BBQと焦燥感
予想最高気温三十六度、バーベキュー大会の日。この暑さでさすがに参加人数はカラオケのときより減っていたが、一軍メンバーはもちろん全員参加していた。本当は来たくなかったが、この青春の輪の中に清春を放り込むという大事な任務が奏にはある。
クラスは気の合うグループが出来上がってはいるが、個別ではグループの枠にこだわらずそれぞれが仲良くしている。趣味の合う同士で集まっているはずなのに、なぜかガリ勉同士は仲良くならない。クラスのトップ五位までは全員見事にバラバラで、そもそもクラスの集まりにはめったに参加しない。それぞれ塾の夏期講習などで忙しいのだろう。奏も清春と同じクラスにならなければきっとクラスの集まりはすべて不参加で、今頃クーラーの効いたリビングで問題集を開いているはずだ。
バーベキューには業務用の肉類を大量に用意していたようだが、空腹の高校生にあっというまに消費されていく。いまだ夏バテで食欲のない奏と、早々に食べ終わった三軍チームは木のしたにレジャーシートをひいて休憩していた。暑いことには変わりないが今日は風があったから、木陰で汗ばんだ肌のうえを風が通り抜けると意外と気持ちがいい。タープテントの方を見ると大騒ぎしているクラスメイトのなかに、楽しそうに笑っている清春を見つけた。やっぱりその風景が一番自然で、清春が本来いるべき場所なのだと改めて思う。
「白川さん塾行ってないのにクラス一位ってすごいね」
「必死だよ。最近は順位落ちてるし」
白川家の経済事情からして、学習塾や家庭教師を希望しても父は問題なく許可してくれるだろう。しかし自分は自習することが趣味で、塾通いなどは性に合わない気がしている。
すごいと言ってくれている三軍チームも決して成績が悪いわけではない。真面目に勉強しているガリ勉チームも、遊び倒している一軍たちも進学校である奏の学校に入れるだけの実力を全員持っているのだ。
「そういえば夏目くんも塾行ってないって言ってたね」
「ゲーム買ってほしくて、本気で勉強したら一位取れたんだって」
全員が一斉に驚きの声をあげた。奏もはじめて聞いたとき、声はあげなかったが心底驚いたものだ。
夏目兄弟は何か目標があると異常な集中力を出すようだった。地頭の良さはもちろんだが、清春もゲーム機の新調と奏との賭けに勝ちたいがためだけに成績順位をあげ、双子も最適なゲームライフを送るためレベル以上でも目的の大学入学を果たし、最短で可能な限りの単位を取り尽くしたりと、妙な燃料でとんでもない爆発力を見せる。そして、双子は勉強だけでなくゲーム世界でも無駄な才能を発揮しているという。夏目家男子が普段捉えどころなく怠けものの雰囲気に見えるのは、一点に情熱を傾けすぎてしまう反動なのだろうか。
「なんの話してるのー」
広場でバドミントンをしていた三井たちグループが、木陰に滑り込んでくる。その中には長谷もいた。学校の話、と周りの子が応えて持っていたうちわで三井たちを扇ぐ。何人かはすでに川に入って遊んでいて、木陰にいるメンバーを手招きしている。女子が行こうと誘ってきたが奏は首を横に振った。
「私はいい」
奏と、バドミントンで力尽きている三井たちを残し、全員が川に飛び込んで行った。場所によっては腰のしたあたりまで深くなるが、服が濡れても気にしない男子は軽々と対岸まで渡っている。流れはゆるやかで家族連れも近くでたくさん遊んでいる。
「白川さん、遊びにきたならすこしはみんなと一緒に楽しめば?」
いきなりトゲのある言い方をする声の主は長谷だった。好かれていないのは知っていて、いつか文句を言われるだろうと覚悟はしていたから驚きはしない。いつも頼り甲斐のあるクラスメイトというポジションである長谷は、奏に厳しい目を向ける。
「女の子にはやさしくー」
三井が止めに入り長谷もすこし言い淀んだが、これまでに溜まった奏に対しての不満が吹き出して止まらない様子だった。
「いつもそうだけど、そんな態度されたら白けるよ」
図星を突かれ、反論の余地もない。最初から興味ない、つまらないと思ってクラスの集まりに参加しているから、態度に出てしまっているのだろうか。楽しく遊んでいる側からしたら、そんな態度の参加者がいたら気分が悪くなるのは当たり前だ。長谷は正義感の強いところがあり、以前からときどき注意をされていたが、今日も嫌々参加している自分を思い出し反省した。
「ごめん。でも川は無理」
「それじゃバド第二回戦やろう」
長谷の提案に奏以外は快諾した。こんな暑いのに運動するなんて信じられなかったが、誰が聞いても渋々という声で言った。
「運動神経皆無でも良いなら」
喜んだ三井にその場を仕切られ、長谷とペアを組むことになった。バドミントンをするのははじめてではなかったが、予想通り奏が足を引っ張り続け、三井チームは圧倒的に優位だった。シャトルがラケットに当たる当たらない以前に、気づいたときにはすでに点が入っていてシャトルが通り過ぎる音だけは捉えられた。
