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虐待表現、怪我の表現等ありますので苦手な方は回避をお願いいたします。
「前から野生の感しか持ち合わせがない筋肉バカだとは思っていましたが、野生の感も狂って来たようで本当にどうしようもないただの馬鹿になったんですね。『戦場の漆黒の死神』でしたっけ?楽しい渾名ですね。いっそのこと、このままさっさと永久の地に旅だっていただいて、本当の死神になります?」
怒り狂ったマシューが孤児院院長室に訪れたのはあの騒ぎから3ヶ月後だった。
商人としてのマシューではなく、孤児院の子供達に働く場を与えてくれるロックウェル商会の重鎮としての来訪に嫌な予感はしていたものの、公式の訪問から逃げる訳にもいかず、対面したルドルフは、怒り狂ったマシューを前に鼻の頭を掻きながら、この怒りに思い当たるあの日の出来事を思い出した。
◇◇◇
この国が帝国へと変わった日の夜半だった。神殿の正門での騒ぎを聞きつけ、アーサーと様子を見にいくとそこに、ルミエールが居た。人目を憚り、その手が引く少女にルドルフは目を見張った。
どうやら状況が変わったらしい。
誰が何処と繋がっているのか表立っては分かっているが、心の中までは見えず、それが本心かはわからない。
ルドルフは少なくとも目の前の男はジジイの教え通りに動くものだと思っていた。
考える間を与えられる事もなく、無防備にポイと捨てられる事が決定した少女の背中が不安に震えていたのを見つめた後、立ち去ったルミエールは上級神官を呼び寄せ、自身が騎士達の対応をすると周りに指示を出し始めた。
「至急、孤児院の裏に旅の荷を付けた馬の手配を。あと、ちょっくら2〜3日出かけてくるから留守を頼む」
「2〜3日じゃ無理ですよね。馬鹿ですか?1週間は必要ですね。で、陽動は?」
隣にいた筈のアーサーに声をかけるとすでに彼は文句を言いつつ、後ろに向かって歩き出していた。
「いらん。元々が存在してはいけないものだし、何より、ルミエールが名乗り出てるようだからな。ジジイの話に乗るよりこっちの方が樂しそうだ」
ニヤリと笑い、ルドルフはいつも通りアーサーに背を向けたまま歩みをすすめた。
手早く自身の準備して外に出ればすぐに先に捨てられた目的の子供をみつけた。というかこの時間の子供は目立つから探す手間はなかった。
「お前ら、ガキの集団だけで、しかも歩きで行くつもりか?」
小鳥ちゃんと男のガキが2人。
ルドルフは声をかけて用意させていた馬を提供した。まぁ、魔術契約まで交わすことを求められた時は驚いたが。
ついでに、元々妙な気配を持つガキが混ざっているとは思っていたが契約術でそいつ等が仲間では無いこともわかった。三人が小鳥ちゃんに対し無体を働かないとする契約だった。
さらに、だ。普段なら成立時、白や赤の焔が上がる魔術契約なのにこの時は青白い焔、精霊魔法の関与色が現れたのには内心ヒヤッとした。ジジイから話には聞いていたが王家の印はマジもんらしい。
「じゃ、ルドルフさん、使えるモノは使わせていただきます。よろしくお願いしますね」
ガキの一人が満面の笑顔で言った。
こいつらの背後関係も踏み込んで再調査が必要だ。馬に乗る前、気配を消して潜んでいたアランに指示をだし、ルドルフは子供達を連れて街からでた。
翌朝、出発した道程は旅と言うには短い距離だ。
二人のガキはその辺の軟弱な騎士よりよっぽど鍛えられているぽいので平気だろうが、特に弱いと聞いている小鳥ちゃんに合わせ、安全で肉体的に負担のない道を選べば自然と間で宿泊を伴うものとなった。
動乱の時期も重なっているし、丁度いいからと宿泊地ではガキ達を使って現状把握もさせてもらった。ガキ達も色々知りたかっただろうし、仲間に連絡もしたかったのだろう。協力的だったからアランも動きやすかったらしい。
上がってくる情報に胸糞は悪くなるが、これが小鳥ちゃんの抱えた運命なんだとその頃は鼻で笑えていた。
「あの……助けていただいていているところで非常に恐縮なのですが……多分なのですが、ルドルフさんも姫様が……特別だった方ですよね?」
