第4話 自在の魔弾
卯月はずっと眠り続け、ようやく目を覚ましたのは真夜中の一時頃のことだった。
「う、う~ん……。何だか頭がちょっと痛い。私、寝てたの……?」
ベッドから起き上がった卯月は、床に転がっていた空のビンを踏んづけ、転んでしまった。
幸い、後ろはベッドだったので、頭を打って目を回すことはなかったが、驚いた卯月は「うひゃぁ!」と悲鳴を上げた。
ガタリ。
卯月が声を上げた直後、奇妙な物音がした……ような気がした。
(さっきの音は何? 部屋の中の物が倒れた? ……ううん、そんなわけない。私、この部屋に入ってから、自分の荷物を何一つバッグから出していないもん)
卯月は、部屋に入ったら真っ先に両親と自分が三人そろってピースして映っている写真を勉強机に飾ろうと考えていた。
しかし、ハチミツを食べた後、なぜか眠りこけてしまった。バッグから写真すら出していない。部屋の中には、卯月の私物がひとつも置かれていないのだ。
倒れて音を立てる「物」など、ここには何もないはずなのだが……?
(真っ暗で何も見えないから、部屋の電気をつけてみよう。そうしたら、何が倒れたのか分かるわ)
そう考えた卯月は、壁の電気のスイッチを押そうと、ドアの近くに歩み寄ろうとした。しかし、ドアの二、三歩前で卯月は足をピタリと止めてしまったのである。
(ドアの向こう側に、だれかが立っている!)
ぞわり、と恐怖で鳥肌がたった。
部屋の外側から怪しい人間の息づかいが聞こえたり、気配が感じたりするのではない。
見えるのだ。
ドアの向こうにいる、黒いローブで頭から全身をおおった人物の姿が、卯月の目には透けて見えているのだ。
(わ、私……こんな透視能力みたいな力、今までなかったのに……)
指輪の力で動物や植物と会話ができるだけで、その他は平凡な女の子だった卯月は、急に身についてしまった不思議な能力に戸惑いを感じた。
しかし、今は自分の透視能力(?)のことを気にしている場合ではない。さっきの物音は、卯月の部屋の前に立っている怪しい人物が立てたものにちがいない。
おそらく、卯月の部屋に侵入しようとしたら、卯月の悲鳴が聞こえたため、
(寝込みを襲うつもりだったのに起きていたのか)
と驚き、物音を立ててしまったのだろう。
(ど、どうしよう。さらに大声を上げて、助けを呼んだほうがいいのかな?)
卯月は、一歩、二歩と後ずさりしながら、怪しい人物への対策を考えようとした。しかし、頭はパニック状態で、まともな思考なんてできそうにもない。
「うひゃぁ!」
再びビンを踏んづけてしまった卯月は、今度こそ派手に転び、床に頭を打ってしまった。
「い、いたた……」とうめきながら卯月が後頭部をおさえて苦しんでいると、ドアのノブをガチャガチャと回す音が聞こえてきた。どうやら、卯月が起きていてもかまわずに部屋へ押し入るつもりらしい。
(ドアにはカギがかかっているし、大丈夫……)
卯月がそう思いかけた次の瞬間、ドアのノブがピカッと光り、カギがガチャリと開く音がしたのである。そして、黒いローブの人物はあっさりとドアを開けて、卯月の部屋に入って来たのだ。
「ひ、ひぃっ……!」
卯月はおびえ、助けを呼ぼうとしたが、恐怖のあまり悲鳴しか上げられない。
「……ソロモンの指輪を渡せ」
黒いローブの人物はそう言い、卯月にゆっくりと歩み寄って来る。低くて威圧感のある男の声だった。
(そ、ソロモンの指輪って何? もしかして、私が指にはめている指輪のこと?)
彼はどうして卯月の指輪のことを知っているのだろう。
……いや、そんなことより、今はこの危険な人物から逃げることを考えなくては!
卯月は、足元のビンを拾うと、
「え、えいっ!」
と叫んで、男に投げつけた。
しかし、運動神経ゼロで腕力もない卯月がそんなことをしても、ビンはへなへなと弱々しく飛んでいくだけで、男はフンと鼻で笑ってビンを手ではらいのけたのである。
飛ばされたビンが壁にぶつかって粉々に割れる音が、室内に響いた。
(大切な指輪を盗られたくない! に、逃げなきゃ!)
