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花火大会と悪魔

 父親が出かけるのを見送ってから、スーパーへ買い物に出かける。この商品はどこの店の方が安い、などという情報は一切気にせず効率重視でマンションから一番近いスーパーですべてそろえていく。浴衣も手っ取り早くネット購入したが清春に怒られてしまった。浴衣を買いに出かけるのも青春のいちページであり、一緒に買いに行くと言ったはずだと注意されたが時すでに遅し。たくさん種類がありすぎてどれを選べばいいのかわからなかったが、薄緑色のあまり派手すぎないものを選んだ。

 花火大会当日、動画で練習しておいた浴衣を着て、さすがに今日はポニーテールではなくネットで簡単そうな髪形を探してまねをした。花火大会に行くのは両親の離婚以来はじめてであることに気づき、心なしかわくわくしていると待ち合わせの時間より早くインターホンが鳴った。待ち合わせはエントランスだったが清春だろう。急いで準備をして下駄を履いて外に出ると、清春はいつも通りのTシャツ姿だった。

「そうか、男子は浴衣着ないんだね」

「見たかった?」

 頭を横に振る。それが一般的だという知識がなかっただけだ。浴衣の直し方もマナーもネットで習得し、万全の体制で出かける。電車に乗ると周りも同じ花火大会に出かけるであろう人で溢れていて、さっそく帰りの電車を想像してげんなりする。花火大会会場に近づくほど人は増え、並んで歩くのも困難になっていくからはぐれないよう清春にぴたりと張り付いて歩くことになる。

 会場沿いに清春の父親の職場があり、花火大会の日は従業員家族に敷地が解放されている。人混みの流れから外れ、二人はそこへ向かった。会社が用意してくれた空き箱に段ボールを敷いただけの簡易椅子に腰掛けて、花火が上がるまで道すがら手に入れたたこ焼きを分け合って食べる。

「たこ入ってないじゃんコレ」

 文句を言う清春を無視してあたりを見渡す。

「おじさんや(たか)くん(まさ)くんも来てるの?」

「父親はどっか飲みに行って、双子は家でゲーム。たぶん今ごろケンカしてる」

 大学生である清春の兄、清隆(きよたか)清雅(きよまさ)はマンション住人のあいだでも、すこぶる仲が悪い双子として有名で、奏も二人が言い争っている様子は子どものころから数えきれないほど見てきた。新しく引っ越してきた人は驚いて止めに入るが、双子の独特なケンカは止むことなく、そのうち見慣れて誰も気にしなくなっていく。

「いいなあ」

「今のどこに羨ましがるポイントがあった?」

 奏はいいことを思いつき、清春の顔をのぞきこみながら言った。

「教えてあげようか?」

「うん」

「タダでは教えられねぇな」

「むかつくな」

 奏が勝ち誇ったように含み笑いをしているとき、一発目の花火が上がった。はじめて間近で体感する花火の音圧に体が弾かれて、驚きから自然と声が漏れた。

 ひとりっ子の奏にとって清春に兄がいることは羨ましい限りだが、双子が大学生になってもまだ実家暮らしをつづけているのは、清春のためだということを奏は知っていた。九割は節約のためだと本人たちは言っているが、清春が高校を卒業するまでは二人はケンカをしながらも実家で一緒にいてあげるつもりらしい。双子は口こそ悪いが、根はとてもやさしいのだ。

「そっちは?」

「お父さんは今日も遅いみたい」

 ふーん、という声がして会話は止まる。しばらく花火の色の変化をぼうっと眺めていたが、ふと敷地内の様子に目を向けた。周りの家族はそれぞれ持ち寄った料理を食べながら、バーベキューまでして花火そっちのけで大騒ぎしている。花火がはじまる前からずっと飲んでいるようで、なかには酔っ払いすぎてレジャーシートに寝転んでしまっている人もいる。子どもたちに至っては、手持ち花火などはじめていて空なんて見てもいない。きっと毎年、こんな風に家族同士で楽しんでいるのだろう。

 奏も花火に照らされる清春の横顔は見て考えごとをしていた。打ちあがる花火の間隔が短くなっていき中盤に差し掛かるころ、意を決し清春の肩を引っ張って耳打ちする。

「お父さんに恋人ができたら、どうすればいいと思う?」

 清春が驚いた顔で奏の顔を見る。平静を装っているがずっと悩んでいたことで、そんなことを相談できる相手は清春以外にいなかった。

「なんだ気づいてたんだ。言ってやるなよ、おじさんうまく隠せてると思ってるんだから」

「春くんが気づくほどバレバレなんだ。同じ会社の人かな? 仕事大丈夫かなあ」

 父はときどき意味もなくほほ笑んだり、電話がくると仕事の振りをして部屋を出て行くが、笑い声や楽しそうな会話が聞こえてくる。いつもは疲れた顔をしているせいで、その極端な変化が丸わかりだった。決定打となったのは、父からときどき漂う良い香りと、ワイシャツから違う洗剤の香りがしたこと。

「今は独りなんだから別にいいじゃん、自由にさせなよ。良い加減ファザコン克服しなって」

 ケタケタ笑いだす清春を肘で小突き訂正する。

「ファザコンじゃないよ」

 父が新しい幸せを掴みたいのなら、喜んで応援するし全力でサポートするつもりだ。奏がいつも髪を縛っているのも父のためである。顔が母親似のせいで、髪を下ろしている奏を見ると父がいつも驚くから、せっかくの楽しい気持ちを害さないよう、母に似ないよう前髪をそろえて髪をまとめ見た目に小細工をしているだけだ。でも、同じ男性である清春が放っておけと言うのなら、もう気にするのはやめるべきだと思った。

