前編
主は私たちに,地球や人間を初 めとする万物の創造 に関 して,真の教義を信じ,理解するよう望んでお られ る。事実,後に分かる ことだが,創造の教義 を理解せず に ,』救 い を 得 る こ と は で き な い 。 万 物 の創造 に関 して正 しい知識 を得なければ,神から完 き報いが与 えられ ると望むことはで きない。他の方法 でその報 いを得 ることはで きないの で あ る。 神は私たちすべての者の御父であ り,霊の子 らが進歩 し,御 自身の ような者 となれ るように,救いの計画 を立て られた。 それ が神の福音であ り,人 に救いを得 させ る永 遠の御父の計画である。その計画は3つ の要素からなっている。その3つ とは,創造, 堕落,贖い,であ り,永遠 の原則の柱石 をなすものである。
私たちは万物 の物質的な創造について理解 しようとする前 に,創造,堕落,贖いというこの3つの永遠の真理が, どの ように、 してひとつに織り合わせられているかを知っておく必要がある。この3つ の内,独 立して立ち得るものはひ とつもない。それぞれが他のふたつ と結び付いているのである。3つ すべてを理解するのでなければ, 一つ一つに対する真の理解 を得 ることもで
きない。 救いはキリストの中にあり,キリストの
贖いの犠牲によって もた らされ る。主イエ ス ・キリス トの贖いは,啓示 された神 の教えの中心 をなす ものである。 キリス トの贖いは,アダムの堕落 によって この世 にもた らされた肉体 と霊の死か ら,人を解放 してくれる。尊 き主が死か らよみがえり,眠れ る者の最初の実 とな られた。それによって,全人類が復活 で きるよ うになったの であ る。
また, キ リス トが死 なれ たの は,罪 を犯 した人間を救 うためで もあった。 キリス トは悔い改めを条件 として,すべての人 の罪 を負われたのである。人が神の賜物の内最大 のものである永遠 の生命 を得 ることができ るのは, キリス トがゲツセマネ とゴル ゴタ でなされた贖いの業 によるので ある。キ リ ス トはまさに, よみが えりであ り,命であ る。不死不滅 と永遠の生命 もまた, この贖いを通 して得 られるようになった。大いな る救い主が持っておられる贖いの力の栄 光,驚異,永遠の意味 は, いかなる言葉, 表現力 をもって して も表わす ことはできな い。
しかし私 たちは,堕落があったか らこそ贖いがもた らされた ということを忘れては ならない。堕落がなければ,不死不滅 と永 遠の生命 をもた らす贖いもなか ったのであ る。 このように,確かに救いが贖いのゆえ にもた らされた ように,救いは堕落のゆえにもた らされたのである。 死すべき性質,繁殖,死 はすべて,堕落をその出発点 としている。現世 における試 しは,人類の最初の両親がエデ ンの園の家 を追われた時に始まった。エノクはこう言 っ て い る 。「ア ダ ム 堕 ち た る が 故 に わ れ ら今 ここに在 り。 またアダムの堕ちた るによりて死 は来れ り。 この故 にわれ ら不幸 と禍 とを味わ う者 とせ られた り。」(モ ーセ6章48せつ)
人類最初の母親イブは非常に深遠な教義を次のように語っている。「彼の妻エバは、これらすべてのことを聞き、喜びながら言った。『わたしたちの背きがなかったならば、わたしたちは決して子孫を持つことはなく、また善悪も、贖いの喜びも、神がすべての従順な者に与えてくださる永遠の命も、決して知しることはなかったでしょう。」(モーセ5章11せつ)
堕落があったのは、永遠の創造ぬしが、地球、人間、すべての命あるものを、堕落し得る存在として造られたからであることを忘れてはならない。 この堕落によって,す べての事物の状態が変化 した。万物 は堕落し,変化し得るように創造されていたのである。 このようにして現 出した現世 の状態は,御父の永遠の救いの計画 につける全条
件が効力 を発す る上で不可欠のものであった。
