奏の青春
塞ぎ込む気持ちを悟られないよう、いつも通りの態度で奏の署名入りの紙を広げると、清春の字がいつもより大きく書かれていた。
カタカナ四文字、丁寧にハートマークまで添えられた欲求不満な男子高校生の最後の希望。下の方に細かい注文がびっしりと書かれているが最後まで読まず、紙を丸めて清春に投げつけた。さっきまで物憂げな表情をしていた清春は、いつもの悪魔の笑顔に変わっていた。清春が言うことを考えなしに承諾するのは危険だと、前回身を以て知ったはずだったのに。顔をしかめている奏を見返してにやっと笑った。
「真面目に書いたと言ったから許可したのに」
「大真面目だよ、生物としてこれ以上崇高な行為があるかよ。しかも奏と念願の両思い……」
その先を言わせないよう慌てて清春の口を手で押さえた。もごもごと手の中でまだ何かをしゃべりつづけているが、聞いたら恥ずかしくなるようなことを口にしていそうだから必死に手を押し付ける。
「これ私が春くんを好きじゃなかったらどうする気だっ……うわっ、手舐めないでよ」
慌てて手を引っ込めて清春のシャツで手を拭う。
「そこは腕力に定評のある清春さんなので強制執行するつもりだった。俺、待ちつづけてもう我慢の限界だし、自制心はすでに潰えた」
顔は笑っているが鬼気迫る様子に尻ごみして後ずさるも、清春は離れた分だけじりじりと間をつめてくる。
「報酬見たとき感動で泣きそうになったわ」
「Bクラスの子と付き合ったのかと思ってた」
「なんで? 付き合うわけがない。昨日“も”断ったよ。文化祭がどうとか言ってたけど全部断った」
「そうなんだ」
「だから誤解するなよって言ったのに」
海へ行ったときに告白されて即断ったが、友達でいたいと言われ頻繁に周りに来るようになった。友達と言う割にやたら干渉してくるのが迷惑だと思っていたが、他のクラスメイトとも仲がいいから仕方なく放置していたという。あの子は自分を知ってもらうために必死だっただけで、詳しい事情を知らない周囲が勝手に勘違いをして余計な援護していただけのようだ。奏もそうだったように、あれだけ似合ってみえる二人であれば思い込んでも仕方がない。
「じゃあ、一日早かったらって何のこと?」
「奏と両思いだとわかっていたら、完璧な即死コンボでオーバーキル出来たのになあと思って」
指を鳴らして悔しそうな顔で言う清春は、やはり女子をも投げ飛ばすあの双子の弟で間違いない。呆然としている奏の顔を見ていつもの高笑いをした。
清春曰く、一位を取れないことは想定内でどうすれば報酬を勝ち取れるか考えあぐねていたところ、予想外な奏の報酬で一発解決したものの、面白そうだから駄目元で自分の報酬も希望してみたら、なぜか奏は報酬内容を確認もせず承諾したとのことだった。
あんな反応をされたら誤解するに決まっている。ぽかんとした顔のまま固まっていると両頬を掴まれて、ひんやりした手の温度にわれに返る。
「えっ、あの、お父さん帰ってくるから」
「いやあ、今日は帰ってこないんじゃないかなあ」
わざとらしい喋り方だが、帰ってこないことを確信しているような態度だ。はっと思い出してダイニングを見ると、カウンターに置いたはずのスマホが見当たらない。以前清春にロックのパターンを記憶されてから変更していなかったのを思い出し、清春の顔を見るとあからさまに視線を逸らした。
「もう遅いし夏目家も心配するよ」
「往生際が悪いな」
半目で奏を睨みつけ、スマホを取り出しスピーカーにして電話をかけた。長いことコール音がつづきようやく通話状態になったが相手の声は聞こえない。相手もスピーカーにしているようでときどきカタカタと物音だけが聞こえてくる。しばらく待っていると、おそらくゲーム中であろう不機嫌そうな双子の声が聞こえた。
「なに?」
「今日帰らないから、よろしく」
「あー……健闘を祈る……」「「しね!!!」」
会話終了間際にハモった二人の罵倒はなんだったのかと訊くと、気にしなくていい、となぜかしたり顔で応えた。言い訳が底をつき、焦る奏を見て清春は楽しそうに笑っている。
「デフォルト顔は愉快犯……」
「は?」
好感をもたれやすい爽やかな顔をしておいて、裏では好き放題しているのだからまったく油断ならない。でもそれを助長していたのは自分なのだから苦情をだす場所がない。
「何でもない、もう好きにしていいよ」
「言われなくてもそうする」
結局いつもと何も変わらないけれど清春が楽しいならそれでいいかと、もう一度思い直す。腰に腕を回し軽々と抱え上げられ、奏も観念して清春に抱きつく。
「報酬の有効期限はなしでいいよ、異論は認めない」
清春はそう言って、奏がこれまで見てきた表情のなかで一番良い顔を見せた。
◇
文化祭当日、登校前に朝デートをしようという提案に乗って、朝早くから家を出た。清春の希望通り今日は髪の毛をおろしたまま、手を繋いでエレベーターを降りると、こんな早朝からいったいどこへ出掛けていたというのか、いつも仲が悪いくせに今日に限って二人揃って、仲良く猫背でエレベーター待ちをしている双子と遭遇してしまった。清春はいつも通り無言だが、奏を見かければ必ず話しかけてくるはずの双子も無言で奏を凝視している。この状況では清春が昨夜どこに泊まったかなど一目瞭然だが、もしかすると昨日の電話の時点でも既に気付いていたが故のあの罵倒なのかもしれない。無言でお互いを見つめあったまま微動だにしないこう着状態に耐えかねた奏が沈黙を破る。
「一般公開は明日だから、よかったら来てね」
兄に向かって真顔でピースサインをしている弟の手を引いて、逃げるようにエントランスを出ていく奏を、双子はエレベーターの前から一歩も動かず目だけで追いかける。マンションを出て楽しそうに話をしている弟たちの姿を眺めながら、双子はようやく言葉を発した。
「勝敗は戦う前から決まっている」
「だまれ」
「飲み行くか」
「うぃ」
子どものころから双子の見分けを一度も間違えない初恋の子を見送って、二人は朝から飲みに出かけていった。
おしまい
(っ'-')╮ =͟͟͞͞◇ブォン






