後編
第4日一 あらゆる種類の種が地上に まかれ,芽 を出 し,生長 し,種 に従って実 と 種を付ける備 えができた時,神々は彼 らの 地上の園を肥沃で美 しい所 となすべ く,万 物 を 組 織 さ れ た 。 ま た , 神 々 は 「大 空 に 諸々の 光 を 組 織 し 」 た 。 こ れ に よ っ て 「季節 」 と,「日」と 「年」を数えるための基準が生 じるようになったのである。 この時 にどの ような変化があったのかを知るすべ はないが,地球 は太陽,月,星 と現在 あるような関係を取るに至った。少なくとも,それら の天体 の光が,新 しく創造 された地球を包 む 霧 の 中 に 輝 き 出 し た の で あ る 。 こ れ によって,地表 に立ち込めていた霧が,問 も な く出現す ることになっていたすべ ての生 命 に対する独 自の役割を果たす備えがなさ
れたのである。(モーセ2章14〜19せつ、ア ハ ム4章14〜19せつ)
第5日 一 魚,鳥,「水」の中に棲む「あらゆ る動 く生 き物 」が この 日 に創 造 され た。
神々は これ らの動物 を,新たに創造 された
地球 に置 き,こう言われた。「豊かに生めよ 殖 えよ,海の水 に充 ちよ, また鳥は地に殖 え よ 」。 人 間 に も 与 え ら れ , ま た すべ て の 生 物 にも当てはめることので きる同類の戒め 同様, この命令 も即座 に具体的な形 となっ て現れることはなか った。 しか し、それは間 もな く実現 す る ことにな うてい たの で あ る。水生動物 と鳥類 に与 えられた,生めよ殖 えよというこの戒め には,「その種類 に従」ってという制約が付いていた。別の種へ の進化 ということは,神のみこころにはなか ったの で ある。(モーセ2章20〜23せつ、ア ブ ラハ ム4章20〜23せつ)
第6日 一 この 日は創造の中で最 も輝かしい日である。6日 目の早い時期 に,大いなる神々は 「地の獣 をその種類 に従い,家 は畜をその種類 に従い,地 のすべて這うもの をその種類に従いて造りたり。」ただし,そ の繁殖については,他のすべての生物 にも 適用 される制約が付 けられていた。 すなわ ち,種 に従 わず に繁 殖 はで きない とい う条件である。
私 た ちが これ まで考察 して きた ことは,
今やすべて成 った。 しかし,人間について はどうだ ろうか。地上に人間は現われただろうか。人間の姿 はまだ見えなかった。そこで神々は互いにはかり、こう言われた。
「いざわれ ら降 り行 きて,われ らのかたち
か た ど すが た ご とにかたどりてわ れ らの像 の如 くに人 を造 り」そして,神々は 「降りてその像の如 くに人 を組織 したまえ り。すなわち神々の 像の如 くにこれを造 り,男 と女に造 りた ま え り 。」神 々 は は か り 合 っ た 通 り の こ と を 行 ない,創造の過程の 中で も最 も輝か しい業 を成 し遂 げたのである。人間は神の意志に 従 って前 進 す る最 高の被 造 物 で あ る。 人 は永遠の御父のかたちに造 られ,万物 をr治 め」 る権能を与 えられた。そ して最後 に, 神 は御 自身のみ心が永遠に進展 していくように,「男と女」を祝福し,こう命じら れた。「 豊かに生めよ,殖 えよ,地 に充ちよ,地 を従わせよ,また海の魚 と空の鳥 と地 の 上に動くすべての生物を治めよ」。6日目の終わ りに,神々は自らの創造の働 きを見 て はなは満 足 し ,「造 り し す べ て の も の 」を 見 て ,「 はなはだ、よし」とした。(モ ーセ2章24〜31せつ、ア ブ ラ ハ ム4:24-31)