「白川さんが一秒も役に立たないんですけど!?」と、長谷が吠える。
「さすが最高速球技、全然見えない。私が三井くんと組もうか?」
「いやいや、それハンデ重すぎでしょ」三井が嘆く。
いつのまにかギャラリーや参加者も増えて盛り上がり、ゲームは打倒・バドミントン部三井という形式になった。体力の限界を迎えた奏は早々にギブアップして木陰に避難する。素人相手にスマッシュを叩き込む大人気ない三井を見ながら、選手交代で先に休憩に入っていた長谷と話をして、長谷たちが遊んでばかりいると思っていた体育祭準備の事情を聞いて奏がいろいろと誤解していたことを知った。
「きついこと言ってごめんね」
水が苦手なことをいまさら告白しても嘘と思われるのではないかと躊躇しているところで、先に長谷が素直に謝罪してきたから気まずくなってしまった。奏はどこかで自分は悪くないと意地を張っていたから、ばつの悪さを全面に感じる。
「私もごめん。私の態度の悪さがそもそもの原因だから、今後は気をつける」
「じゃあさ、和解の印に宿題写させてよ」
「断る」
「白川さんっていつも毅然としてるよね」と長谷が笑いながら言った。
本当は不遜であると言いたかったのをうまくごまかしているのではと疑った。奏は自分が誰よりも常識的だと思っているが、もしかしたら成長過程で双子に影響されて性格が歪んでいる可能性もある。と、双子のせいにすることにした。
帰りの電車ではずっと長谷と話をしていて、コミュニケーション能力の違いを痛感した。話し下手な奏の短い返事すら、無理なく繋げ話題を広げていく。返答に困ったり無理やり話をさせられるのでもなく、不思議と奏が話しやすいような会話の流れを作る。しかもそれが素の性格とわかるから、長谷がクラスの中心にいる理由に納得がいく。きっと面接で苦労しないタイプだろう。
長谷がコート内で口をあけたまま棒立ちしている奏の画像を転送してきて、あまりの不恰好さに笑わずにはいられなかった。今日写真を撮り忘れていたことを思い出し、両親に見せるため何枚か長谷から送ってもらう。その中にいつのまに撮られていたのか、木陰の下で休憩中にバドミントンを見ている奏の横顔の画像もあって、我ながら良い写真だと思った。
乗り換えで降りた長谷がホームから奏に向かって手を振っていた。もらった画像を眺めていると、ずっと無言だった清春が一緒に画面を覗き込みながら話かけてくる。
「長谷と仲良かったっけ?」
「仲良くなかったけど、今日和解した」
清春がその話のつづきを催促するように見つめてくるから、これまでの経緯や今日あったことを話してみると不思議な表情で、ふーんと言っただけでふたたび黙ってしまった。会話が途切れた途端、急に眠気が襲ってくる。目を閉じればつり革に掴まったまま一瞬で眠れそうだったがあと二駅で到着する。
家に帰ったらシャワーを浴びて仮眠して、それからリビングに広げっぱなしの宿題のつづきをしよう。うつらうつらとしながらそんなことを考えていたらいつのまにか寝落ちしていたのか、つり革から片手が外れてビクッと体がふるえた。
「今回はさすがに嫌がると思ってた」
河原のことを言っているのだろう。まだ水恐怖症は完全には克服できていないようで、遠くからでも男子が深い場所に入っているのを見たときは暑さを忘れて震えが走ったほどだった。
「そうだね、まだあの水量は怖いみたい。でも春くんの青春の方が大事だから」
「なにそれ?」
「忘れられないひと夏の青春を、とか言ってたから、それを優先しようと思ったの」
「ああ、それね……」
「確かに一度きりしかないもんね」
奏が青春の押し売りをしているところでちょうど駅に着く。改札を出ると駅前広場にいた、矢筒を担いだ中学生のグループが突然黄色い声をあげた。
「夏目せんぱーい! お久しぶりです!」
清春の弓道部の後輩が、きゃあきゃあと声をあげながら駆け寄って、清春はあっというまに囲まれてしまう。弓道部には男子部員もいるが女子が圧倒的に多く、男子は数人で固まって女子のパワフルさに気圧されている。後ろできょとんとしている生徒たちは、中学時代に清春と面識がない学年だろう。
「相変わらず元気だな。体育館行ってたの?」
「そうでーす、二中と合同でした。先輩、弓つづけてないってほんとですか?」
「うちの高校弓道部ないし。あってもやらないけど」
「もったいない!」
全員が口々に嘆声を漏らしている。出身中学は塾や家庭の事情がある人以外、全員部活加入が必須で、奏は消去法で園芸部か化学部の二択の中から後者を選び、清春も運動部の中で一番動かなくてよさそうというだけで弓道部を選んだ。好成績を残し、しっかり段位まで取っておきながらあっさり辞めてしまった。清春の集中力は弓道で培ったのか、それとも元から集中力が高いから弓に活かせたのか、止まらないあくびを手で隠しながら考えていた。