 連続で上がっていた花火の爆音がすこしずつちいさくなっていく。清春が言うには、この後はラストに向けて連続花火と大玉があがり仕掛け花火がはじまるが、会社の敷地からでは仕掛け花火は見えないため、大会終了後の混雑を免れたい家族はこの機に撤収作業に入るという。ほとんどの家族はラッシュが引けるまでずっと敷地に居座って飲みつづけるらしい。

「帰ろ」

 酔っぱらった父親の同僚たちに絡まれたくない清春は立ち上がって手を差し出し、奏はその手を握り引っ張りあげてもらう。


 仕掛け花火がはじまる前に、土手を降りていく人のあいだを縫って駅に向かって歩いていると大きな声で清春の名前が呼ばれた。複数クラス入り混じりの一軍たちが固まって屋台の周りで買い食いをしていた。仲のいい彼らは花火大会という花火大会は出かけるし、祭イベントは絶対に逃さない。

「家族と来てるんだっけ?」

「父親の会社がすぐそこ。他の家族はまだ飲んでるけど、俺らは混む前に帰る」と、会社の正門を指差す。

「わお、VIP席じゃん」

 一瞬で仲間に囲まれた清春を置いて、奏は駅に向かう。その場にいても彼らと話があるわけでもなし、すこし進んだところでかき氷を買った三井が屋台から出てきた。じっと顔を見つめられ、軽く会釈をすると通りすぎる寸前でいきなり声をあげた。

「あっ! 白川さんか! かわいくて見とれちゃた」

「こんばんは」

 服装や髪形が違って気づかなかっただけのくせに、息を吐くようにうそをつく人だ。一応礼をしてその場を離れようとすると、清春が追いついて肩を掴む。

「置いていくな」

「清春と仲良いんだ、成績争いで敵対関係かと思ってた」

 そう言われてはっとする。最近清春に邪魔されつづけてすっかり忘れていたが、夏休みにはもうすこし学力を上げて清春を叩きのめさなければならない。どうにも密集するのが好きな一軍メンバーは、今度は三井と奏を囲むように集まってくる。

「幼馴染なだけだよ」

 奏がそう言うと、その場の全員が微妙な顔をしていたが、家族ぐるみで仲が良いと付け加えると納得の表情に変わる。教室内で清春と特別仲良くしているわけでもないから、幼馴染というだけでは二人きりで行動している理由として薄かったのだろう。

 無愛想でも愛嬌があるわけでもない平均的なキャラ設定である奏は、クラスメイトに手を振ってその場を去る。他にも帰宅ラッシュを避けたい人々がこぞって駅に向かっている。

 清春はクラスメイトにも花火を誘われていたようだが、たまにはグループ行動から離れて気楽に花火が見たかったのかもしれない。見た目と性格から自動的に一軍に位置づけされているが、本人は楽しければそれで良くて立ち位置に固執していない。誰とでも仲良くするが、特定の誰かと深く仲良くなることもない、それでも自然と人を引きつけるのが清春という人。

 早めに花火大会から抜けたとはいえ、予想通り電車は十分なほど混雑していた。夏の夜の満員電車ほどの地獄はない。熱、人混み、人との過剰な会話、すべての要素によって引きこもりの体力は削られ限界はとうに越え、ふらふらしながら家路を歩く。その最中、奏はふと思い立ちコンビニの明かりを利用しながら最後の力を振り絞って自撮りをはじめた。

「なにしてるの?」

「お父さんとお母さんに送るの。娘は楽しくしています証明写真」

「気使ってるなあ。撮るよ」

 そう言って奏の手からスマホを取り上げると、浴衣も写るようにすこし引いて撮ってくれた。

「花火誘ってくれてありがとう」

「いいよ」

 やっとマンションにつき、エントランスで顔見知りの住人とすれ違いあいさつをする。エレベータに乗り込んで、五階と七階のボタンを押す。このマンションが新しく建ったときからの住人で、物心着いたときからずっと住んでいる二人にとっては建物全体が自分の家みたいなものだった。手入れの行き届いたきれいなマンションで、顔馴染みの住人も多い。

 エレベータの手すりに寄り掛かり、指先ですこし襟元を浮かせうちわで風を送り込みながら、ゆっくりと上昇するエレベーターの表示灯を眺めていると清春が名前を呼んだ。

(かなで)

「ん?」

「起立、気をつけー」

 長年体に染み付いた号令を耳にして、奏は条件反射で姿勢を正し、扇いでいたうちわを下げる。あだ名のストックもとうとう切れたか、いい加減考えるのも飽きたのか、久々に名前を呼ばれたのが嬉しくて、楽しくなってつい清春のノリに乗ってしまう。

「じっとして……」

 言うが早いか、清春は奏の顎を持ち上げてキスをした。疲れ切っていた奏はまったく反応できないまま棒立ちしている。同じタイミングでエレベーターは五階に到着し、静かに開くドアの向こうへ歩いていった。

「また遊びに行こうね」

 その場で躍るように振り返り、五階エレベーターホールにケケケという笑い声を響かせて清春は去っていった。悪魔は五階に住んでいる。

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