以上が創造に関 して,神か ら啓示 された 事柄であ り,モーセの書 とアブラハムの書, な らびに神殿 での教 え をひ とつに要 約 した ものである。6日 目が終わった次の段階について,モーセ書には次のように書かれている。「か くの 如 く天地成 りぬ。その万 群 こ と ご と ぐまた 然 り。」 そ して 主 は 「第七の日」に休まれた。(モ ーセ3章1〜3せつ)
主が私たちに,創造に関す るこれ らの啓示を与えられたのはなぜだろうか。これら の啓示が与えられた ことにばどのような 目 的があるのだろうか。これ らについて知る ことは, 自らの救 い を全 うし,私たちの主 であ り万物の創造主である御方に心を注 ぐ 上で どの ように役立つだ ろうか。
言 うまでもな く,私たちに与 えられてい る啓示の中に,不必要な ものは何 もない。
主がなされ るすべてのことには, 目的があ る。主は私たちに,み言葉 を蓄 え, その隠 れた深い意味をよ く考 え,完全 に理解する よう望んでお られる。実際にそうしている 人々は,創造に関する啓示にはふたつの大 きな目的があることを理解 しでいる。その 広い意味での目的は,私たちに試 しの生涯 の何たるかを理解させる ことにある。 この 試 しの時期にあらゆる人 は試しを受 け,「何にてもあれ,主なる彼らの神の命じたまわんすべての ことを」な すか どうか見 られる のである。(ア ブラハム3章25せつ)。具 体的な目 標 は,啓 示 された神の教 えの基 を成す,主 イエス・キ リス トの贖いの犠牲について理 解 させることである。
6日 の間にあった事柄 と,7日 目に主が休 まれたことについては単 に出来事の記述 があるのみで,創 造に関する記録の意図するところが明確 にされていないという考 え は もっともである。主は,モ ーセの書の3 章に書かれているように,創 造の目的 と本質 を続 けて説明 してお られ る。主は ここで 創造に関して解説をしておられるのであ る。 ここに明 らか にされている幾つかの事 実 と原則を知 らず に,何が創造の真の教義 であるかを理解す ることはできない。主御 自身によるその解説は,時間的な流れに 沿 った記述 の中に挿入されてい るが,それ はその記述 の真義 を理解 させるためで あ る。 したがって,その解説 には時間的な整 合性はない。主が創造の過程において順次 行なわれた事柄についての解説なのである。
主の創造 に関するその解説 を始めるに当
た り,6日 の問に行なわれた業に触れて次
のように言われた。「われ主なる神の天地を
造 りたる日に天地のつくられたる時,天地の
生成 した るかはか くの如 し。」(モ ーセ3章4せつ)確 かにその業 は成され,啓示 も与えら
れている。 しか し, それを理解するには、なお幾何かの真理が必要で ある。それは, 万物がすで に前世において存在 していた ことと,地球 とすべての被造物が初め創造主 の手か ら生 まれた時は不朽性 を有 していた ことに関連する真理である。 このふたつの 概念 が ひ とつ の文 章 の中 に織 り込 まれて い る。 また,そこに用い られてい る言葉 には 二重の意味があ り,前世の状態 と,初めて 物質的な創造が行 なわれた時のことの両方に当てはめられ るもの もある。 そして主は,野のすべての草や木 を, まだ地上に植 えない内に創造 したことと,天 においてすべての人 間を創造 したが,地 を 耕す人がひとりもいなか った ことについて語 られ た。(モーセ3章5せつ参 照)主 が ここで, 万物の前世 における存在 を言われたのは明 らかである。 この地球 を初 め,人,動物, 魚,鳥,植物な どはすべて,最初霊 として 存在 していたのである。その起源 は天であ り,地 球 が創 造 され た のは、 そ れ らの ものに物質 とい う衣を着せるためであった。