最初の物質的な創造は,その本質 におい て,不朽性を備えていた。エデンの園の時 代の生命体はすべて,堕落後の存在 とは異 なる次元の高い ものであった。来るべ き堕落はあ らゆる存在 を低 い次元 に落 とす もの であったが,それは同時 に,進歩への道 を 備えるものであった。死 と繁殖はまだ この世 に入っていなかった。死がアダムか ら人類への贈り物とな り,永遠の生命が神の賜物としてイ エス ・キ リス トを通 して与 えられ ることになっていた。
このように,現世 の状態 は神が与えて下 さったのであ り,アダムによって死が もた らされ,キリス トを通 して不死不滅 と永遠 の生命が もた らされることになったのである。リーハイは説得力のある適格 な表現で. 全人類は堕落のゆえに,「試 しの生涯」にあ ると言っている。また「もしもアダムが罪を犯 さなかったな らば,彼は堕落をせずに・ そのま.まエデンの園 にいたで あろう。」当時 のアダムは肉体的に不死の状態 にあった。
つ まり,まだ死が入っていなかったために, そのまま永遠に生 きることもあり得たので ある 「また,アダム とイヴは子供 をもうけ ることもなかったであろう」。彼 らは試 しの 生涯 と肉体 の死 を経験す る機会 を与 えられなかったか も知れない。 しか し, この世 の 試 しを受 けなければ,永遠の生命を受 ける ことはできないのである。父なる神 に感謝 し よ う で は な い か 。 「ア ダ ム が 堕 落 し たのは人類を生ずるためであ り,人類が現 世 に在 るのは幸福 を得んためである。そ し て時が満 ちる と,人間の始祖の堕落の結果 か ら人 間 を贖うた め に メ シ ヤ が来 りたもう。」(2ニーファイ2章21〜26せつ)
私たちは救いの計画に関 して, これ らの事柄 を認識す ることによって,地球や人類 を初め とするあ らゆる生命体の創造 を考察 することがで きる。創造によって堕落が生 じ,堕落によって贖いがき,贖いによって 救いが もたらされ る。このことを理解 して お くなら,創造 に関 して神か ら与 えられた 知識を,全体的に正しく把握することができる。
創造に対する私たちの知識は限 られた ものである。私たちは万物 の創造がいつ, どのようにして, どのような目的で行 なわれたか を知 らない。 もし創造に関するすべての ことが輝かしい完全な形で,余す ところな く啓示 された として も,私た ちの限 りある頭脳で は琿解できないであろう。堕落 と贖いを正 し く理解 し、救いを受 け継 ぐ者 と なるためには, これ まで に啓示 されてきた主のみ言葉 を信 じ,理解 しなければな らな い。
将来,主は今以上に,私 たちに対 して, 創造 について深 く考えるように求 められ る であろう。末 日の啓示 にはこう書かれている。「主の来 りた もうその 日にはすべての事を顕 したまわん。すなわちすでに過 ぎ去 りしこと,また何人 も知 らざる隠れたること, この世の造 られたる事物 のこと, また この世の目的,終りなど』一...」(教 義と聖約101章32〜33せつ)福 千年が来るまで,私たちはこれまでに知 らされて きた創造 に関す る真 理を信 じ,受 け入れなければならないので ある。
キ リス トは無 数 の世 界 の創造 主 で あ り, 贖い主である。人間にはその世界 を数 え尽 くすことはで きない。無限無窮の創造 と贖いの業 に関 して,聖典 には御父のみ言葉が 次のように書かれている。「われは,無数の世界を創りたり。しかして,またこれらはわれ 自らの目的あ りて造 りしなり。しかして,わが子によりてこれらの世界を創 りたり。わが子 とは,わが生みたる独子の ことな り。 され ど, この世 とこの世 に住める人々 の話のみを汝にして聞かす。」主が創造 され る地のすべての世界に関 して私たちが知っ ているのは,贖い主を通 して地 のすべての人 に「不死不滅 と永遠の生命 とをもた らす」 の が , 主 の 業 に して ,主の 栄 光 で あ る という こ とだ け で あ る 。(モ ー セ1:33,35,39)
