけることをお祈りしますわ」
「戯言は、死んでからしろ!!!!」
感情に任せて、ライフル銃を二発ぶち込んだ。
弾丸二発は扉の光る壁に大きな風穴を作った。
目の前にいたはずのアレクシスが姿を消していた。
「アレクシスが……いなくなった!!!?? また幻炎か!!?? いやそんなわけがない、確かに目を凝らして──」
「……言いましたわよね、私」
アレクシスはカルメンの背後から耳元に囁く。
「その仮面を剥いでアルフォンス様に会わせると」
「させる──」
言い切る前に髪の毛を掴み、顔から床にたたきつけた。
「がっっぁ!!?」
淑女は攻撃の手を緩めない。ここぞとばかりに攻め込む。
「今ですわ、アルフォンス様! ヒビが入っているうちにありったけの魔力を流し込んでください!」
「アルフォンス様だと!?」
幽閉魔法は内側からの衝撃には強固な分、外側からの干渉には脆弱だった。
光る壁のヒビが穴を中心に広がっていく。
パリィン!
そして維持できずに砕け散る。
同時に扉は開かれる。
「カルメン! アレクシス! 君たちは一体何をやってるんだ! 僕はずっと見てたよ! 魔法の単眼鏡で!」
アルフォンスが息を切らして中に入ってくる。
「君たちが今までやっていたのは喧嘩じゃなく決闘じゃないか!! 確かに僕は君たちが本気で戦ったらどっちが勝つかは気になっていたよ!! でも、でも、本当に本気で戦ったら、殺し合いになっちゃうじゃないか!!」
そして彼は肝心なことに気づく。
「カルメン……君、仮面が……」
カルメンは初めてアルフォンスの前に素顔を晒した。
「み、見ないでください……アルフォンス様……拙の、拙の顔を……」
乙女のような恥じらいはほんの一瞬だった。
「……アレクシス・バトレ……貴様は、貴様は拙の心を、侮辱したなあアあああああああああああ」
怒りの矛先は側にいた女に向いた。
これは二人がまだ王都に住んでいた頃の過去の話。カルメン王子の暗殺も起きていない、イバンも左遷されていない、アルフォンスの母親も毒を飲んでいない頃の話。
「初めまして…………アルフォンス、です」
初めての彼の挨拶は母親の後ろからだった。
「ごめんなさい、この子、照れ屋で……ほおら、隠れてないでアレクシス様にしっかりと挨拶しなさい。お兄さんの……未来の花嫁になる人なんですから」
そう母親からたしなめられるも後ろから出ようとしなかった。
二人がお互いをどんな人物か知ったかは出会ってから一か月後のことだった。
王都に極めて珍しく大雨が降った。十年に一度の規模であったがまた宮廷魔術師エリック・ベルシュタインが予知していたおかげであらかじめ対策が施され人的被害は少なかった。家に籠っていれば安全は保証されていた。
しかしそんな大雨の中、こっそりと外に出る者がいた。
城を警備する親衛隊は大雨と言う異常事態だからこそ目を光らせていたためにその無謀な人間を捕まえることができた。
「なにをなさってるのです、アルフォンス様!」
その無謀な人間とはアルフォンス。彼は外套を着て外に出ようとしていた。
「離してよ! 僕は行かなくちゃいけないんだ!」
掴む手を振りほどこうとするがそうはいかない。
「正気ですか!? 今はここが一番安全です! お部屋にお戻りください!」
取り付く島もない。部屋に連行される直前、彼が無謀としか思えない行動の理由を知ろうとする淑女がいた。
「どうして外に出かけようとしているのです? 何か理由があるのです?」
運よく側にアレクシスはいた。騒ぎを聞きつけ大粒の雨が降る外に、傘も差さずにドレスのまま出ていた。
「犬が……犬が流れそうなんだ……!」
「犬ですか……一応確認しますが飼われていませんよね?」