「そはわれ主なる神,わが語 りしすべての ものを, これ らがい まだ地の面 に自然に 在 る に先 だ ち霊 としてつくりたれ ば な り。」こ の言葉は,霊の創造 として考えるなら,真 の意味が理解できるであろう。 しかし,そ れにはさらに重大な意味が ある。続 けて次 のように書かれてい る。「またわれ主なる 神,雨を地の面に降らせず、地の面にも 水の中にも空の中にもいまだ肉ある者なかりければな り。 され ど,われ主なる神,言葉を出したれば霧地より上り来り土地の面をあまね くうるおした り。」(モ ーセ3章5〜6せつ) 主はここで,自ら先 に語 られた事柄,6日 の間にあった事柄, そして,モーセの書2 章に述べ られている物質的 な創造の記述 に ついて言ってお られる。主 はそのようにし て造 られた物 は,霊的な存在であ り,先に 挙 げた理由から,「地の面 に自然にあ」った のではない と言 ってお られる。
ここで信仰箇条第10条 につ いて考えな け れ ば な ら な い 。「わ れ ら は ... ... 地 球 は 元 に あらた まりて楽園の栄えを受 くることを信 ず。」つ まり,最初に造 られた時,地球は楽 園の状態で,死がなかったということである。そして,主が再臨 し,福千年の時代が 始 まる時,地球は再び楽園の状態 に戻る。
地球は再新 され,義人が住 む新 しい天 と地
になるのである。その日には,すでに知 ら
されてい るように,「死ぬることなきを以て 如何 な る悲 しみ もあ る こ となか らん。」(教 義 と聖約101章29せつ)
このように,最初 に創造 された世界 は楽園の状態で,死や腐朽性 はまだ入 り込んで いなかった。地上には滅 びゆ く性質 の体を持 った生物は存在 していなかった。創造は すで に終 わ ってい たが, 死 が入 り込 んで く るのはまだ先の ことであった。万物が不死 不滅の状態に造 られていたのである。 リー ハイはその状態の時のことをこう言 ってい る 。「そ して 創 造 さ れ た 万 物 は 造 ら れ た 後 の 状態 そのままに続いてあったに違いな く, また必ず その まま永久 に続 いて終 りがな か った であ ろ う。」(II二 一 フ ァイ2:22) もし死がないな ら,必然的 に,万物はそめ まま永遠に命を保つことになる。
創造 に関する主御 自身の解説が さらに次のように続いている。「われ主なる神,土の塵 を以 て人 を造 り,生命 の息 をそ の鼻あな に
吹き入れたり。人すなわち生ける 『霊の結合体』 とな りぬ。すなわち地の上に於 ける最初の肉ある者にして また最初の人間なり。さりながら,すべての ものは前 につくられ たるがこれらはわが言によ りて霊 として造 りなされ しな り。」(モ ー セ3章7せつ)何 と 深い意味 を持つ言葉ではないだろうか。 ア ダムの肉体 は,神が彼 を造 るために降 りて 来られたその地上の塵で造られたのであ る。アブラハムが言っているように, アダ ムの「霊」はその肉体に入った。(ア ブラハム5章7せつ参 照)こ うして人 は不死不滅 の生 ける 『霊の結合体』 とな り,肉体 と霊がひ とつに結び合わされたのである。 まだ死が 入 り込 ん でお らず, アダ ム は他 の万物 と同じように,霊的な存在 として造 られていた。 その後,アダムが堕落 したことによって, 腐朽性が持 ち込 まれ,子孫が殖 えるように なり,死が入 り込んできた。堕落 した人問 は死すべ き存在となったのである。 アダムの 肉体 は滅 び ゆくもの とな り,「地 の上 に於ける最初 の肉ある者」 となったのである。
そ して ア ダムの 堕落 の影 響 はす べ ての被 造 物に及ぶことになった。万物が堕落レ,死 すべ き存在 とな った。死が世界に入 り込み