後輩女子に囲まれてまんざらでもない様子の清春を見ながらふと思い出す。思い出せる限りでも清春は中学時代から女子に人気はあったし、高校生になっても苦労はしないであろう顔立ちと性格なはずなのになぜ欲求不満に陥っているのか。いくら奏が手頃な座標にいるとはいえ、自由にえり好みできる立場なのにと首をかしげていると、近くにいた男子生徒が声をかけてきた。
同じ高校を受験するから、学校の雰囲気が知りたいと言う。授業内容や、教師の質を解説していると、学校生活の方も気になるとおずおずと口にした。ガリ勉しかいないという真面目なイメージが強い学校だからか、今日クラスメイトとバーベキューやバドミントンをした話をすると安心していた。
賑やかな生徒から大人しい生徒まで、交われなそうなほどばらばらに見えて案外話しやすい人が多く、よく見てみるとクラス全体仲がいい。奏が一年のときより学校生活を楽しく過ごせているのは、やはり清春のおかげだ。
「うち弓道部ないみたいだよ?」
「僕、高校では別のことがやってみたいので、弓はやる気あったら外部でつづけます。先輩は何部ですか?」
「なにも。中学のときは化学部だったけど」
「えっ! あの伝説の化学部員だったんですか?!」
伝説呼ばわりされているとは知らなかったが、高校の話から脱線して中学の話で盛り上がっていると、清春が声をかけてきた。
「早く帰ろう」
背中を押され、お辞儀する男子生徒にあいさつもままならないまま、手を振ってその場を後にした。
「三十分後に行く」
清春がエレベーターの五階と七階のボタンを押しながら言う。
「死にそうなほどに眠いのですが」
「じゃあ二十分後で」
「……わかったよ」半目のままため息をつく。
みんなとバドミントンをしている画像を母親に送ろうとしてやめたのは、電話でもかかってきたらきっと三十分で会話は終わらせられないからだ。忙しいと言って会話を途中で切ろうとすると母親は寂しそうにするから、いつも時間を作ってから電話をしている。急いでシャワーを浴びて扇風機に当たりながら髪を乾かしていると、夕方のチャイムが鳴り響く。
生粋の運動音痴が炎天下で長時間バドミントンさせられたら、体力が底を尽きないわけがない。冷たい麦茶を飲んでなんとか眠気を吹き飛ばそうとしているが、目を閉じれば数秒で眠れる自信がある。そして二十分もせずインターホンは連打された。
あくびで溢れる涙を何度も拭きながら、テレビをつけてソファに座る。奏は膝を抱えて腕の上に顎をのせ、清春はぴったり張りつくように隣に腰掛け、片足あぐらにしてだらっと座った。しばらくテレビを見ていたが映像が飛び飛びになり、自分が寝かけていることに気づいたときには体がふわりと倒されて、清春のあぐらのなかに寝かされていた。
「えっ」
部活を辞めてからだいぶたっているのに強い弓を引いてきた腕力は健在で、首にがっちりと回された腕の硬さと腰を掴む手の力の強さに動揺する。そのまま覆いかぶさってきて慌てもがいても微動だにせず、清春が力を緩めるまで何もできなかった。
「やりすぎだよ」
強めの口調で咎めると、清春は呆れたような声で言った。
「あのね、俺の言う青春ってこういうことも含んでるんだよ。奏は俺の青春を優先するって言ったよね」
「そういうことじゃない、タイムタイム」
じたばたする奏の顎を押さえ込んでじっと見下ろしている。いくら暴れても押さえつける腕は振り払えなかったが清春はそれからなにをするでもなく、抵抗する体力も尽きて力を抜くとよしよしと頭を撫でてきた。
突然の強い光がまぶたを通して差しこみ、呻きながら顔をあげるとリビングの電気をつけた父が驚いて声をかけてきた。
「あ、そこで寝ていたのか、眩しかった? ごめんな」
父が鼻歌を歌っている。その様子をぼーっとしながら眺め、時計を確認するとすでに夜九時を回っていた。すこしずつ冴えてくる頭であたりをうかがうと、奏はソファでブランケットをかけて寝ていて服装に乱れはない。夢の中の出来事だったのかと思いたかったが未読メッセージを確認すると、清春から玄関を施錠するために奏の家鍵を持ち帰ったことと、いいところで寝落ちするな、という文句が書かれていた。思いのほか清春の腕のなかは居心地よくて、どうやらあのまま寝てしまったようだ。いくら疲れていたとはいえあまりの醜態に、奏はクッションに顔を埋めて思い切り唸る。
ソファのうえで暴れる娘に父が、今日はどうだったと訊いてくる。バドミントンでちっとも活躍できなかったことを話し、画像を見せると「青春だなあ」と嬉しそうに言った。その青春とやらを謳歌したくてたまらない悪魔にいたずらをされていますよ、と奏は心の中で報告した。