「……あぁ、殺したいくらいには気にしてたな。まぁ、別の奴に殺られたみたいだが」
二人で一頭の馬に乗れば自然と話もするようになった頃、世間話だった筈の会話が転がり落ちた先はあまりよろしく無いものだった。
「……私も?」
ルドルフも隠さなかったし、元々の境遇からちょっとしたことからでも察する力を持っているんだろうが、自分を憎んでいるかと背中越しにたずねてくるとは度胸がある娘だと思う。
「正直、存在自体が憎たらしい。禍々しくて許せない。だが……あんたが悪い訳じゃないのはわかっている。俺達大人の八つ当たりだって事くらい理解している。だがその事実さえ謝りたくないくらいに憎たらしい」
子供の癇癪の様な言い訳じみた情けない感情を本当の子供に露呈させる自分に嫌悪する。
戦場ではこんな事でうだうだしない。
一瞬の迷いが死に直結する。特にあの『事件』以降は更に無情に割り切れるようになったと思っていた。。
「ルドルフさんは王都で騎士団にいらっしったんですよね?」
「ああ」
「10年前も?」
「ああ」
「私が生まれた日も?」
二人のガキには聞こえないくら位の声量でたずねてくるくらいには、自分の立場の危うさはわかっているらしい。
「……あんたは朝、地下牢に降りた時には居たんだよ」
「え?」
「前日の夜まで何も無かった地下牢で翌朝には姫様が赤子を抱いていた。地下牢で生まれたのか、それとも地下牢に忍び込んだ誰かに預けられたのか、正直わからない」
「そんなの姫様を治療師にみせれば……」
「地下牢は姫様の脱走を防ぐ為、魔術無効陣が敷かれていた。さらにあの日、地下牢のあの部屋の鍵を持っていた王太子は数ヵ月に渡る新婚旅行に出かけていた。だから俺達は扉を開けることすらできず、姫様を診察させることは叶わなかった。かろうじて食べ物や差し入れは出来る隙間があった。だから外から生まれたての赤子を入れようと思えば出来たと思う。しかし俺達は王族用に整えられていたとはいえ地下牢にわざとそのまま、御子と姫様を数ヵ月閉じ込め続けた」
思い出したくもない忌々しい記憶だ。あの一連の『事件』の中でもっともルドルフもルミエールも誤ってしまった、忌々しくで最悪で最低な事柄だ。
「私、生まれた時には既に嫌われものだったんですね」
本当に悪いのは誤ってしまった自分達大人なのに、とても寂しそうな声をさせてしまったと後悔した時には遅かった。
「この旅が終わったらワイズ辺境伯様の領地の神殿に戻られるんでしょ?」
「ああ」
「そしたら二度とあの神殿には行きません」
真っ直ぐ前を見つめたまま、少女が静かに告げた。
「ルドルフさんにもうお会いする事も無いと思います。生きているのは申し訳ないのですが、どうぞ存分に姫様の分も合わせて私を憎んでください」
自分を憎みつづけろという少女は、己の誤りからから目を逸らしていたルドルフよりよっぽど大人だった。
「なんでそんなに慌てて大人になろうとするんだ?」
「だって大人にならないと死んじゃいますもん。頑張って働いて食事がもらえたら幸せじゃないですか」
自分の情けなさを棚に上げ思わず聞いたルドルフに年相応の笑顔を見せた少女は、纏う色や美しい顔立ちを別にすれば、少なくとも普通の少女だった。
『だって戦わないと死んじゃうよ?頑張って殺して、戦って生き残れたら幸せじゃん』
かつて戦場で手を下した幾多の子供達から聞いた。自分でも何度も口にした。その言葉と同じ内容だった。
戦場ならば年も性別も関係ない。
だがなんで守られるべき市中にいる子供がこんな戦場にいるような心構えをしているのか。
まるで戦場に立つルドルフそのままだ。
そこまで考えて、ルドルフは気が付いた。
この世界全てがサシャにとっての戦場なのた。平和な場所も、心休まる場所も、信じられる仲間も居ない。
孤立無援のまま、どこまでも終わりのない戦場で一人で生きるサシャという存在に気が付いた時、ルドルフは後戻りできない自分の気持ちに気が付いた。
◇◇◇
ルドルフは両手と額をテーブルに付きマシューに頭を下げた。