君臨 した。そして繁殖が始 まり,偉大な永 遠の主のみ業が前進 を始めたのである。
このように,万物は最初天 において霊として造 られ,後 に死ぬことのない存在 として 造 ら れ 地 上 に 置 か れ た 。「霊 と し て 造 り 為 され しな り」 とあるが, これは, まだ死が なかった とい う意味である。その肉体 は地 球に存在す る元素でで きていたが,堕落に よって死が入 り込んだ後 の滅びゆ く肉体 とは違い,霊によって生か される体 であった。 滅 びゆ く肉体 は死 に従属す るが,霊 によっ て生かされ,不死不滅 の性質を持つ肉体 は
死 の支配下にない。 このゆえに,堕落,腐朽性、死が必要となってくるのである。
「われ神,エデンの東の方 に一つの国を 設けてわが造りし人をそこに置きたり」 (モーセ3章8せつ)と 聖典にある通 り,父祖 アダ ム はエ デ ンの 園 に住 んだ 。 ア ダム は神 が創造 した最初の人間であ り,堕落によっ
て最初の肉ある者 となった。堕 落の結果,
す べ て の もの が 霊 に よって生 き る状 態 から,死すべき状態へ と変化 したのである。
聖典 には こう書かれている。「われ主 なる神,人の観 るにうるわしきすべてのきを自然 に 土地よ り生ぜ しめ,か くて人 これを観るを 得た り。 このすべ てのきもまた一種の生 け る『霊の結合体』となりぬ。」(モ ーセ3章9せつ)
この記述の中には、他の種への進化など とい うことはまった く書かれていない。 こ こでは,「すべてのき」と 「すべてのもの」 について語 られているのである。聖典はそ れ らをひとつの集合体 として,次 のように続 けて書いている。「それは,われ神それをつくりしその世界に, まことにわれが人の用 いんために備 えたるすべ ての ものすらつくりしその世界にその まま在 りたればな り。しかし て 人 は そ の 食 う に 善 き こ と を 観 た り 。」 (モーセ3章9せつ)
主の創造の解説 の中には,次の ように も
書かれている。「われ主なる神,土 よりして 野のすべての獣 と空のすべての鳥とを造り,......彼 らもまた生ける 『霊の結合体』 な りき。 われ神,生命の息 を彼 らに吹 き入 れたればなり。」(モーセ3:19)そ して,あばらぽね 比喩的にイヴはアダムの肋 骨から造 られ
た と述べ,死 も,現世の試練 もなかったそ
の時,「かの男とその妻とは,二人共に裸のままにして恥 しく思わ ざりき」 と続けてい る。(モ ー セ3章21〜25せつ参 照)
私たちは堕落 に関連 して,主は園の中央 に「善悪を知る樹」を植えられたと教えら れている。(モ ーセ3:9)そ して,アダムとイヴに次のような戒めが与 えられたのであ る。「この園 の すべ ての きよ りは汝 の心のままに食 うことを許 さる。され ど善悪 を知 きるのきよ りは汝食 うべか らず。然 はあれ ど も,食 うと食わざるとは汝に任す,そは汝 に与え られたればな り。 され ど,わが汝 に 禁 じたるを忘 るな。汝 これを食 う日には必ず死 ぬべ けれ ばな り。」(モーセ3:16-17)
再 び比喩的な言い方がされてい.る。善悪 を 知 る木の実を食べたということは,最初の 両親が, 自分たちの肉体が不死不滅の状態 か ら死すべ き状態へ変わるように,律法が 求 めるすべてのことに従 った とい うことで ある。
モー セの書 第4章 には堕落 につ いて の記 述がある。アダム とイヴが禁断の実 を口に して,地 は呪 われ,いばらとあざみを生 じた。つ まり,地球が現在 ある状態に堕落 し たのである。 イヴは 「すべての生 きるもの の母」(モ ーセ4章26せつ)と 呼ばれ,アダムと
の間に 「息子娘」をもうけることになった。 (モ ー セ5章3せつ)
