第5話 風の精霊の舞踏会
「ああ……。私、ちゃんと天国に行けるかなぁ……」
「君は天国にも地獄にも行かないよ。なぜなら、まだ生きているからね」
「え……?」
聞き覚えのない女の子の声。
撃たれて死んだと思ったのに、まだ生きている?
そう思い、そっと目を開くと……。
卯月は、空に浮かんでいた。
「え? え? えええーーーっ!?」
下を見ると、四階建ての女子寮の屋根が小さく見えた。何度も目をこすって確認したが、まちがいなく自分はいま上空にいる……!
小さな竜巻が、卯月のお尻の下でぐるぐると渦巻いていた。どうやら、この竜巻が卯月の体を空へと上昇させたようだ。
「こんばんは。満月が美しい夜だね。桜卯月」
卯月のすぐ横で、同じように竜巻に乗って飛んでいる少女がいた。
月光を浴びてキラキラと輝く金色の長い髪が幻想的で美しく、風にさらさらとなびいている。その緑色の瞳は吸い込まれてしまいそうなほどに神秘的だ。
少女は、群青色のマントを羽織っている。左肩のマントの留め具には、黄金リンゴのブローチ。今日、ソフィー学園長が身に着けていたリンゴのペンダントと形が似ている。
(すごく綺麗な子……)
卯月は思わず見とれてしまったが、すぐに自分が空を飛んでしまっていることを思い出し、再びパニックに陥った。
「こ、これ、どういうこと? 私、撃たれて死んだはずなのに、どうして空を飛んでいるの? もしかしたら、あなたは天使? 私を天国に連れて行ってくれるのね?」
「さっき言っただろ? 君は生きているよ。その証拠に、ほら。君を殺そうとしている悪魔の弾丸が追いかけて来た」
「え……? う、うわー! 弾丸が、地上からまっすぐ、私めがけて飛んで来る~!」
「弾丸はお前を追いかけて必ず命中するだろう」という黒いローブの男の言葉は本当だった。弾丸は紫色の光を放ちながら、空へと飛んだ卯月を追跡してきたのである。
「も、もうダメ!」
「大丈夫。私に任せるんだ」
金髪の少女がそう言った時、彼女の緑色の瞳が一瞬光を放ったように卯月には見えた。
少女の右手には両刃の短剣。
剣で弾丸に勝てるのかしらと卯月が思った次の瞬間、
「『風の精霊の舞踏会』!」
呪文らしき言葉とともに、金髪の少女は短剣を振り下ろしたのである。
ブワッ!
たちまちすさまじい竜巻が起こり、その風の渦の中ではブーメランの形をした刃がビュンビュンといくつも飛び交っていた。そして、竜巻は飛んで来た弾丸を飲み込み、刃たちは弾丸を粉々に砕いてしまったのだ。
「す、すごい!」
「感心している場合じゃない。今から下に降りるから、私にしっかりつかまっていて」
「え? あ、はい!」
卯月は言われるがまま、金髪の少女の背中にしがみついた。すると、少女は自分たちを空まで浮かせてくれていた竜巻から飛び降りたのである。パラシュートなしで飛行機から落ちたようなものだ。
「き、きゃぁぁぁ! 落っこちる~!」
このままでは地面へと真っ逆さまだ。卯月は恐怖のあまり意識を失いそうになった。しかし、地面にぶつかるぎりぎりで、少女の緑色の瞳がまた光ったのである。
突然巻き起こった風によって、金髪の少女と卯月は地面すれすれでふわりと浮き、怪我ひとつせずに着地することができた。
「俺の邪魔をしやがって……。もしや、貴様は『黄金のリンゴ団』の魔法使いか」
黒いローブの男が、憎々しげに金髪の少女を睨んだ。
さっきの風のせいで頭をおおっていたローブがめくれ、男の燃えるように赤い髪があらわになっていた。
「ああ、そうだよ。私は、『黄金のリンゴ団』の副会長バベット・ハートの孫娘、ナタリー・桜・ハートだ。そういうあなたは、『黒バラ十字団』の人間なのだろ? 悪魔に魂を売った契約魔術師さん」
「…………」
契約魔術師と呼ばれた男は、ナタリーという名の少女の問いかけには答えず、無言でピストルを構えた。
「あ、危ない!」
ナタリーが撃たれると思った卯月は、そう叫んだが、その言葉が終わらぬうちに『自在の魔弾』は発射されたのであった。
「『風の精霊の舞踏会』!」
ナタリーは再び短剣を振り、さっきと同じように、無数の風の刃で弾丸を簡単に粉砕してしまった。いくら百発百中の弾丸でも、命中する前に破壊されてしまっては意味がない。
「くそっ! もう一発!」
赤髪の男は焦り、震える手でピストルを構えて三発目を撃とうとした。しかし――。
「そんなに何度も僕の姉さんを撃たないでください」
凛とした声が、夜の闇の中で響いた。
ナタリーと瓜二つの金髪の少年が、いつの間にか男の背後にいて、そう言ったのだ。
「な、何だと?」
驚いた男が振り向こうとした次の瞬間、彼は少年のストレートパンチを顔面にくらい、五十メートルほど吹っ飛んで近くの校舎の壁に叩きつけられたのであった。
人間離れした少年の怪力に、卯月は目を見張った。
「お、おのれ~!」
赤髪の男は、怒気に満ちあふれた表情で何とか立ち上がり、ピストルを今度は金髪の少年に向けた。
しかし、大きな翼と蛇の尾を持った狼が男の前に姿を再び現して、
「もうやめておけ」
と、止めたのである。
「わが下僕よ、俺が学園の人間たちにかけた眠りの呪いの効果がそろそろ消える頃だ。次に銃声を学園内に響かせてしまったら、だれかが起き出して騒ぐだろう」
「し、しかし、ソロモンの指輪を手に入れなければ、俺は……」
「形勢が不利な時は、素直に退却することも戦いのコツというものだ。ここはいったん逃げて、敵の弱点を探るのだ」
「わ、分かった……」
赤髪の男が渋々うなずくと、獣はその大きな翼で男の体をつつみこんだ。獣の周囲に黒い霧がたちこみ始め、獣と男の姿がだんだんと消えていく。
「姉さん、敵が逃げます」
金髪の少年がそう言って獣のもとへ駆け寄ろうとすると、「待ちなさい、マシュー」とナタリーが呼び止めた。
「ソロモンの悪魔は、私たちの力だけでは手には負えない」
「……はい」
(ソロモンの悪魔? あの獣のことかな? 私の指輪と何か関係があるの?)
赤髪の男が卯月の指輪のことを「ソロモンの指輪」と呼んでいたことを思い出し、卯月はそう疑問に思った。
「桜卯月。ぎりぎり間に合って良かったよ。怪我はないか?」
ナタリーは、敵が完全に姿を消してしまったのを見届けると、卯月に顔を向けてそう言った。男の子みたいな口調の子だが、容姿と声はお姫様のように可愛らしい。
「お、おかげさまで大丈夫です。あ、あの……あなたはいったい……?」
こんな綺麗な子とお話するなんて緊張してしまう。内心慌てながら、卯月はおどおどとたずねた。あんな不思議な技が使えるなんて、普通の人間とは思えない。
ナタリーは、フフッと優雅な笑みを浮かべると、こう答えるのであった。
「私か? 私はイギリスからやって来た魔法使いさ。そして、君のルームメイトだよ。これからよろしくな、桜卯月」
これが、卯月が魔法と初めて出会った夜だった。