「俺もあれは勢いだったとはいえやり過ぎだったと反省している。できれば撤回させたい。憎みつづけたい訳じゃない。帰る場所を奪いたい訳じゃない。できれば、こちらに連れ戻し、俺の手で、サシャをこの生地獄から救い出してやりたい」
自らの手で追い詰めてしまったが、本来はジジイを裏切ったルミエールに協力するつもりだった。頭を下げたルドルフの前でマシューが深々とため息をついた後、ルドルフに頭を上げるように言ってきたので、恐る恐る上げてみる。
「僕に謝ってもどうにもならないんですけどね。まぁ、あなたのその間違いは間違いとしてすぐに認め、すぐに方向転換する姿勢は認めてますよ」
マシューの口元は笑っているが目は全く笑っていなかった。
「ねぇ、ルドルフ、知ってます?前レイランド国王は異母弟がいた事を」
まるでとっておきの商売かのように突然、声を抑え話を飛ばしたマシューにルドルフの感がビクリとした。
「ああ、勿論。前王弟、現ワイズ卿だな」
「ふふ。では前アシュクロフト皇帝に弟君がいた事は?」
「勿論知ってる。故ヴァーナル卿だ」
「さすが、元騎士団団長様だ。では、それぞれの卿にはお子様がいらっしゃるのは勿論ご存知ですよね?その中で現在行方不明な方がいらっしゃる事は御存知で?」
「ん……非公式だが、ワイズ卿の方は御令嬢クラリス様がここ十数年、公式の場に出ていないな。学園に在席されていたのが時期的にあの姫様の騒動の時期にも重なったため色々噂はあるが……。帝国の方の話は知らん」
「帝国の故ヴァーナル卿の御子息、エリック様もあの頃いらっしゃったんですよ。リチャード皇太子の側近として学園に。そして何故かここ十数年、お姿を見たものがいないとか」
「まさか……」
「王太子様も皇太子様もあの頃は、まだ王位や皇位は継いでなかった。そして彼らは貴色を持っていない」
嫌な時期に嫌な場所での偶然は偶然とはいえない
「ルドルフも言ってましたよね?地下牢の姫様はある朝、突然、御子を抱いていた、と」
「ああ」
数ヵ月前のサシャとの悔いの残る会話を思い出す。ルドルフは当時騎士団副団長で、王太子に随行していた騎士団長の代理としてあの場にいた。
「例えば、の話ですが。もし、その御子息と御令嬢のお二人があの学園の騒ぎの裏側で淡い恋を実らしていたならば、王族の直系に貴色が現れる条件から外れていないのです。もう一つ、何故、今『狂王』がこの国に興味をもったのか。もし、サシャが皇帝……リチャードの子で無ければ、『狂王』の直系血族にはならない。確信があるのか、それとも偽るのかはわかりませんが、もし直系血族の娘でなければ、『狂王』は2つの国の貴色を持つ方を正式に妻に出来る」
「なっ……」
「あのジジイ、やってくれますよね。傀儡なんて生易しい話じゃないんですよ。皇帝はサシャを手に入れる為に動いていた。だからルミエールは先生を裏切っても彼女を一時的にここから逃した。皇帝に会わせない為に……と僕は解釈しています」
あの騒ぎの後、すぐに訪れた帝国騎士団がこの神殿に居座っていた王国騎士団崩れのならず者を排除した。あのくだらない夫婦の為に王国の残党にサシャを差し出すのが嫌だからあの日、ルミエールはジジイを裏切りサシャを逃したのだと思っていた。だがそんなに簡単で甘い話では無かったらしい。
マシューはジジイが皇帝とつるんでいたと見ているようだが、どう考えたって、ジジイは元国王側だろう。国王側を内側から腐らせる事しか考えてなかったから、サシャが丁度よい着火材に見えたのだろう。だが、問題なのはルミエールだ。この神殿に移ってからのヤツの考えがルドルフには全くわからない。あの日ジジイを裏切って王国側からも帝国騎士団からもサシャを逃した体にはなっているが、多分……いや確実に皇帝とつるんでいるのは冷徹陰険眼鏡のルミエールの方だ。
「しばらくうちで働いていたので様子を見ていましたが、サシャは外で生きるには随分弱い」
「精霊の祝福……噛み後があるらしいからな」