「ああ、そうだよ! 飼っていない! 飯をあげたことも触ったこともないよ! 名前もあげていない、だけどずっと見てきたんだ! 城下町の野良犬だよ!」
この時からアルフォンスは魔法の単眼鏡で街を眺めるのが趣味だった。魔法の単眼鏡は母親からの誕生日プレゼントだった。
理由が犬と聞いて親衛隊は驚き、そして怒る。
「野良犬を助けようと外出しようと……? そんなの駄目に決まってるでしょうが!」
「でも、寒そうに震えていたんだ! 水もすぐそこまで迫っている! だから助けなくちゃ!」
「無理言わないでください! 野良犬と王子の命! どっちが大事なのかおわかりでしょう!」
「離してよ! 僕は、犬を助けたいだけなんだ!」
なおも暴れるアルフォンス。
アレクシスは彼を止めた。
「いけません、アルフォンス様。外は危険でございます。あなたが思っているよりも何倍にも。子供なんてすぐに海まで流されてしまいますわよ」
「そんな……アレクシスお姉さままで……」
落胆でうなだれるアルフォンスだったが、
「それでそのワンちゃんはどこにいらっしゃいますの?」
その言葉に顔を上げた。
「私が代わりに迎えに行って参りますわ。どの道の、どんなワンちゃんなんです? 色は? 毛は長いのですか? 男の子? 女の子? イケメンなのですか?」
大雨に滴りながらもアレクシスはいつも通りの明るい笑顔を見せた。
「脳に風穴空けて殺す!! 殺した後で心臓にも風穴を空けてやる!!」
カルメンは自分の身体と床の間に出来た影に右手を伸ばした。これだけ面積の大きい影であれば銃身の長いライフル銃を隠せる。
ノールックでアレクシスの顔を予想し引き金を引いた。
「あぶなっ!?」
二発は前髪を掠める。
カルメンはアレクシスの足を掴み身体を転がす。
「おおう、柔術!?」
怪力の身体が糸を引かれるように操られ地面に転がる。
「動くな!」
カルメンは先に立ち上がり銃口を向けていた。
「命乞いをしろ、アレクシス! 貴様は拙を侮辱した! よりにもよって貴様にだ! お前らしからぬ、惨めで哀れな姿を晒してから殺してやる!」
仮面が外れ、むき出しとなった怒りの眼差しも向けていた。
アレクシスは手を上げる。
「……あなた、色白で美形だったのね。男だったらときめいていましたのに」
ただし命乞いはしない。あくまで淑女らしく気品のある姿を見せた。
「お望みなら今すぐ死ね!!!」
カルメンは引き金に指をかけようとした。
「待って、カルメン!」
そこへ勇敢にもアルフォンスは二人の間に割って入る。
アレクシスを手を広げて庇う。
「撃っちゃだめだ、カルメン。僕に君の怒りはわからない。けど僕は、君にアレクシスお姉さまを殺してほしくない! 君がアレクシスを殺したら、僕は、君を愛せなくなってしまう!」
ライフル銃を向けられても微動だにしなかった。
微動するのはライフル銃、カルメンの手だった。知り合いであろうと目的を達成するために躊躇なく弾丸を打ち込んできた腕がぶれ始めていた。
「……ハアハアハア……ハアハアハア……ハアハアハアハアハア……!」
カルメンの身体に異常が発生した。呼吸が浅くなり汗を大量に流し色白の顔色もさらに白くなっていく。
「拙は、アルフォンス様に、銃口を向けた……? 説は、節は、もう、しないと心に誓ったのに??? またこどもにじゅうむけて、ころそうと?????」
ついに武器であるライフル銃を落とす。
「カルメン……?」
明らかに様子がおかしい。心配したアルフォンスが声をかけた。
「こないで!!!!」
カルメンは顔を両手でうずくまる。
「違う違う違う違わない!!!! ああああああああ!!! 切は、接は、アルフォンス様に銃を……!」
塞げども癒えることのない心の傷がうずき始めた。




