あの日見た光景➐
黒い狼は嬉々として仕留めた獲物を貪り喰らう。
その味は今まで食べたどの獲物よりも美味しく、夢中になって喰らった。
だからだろうか、頭上で蠢くどす黒い塊に気付けなかった。
黒い塊は黒い靄を発生させながらも大きくなって行くと人の姿へと変わる。
その姿は狼が喰らっている獲物と瓜二つ。
復讐に濡れた紅い瞳が狼を見下ろす。
「ガゥ!?」
事ここに至ってようやく存在に気付いた狼は獲物を置いて素早く後方へと下る。
警戒するように唸りながらも決して逃げる事はせず、苛立たしげに睨み付ける。
幽霊、あるいは怨霊とも言うべき存在になった男はユラユラと揺れていた。
それは存在が安定しないのか、漏れ出す靄が蜃気楼を起こしているのか。
両者ともに相手の出方を伺うように一歩も動かない状況。膠着が続く。
痺れを切らして来たのか狼がカチカチと歯を鳴らし始める。
低い唸り声を漏らし、体を後ろへと引く。
準備が整った狼は大きな鳴き声を上げ、男へと飛び掛かる。
一気に男へと近づいた狼は口を大きく開き、圏内に捉えた瞬間、思いっきり噛み付いた。
ガキィイイイイ!!
だが、その攻撃は空振りに終わる。
素通りしたのだ。狼は困惑を隠せない顔で着地すると男を見た。
攻撃を受けた筈の男には何処にも傷は無く、全くの無傷だった。
それが余計に狼の困惑を強くし、そしてプライドを刺激した。
ただの狩られる側でしかない者に強者たる自分が傷を与えられない筈はないと。
そう思った狼は何度も攻撃を繰り返すが、全く攻撃を与える事は出来ない。
自分の武器が全く通じない事に狼は無力感を抱き、強者としてプライドがズタズタに砕け散る。
そして何もして来ない男を気味悪く感じ、食べ残した獲物を置いて去ろうとする。
だが、逃してくれるような相手ではない。




