緑川くんと川緑さん……と聖崎くん
ご無沙汰しております。
うちのクラスには、一組の名物カップル(未満)がいる。緑川伊月と川緑陽花。名前も逆なら性格も逆。人懐っこい緑川くんにツンデレな川緑さん。犬っぽい緑川くんに猫っぽい川緑さん。彼らはいつもじゃれ合っている。部活も一緒なら、委員会も一緒。帰るときだって一緒だ。どう見ても、誰が見ても仲良しである。
それなのに「カップル」ではなく、「カップル未満」となっているのは、他でもない、本人たちに付き合っている自覚がないためである。
緑川くんは川緑さんの目の前で「カノジョほしー」とぼやき、川緑さんは「あっそ、ガンバレ」と、読んでる本から目も上げずに冷たくあしらう。そして、その直後に「まぁ、これでも食べて元気出しなよ」と、他の人には分けない(と川緑さんの友人が言っていた)彼女お気に入りの飴を渡し、これまた気軽に人から食べ物をもらわない(と緑川くんの友人が言っていた)緑川くんは、嬉しそうにそれを受け取って食べるのだ。
そう、傍から見たら完全なるカップルであることは間違いない。鳳英高校二年二組が保証する。なんなら隣の一組、三組も保証してくれるだろう。現に今も彼らは無自覚にイチャイチャしている。
だが、本人たちが認めない以上、あくまでカップル未満なのだ。
「そう、我々は生暖かく見守るしかない……」
「聖ちゃんはほんとリバース観察が好きだねぇ……」
呆れた声に名物カップルから視線を外すと、前の席にだらしなく座ってこちらを見る幼馴染がいた。その名を、聖崎生馬という。
産まれたときからお隣さんのこいつは、なんの因果か、義務教育を終えた今も同じ学校に通っている。うちの中学から鳳英に進んだ人間なんて数えるくらいしかいないというのに、珍しいことである。
「聖崎、人の机に頬杖をつくな。行儀の悪い」
「あらつめたい。幼馴染でしょ」
ぷぅっと頬を膨らませて見せるが、いかんせん可愛くない。いくら顔だちが整っていようが、男がそれをやって可愛く見えるのは幼児までだ。
聖崎は額に落ちてきた長めの前髪をかきあげると、ニッと腹の立つ笑顔を浮かべた。一組の芽衣ちゃんはこいつのことを素敵と言っているが、それは中身を知らないからだろう。栗色の髪を可愛いピンで留め、ネクタイをせず襟元を寛げたその姿は、ただただチャラい。女の子が好きだと言ってはばからないこいつの彼女は、相当寛大な人間でないと務まらないと思う。
「いつくっつくか、賭けない?」
「賭け事は好かん」
あの二人の恋愛事情を賭けの対象にするなんてありえない。ワクワクできなくなるじゃないか。なに言ってんだこいつ。
そんな私の気持ちが伝わったのか、聖崎は「それは残念」と私のほっぺたを摘まんだ。なにしてんだこいつ。
「うーん、大福食べたくなるなぁ」
「ひとのほっぺた摘まんで、言うことがそれか。私は食べ物じゃないぞ」
「食べたい」
「購買行ってこい」
ほっぺたから指をはがして邪険に払うと、諦めたのか聖崎は席を立った。珍しく素直に購買へ行くようだ。
「……聖ちゃんも行かない?」
「用がない」
「あるでしょ、大福買お」
「いらんっつっとろーが!」
素直じゃなかった。やっぱり往生際が悪かった。
※ ※ ※
思いの外委員会の会議が長引き、終バスギリギリになってしまった私は、慌てて昇降口へと向かっていた。私は通学に路線バスを使っているのだが、住んでいるところが田舎なせいか、これがまた早く終わってしまうのだ。電車で通学するには遠回り過ぎる──なにせ田舎なもので、直通路線がない!──ので、基本は使わない。
「聖ちゃん」