この ように,人は堕落 し得る存在 として 造 られていたのである。アダムは堕落 し, 人類 に腐朽性 と生殖の力 と死 とをもた らしたが,それによって主イエス ・キリス トの贖いの犠牲の祝福にあずかれるようになっ た。人類 はアダムの堕落によってもた らさ れた肉体 と霊の死か ら贖われ,不死不滅 と 永遠の生命 を受けることができるように なった。創造,堕落,贖いはひ とつに結び 合っているのである。
万物の創造 に関するこれ らの啓示された
真理 は, この世 の数 多 くの仮 説や理 論 に 真っ向から反対するものである。しか し, この真理は神のみ言葉 であ り,私たちが受け入れなければならないものである。宇宙, 地球,人問,そ してあ らゆる生物 の創造 に 関して知 らされている知識 は,その未知の 部分 と比較する と,極 めて微々たるものであるということを,私たちは率直 に認 める。 しかし、主 は私た ちに この試 しの生涯 に必要なだけの奥義 を与 えてお られる。 主はこれまで基本的な真理 を明 らかにし て こ られ たが ,私 た ち はそれ に よ って, 創 造の真の教義を理解す ることができる。そ れでは,その教義 というのはどのようなも のだろうか。イエス ・キ リス トは地球 とそ の上に存在するすべての ものの造 り主であ り,贖いぬしである。ただ し,人間 を造 られ たのは,私たちすべての者の御父,主 なる神御自身である。御父が地上 に降 りて来て, 御 自身 のか た ち に男 と女 とを造 られ たの で ある。地球 と他のすべての ものは不死不滅 の状態に造 られたが,堕落 し得 る存在で も あった。偉大 な造 り主は贖いぬしとな り,人 類 を堕落の影響か ら解放 し,不死不滅 と永 遠の生命 を与 える者 となられた。創造,堕 落,贖いは永遠の原則 を支える3本 の柱で あ る 。 キ リ ス ト を 造 り 主 ,贖い 主 と し て 受 け入れる者は皆, キリス トと共同の相続人 となることがで き,御父が持つすべてのも のを受け継 ぐ。 これ らのことが創造の真の教義である。
確かにキ リス トは造 りぬしであり,贖いぬし
である。テンプル ・スクエアにある訪問者センターの円形の大広間には,バーテル ・ ソルバ ルセ ン作の大理石 のキ リス ト像が 立っている。 その堂々たる大理石像 は,造 り主が永遠の世界 のただ中に立 ってお られ るように見える。 円形 の天井 と壁面 には, 組織 された宇宙を運行 する無数の天体が描 かれている。 この素晴 らしい作品を見 てい る と,わずかながらに創造 の奇跡 を垣 間見る思いがする。
また,人々 を癒 し,祝福 したその神聖な手と,ほこりにまみれた小道を歩いた足に は、釘 跡 が見 える。その足 で歩 まれ た地 は,御 自身が造 られたものであった。 そして脇 腹 には大 きな傷跡がある。 その傷か ら流れ 出た血 と水 は,贖いが完成 されたことの し るしであった。腰い主の奇跡の一端が見えるようである。
これ らすべての ものの奇跡を考 える時,私たちの目と思いは,その優 し気な顔 に引 き付けられ,伸 ばされた腕 に何か私たちを 招 き寄せ る力を感 じる。 この素晴 らしい大 理石像は呼吸をし,次のように言っている かのようである。「私は道であり,真理 であ り,命 である。」(ヨハ ネ14:6)「 すべ て重荷 を負 うて苦労 している者は,私の もとにきなさい。あなたがた を休 ませて あげよう。」(マ タイ11:28)私 のもとへ来 なさい,そ うすれば救 いを受 ける ことがで きる。私 の もとへ来て,私を造 りぬし,願いぬしとして受け入れ るすべての 者に世の初め か ら備 えておかれた王国 を受 け継 ぎな さ い。来て,私 とひとつにな りなさい。私はあなたの神である。