祝福と言われるそれは奇跡を生み出し、神殿内では信仰の対象にさえなる。精霊王の花嫁候補に選ばれた心も身体も美しく清らかな乙女の印だ。たが、正直、人にとっては一種の呪いでしかない。色々な面で精霊達の祝福は受けれる、他者への奇跡だって望めは起きる。しかし傷はいつまでも癒えず、サシャの決意をもった言葉は時折、無意識であっても精霊契約にまで高められてしまう。
例えばあの日の馬の上の会話のように。
そして、ある程度、精霊達が願いを叶え、この世界に心残りが無くなれば、あっという間に精霊王の花嫁候補の一人としてあちらの世界に連れて行かれるという。体のいい神殿の生贄だとルドルフは思っている。
「ええ、ルミエールが何度か神殿の外に逃がそうとしたそうですが精霊が邪魔したらしいです」
「でも今回は逃げれた……って、おい、まさか!?」
一気にサシャがこの先、この世界に未練を残す何かがおこる可能性があったから精霊達がサシャをこの場から逃した可能性が浮上する。そうだとすればやはり早く連れ戻さないといけない。
「前回ルドルフに頼って失敗しましたからね。今回は自分で動きます。取り敢えず、これ、血判お願いできますよね?」
これ以上邪魔するな。そう言いに来た古い親友は、ルドルフの失言を取り消す旨の魔術契約書をバンと目の前の机に叩き置いた。
◇◇◇
ルドルフから取り付けた魔術契約書を片手にしたマシューは駆け出したい気持ちを必死で抑え、神殿中央棟の神殿長室を目指した。
ここ数日は非常にサシャの調子が悪いのを感じていたので、今朝、ロイから魔術転写で連絡が来たときは焦った。だがルミエールが神殿の転移陣の使用許可を出してくれた。商会のものを使うとなると申請と魔術師の手配で一日無駄になるからこれは有難い申し出だった。
今度こそ、倒れる前には手を差し伸べたい。そしてそれが今回出来るのはマシューだけだ。
もう、既に十数年前の事だ。
でもまだ十数年しかたっていない。
学生時代の、王太子や隣国の王子、王国の重要な地位に就く者達までをも役巻き込んだ学園内の騒動はマシューも聞いてはいたがまさか自分も巻き込まれるとは思っていなかった。獣人は番にしか愛を語らない。番以外には肉欲も沸かない。まだ番に巡り会えないマシューには商売のネタに繋がりそうな情報と人脈以外はどうでもいい話だった。
だが、それはある日突然だった。
ある日突然、マシューはまだ見ぬ番の気配を姫様に感じた。
番は姫様ではない。でも姫様に深く関わる存在がマシューの番となるだろう。香りもしないのに、何故か感じた。
だから近づいたのに、勝手に勘違いされ、勝手に巻き込まれ、マシューは泥水を啜ることとなった。
番が生まれたのも、その体調が良い日も、そうでない日もすぐに感じられた。とても辛い立場の彼女の隣に居れない自分の不甲斐なさに嫌悪した。
『魂の番は普通の番とは違うからね。そういう事もあるよ。でもね……』
ある日、商売で知り合った獣人の国の商人から聞かされた時は納得した。
隠された存在でもいい。あの日からずっとずっとマシューは番の成長と幸せを願い待っていた。
そしてやっと訪れた出会いの日。
仕事を求めてやってきた孤児院の子供。
ルミエールがギリギリで繋ぎ止めてくれた命の輝きは痩せ細っていても、どんなに汚く装っていても隠せない。その愛らしい姿に、やっと現れた番に、心は狂喜乱舞していた。
でも怯えさせてはいけない。マシューはずっと知っていてもサシャはマシューをまだ知らない。
「サラサラの金髪に、涼やかな青い瞳……まるで優しい狐みたい」
初めてサシャに出会った日。女神の様にほほえむサシャはマシューを獣人だと一目で見抜いた。
その瞬間、番えなくても良いと思った。
本当は番えて大切に守りドロドロに愛したいけれど。
でも叶わない時は、この命をかけても守り幸せを与えたいとあの日、あの瞬間、マシューは心に誓った。
『魂の番は普通の番とは違うからね。そういう事もあるよ。でもね、魂の番は運命が強すぎて番えない事が多い。そして大抵、途中で獣人の方が狂ってしまうんだ』
あの日、悲しそうにマシューを見つめた商人の言葉通りになったとしてもサシャが幸せであれば自分が狂っても幸せだとマシューは思った。