昇降口近くの渡り廊下にいたのは聖崎だった。委員会の私と違って、聖崎は部活だったのだろう。膨らんだスポーツバッグを肩にかけた聖崎の、栗色の髪が濡れている。
「きちんと髪を乾かさないと、初夏とはいえ、風邪を引くぞ」
「すぐ乾くし、これくらい。それより聖ちゃん、文化祭の会議長引いたの?」
我が家の隣に住んでいる聖崎も、使う路線は同じだ。自転車で来れない距離ではないが、一度盗難に遭ったから嫌だといって、聖崎もバス通学である。長距離ランナーだから走って通学すればと提案した際には、事故に遭ったら困るからとこれまた断られた。五千メートルを軽く走るスタミナや脚力があるのにもったいないが、たしかに事故ったらチームに迷惑をかけるので仕方ないのだろう。
なお、私が自転車を使っていないのは、「女の子だから」という理不尽な理由によって親から却下を食らったためである。
「会議自体はまだ続いているぞ。私は終バスがあるから早上がりしただけだ」
「まだ実行委員が参加した会議は始まってないんでしょ?」
「そうだな、生徒会と我々行事企画委員のみの会議だな」
私が所属している行事企画委員会というのは、生徒会の執行部隊のようなもので、すべての行事を企画運営する特殊な委員会である。新入生歓迎会も文化祭も体育祭も合唱祭も予餞会も、なにもかもこの二つの団体で動かしていく。そのため、三年間ずっと所属が求められるという、なかなかハードな委員会なのだ。泊りがけで行う、通称「夜通し会議」まであるのだから、正気の沙汰ではない。
そして通学に難がある私がなぜこの委員会に属しているかというと──単に一年次の担任が、春先のクラス係を決める中にこの委員会を混ぜていたためである。そしてじゃんけんで負けた私は、高校生活の幕開けと共に、辞めるに辞められない、部活にも入れないハードな委員会生活を始めることとなった。
「ただ、次からは文化祭実行委員も参加だ。聖崎、実行委員だろ?」
「じゃんけんで負けたからねぇ」
「お互い、弱いな」
根っからの運動部員である聖崎は、文化祭実行委員になったことが不満のようだった。会議をしているより走っていたいと、以前ぼやいていたことを思い出す。
「あ」
思わず足を止める。なぜなら、少し離れたところに、我がクラスの名物カップル(未満)の二人がいたのだ。
陽が落ちて暗くなったコートヤードで、少し俯き加減で向かい合う二人に、思わず胸がときめく。
「ねぇ、なんで隠れるの、聖ちゃん」
「しっ」
なんとなく漂う緊張した空気に、思わず私は隠れなければいけない気になり、隣の聖崎を柱の脇に引っ張り込んだ。なんだ、どうした緑川くん、川緑さん! 告白か、とうとう付き合ってしまうのか!
「聖ちゃんさぁ……、私は恋愛ごとにまったく興味ありませんって顔しといて、なんなのそれ……」
「静かに!」
世紀の瞬間に立ち会う喜びがわからないらしい聖崎は置いておいて、私は懸命に耳をそばだてた。かすかに緑川くんの声が聞こえてくる。
「あのさ、川緑さんはわかってないみたいなんだけど──」
困ったように話す緑川くんに、川緑さんはかすかに首を傾げる。
そうだな、緑川くん! 川緑さんはびっくりするほど鈍感だからな! 緑川くんの好意にはまったくといっていいほど気付いていないぞ!
でも大丈夫だ! 川緑さんも緑川くんが気になってるようだって、川緑さんの友人が言っていたぞ! 君たちの未来は明るい!
「聖ちゃんに言われなくないよね、川緑さんも」
「聖崎、お口チャック!」
後頭部の斜め後ろで話す聖崎の口を右手で塞ぐと、ようやく後ろが静かになった。そうそう、最初から静かにしていればいいのだ。空気読め。
「おれさ、入学してからずっと──」
行け! 緑川くん!