黒いローブの男が飛んできたビンにほんのちょっと注意をそらしたすきに、卯月はベッドに飛び乗って、ベッドのそばの窓をガラリと勢いよく開けた。
「二階から飛び降りるつもりか。やめておけ。怪我をするぞ」
どうせ飛び降りる勇気などあるわけがないと思っているのだろう。黒いローブの男は馬鹿にしたような口調で卯月に言った。
しかし、卯月は窓の外を見下ろして、背の低い栗の木が下にあるのを発見すると、
「ねえ! 悪いけれど、私をキャッチしてほしいの! お願い! 助けて!」
そう叫び、窓から身を乗り出したのである。
――え? いいけれど、枝とか折らないように静かに飛び降りてくれよ?
「分かった! ありがとう!」
卯月は栗の木に礼を言うと、窓から飛び降りた。
「まさか!」と驚く男の声が背後で聞こえる。
本当は、高い所からジャンプするなんて、卯月は恐くてしたくなかった。
だが、動物や植物だけが、卯月の友だちなのだ。指輪を奪われてしまったら彼らと会話できなくなってしまう。そんなのは絶対に嫌だから、勇気を振り絞って、飛び降りたのである。
「ひゃぁ~!」
栗の木は、二階から落ちてきた卯月を枝でキャッチしてくれた。
――ほらほら。ちゃんと枝につかまっていないと、頭から落っこちるよ。慎重に僕の体から降りるんだ。
「う、うん」
――あっ、その枝は細いから足を置いたら折れちまう。もうちょっと左側に丈夫な枝があるから、そっちを足場にしてくれ。
「り、了解……」
木登りなどしたことがない卯月は、恐るおそる栗の木から降り、何とか地面に着地した。
「ありがとう、栗の木さん!」
――どういたしまして。……そんなことより、逃げなくてもいいのか? 変な人が君を追いかけて、窓から飛び降りて来たぜ?
「え⁉」
見上げると、黒いローブの男は空中をふわふわと浮きながら、不気味に光る灰色の瞳で卯月を見下ろして睨んでいたのである。
卯月は驚き、尻もちをついて倒れてしまった。
「に、人間が浮いている……? ううん、違うわ。自分の力では浮いていないみたい」
よく見てみると、男の背後に薄っすらと黒い影……。
大きな翼と蛇の尾を持った狼がローブをくわえてゆっくりと男を地面に降ろしていたのである。
「主人である俺をこき使いおって。後で見返りに三年分の寿命をいただくぞ」
男が地面に着地すると、勇ましい戦士のような力強い声をした獣はそう言い残し、消えてしまった。
「地獄の侯爵よ。二階から飛び降りるのを助けてもらっただけで三年は多すぎる。一年にしてはくれないか」
「ふん。いいだろう。さっさと指輪を奪ってしまえ」
獣は姿を消していてもまだ男のそばにいるらしく、なげやりな言い方でそう答えた。どうやら、男に手を貸している獣は、指輪を卯月から奪うことに興味はないようだ。
(どうしてこの人、私の指輪を欲しがっているのよ! 絶対にあげないんだから!)
卯月は、男と獣が会話をしている間に何とか立ち上がり、教師たちの宿舎である教員寮めざして走り出した。先生たちに助けを求めようと考えたのだ。しかし、
「止まれ! 止まらないと撃つぞ!」
刑事もののドラマで聞いたようなセリフがして、(ま、まさか……)と思った卯月は立ち止まって後ろを振り向いた。
なんと、黒いローブの男は卯月にピストルを向けていたのだ。
「あ、あわわわわ……」
反射的に両手を上げた卯月は、バンザイの姿勢のまま硬直してしまった。
この人、もしかして、殺し屋? でも、殺し屋が中学生を襲う理由が分からない……。
「このピストルには、悪魔の呪いがかけられた『自在の魔弾』という弾丸が七発仕込まれている。お前がいくら逃げても、弾丸はお前を追いかけて必ず命中するだろう。だから、死にたくなければ大人しくじっとしていろ」
黒いローブの男はピストルをかまえたまま卯月に近寄り、ピストルを持っていない右手で卯月の左手をつかんだ。そして、人差し指の指輪を外そうとしたのである。
「い、痛い! 痛い! 指が千切れちゃう!」
「くそっ。なぜ外れない⁉」
男がどれだけ力を入れても、指輪はなぜか指から外れず、強引に引っ張られる痛みに耐えかねた卯月は悲鳴を上げた。ムキになった男はさらに強く引っ張る。
「この! この! 外れろーっ!」
「やめて! やめてよ! やめてってばぁーっ!」
がぶり、と卯月は男の右手をかんだ。「ぎゃぁ!」と男は叫び、卯月の指から手を放す。
「よくもやってくれたな!」
「う、うわわ! 撃たないで!」
激怒した男に再び銃口を向けられ、卯月はバンザイのかっこうのままそう叫んだ。しかし、
ダーンッ!
夜の学園内に銃声が響いた。
卯月は、
(あ、死んだ……)
と思い、自分の短すぎた一生を惜しみながら目を閉じた。