お そ ら く この 神 権 時 代 に 与 え られ た 内 で最 も輝か しいと思われる示現の中で, ジョ セフ ・スミスとシ ドニー ・リグドンは 「おん父の右 に御子」がお られ るのを見, また、 「おん父の生みた もう独子な りと証 した もう声 を聞けり。すなわち諸々の世界 は彼 の手 により,彼の手を経て, また彼によりて先に造 られ, また現 に造 られ, これに住 む者 たちも皆神よ り生れたる息子 と娘 なることを証 したもう。」(教 義 と聖約76章20,23〜24せつ)
キ リス トは創造主であり,贖い主なの である。 もろ もろの世界 はキ リス トによっ て造 られ,その無 限の贖いによって, この 世 の人 々 はキ リス ト御 自身 と共 同 の相続 人 として,神の家族 に迎え入れ られる。 この 示現 を信ずる ことによって聖徒 らは神の子 供 となることがで きる。予言者 ジョセフ ・ ス ミスはこの示現を元に次の ような文を書いている。
「また,天 よ りひ とつの大いなる声あ りて証するを聞 く,
そは救 い主にして神の独子な り,
諸天の広が り限 りなしとい えども,
諸々の世界 は,彼の手により,彼の手 を経てまた彼に因りて造られたり。 また,そこに住める者は,初 めより終わ りに至るまで
我 らが救い主 によりて救わ るるな り。 また,彼 らが神の生みたもう娘,息子 となるは, 同じ真理,同じ力によりてな り。」
滅 びゆく人問には,創造 と贖いの業の無 限無窮の本質 を理解することはできない。 私たちは,主が この ような啓示を通 して, その果て しないみ業に関する永遠の真理を かい ま見させて下 さった ことに感謝 してい る。私たちに関係があるのは, この地球で ある。永遼 の生命 を得 ようと奮闘する私た ちに道 を示 して くれるのは, この地球の創造 に関する真理なのである。
それでは,ア ブラハム と共 に前世の「高貴 にして偉大なるもの」の 群れを見てみよう。「こ れ らの者の中に,神 の如き者」が ひ とり立 っておられた。 この御方がかの大 い なるエホバ,おん 父の長子である。御子は「ともに在 りし者 たち」,す なわち,ミ カエル を初め とする雄々 しき者たちに,「わ れ ら降 り 行かん。か しこに空間あればな り。而 して これ らの材料をとりて,こ れらの者の住 まうべき地 を造 らん」と 仰せになった。(アブラハム3章22せつ、24せつ)
よ く見,聞き,考 えるなら,私たちの理 性 は光を注がれ,理解は天に も達する。キ リス トは確かに,おん父の霊の子 らが住むべ き家 を創造されたのである。 しか し,キ リ ス トはひとりでそれをなされたのではな い。創造 は組織的に,つまり,他の高貴 に して偉大 なる霊たちにも,それぞれになす べ き分が与え られていたのである。 また地 球 は既存の物質を用いて創造 された。物質 は永遠であり,創造 とは組織す ることなので ある。
創造 の業の進行 を見てい くと,神が十戒の中でモーセに語られたみ言葉が,実際そ の通りであることが分かる。「主は六日のう ちに,天と地と海と,その中のすべてのも のを造って,七日目に休まれた」。(出エジ プ ト20:11)で は, そ の一 日一 日にな され た創造のみ業 を見 てみよう。
まず最初 に,聖典に言 う1日 とは何であ る だろうか。それ は時代,累代などとも呼ばれ る,ある区切 られた時であり,永遠の時の 一部分である。 また,確認できるふたつの 出来事にはさまれた時 と言 うこともでき る。創造の1日 とは,長 さが どれだ けであ るかに関係なく,その目標とするところを 達成 するために要 した期間を言 う。尺度の ひとつとして用いられているのが, 日の栄 光の状態の天体が1回 自転す るのに要す る 時 間 で あ る 。 例 え ば ア ブ ラ ハ ム は , 「主 の 計 算」によれば,1日 は 「一千年」に当たると言っている。 これが 「コロブの一廻転」であ り,「主の時の計算」なのである。(アブラハム3章4せつ)