ぐっと握りこんだ拳に、上から大きな掌が重ねられた。
「へ?」
「聖ちゃん、もうバス来ちゃう。走るよ」
「待って、今いいとこ──」
「覗き見は行儀良くないよ」
聖崎は、私の腕をつかむと昇降口へ向かって走り出した。多少細身とはいえ、聖崎も男だ。私より力のある聖崎に勝てるはずもなく、引きずられるようにして走り出す。
非情なるかな。シンデレラも同情するタイムリミットにより、私は世紀の告白シーンを見逃したのであった。
※ ※ ※
私は不機嫌だった。身体をくっつけるようにして、狭いバスの座席の隣に収まる幼馴染を睨む。
「聖崎、狭い」
「そりゃ、俺も男だし、身体は大きいですよ、聖ちゃんよりもずっと」
「他に行けばいいのに。いくつも空いてるよ」
「見知らぬ他人が隣に来るよりいいでしょ」
たしかに知らないおじさんが隣に来るより、小さい頃から一緒にいる聖崎が隣にいた方がいい。
でも、今私は不機嫌なのだ。告白シーンを見逃してしまったのは聖崎が悪いわけではないけれど、八つ当たりしてしまいそうになる。八つ当たりはしたくない。聖崎は悪くないんだから。むしろ終バスを逃さないようにしてくれた恩があるくらいだ。見た目はチャラいが、いいやつなんだ、こいつは。
「暑いんだって」
「夏だからねぇ」
「重いんだって」
「聖ちゃんより軽かったら泣くわ。──ねぇ」
膝の上に置いた手に、聖崎の掌が重ねられる。さっきはバス停まで引っ張るためだったけれど、バスに揺られている今は必要ない。
思わず隣の聖崎を見上げると、妙に真剣な顔をした幼馴染の顔がそこにあった。
「前から気になってたんだけど──聖ちゃんさ、緑川が好きなの?」
「はぁ?」
一体なにを言いだすんだこいつは。
見たこともない真剣な表情をしてすっとんきょうな発言をした聖崎は、私の返事を待っているようだった。まっすぐな視線が痛い。
「は? 好き?」
好きか嫌いか問われても困る。私にとって緑川くんは川緑さんとワンセットであり、恋の行方を生暖かく見守る観察対象でしかない。しかもそれを、聖崎は知っているはずなのに。
「緑川くん自身には興味ないけど」
「じゃあ、なんでいつもあんなに真剣に見るの。俺じゃだめなの」
「聖崎を観察しても……」
こいつを観察しても、走ってるか、寝てるか、パン齧ってるか、私に絡んでるかどれかな気がする。あとは女の子にキャーキャー言われてるか。
「聖ちゃんがさ、恋愛に興味ないからって、ずっと我慢してたんだけど」
「はぁ」
「春先に緑川に興味持ち出したから、急いで川緑さんとの距離を縮めさせたんだけど」
「はぁ?」
「緑川は一年からずっと片想いしてた川緑さんとくっつくから、もう見る必要、ないよね」
「聖崎もそう思うか? あの二人、とうとうくっつくよな! お祝いだな、今日は!」
いやぁ、なんていうか、我が子の巣立ちというか、言いようもない達成感あるよな!
同意を求めようと口を開いた私は、けれどもそのまま口をつぐんだ。
「……聖崎?」
視線が痛い。こんな真剣な顔する聖崎は、陸上をやってる時くらいしかないから、どうしていいかわからんぞ。
「聖ちゃん──」
見上げたままでいると、聖崎の顔が近づいて来て──
「いひゃい」
そのまま空いている方の手でほっぺたをつねられた。解せぬ。
「──いくま」
「は?」
「生馬。俺の名前だけど」
「知ってるけど」
聖崎の唐突さ加減について行けない。
「知ってるなら、呼んで」
「聖──」
「これから名前呼ばないと返事しないことにした。今日の記念に」
どんな記念だ!
「リバース成立記念。嬉しいでしょ? その喜びのおすそ分けだと思って。ほら」
「いっ」
「い、く、ま」
「……生馬」
うわあああ、名前で呼ぶなんて何年ぶりだ、十年ぶりか? ずっと名字で呼んでたから、なんか照れるな!
でも、でも──あまりに聖崎が嬉しそうに笑うから。まぁ、いいか。
重ねられた掌が熱いのは、夏のせいだけじゃないような気がした。