聖典の中には,創造に要 した6日 がいず れ も同 じ長さであった と述べ ている啓示は ない。創造に関 して私たちに知 らされてい るのは,モーセの書 とアブラハムの書,そ して神殿 の中で教 え られ ている事柄 であ る。 この3つ の教 えは どれ も予言者ジ ョセ フ・ス ミスにさかのぼることができる。モー セ とアブラハ ムの記録は両方共,天地創造 にまつわる様々な出来事 を,連続する時の 流れの中の事柄 として描いている。具体的 には後に見ることにする。理 由があって神 殿の教 えでは、時 の区分の仕方が異なって い る 。神 殿 の 教 え に よ く 通 じ て い る 人 に は , その理由は明 らかである。明 らかに「6日」という時 は,ひ とつの連続す る時代であ り, 連続する創造の業 を区切 って考える必要性 はないように思われる。
モーセの書 と神殿の教 えが述べているの は物質的な創造,つ まり触知 し得 る物質の組織についてであ り,霊的 な創造ではない。
アブラハムの書は創造 の業の詳細 な計画を提示してくれている。そこには創造を推し進 めた神々の計画が記されている。6日 間の出来事 を記 した後に,アブラハムはこう書いている。「天と地を造らんと神々同志に てはかりた まいし時決めた るはか くのごとし。」 (ア ブ ラ ハ ム5章3せつ)
それに続 けてアブラハムは,神々が初 め の計画通 りに実行 した ことを書いている。 とする と,アブラハムの書は,実際の創造 について記録 したもの ということになる。
第1日 一 エロヒム,エホバ,ミカエル, そして高貴 にして偉大 なる者たちは,皆各自の分担 を果 た した。「神々」は空 と地 を むな造 った。地 は 「形 な くして空し」く, まだ, 人の救い という目的 に役立てることので き る状態にはなかった。地は 「空しくて荒れ 果てたる所」で , まだその表に生命が存在 し得 る状態ではな く,神の子供たちが住む所 としては不適当であった。大 いなる「淵」の 「水」が表われたが,「光 あれ」との命令 が あ る ま で 、 暗 黒 が 覆 っ て い た 。 光 と 闇 とが 分 け ら れ , 光 を 「昼 」 と 呼 び , 闇 を 「夜 」 と呼んだ。・これ は明 らかに,地球が自転す る天体 として造 られ,太陽の周 りを巡 る軌 道上に置かれたこ とを示している。(モーセ2章1〜5せつ、ア ブラハム4章1〜5せつ参 照)
第2日 一 この日,水は地表 とそれを取 り巻 く空の間に分けられた。「大空」とも「広 が り 」 と も 呼 ば れ る 「天 」 が 造 ら れ , 「広 が りの下の水 と,広が りの上の水 とを分」けた。この創造の過程が進むにつれ,雲,雨, 嵐な どによって,まだ地上 に現われていな かった生命 をもた らす準備 もなされた こと であ ろ う。(モー セ2:6-8;ア ブ ラハ ム4章6〜8せつ参 照)
第3日 一 この日に初 めて生命が現われ た。3日 目に 「天の下の水」が 「一つ所に 寄り集」り,「乾ける地」が現われたのであ る。乾いた地は「陸」,寄せ集められた水は「海」 と呼ばれた。 また, この日,神々は「地 を組織 して」,様々な草木 をはえさせ た。そして神々が まいた種か ら,あらゆる種類の植物が生 じた。青草,種を生ずる草, 樹木 ばそれ ぞれ 「その種 子 よ り」生 じ、「そ の種類に従いて」実 を結ぶ ようにとの言葉があ り,植物の王国の領域が, その様々な 種類 を造 った神々の手によって定め られた のである。(モーセ2章9〜13せつ、ア ブラハム4章7〜13せつ参 照)